路麺店でそば屋酒|パリッコの「つつまし酒」#152
絶体絶命のピンチに現れた救世主?
見知らぬ街の路上で、しばらく呆然と立ちつくしていました。
つい先日のこと、この連載「つつまし酒」の取材でどうしても行ってみたいお店があり、1時間以上も電車に揺られ、江東区の「瑞江」という街を生まれて初めて訪れました。ところが地図を頼りにたずねてみると、まさかの臨時休業! ぎゃー、いやまぁ、そんなこともあるか。念のため事前に電話で確認しておかなかった自分が悪い。
それよりまずいぞ……締め切りが……差し迫っている……。スケジュール的には、今日その店を取材して、翌朝には大急ぎで書き上げなければ間に合わない。最近いろいろとイレギュラーな仕事の締め切りが重なってしまって、超ギリギリ進行になっちゃってたんだよな。しかも間の悪いことに、ちょうどストックのネタも切れてしまっている。さらに、約2時間後には新宿に移動して別件の打ち合わせがある。それが終わったらもう夜。あれ? これ、俗に言う「詰んだ」って状態? たった今この街で、なにかしらいいお店を見つけて酒を飲み、それを原稿にしないと、連載152回目にして初めて、原稿を落としてしまうことになりかねない。そんなことになったら、『まんが道』よろしく出版社から「ゲンオクルニオヨバズ ヨソヘタノンダ」と電報が届いて、連載が終了になるに違いない。
真っ青な顔でふたたび瑞江の街を歩み出し、そんな都合のいいことなんてあるはずないよなぁ……と思いながら街を徘徊してみます。すると1分もしないうちに、どう見たって気になる外観のお店を発見。
「立喰そば・立呑 みずえ」
我が目を疑いました。一見ごく普通の個人系の立ち食いそば屋。でありながら、店頭に「居酒屋」というちょうちんがぶらさがっています。
僕、立ち食いそば屋でありながら一杯やれるお店、大大大好きなんですよね。老舗そば屋でやる「蕎麦前」ほど立派なもんじゃない、あくまで「そば屋酒」と呼びたい庶民の喜び。だけどそうぽんぽんと、どこででもできるわけじゃない。むしろ日本版ファーストフードであるという特製上、お酒を置いていない店のほうが多い。そんな貴重な店が、目の前に突然出現した。そしてそして、記憶にある限りこの連載では、まだ「立ち食いそば屋飲み」について書いたことはないはず!
もしもここに入ってみて、しかも楽しく飲めてしまったりしたら、ばっちりじゃないか。とはいえこんなご時世だから、一時的にお酒を出してない可能性だってあるし……僕は、祈るような気持ちで「みずえ」のドアを開けたのでした。
はたして望みは叶うのか
カウンターのみで最大5〜6人入れるかどうかという小さな店内に、先客はおふたり。どちらも常連さんらしく、ご主人とおだやかに世間話をされています。おずおずと、「すみません、ひとりなんですが」と伝えると、優しそうなご主人、「どうぞどうぞ、うしろに折りたたみ椅子がありますので、お使いください」と招き入れてくれました。ひとまず、ほっ。
そしてなるほど、立ち食いといいつつ、座れる店か。最近は主流ですよね。価格帯やメニュー構成は完全に立ち食いそば屋のそれでありながら、座れたり、きちんとテーブル席まであったりする店。原稿などに登場させるたび、「立ち食いそば屋(といいつつ座れるお店)」なんてまだるっこしい表現を使っていましたが、先輩ライターで立ち食いそば業界に詳しい本橋隆司さんが、そういうお店全般を「路麺店」と呼んでおり、確かにそれはしっくりくる。というわけで僕もその表現を使わせてもらいましょう。
あ、それはそうと、注文だ。ぱっと見お酒のメニューが見当たらないけれど、入ったからにはなにか注文しないわけにはいきません。そこでご主人に伝えます。
「『春菊天そば』をお願いします。それと……お酒って飲めますか?」
「もちろんでございます」
「えっと、どんなものがありますか?」
「基本なんでもございますよ」
や、やったー! と、生ビールをお願いします。
「生ビール」(400円)。この景色、夢じゃないだろうか……
すぐに届いた、ジョッキまでギンギンに冷えた生ビールをぐいっと飲むと、問答無用にうまいと感じると同時に、それまでの不安が一気に空気中に放出されて消え去ってしまいました。だって今こうして、見知らぬ街の小さな路麺店のカウンターで生ビールを飲んでいる。それすなわち「つつまし酒」じゃないですか。
さらに、カウンター上に目をやると、壁のそば系メニューとは別に、日替わりの黒板メニューを発見。これがもう、想像の何倍も居酒屋! おつまみ、こんなに充実してるなんて!
ここだけ見ると居酒屋ですな
え〜となになに? 今日の日替わりは、「スペアリブ」「栃尾油揚げ焼き」「焼魚ハラス」「玉子焼き」「いかステーキ」「チーズスペシャル」「ししとう」「もずく」「板ワサ」ですか。どれもいいなぁ。チーズスペシャルもいかステーキも気になるし、全体的にお手頃価格だな〜。それにしても、路麺店でスペアリブって!
