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格差と家庭に縛られた「自由人」たち 普通のタイ人の幸せはどこにある?(第16回)

【お知らせ】本連載をまとめた書籍が発売されました!

本連載『「微笑みの国」タイの光と影』をベースにした書籍『だからタイはおもしろい』が2023年11月15日に発売されました。全32回の連載から大幅な加筆修正を施し、12の章にまとめられています。ぜひチェックしてみてください!

タイ在住20年のライター、高田胤臣がディープなタイ事情を綴る長期連載『「微笑みの国」タイの光と影』。
これまでタイ社会の徹底された格差と保守的な家族関係を取り上げてきました。では、その中でタイの人々はどのように幸せを感じて暮らしているのでしょうか。民族や国籍の複雑なルーツとともに、タイ人の一般的な感覚を紐解きます。

これまでの連載はこちらから読めます↓↓↓


タイ人の意味は「自由人」それとも「立派な人」?

「タイ人」はタイ語で「コン・タイ」という。直訳すれば「タイの人」という意味になるのだが、そもそも「タイ」にはどんな意味があるのか。「タイ」とは、自由を指す単語なのだという。コン・タイは自由な人を意味し、その精神は今もタイ人の根底に刻まれているといっても過言ではない。だからこそ、タイ人の基本的な気質は個人の自由や意志を尊重し、やりたいことを制限されることを非常に嫌う。

ただ、タイは多民族国家で、国籍保有者としてのタイ人だけでなく、民族としてのタイ人もいる。国籍保有者の中にはタイで生まれてもいないし、タイ語を話せないタイ人だっている。しかし、それを含めほぼすべての人の根底に流れるものが、自由に生き、自由に考えることといえる。タイに暮らせば、我々日本人も他人の目を気にせず自由に生きられることに喜びを感じる。この懐の広さもまたタイという国の大きな魅力だ。

ところが、よくよく調べると、この自由人という意味はあくまでも俗説で、「タイ」の由来には諸説ある。もうひとつの有力説は中国語の「大(だい)」が訛ったもの。つまり、漢字で書けば「大人」が語源であるとされ、「立派な人」という意味になるらしい。いずれにしても「タイ人」にはとても壮大な意味が込めらている。

人種あるいは民族としてのタイ人はどんな者かというと、日本人や外国人が一般的にイメージする東南アジアの人――肌が褐色であるとか、小柄とか、そういった特徴を持つ人種だ。細かくは「タイ族」にもいろいろあって、主要は「タイ・ノーイ族」になる。日本語では小タイ族と訳される。この民族には先の、肌が褐色などの特徴がある。広義の意味でのタイ族はこの小タイ族のほか、「大タイ族(タイ・ヤイ族)」、隣国のラオスを中心に暮らす「ラオ族」などがいる。タイ語の大元の言語を話す民族で、これらが大陸の各地に移住する中で分かれていったとされる。

タイでは子どものイベントが目白押しで、毎週どこかでなにかが開催されている。

ややこしい理由は民族と国籍が絡むから

広義のタイ人の起源は諸説あって、現在の中国に暮らしていた民族が漢族に追い払われてアルタイ山脈――モンゴルやカザフスタンの辺りから東南アジアに移動してきた説、先史時代の遺跡で発掘された人骨から今のタイ王国の中に起源がある説、インドネシアなどの島から来た説、台湾辺りから来た説などいろいろある。インドネシアには台湾原住民と同じ系統の人種がいるのであながち間違っていないし、タイ国内では先史時代の遺跡などがあるのでタイが起源なのもありえる話。結局どれが実際のところかまだ解明されていない。

