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【リレーエッセイ】伊藤亜紗さんは世界をどう見ているのか!? あの代表作の誕生秘話

アランちゃん13歳時のこの一冊としてご紹介するのは、東京工業大学・未来の人類研究センター長の伊藤亜紗さんによる『目の見えない人は世界をどう見ているのか』(2015年4月刊)です。

生物学者・福岡伸一さん「いやはや、たいへんな書き手を見つけてしまいましたね」

最初に、生物学者・福岡伸一さんから本書へ推薦コメントをいただいたときのエピソードをご紹介します。

もともと生物学者を目指していた伊藤さんが将来の職業として生物学者を意識し始めたきっかけの一つに、本川達雄さんの『ゾウの時間ネズミの時間』(中公新書、1992年8月刊)に出会ったことにあるというエピソードが本書に記されています。したがって本川先生に推薦文をお願いすることも考えたのですが、光文社新書で『できそこないの男たち』を刊行されていて、その後もご縁が続いていた生物学者の福岡伸一さんに依頼することにしました。

福岡さんにご快諾いただき、ほぼ仕上がっていた原稿を送ってしばらくすると……。 そこには、福岡さん自ら興奮したことが伝わってくる生々しい感想が綴られていました。そして、「いやはや、たいへんな書き手を見つけてしまいましたね」と、いまでも強く心に残るメッセージをお寄せくださいました。

福岡さんのコメントは、オビだけでなく、本文の冒頭でも使わせていただきました。

〈見えない〉ことは欠落ではなく、脳の内部に新しい扉が開かれること。テーマと展開も見事だが、なんといっても、やわらかで温度のある文体がすばらしい。驚くべき書き手が登場した。──── 福岡伸一

目の見えない人・元のカバー

刊行当時のカバーです。福岡さんのお名前のほうが伊藤さんのお名前より大きいです(笑)。

耳でとらえた世界、手でとらえた世界もあっていい

私自身も、伊藤さんとの出会い、編集過程、刊行、そして刊行後の展開は「驚くべき」ことの連続でした。

伊藤さんに初めてお目にかかったのは、2014年の暑い時期だったと記憶しています。場所は当社の応接室でした(当社まで来てくださいました)。このときは当時新入社員の廣瀬雄規君も同席していました。そのとき伊藤さんは、ご研究の内容を映像とともにお話しくださったのですが、私たちの想像をはるかに超えるようなお話の連続で、伊藤さんがお帰りになった後、「世の中にはこんなことを考えている方もいらっしゃるんだ」と、2人とも呆然とし、もぬけの殻のように脱力してしばらく動けなくなってしまったことをここに告白いたします。

もともと、すでにデビュー作となる『ヴァレリーの芸術哲学、あるいは身体の解剖』(水声社、2013年刊。現在は『ヴァレリー 芸術と身体の哲学』と改題されて講談社学術文庫に収録されています)を上梓されていた伊藤さんでしたが、一般書での刊行をご希望されていて、当社に来てくださったのでした。

その後、数ヶ月が経った頃でしょうか、伊藤さんが本書の冒頭にあたる文章を送ってくださいました。

「体中に電流が走るような衝撃」とはよく使われる表現ですが、本書の冒頭にあたる文章を初めて読んだときは、まさにこのフレーズ通りの衝撃が体の中を走りました。

最初の打ち合わせの際、「これまでにない価値観を世に提示したい」とおっしゃっていたのですが、事実、これまでに味わったことのないリズムのある文章と、「常識」を打ち破る内容が綴られていました。知らず知らずの間に身につけてしまった私たちの考え――例えば、健常者が障害のある人と接するとき、何かしてあげなければならない、いろいろな情報を教えてあげなければならない、と構えてしまうこと――をとぎほぐしてくれるような、そんな内容でした。

それを象徴するエピソードが本書で綴られています。

全盲の木下路徳さんは、子どもの頃、視力が弱まるにつれて同級生がよそよそしくなっていった経験について語っています。

小学生の頃、木下さんは目の手術をして半年くらい学校を離れていました。その後学校に復帰しましたが、しばらくは弱視学級という別室でマンツーマンの授業を受けていました。

