『心は機械で作れるか』|馬場紀衣の読書の森 vol.14
本書によれば、心の機械説を唱えるには二つの障害がある。一つは、意識。二つ目は、思考という現象だ。近年の「心の哲学」の関心事の中心は、まさにここにある。たんなる機械がどうやって意識をもつことができるのか。そして、機械がどうやって事物について考え、事物を表象できるのか、ということである。
まずは、この本の構成を知っておくことが読書の役に立つと思う。第一章では、表象、つまり何かを思い浮かべたりする心の働きに伴う問題が紹介される。第二章は、心理学の知見と思考の因果的性質をとりあげる。ここで、因果法則に従う機械と心の機能の類似が確認される。そして、おそらく読者がもっとも気になっている、心をコンピューターのようなものとして考えてよいのかという問題は第三章と四章で語られる。そして最終章では、心的表象の理論が議論されるのだけれど、これは正直、少し、むずかしい。
ここのところ、心の哲学の議論はますます活発になっている。同じテーマを扱う本はたくさんあるけれど、本書は、かなり専門的な議論にまで踏みこんだ内容になっている。専門用語もおおいし、数学に倫理学に認知科学にコンピューターサイエンスと、カバーされる領域も幅広い。それでいて(難解な部分はあるけれど)語り口はぞんがい親しみやすくて優しい。議論についていくために必要な知識はきちんと説明してくれるし、主張の根拠もおどろくほど分かりやすいときている。だから、この本が英語圏のおおくの大学で学部生向けの授業の教科書として使われているのも納得できる。個人的には近年出版された「心の哲学」をテーマにする書籍のなかで、(読みやすさの点でも、内容にしても)もっとも優れた一冊だと思う。
たとえば、「人工知能」もしくは「AI」と呼ばれるものについて、著者はこのように語る。
この議論の奇妙なところは、思考は人間がすることだ、と前提されている点にある。「思考の本質は、人間のように思考するという点にある」のだ。そして、もしそうであるなら、考えるコンピューターを作ることができるのは、人間の思考が現実に計算的であるときだけである、と著者は論じる。あるいは、このように考えることもできるかもしれない。もしAIが人間とは異なる仕方で考えることができるなら、AIは人間心理の働きについて何か発見をしても、それに縛られるべきではない、と。これは、1950年代にAI研究が登場して以来、根強く支持された考え方だった。かつては「そのような機械を作るためには、人間の心理学や生理学の詳細な知識は必要ないと考えられていた」のだ。
たんに考える、ということと、人間が考えるように考える、ということの違いとは何なのだろう。人間は計算することによって、考えているのだろうか。これに対する著者の答えは、計算するだけでは考えているとは言えない、というものだ。しかし、計算することとは、どのように人間が考えるのかということに関わる問題でもある。機械の思考を通して人間の思考が、ゆっくりと、しかし確実に解かれていくさまはドラマチックですらある。