国境というのは後づけの話であり、戦争や侵略で国が拡大したり縮小したり、大陸ゆえに民族が移動し種族の交わりがあって、タイは必然的に多民族国になった。そんな国の政府はより統制を取りやすくするためもあって、中華系の移民を帰化させるなど、強硬な同化政策を太平洋戦争後まで採っていた。その政策を日本語では『大タイ民族主義』と呼ぶ。この場合は先述した「大タイ族」のことを指すのではなく、大・タイ民族主義を意味する。簡単にいえば、小タイ族だけでなく、マレー系や中華系、ラオ族、山岳少数民族など、タイ国内にいる人をみんなタイ人にしてしまおうということだ。例えばタイ東北部(イサーン地方)の人はイサーン人と呼ばれるが、イサーンは今のラオスの領域だった時代もあるので、ラオ族系も少なくない。そんなラオ族も含め、全員がタイ人としてタイ政府に受け入れられた。

昔のタイはサイアム(昔の日本ではシャムと呼んでいた)という国名で、これをタイに改名した。そういう経緯が、「タイ人」の由来をよりわかりづらくする一因ではないかとボクは思う。族としてはタイ、国籍保有者はサイアム人だったのを、タイという国名にして統合したからだ。こういった事情があるため、多民族の中の一つにすぎない「タイ族」にクローズアップするだけでもその内幕は複雑になる。

ちなみに、ポピュラーな「大タイ族」としてはミャンマーのシャン族がそれに相当する。ただボク個人の経験では、タイ・ヤイ(大タイ族)とタイ国内で名乗る人は中国出身者が多い。四川省にはタイ族の自治区がある。シーサンパンナが有名で、こういったタイ族の自治区ではタイ語にかなり似た言語が使われ、4月中旬にはタイでも行われる昔ながらの旧正月ソンクラーンが行われる。そんな地域からタイに移住してきた人が多い。バンコクで見かけるタイ・ヤイは主に飲食店にいる。中華料理店でわりとタイ語ができる中国人は勉強熱心な漢族かタイ・ヤイ族のどちらかというイメージだ。

農村の学校では転勤がなく何十年も同じ学校で教鞭をとる教師も少なくない。この農村の祭りではそんな教師たちが呼ばれ、村人みんなが挨拶をしていた。
祭りで呼ばれる歌謡ショーの一団。歌手やダンサーは地方出身者が多い。

バンコクの人が言う「イサーン」の裏にある響き

2006年から続くタイの政治的混乱の中ではしばしば、「バンコクの人対地方出身者」という構図が見えるときがある。特に、2006年から数年間続いていたタクシン元首相派と富裕層を中心にした保守派の対決内ではそういった瞬間がいくつもあった。

タイ東北部出身のイサーン人(タイ語でコン・イサーン)という呼び方はタイ・ノーイが彼らをやや突き放すような印象を受ける。政治騒乱内でもイサーン(タイ東北部)にはタクシン派が多く、大きな集会にはイサーンから大挙してバンコクに集まってくる様子が何度もテレビ放映されたので、保守派の中にはイサーン人に選挙権はないというような過激な発言も見られた。だからこそ、政治騒乱の中ではほかの地方出身者とは違ったニュアンスがイサーンに対して垣間見られた気がする。実際、イサーン人側もそういった雰囲気を読み、富裕層を嫌う人もいた。

ただ、一般的なタイ人が「タイ人」というときにはタイ族を指すのではなく、国籍保有のタイ人を意味する。会話の中でタイ族を表す場合は前置きが必要なくらいだ。これは多民族国だからこそでもあるだろうし、タイ政府の大タイ民族主義が浸透した成果ともいえる。あるいは、一般層の中には自国民が多民族であるという認識がそもそもないのかもしれない。

我々日本人は見た目が似ている人種である中国人(漢族)、朝鮮系を服装や顔立ちなどからある程度は判別できる。だがほとんどのタイ人は日本、中国、韓国の人の顔が判別できない。では逆に、タイ人は近隣諸国の人と自らの顔立ちの区別がつくのか。これが、案外そうでもない。明らかな中華系、マレー系はともかく、ラオス、カンボジア、ベトナム辺りの人だと肌が褐色で、見た目ではタイ人も判別できていないように見受けられる。