でもあるとき、音楽や給食の時間は、それまで通っていた通常のクラスに帰ろうということになったそうです。それで、それまで一番仲のよかった友達が、弱視学級の教室に迎えに来てくれることになりました。もとのクラスに自然に戻れるようにという先生の配慮だったのでしょう。

ところがこのことが、小学生の木下さんに最初のショックを与える結果になってしまいました。「親友が来てくれたんだけど、『よお!』みたいな和気あいあいとした雰囲気にならなくて、『はい、じゃあ行きましょうか』というような事務的な感じで、何もしゃべらず移動していったんですね。何これ、ぜんぜん楽しくないじゃんって(笑)」。その後も友達とは以前のような関係に戻れず、クラス替えでますます距離は遠のくばかり。「仲のよい友達を奪われた」という感じだったと言います。

推測するに、弱視学級の教室に迎えに来てくれた親友は、悪意からよそよそしくしたのではないと思います。むしろ、その反対に善意があったのではないでしょうか。木下くんは目の手術をしたのだ、つまずいたり転んだりしないように気をつけなければいけない、危ないものがあったら教えなければいけない、と緊張していたのではないでしょうか。

私も同じ立場に立たされたら、きっとそのように接していたと思います。でも、このような意味で「大事にする」のは、友達と友達の関係ではありません。からかったり、けしかけたり、ときには突き飛ばしたり、小学生の男子同士なら自然にやりあうようなことが、善意が壁になって成立しなくなってしまった。「だんだん見えなくなってくると、みんながぼくのことを大事に扱うようになって、よそよそしい感じになって、とてもショックでした」。

情報ベースでつきあう限り、見えない人は見える人に対して、どうしたって劣位に立たされてしまいます。そこに生まれるのは、健常者が障害者に教え、助けるというサポートの関係です。福祉的な態度とは、「サポートしなければいけない」という緊張感であり、それがまさに見える人と見えない人の関係を「しばる」のです。

執筆はその後、トントン拍子に進み、2015年の4月に刊行の運びとなりました。

その後はジワジワと共感の輪が広がり、「読む前と読んだ後で世界の見方が変わった」という声を多くいただく、光文社新書を代表するロングセラーになりました。

この時期の光文社新書と世界情勢

ちなみに、この時期に刊行された主な光文社新書はこちらです。

・『子どもに貧困を押しつける国・日本』山野良一(2014年10月)
・『シングルマザーの貧困』水無田気流(2014年11月)
・『「感染症パニック」を防げ!』岩田健太郎(2014年11月)
・『パリの美術館で美を学ぶ』布施英利(2015年1月)
・『宇宙はどうして始まったのか』松原隆彦(2015年2月)
・『教養としての聖書』橋爪大三郎(2015年3月)
・『二塁手革命』菊池涼介(2015年4月)
・『教育という病』内田良(2015年6月)
・『人生に疲れたらスペイン巡礼』小野美由紀(2015年7月)
・『はじめての不倫学』坂爪真吾(2015年8月)
・『ブラックホール・膨張宇宙・重力波』真貝寿明(2015年9月)
・『ドイツリスク』三好範英(2015年9月)

宇宙

天文学や宇宙物理学、宇宙飛行士など、宇宙についての書目が多いのも光文社新書の特徴です。『宇宙はどうして始まったのか』の松原隆彦さんと『ブラックホール・膨張宇宙・重力波』の真貝寿明さんは同い年、というか同級生であることを後に知りました。

この時期の世界の動向に目を向けますと、2016年6月、イギリスは国民投票で欧州連合(EU)からの離脱を決めます。その衝撃は世界を駆け巡りました。また、2016年はアメリカの大統領選に世界の目が注がれていた年でもあります。当初は泡沫候補とみなされていたドナルド・トランプ氏が躍進し、(少し時期はズレますが)2016年の11月8日には、共和党のトランプ氏が大統領選で民主党のヒラリー・クリントン前国務長官を破るという「番狂わせ」が生じました。過激な発言で注目を集める「不動産王」トランプ氏の登場もまた、世界を驚かせたのは記憶に新しいところです。一方、国内に目を転じると、2016年の7月には、天皇陛下が天皇の地位を皇太子さまに譲る意向を示されていることが表面化し、約11分間のビデオメッセージで「お気持ち」を国民に向け発表されるという前例のないことが起きています。こうして振り返ってみますと、この時期は世界でも日本でも従来の枠組みが崩れるような驚きを伴うニュースが多かった印象を受けます。