と、迷いつつ、今日はあえて「蕎麦前」風に寄せてみるのもおもしろいかもしれないと、板わさと玉子焼きをお願いしてみることに。するとご主人「おそばは作ってしまっていいですか? それとも少しいい気分になったところで召し上がりますか?」なんていう、鳥肌が立つほどに嬉しいお言葉をかけてくださいました。やめてもう、ちょっと泣きそう……。ではお言葉に甘えて、ちょっといい気分になったところでお願いします!
ただただ、ご主人に感謝
「板ワサ」(250円)
「玉子焼き」(300円)
おつまみ到着。板わさ、ぷりぷりとして魚肉の風味が濃く、これ、かなり上等なかまぼこなんじゃないでしょうか? たっぷりのわさびとご主人の気遣いに時折涙ぐみつつ、ビールをぐいぐい。ミルフィーユ状に焼かれたふわふわの玉子焼き、ご主人は作り置きだとおっしゃってましたが、ほんのりと温めて出してもらえるのが嬉しいな。僕の好きなちょっと甘めのタイプで、そこに醤油をちょろっとかけるといいつまみになるんだよな〜。
「ホッピー」(350円)
ビールを飲み干したところで、少し離れた位置に小さなお酒メニューがあったことに気がつき、ホッピーをおかわり。取り扱いが「黒」のみとのことで、そちらで。ちなみに「ホッピー」(350円)「ナカ」(250円)という記載から、てっきりセットで600円だと思っていたのですが、最後にお会計を聞いて逆算してみたところ、なんとセットで350円! あんまり聞いたことないレベルで安い! いや〜、幸せです。
ところで僕、あまり「飲食店でサービスをしてもらった」体験談を書くのが好きじゃないんですよね。どうしても「特別扱いしてもらった」という自慢話のようになるし、別の方が行ったときに同じサービスがあるとも限らないし。だけどもう、出てきてしまったので今回ばかりは素直に書かせてもらいます。
実は常連さんが帰ってしまってしばらくお客が僕ひとりになり、その間、ご主人と少しばかりお話をさせてもらっていました。
「このへん初めてなのですが、今日はいいお店に入れて良かったです」
「ありがとうございます。どちらからいらしたんですか?」
「練馬区のほうで」
「練馬のどちらですか?」
「石神井公園ってところなんですが」
「石神井公園! 懐かしいですねぇ。昔友達が住んでいて、よく遊びに行きましたよ。線路沿いの道を進んでいって……」
なんて。それで多少の親近感を抱いてもらえたのか、はたまた昼間っからぐいぐい飲んでる謎の男をおもしろく感じたのか。「よろしければこれ、召し上がってみてください。うちのスタイルの冷奴なんですけど」と、おつまみを1品サービスしてもらっちゃいました。
みずえ流冷奴
これがまた、いい! 小ぶりの冷たい豆腐に温かいそばつゆがかけてある「ひやあつ」スタイルで、そこにたっぷりのねぎと天かす。この天かすが市販品のわけもなく、風味抜群。「たぬき奴」は家で頻繁に作るくらい好物なんですが、それの本気版なわけなので、こんなのもう、嬉しくないわけがありません。今日、目当ての店が休みでむしろ良かった。すっかりそんな気持ちになってます。
で、のんびりとそれらをいただき、ラストのホッピーナカのおかわりとともに「そろそろおそばもお願いします」とお伝えする。と、出てきたそばにまたびっくり。
「春菊天そば」(430円)のはずのもの
またまた「ちょっとサービスしときました」と、なんと春菊天に加え、「ちくわ天」と「きんぴら天」までのった超豪華版天ぷらそばがやってきてしまいました……。「若い方を見るとどうしてもね。多すぎたらすみません」なんて優しい言葉をかけてくださいましたが、僕もう43なんですけどね……。やっぱり酒場においては、いつまでたっても若造だ。
だしの風味がばっちり効き、甘さや塩気は過剰すぎない淡麗な味わいのつゆに、するりとのどごしのいい麺があいまった、そば自体がまずうまい。そこに、最初はサクサク、徐々にもろもろと崩れだす天ぷらの油のコクが刻々と加わってゆく。
ラスト付近の渾然一体をつまみに黒ホッピーを飲みながら、あぁ、うまいな……これぞ路麺店飲みの真骨頂だよな……なんて、今日の幸運&幸福感にしみじみ浸らせてもらいました。
パリッコ(ぱりっこ)
1978年、東京生まれ。酒場ライター、DJ/トラックメイカー、漫画家/イラストレーター。2000年代後半より、お酒、飲酒、酒場関係の執筆活動をスタートし、雑誌、ウェブなどさまざまな媒体で活躍している。フリーライターのスズキナオとともに飲酒ユニット「酒の穴」を結成し、「チェアリング」という概念を提唱。2021年8月には、新刊『つつまし酒 あのころ、父と食べた「銀将」のラーメン』を上梓! また、『ノスタルジーはスーパーマーケットの2階にある』(スタンド・ブックス)『晩酌わくわく! アイデアレシピ』 (ele-king books)、『天国酒場』(柏書房)、『つつまし酒 懐と心にやさしい46の飲み方』(光文社新書)、『酒場っ子』(スタンド・ブックス)、『晩酌百景 11人の個性派たちが語った酒とつまみと人生』(シンコーミュージック・エンタテイメント)、漫画『ほろ酔い! 物産館ツアーズ』(少年画報社)、など多数の著書がある。
Twitter @paricco