ボクは10年ちょっと救急救命のボランティアをしていたのだが、その際に事件・事故現場でタイ人隊員の「アンタ、タイ人じゃないの?」というセリフをよく聞いた。タイ人かと思っていたら、タイ語の発音が変だったときとか、麻薬などで酩酊していてろれつが回っていないときに「何人?」とタイ人隊員が訊いているのを耳にした。すなわち、タイ人でも相手がタイ人かどうかわからないのだ。まあ、中華系やマレー系もいるので、タイ国籍を保有しているかどうかは外見ではわからないという理由もあろうが。ちなみに、外国籍者がタイ人に帰化する際にはタイ語での面接があるので、タイ語ができないということは基本的にはありえない。

判別がつかないことでいうと、ボク自身もわりとタイ人に間違われる。おそらく散髪をローカルの床屋でしているからではないか。在住日本人の多くは日本人美容師のいる店で切るが、ボクは300円もかからずに豪快に切ってくれる床屋が好きで、そっちに行っている。これが要因なのかなと思っていて、成田空港では日本人の免税店店員に英語で話しかけられたほどだ。

タイ人は人種のことなどを深く考えていない?

近年はタイ人女性が欧米系、アフリカ系問わず、黒人男性と結婚するケースが増えている。20年前はあまり見かけない組み合わせだった。というのもタイ人は、白人と黒人では黒人を低く見る傾向にあったからだ。これはアメリカなどに存在する人種差別的なものではなく、単に肌の色が黒いということに理由がある。

タイでは富裕層や頭のいい人は中華系が多い。一文無しの移民でやって来た中国人がタイ国籍を与えられ、勤勉に働き、子どもたちをタイの学校に通わせた結果だ。1800年代どころか戦後までタイにおける華人の立場は今のカンボジア、ラオス、ミャンマーの人のようなもので、港湾荷役や建設業などのタイ人がやりたがらない仕事をしてきた。それが今やタイの経済も政治も牛耳る存在だ。今の中華系タイ人はみな金持ちで色白なので、そのイメージから、タイでは屋外で働かない人、オフィスワーカーも色が白くてきっと頭がよくて金持ち、という単純な発想があり、肌の美白信仰につながっている。
この理屈に従えば黒人より白人となるという、実に子どもっぽい考えでしかない。残酷な人種差別ではなく、単純に自分たちと同列に考えて、肌の色で好き嫌いをしているに過ぎない。その中で黒人との婚姻が増えてきたのは、近年そういった子どもじみた考えが薄まり、マトモな方向に変化してきたというわけだ。

ベトナムのオムツCMのオーディションがバンコクで開かれた。美白信仰が強いこともあって、色白というだけで芸能関係の声がかかることも。

結局のところ、タイ人が自分たちを「タイ人」と呼ぶのも、ボクをタイ人と間違えるのも、黒人を白人より下に見るのも、あまり深く考えていないからだ。アメリカのような国で民族や人種を語るときには細心の注意が必要だが、タイではそこまで考えている一般人はいない。日本もアイヌや琉球、在日朝鮮系などがいて、決して単一民族の国ではない。部落差別もそれが今なお残る地域はメディアではあまり語られない裏社会的な状態があるかもしれないが、元々そうした部落が存在しない地域の人は、それを理由に差別をすること自体がまずない。これと似ていて、タイ人も日常生活ではそこまで民族などのカテゴリー分けを考えていないのだ。

タイ人と日本人のハーフ。近年は白人とのハーフが多かったタイ芸能界にも日本人ハーフが何人も出てきている。

とにかく家族だけが信頼できる存在だが……

タイ人にとっては、近隣諸国の人ですらタイ人なのか判別がつかない。そしてこの連載でも何度も書いてきたようにタイ人は個人主義で、欲望に忠実で、ときにはなにより大切なのは金であるということを前面に出してくる。富裕層同士は政治騒乱の中で保守派として一致団結するものの、裏では相手を出し抜こうと画策する。そんな社会の中で信用できる、信頼できるのは家族だけだ。だからこそ、タイ人は家族や親族、身内を大切にする。

