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功を焦ってはならない――エンタメ小説家の失敗学7 by平山瑞穂

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第2章 功を焦ってはならない Ⅰ

 二作目の『忘れないと誓ったぼくがいた』のスマッシュヒットを受けて起稿した、新潮社での三作目に当たる『冥王星パーティ』の原稿がほぼまとまりかけていた頃のことだったと思うが、前章で述べた担当Gさんに、ある忠告を施されたことをよく覚えている。

『冥王星パーティ』から改題。

 それは、同じ日本ファンタジーノベル大賞を受賞したことで作家デビューを果たしたある人が、受賞作の次に刊行した本についての話だった。その本が出るタイミングは、驚くほど早かった。受賞作が刊行されてからほとんど間を措かない時期のことで、しかも版元は、新潮社ではなかった。

 いったいいつそんなオファーを受けて、いつ執筆したのだろうと首を傾げはしたものの(どう考えても、その版元との間では、受賞前から話が進んでいたとしか思えないのだが)、「やり手なのだな」という程度の感想しか抱かずにいた。

 ところがGさんは、彼がそうして慌ただしく次作を刊行したことについて、苦言を呈していた。彼女の見解としては、「早く実績を作りたい気持ちはわかるけれど、あんな風に功を焦っていたずらに不完全な作品を世に出しても、いいことは何もない」という手厳しいものだった。それはもちろん、自分が担当している僕に対してのメッセージでもあった。

 たしかに、そう言われてみれば、その二作目の版元は文芸の大手ではなく、「こんなところが文芸書も手がけていたのか」と意外に思うような出版社だった。その作品は文庫の書き下ろしという形態を取っていたのだが、そんなレーベルの文庫が存在することすら、その時点で僕は認識していなかった。

 それに作品自体も、最初に読んだ時点では、ジャンルが自分にとってなじみのあるものではなかったこともあって適当に流し読みしていたものの、あらたまって見ると、どことなく「やっつけ仕事」と言いたくなるような、完成度の面では疑問のある出来だった。

 一応言っておくと、くだんの日本ファンタジーノベル大賞受賞者は、その後、デビュー作を人気シリーズにまで育てることに成功し、現在に至るまでさまざまなシリーズ物を次々にヒットさせて十全な活躍ぶりを示しているので、Gさんの懸念も結果としては杞憂だったということになるのだが、彼女の言っていることの神髄には、うなずけるところがおおいにあった。

 しかし僕は、自分ではそれと気づいていなかっただけで、実際にはこの時点ですでに、それとよく似た過ちを自らしでかしてしまっていたのだ。

“シュガーな俺”

 二〇〇六年、二作目の『忘れないと誓ったぼくがいた』がまずまずの売れ行きを示したことで一定の安心感は得られたものの、期待したほどのブレークスルーとはなりえなかったことで、僕は焦りを覚えていた。そんな中、当時勤務していた職場の後輩を通じて、僕は世界文化社の編集者(当時そうだっただけで、その後、彼は同じ出版業界で職場を転々としている)を紹介された。

 ともかくまずは顔合わせということで、くだんの後輩を交えて三人で酒席を囲ったのだが、そのとき僕は、挨拶代わりと称して、ある短いエッセイのようなものを彼に手渡しておいた。それは僕自身の、糖尿病との闘病生活について、身近な友人向けにおもしろおかしく綴ったものだった。

 先に明かしておくが、僕は三十四歳にして糖尿病を発症している。作家デビューする一年半ほど前の話だ。糖尿病といっても、太った人がなりやすい生活習慣病としてのあれ(それは「2型糖尿病」と呼ばれる)ではなく、「1型糖尿病」という名の、生涯インスリン注射が不可避的に必要とされるタイプの、突然変異的に発症する病気のことだ。たまに、子どもなのに食事前にインスリンを注射しなければならないようなケースを見かけるのではないかと思うが、僕も発症のタイミングが遅かっただけで、病気の型としてはあれと同じだ。

 2型糖尿病は、食事療法や運動療法によって症状の改善が一定程度は見込めるが、1型はどうあがいても自らの膵臓がインスリンをほとんど、あるいはまったく分泌できないため、血糖値を下げるためには、体外から投与するインスリン製剤に依存するほかない。だから僕は今でも、毎回の食事前に、自ら腹部に注射器の針を刺して、インスリンを体内に注入している。