刊行後の「驚くべき展開」

本書に話を戻します。『目の見えない人〜』は刊行後も「驚くべき」ことが続きました。ここでは、次の二つの特に印象的な事柄について記したいと思います。

1.ヨシタケシンスケさんの絵本『みえるとか みえないとか』(アリス館、2018年)の刊行

2.本書のテキストデータの無料提供にまつわるアレコレ 

1.ヨシタケシンスケさん『みえるとか みえないとか』(アリス館、2018年)の刊行

予期せぬ展開となったのは、本書がきっかけとなって、ヨシタケシンスケさんの絵本『みえるとか  みえないとか』(アリス館、2018年)が生まれたことでした(伊藤さんは「そうだん」として関わられています)。

新書編集部は『みえるとか みえないとか』を逆手にとって(?)、ヨシタケシンスケさんの絵を使わせたいただいたオリジナルカバーをつくりました。

目の見えない人は世界をどう見ているのか-カバー2

デザインは鈴木千佳子さん

可愛らしくて大変人気のあるカバーとなり、2019年5月10日に丸善丸の内本店で行われた「光文社新書のカバー人気投票」では見事1位に輝きました。ヨシタケシンスケさん、鈴木千佳子さん、どうもありがとうございました。

丸善丸の内

⇧ 2019年5月、丸善丸の内本店前で行われた「光文社新書のカバー人気投票」。シールの数が足らず、2枚目に突入しています。

またアリス館さんとはコラボ広告や紀伊國屋書店さんのイベントでもご一緒させていただき、なにかとお世話になりました(アリス館さんの本社にもお邪魔させていただきました)。特にアリス館の末松由さん、どうもありがとうございました(これからもよろしくお願いします)。

コラボ広告

⇧ 2018年9月21日、朝日新聞(朝刊)に掲載されたカラーのコラボ広告です。
⇧ 紀伊國屋書店で開催された「ヨシタケシンスケ・伊藤亜紗『ちがいをかんがえる』ための12冊」フェアの内容です。アリス館さんの企画です。

2.本文テキストの無料送付

伊藤さんのご配慮で、主に視覚障害者の方を対象に、本書の巻末にある「テキストデータ引換券」を同封のうえ編集部まで送ってもらっています。読後の感想、そして、ご家族に、またはご友人・身近な方に届けたいというメッセージとともに引換券が送られてくるケースが多く、毎回、個別にメールを差し上げています。

目の見えない人:テキストデータ

下の写真は、これまでに編集部に届いたお手紙の山です。

手紙1

⇧ 一通一通、ご返事しています。かれこれ200通はいただいたでしょうか。お手紙はすべて保管しています。

「未来の人類研究センター」のセンター長に就任、相次ぐ受賞

入試の季節のみならず、年間を通して本書の二次利用の申請が多いのも特徴です。入試問題やテスト、問題集としてして本書が利用されるケースが多く、現在までに膨大な数の申請を受けています(現在も絶えることなく申請が続いています)。

また2020年には、noteで行われた「#読書の秋2020」にも参加させていただいたのですが、圧倒的な数の感想を皆様からいただきました(読むのが大変でした)。

同年、伊藤さんは東京工業大学・リベラルアーツ系の研究組織「未来の人類研究センター」のセンター長に就任されます。また、次の2つの賞も受賞されました。 

・第13回(池田晶子記念)わたくし、つまりNobody賞

伊藤さん池田晶子

2020年3月3日、出版クラブ(東京都千代田区)で表彰式と記念講演会が行われました。コロナの第一波が到来したときで、世は緊迫したムードに覆われていました。写真は、表彰式で「言葉と体」と題した記念講演を行ったときの伊藤さん(撮影:編集部)

・第42回サントリー学芸賞<社会・風俗部門>

⇧ 伊藤さんの「受賞のことば」が掲載されています。

なんだか盛りだくさんになってしまいました(笑)。

本書は、お陰様で皆様の熱い応援によって光文社新書を代表するロングセラーに成長しました。この場を借りて御礼を申し上げるとともに、これからも温かく見守ってくださいましたら幸いです。 

アランちゃん13歳時のこの一冊

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