親が子を育て、子はその親に感謝するというのがタイ人だ。家族を大事にすることと親への感謝もあってか、タイ語には家族を指す単語が多い。日本でも何代か下の孫、何親等か先の親戚などに対して関係性を表す単語があるが、たとえば「祖父母」は母方や父方とつけないとどっちを指すかがわからない。タイ語は祖父母にもそれぞれに違う単語があり、会話ですぐに関係性がわかる。他方、孫はラーンというひと言で、誰の子どもかは会話ではわからない。このあたりからタイには子どもたちを育てること以上に、目上をより大切にする文化と関係性があるとわかる。

兄弟が多いので、成人すると孫が一気に増えるのもタイの特徴で、まさに大家族といった様相だ。

ただ、貧困層やイサーンの農民の家系では、この目上を大切にする習慣が若者の足かせになっているのも事実だ。貧困と過労で農民は30代40代にはリタイヤする。タイ政府の社会保障制度はいまだ充実していない。年金制度も受給が始まったのはほんの数年前だ。それでもリタイヤするのは、子どもが養ってくれるという常識があるからだ。

しかし、若くにリタイヤすると、何人も子どもがいる世帯は当然下の方の子はまだ幼い。そうなると年長の子が働きに出るしかなくなる。10代であれば学歴も低く、稼ぎのいい仕事に就くことはできない。それでも家族を養うために自分を犠牲にして働く。中には売春や違法薬物の売買に手を染めることもある。こうして若い世代が貧困層の家系に生まれ、そして貧困から脱することのできない悪循環に陥る。

農村の子どもたち。高齢化する農村では子は出稼ぎに行き、孫世代を祖父母が面倒を見ることが多い。

年功序列を生き抜く最強の言葉「ピー」

そんな中で賢く生き抜く方法のひとつに、連載の最初から紹介してきた「微笑」がある。微笑の国タイランドなどというが、実際にこの笑みは優しさを表すものではなく、アナタの敵ではないですよという意味でしかない。同時に目上を大切にする社会。この中でうまく人間関係を捌いていく方法のひとつに、年上を敬って見せるという手段がある。媚びを売るのではなく、単に相手が年上の人だと周りに見せる。年上を大切にする社会に生きてきた周囲のタイ人たちはそれを瞬時に理解してくれる、という前提があってこその方法だ。

難しい手段ではなく、周囲にその人物を紹介するときに「ピー」とつけるだけのことだ。「この人はワタシのピーなんです」、「この人はピー・ナントカ(その人の名前)」と紹介する。ピーは年上を指す言葉だ。タイ語で兄弟は「ピー・ノーング」で、逆に年下を紹介するときは「ノーング」と名前の前にノーングをつければいい。年下は年上をピーと呼んだり紹介すれば、それで周囲はわかってくれる。いわばタイ的な年功序列だ。ただ、自由を謳歌するタイ人なので、尊敬できない先輩は早々に関係を切る。そのあたりは合理的だし、日本ような妙に重苦しい関係性がないのは救いだ。

このピーという言葉は便利で、たとえば仕事で1度会っただけの人と街中でばったり遭遇したときに役立つ。「この人なんて名前だっけ?」と日本人同士だとどう切り出すか悩み、話が頭に入ってこない経験は誰しもある。このとき、タイ語なら適当にピーと呼んでいればいい。もちろん、相手が女性の場合は明らかに年上でない限りはやめた方がいいが。厳密にはタイのマナーとしても日本のように相手の名前をさん付けで呼んだ方がいいのだが、勢いでピーで済ませることも可能なのだ。

人間関係の坩堝であるタイの水商売業界でも、このピーが大活躍する。よくしてくれる先輩もいるだろうし、後輩なのに先輩よりも売れっ子になって妬まれるかもしれない。そんなときに「この人はワタシのピーなの」とヨイショする。タイ初心者だったころのボクは歓楽街の女の子に「この人はピー」と紹介されてその女の子の姉と思い、しかも何人も紹介されるものだから、「一族で売春しているのか、コイツら」と勘違いからタイの闇の部分を感じてしまったものだ。まあ、闇の部分はあながち間違いではなかったが……。