 ただし僕の場合、厳密には、「緩徐進行1型糖尿病」と呼ばれることもある、きわめてめずらしいタイプだった。当初は2型糖尿病と同じような症状を呈し、一定以上の期間が経過してから、最終的に1型の状態に陥るというものだ。したがって僕は、当初は「2型」と診断され、2型の患者としての治療を受けていた時期もある。その間は、食事の内容を見直すことなどによって、血糖値を改善することもできていたのである。

 くだんのエッセイでは、自分がそれに診断され、入院したり、食事療法に励んだり、それによっていっとき症状が改善されたのを喜んでいたりしたのもつかのま、のちに一転して「1型」と診断が改められ、インスリン注射なしには生存を確保できない身となったりしたことなどをめぐる悲喜こもごもを赤裸々に綴っていた。

 それはあくまで、「こんなものも書けます」ということを軽く示すためのデモンストレーションのようなものにすぎなかったのだが、後日、あらためてお会いしたいと申し出てきたその編集者が提示してきたオファーは、こういう内容だった。

「先日いただいた“シュガーな俺”、たいへんおもしろく拝読しました。これ、内容を膨らませて本にできないかと思っているんです。――いえ、エッセイではなく、小説として」

 “シュガーな俺”とは、僕がそのエッセイにつけていたタイトルだが、結果としては、そのタイトルがそのまま、三作目の小説として刊行された『シュガーな俺』に引き継がれることになる。「シュガー」は、糖尿病の「糖」の部分をコミカルに表現したものである。

 世界文化社は本来、実用書やムックなどを主力商品としてきた出版社だが、二〇〇〇年代中盤のこの時期、爆発的に売れた小手毬るいの『エンキョリレンアイ』などを契機に、文芸の領域へと一気に攻勢を推し進めていた(現在は、文芸分野からはほぼ撤退しているようだが)。その流れの中で、文芸関係の目新しいコンテンツはなんであれ歓迎するような気運が高まっていたのだろう。

オートフィクション

 当時、僕は前出の『冥王星パーティ』という長篇作品を、担当Gさんのリクエストに従って改稿しているさなかだったのだが、ある理由で、その作業は難航していた(それについては次章で詳述する)。その改稿から目を背けたい気持ちもあって、僕はこの話に飛びついてしまった。出身母体である新潮社以外の版元から具体的に刊行の話を持ちかけられたのもそれが初めてのことであり、やや浮き足立っていた面もある。迷う点があるとすれば、それは糖尿病に罹患したという事実をカミングアウトしなければならないという、一種の不面目に関する問題だけだった。

 くだんの編集者は、最初からこれを「オートフィクション」として形にする図を描いていた。オートフィクションとは、作者自身の体験をあけすけに語っていながら、フィクション要素も織り交ぜ、体裁としてはあくまで「フィクション」であるという装いを取り払わない作品のことを指している。つまりは、一種の私小説ということだ。そのほうがよりショッキングであり、その分、耳目を集めるはずだという計算が、その裏にはあったのだと思う。

 ただしそれは、プライバシーを明かすことにもつながる。純文学を志向してきた僕でも、いわゆる私小説のスタイルで作品を書くことには抵抗があった。自分だけではなく、自分と密に関わる周囲の人々まで当事者として傷つける可能性があるからだ。しかし、糖尿病が国民病とまで言われつつある現状を前に、この恰好のネタを売り物にしないで何を題材にするのか、という欲目が働いてしまったことは否定できない。

 つまり、「私は糖尿病です」ということを明かす見返りとして、注目を集めること、話題になることという利得が得られるのではないかと思ったのだ。

 当時の僕は、とにかく、どんな形であれ、名前を売ることにこだわっていた。名前さえ広く認知してもらえれば、あとはどうにでもなると思っていた。そのとき、多くの日本国民にとって無視できない存在となっている糖尿病をダシにすることも、戦略としてはアリだと判断したのである。

 糖尿病患者は、その予備軍も含めて、今や国内に二〇〇〇万人とも言われている。そのうちの大半は2型である。僕がかかった1型糖尿病は、全人口に占める割合が〇・一パーセント程度というかなりめずらしい病気なのだが、その中でもさらにめずらしい「緩徐進行1型」として、僕はある時期まで、はからずも2型患者としての経験も同時に積んでいる。執筆に際しては、それがいわば強みになった。なんといっても、多くの人に関係があるのは、糖尿病のうちの圧倒的多数を占める2型だからだ。(続く)

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