「畳の上で死にたい」に似た地方出身者の感情

家族を大切にすることが貧困層の若者を縛りつけているとしたが、それはあくまでもボクの目から一歩引いて見た意見、感覚だ。当事者たちはそれほど深刻に考えていない。家族の縛りが貧困を脱せない理由のひとつだと認識できていないことの危険性もあるものの、彼らは仕送りをして、電車で席を譲られると同じように若者の義務/年寄りの特権として親側はそれを受け取る。貧困層において子どもを増やすことは労働力の確保でもあるので、親世代は子どもが働きに出られるようになったら親を養うのは当然、自分もそうしてきた、となる。ここには悪い意味での個人主義が出ているような気がする。親が自分さえよければ……と捉えている感じだ。

田舎は物価が安く、娯楽もないので本来は金の使い道があまりなく、仕送りもそれほど送らなくてもいいはずなのだが…。

また、親世代は、子どもを自己の所有物と考えている人が多く、それがタイ社会全体でも当然のようになっていると感じる。タイ人の友人と歩いていたとき、一軒家の庭から子どもの尋常じゃない泣き声が聞こえたので覗いたら、父親が女児を柱に縛りつけ棒でひっぱたいていた。虐待である。これは通報した方がいいのではないかというと、友人は「しつけだ」となんとも思っていなかった。これには正直ショックを受けた。

いずれにしても、子が自分を犠牲にして親を養うことに対して、双方には悪気もなければ、疑問もない。あくまでも子は大好きな親を守っているという誇りすら持っている。タイ人は特に母親を大切にする。歌謡曲やドラマでもなんでも、メー(母)という単語がしきりに出てくる。そんな母を守ることがタイ人は当然のことと思っている。普通の家族関係ならそれでも疑問はないが、特に水商売で働く女性の実家を見てみると、学歴もない子がそこそこの会社員並みに稼いでくることに対して親が疑問を持たないことをボクはおかしいと感じる。

夕方のチャオプラヤ河。タイ語でこの河は「メー・ナーム」と呼ばれる。母なる川という意味で、やっぱりここでも出てくるのは母という単語だ。

子はさすがに親には売春をしていることを隠し、ほとんどがレストランで働いているとウソを吐く。親は自分が楽をするため、レストランで給仕をしたところでそんなに稼げないことを知っていながら、おそらく水商売や売春をしているだろうことを見て見ぬふりをしているケースが、ボクが見てきた中では大半だった。それでも子は親を誤魔化せていると思い、せっせと仕送りをする。ひどい世帯や地域だと、親が追加の仕送りを注文したり、親類や近所の大人たちまでがその子に群がって金を要求する様子も何度か見かけた。

百歩譲って、生きるためには仕方がない、としたとしても、それでも子は母親を愛し、養うことに疑問を抱かない。そして、いつも故郷を想っている。あくまでも一時的に身を犠牲にしているだけ。自分もいつか年を取ったら子どもたちに養ってもらうのだから。中にはそれに耐えられず、麻薬に溺れて中毒者になったり逮捕されることもある。願わくば、彼らのそういった経験から、彼らの子がそんなひどい環境で自身を犠牲にしないように努めてもらいたいところだ。

辛い人生でも、こういう場所に生まれたからこんなことをする羽目になったとは彼らは考えない。あくまでも故郷、そしてタイという国はいいところで、今は生まれた場所から遠く離れたバンコクで少しの間だけ我慢をしている、と出稼ぎの若い人は思っている。昔の日本人がいった「畳の上で死にたい」のような、自分の生まれ育った場所で余生を、と夢想する地方出身者はとにかく多い。郷土愛というのか土着性というのか、彼らにとってとにかく一番いいのは生まれ故郷だ。田舎が嫌いだというボクの妻でさえ、子どもの手が離れたら田舎に帰りたいと考えているらしい。

タイ人を組織に長く留めるには

タイ人の家族関係や郷土愛から考察すると、日系企業の日本人がよく嘆く「タイ人は長続きしない」という事情が読めてくる。タイ人は確かに長く働かない。もちろん勤続何十年という人もいるが、よほどの大企業、社長や上司に魅力がある会社、それから公務員くらい。数年で上司が入れ替わる日系企業では長続きさせることがそもそも難しい。

これはタイ人側からすると仕事が嫌になったからというよりは、合理的な考えに基づく行動だ。地方出身者はいつかは田舎に帰りたい。同時に、なにかあっても帰る場所がある。日本人駐在員も出向先のタイ子会社になにかあったり、戦争が起きようものなら逃げ帰る場所があるように、地方出身者もバンコクやその企業にいること自体が自身にとって一時的なものなのだ。

それから、タイ人は特に給料には敏感だ。日本人はとかく生きがいだとかいろいろなきれいごとで誤魔化すこともあるが、タイ人はストレートに評価=金銭だと思っている。だから少しでも給料が高い職場がみつかれば、すぐに転職してしまう。目先の金額に釣られる人が少なくないのも事実で、1000バーツ給料が上がるからと転職したものの、職場へ往復する交通費が前職よりも上がって、結果手取りが減るなんてこともある。当然、バンコク出身者でも給料にはこだわるので、優秀な社員を引き留めるならそれなりにコストをかけないといけない。

離職率が高い場合、腰かけ程度にしか思われていなかったか給料が低いか、あるいは管理側が無能だったか。田舎に帰る気の場合は、もうどんなにいい給料でも定着しない。バンコク出身者だと思っていても、それは起きる。最近は80年代や90年代に出稼ぎでバンコクに来て、そのままバンコクに根づいた地方出身者の2世3世もいるので、バンコク出身だからとてマインドは地方出身者の場合もある。タイ人は新しモノ好きな一面がある一方で保守的な部分もあって、バンコク出身であっても、地方出身者が良くも悪くも持っている人のよさや保守的な気質が親から引き継がれていることが多い。だから、見た目がバンコク人でも中身はイサーン人ということはよくある。

バンコクの旧市街。生粋のバンコク人は本来はこの辺りの出身者。

問題は給料が低いか管理側が無能である方だ。会社側が引き留める給与を出せないのならどうしようもない。環境が嫌だったら、環境を変えるため努力するよりも自分がそこを立ち去った方がいいと考えるのは、これまでのタイ社会の風潮――王族や政府、富裕層などの強大な力には逆らってはいけないと遺伝子に刻み込まれているタイ人なら誰でもする自然な発想だ。ダメもとで昇給の交渉をするものの、上がらないならさっと転職してしまう。当然、引き留める価値もないならさようならだが、引き留めたいなら給料を上げられない代わりにその人が喜ぶなにかを与えないと、去ってしまうだろう。

多くの駐在員はこうした背景ををわきまえていて、タイにいるのならタイの働き方を見出す。しかし、日本人に昔あったような気質を出す日本人駐在員も、残念ながらいまだにいる。そもそも、こういう人は自分が悪い意味で日本人気質を出していることに気がついていない。日本のように怒って育てるだとか、背中を見て学べはタイでは通用しない。

一度、駐在員から耳にした驚くべき発言がある。
「タイ人って友だち同士でも本名を知らないんだってね」
そんなわけはない。確かに性風俗産業に従事する女性は、身元がばれないように店だけで使うニックネームがある。タイ人は本名とは別にチュー・レン(あだ名)が生まれたときにつけられ、日常ではあだ名を使うのだが、性風俗産業従事者はそれを変えることがよくあるのだ。そんな人が本名を周囲にいうことはまずない。

しかし、これは特殊な例だ。学校や一般企業では本名を使う。名札や名刺は必ず本名だ。さすがに学校内やオフィスではあだ名を使うけれども、客先など対外的には、あるいはたとえばボクが取材などで名前を訊くと、普通の人ならフルネームをいう。そのときにためらいもなくあだ名をいう人は正直怪しいと感じるくらいだ。

だから、あだ名しか知らないなんて、一般的な社会生活ではありえない。それを堂々と勘違いしてしまうのは、その駐在員がタイ語ができないので冗談を真に受けてしまったか、タイの文化をちゃんと知ろうともしなかったかのどちらかだ。そんな上司についていこうと思うタイ人がいるわけがない。

結局、タイ人の本音はここにある

一見楽しそうなタイ人の人生も、実は悩みが多い。大人の悩みは大概、金銭問題か人間関係に集約されるが、タイは富裕層と中流以下の所得に大きな差があって、そう簡単に貧しさから脱出できない。富裕層は富裕層で、人を殺そうがなんだろうが金で解決することになるので、やはり金がほしい。そこでタイ・バーツの奪い合いが起こるわけだが、中流層以下は断トツで不利な状況で働くしかない。

そうなると、より金がほしいという欲望が出てくる。やりがいだとか未来を語れるのは明日あるいは来月、来年の寝食を心配せずに済むだけの収入と貯金がある人だけだ。確かに精神衛生上穏やかであった方が暮らしは豊かになるのも事実だが、貧すれば鈍するわけで、未来を明るくするのは金だけだと思ってしまうのも仕方がない。今でこそバンコクは東京と同じくらいなんでも手に入るようになったが、ボクが移住したばかりの2002年でさえ、ないものだらけだった。娯楽も少なく、かといってなにかを楽しむにも金がいる。そんな生活をしていれば、とにかく金さえ入ればすべてがうまくいくと思うことだろう。

誕生日会。生クリームのケーキも2010年前後になるまでタイにはほとんど存在しなかった。

地方出身で厳しい環境で働く若者も、金さえあればすべてがうまくいくと思っている。もちろんそういう人は日本にもいる。タイ人が日本人と違うのは、そのあたりをいろいろな言葉で誤魔化さず、金稼ぎに貪欲になれるところだ。

このように書くとタイ人の幸せとは金銭的なもので、一見するとただの拝金主義者だ。ただ、守銭奴という感じでもなく、金が入ればどんどん遣う人が多い。2008年のリーマンショックではタイでも不安になった人が多かったが、金を貯めこまないので内需はわりと早くに回復した。実際には回復していなくて、貯めこまない分が国内を循環して見た目上の景気がよくなっただけだが、それでもタイ国内はわりと明るい雰囲気だった。

家族への仕送りも絶えず続け、自分の贅沢は極力避けるというか、できる範囲内で贅沢をする。ちょっとした臨時収入があれば友人に驕ったり、家族や信頼できる仲間には惜しげもなく金を遣う一面もタイ人にはある。だから、金の亡者というわけでもない。本当に拝金主義者なら家族への仕送りは最小限にして、自分のために残したり遣うのではないだろうか。そういう点では違うともいえる。

結局、金の話を堂々とするけれども、富裕層であれ低所得者であれ、最後に信頼できて守ってくれるのは家族であるということをタイ人は知っているのかもしれない。ただ金儲けするだけではなく、ちゃんとそれを落とすべきところに落とす。そういった優しさがどこかに感じられるから、タイ人は憎めない人々なのだ。タイ族であれ、国籍保有のタイ人であれ、みんなそういう気質がある。ボクも金があれば誰かに奢るし、ないときには奢ってもらうこともあった。こういった身内を助ける精神がタイ人にはあるので、その輪の中で暮らせることに安心感があり、それが長く暮らすとわかってくるタイのよさなのである。

日本でも同じだが、子どもが生まれると一斉に病院や自宅に家族や親族が駆けつける。

書き手:高田胤臣(たかだたねおみ)
1977年5月24日生まれ。2002年からタイ在住。合計滞在年数は18年超。妻はタイ人。主な著書に『バンコク 裏の歩き方』(皿井タレー氏との共著)『東南アジア 裏の歩き方』『タイ 裏の歩き方』『ベトナム 裏の歩き方』(以上彩図社)、『バンコクアソビ』(イーストプレス)、『亜細亜熱帯怪談』(晶文社)。「ハーバービジネスオンライン」「ダイアモンド・オンライン」などでも執筆中。渋谷のタイ料理店でバイト経験があり、タイ料理も少し詳しい。ガパオライスが日本で人気だが、ガパオのチャーハン版「ガパオ・クルックカーウ」をいろいろなところで薦めている。

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