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1:なによりもまず「60年代」。それから、ガレージ——『教養としてのパンク・ロック』第22回 by 川崎大助

『教養としてのロック名盤100』『教養としてのロック名曲100』(いずれも光文社新書)でおなじみの川崎大助さんの新連載が始まります。タイトルは「教養としてのパンク・ロック」。いろんな意味で、物議を醸すことは間違いありません。ただ、本連載を最後まで読んでいただければ、ご納得いただけるはずです。

過去の連載はこちら。

第3章:パンク・ロックの「ルーツ」と「レシピ」とは?

1:なによりもまず「60年代」。それから、ガレージ

 どんな音楽にも、かならず「ルーツ」がある。いや、どんなポップ文化の表象であろうが、商品であろうが、歴史的経緯から完全に自由なものなどない。つまりはすべてに「元ネタ」がある。往々にして複数のそれら「ネタ=素材」が混ぜ合わされて、新しい表現物となる。パンク・ロックも、まったく同じ。というか、パンクこそが、ポストモダン時代における「教養」のロックであったこと、「意識的にネタを取り入れた」ポップ音楽の代表選手であることは、すでに書いた。

 では具体的に、一体どんな「素材」が、どんな「混ぜ合わされかた」をして、パンク・ロックという「新しいスタイル」へと結実したのか? ここまで折に触れ、断片的に記してきたその過程を、一度全部総ざらえして、整理してみよう。言うなれば「的確に調理すれば、かならずパンク・ロックとなる」そんな素材およびレシピの一覧がこの章だ。

ラモーンズのレシピ

 初期パンク・ロックの「本場」が、ニューヨークとロンドンという、大西洋をあいだに挟んだ二都市であることは、すでに書いた。そして「誰もがパンク・ロックだと思う」典型的な音楽スタイルを構築し最初に広めたのは、ニューヨークはクイーンズ出身のラモーンズであることも、書いた。まずはそのラモーンズの音楽の「素材」から見てみよう。

1:なによりもまず「60年代」。それから、ガレージ

  ラモーンズの4人の音楽趣味の、最初の大きな特徴は「普通だ」ということに尽きる。ビートルズ、ビーチ・ボーイズ、ハーマンズ・ハーミッツ、それからロネッツに代表される60年代の女性ヴォーカル・グループ、そのほかのバブルガム・ポップ、サーフィン・サウンド……まさに「普通に、一般的に」誰もが好きになるような、ポップで快活で、ある種凡庸と言ってもいいぐらいの趣味が、彼らの基礎にあった。しかしこれは、じつは「変わって」もいた。70年代初頭の、ニューヨーク周辺においては、かなり古い趣味だったからだ。ポップ音楽やファッションの「流行の震源地」である同地においては、彼らのこれは、当時明らかに「ふた昔以上前」のものだった。そこにラモーンズは「ガレージ・ロック」の刺々しさ、荒っぽさを加えた。こっちのほうは、当時あまり一般的ではなかった。

 いわゆるガレージ・ロック、ガレージ・サウンドとは、60年代中盤あたりから、とくに全米の都市部以外の地域で最初に興隆したものだ。シンプルかつ「ワイルドな」ギター・サウンドが目立つものが多い。このガレージ・ロックの起源とは、ビートルズの大旋風を受けて、アメリカ中の若者が、我も我もと楽器を手に取っては、バンド演奏の練習を始めたことに由来する。ロック界最初の大規模なDIY(ドゥ・イット・ユアセルフ)ブームがこれだった、と言えるかもしれない。

 当時のアメリカ郊外の一軒家ならば、ほとんどの家には「大きな車庫」があった。フルサイズの自家用車を2台は駐められるほどのそのスペースにて、バンドは練習した。だから「ガレージ」バンドと呼ばれたのだが、これが全国に、まさしく「無数」と呼ぶほかないほどまでに増殖した。そしてなにしろ(メンバーの誰かの)自宅車庫が練習場なのだから、自由奔放に、無手勝流に、サウンドは練り上げられていった。演奏法も作曲法も誰に習うわけでもなく……つまり言い換えると「あまり上手くはならなかった」。ビートルズのようには、なれなかった。しかしザ・ストゥージズみたいには、なれた。

 69年にレコード・デビューしたストゥージズは、ミシガン州アナーバー出身。世に言う「パンクのゴッドファーザー」のひとりである怪人ヴォーカリスト、イギー・ポップを擁する、野にして卑にして猥雑な、オオカミ男がズボンだけ履いたみたいなゴリゴリのハード・ロッキンな「ガレージ」サウンドを武器とするバンドだ。セックス・ピストルズがストゥージズの「ノー・ファン」を持ち歌としてカヴァーしていたことは有名だ。パンクの先達となったガレージ・ロッカーは、ストゥージズ以外では、同じミシガン州はデトロイト出身のMC5もよく名を挙げられる。

「パンク・ロック」の最も早い使用例の一つ

 とはいえ、このふたつだけが重要なわけではない。前述のとおり「全米に、無数に」いたのがガレージ・バンドというものだからだ。しかしそんな、言うなれば浜の真砂を、後進たちはどのように知っては学んでいったのか?――というと、そこにはやはり「まとめる人」がいた。60年代の「あまり成功できなかった」アメリカのガレージ・バンドのシングル音源を集め選曲してコンピレーション盤としてリリースする、という動きが顕在化したのは、72年の終わりに発表された傑作2枚組アルバム『ナゲッツ』が嚆矢と言われている。これを「まとめた」人はレニー・ケイ。のちにパティ・スミス・グループのギタリストとなる、この当時はライターにしてレコード店勤務だった彼が、エレクトラ・レコーズ創始者のジャック・ホルツマンの監修のもと、プロデュースした。そしてケイのペンによるこの盤のライナー・ノーツのなかには「パンク・ロック」という言葉が登場する。史上屈指の「早い使用例」がこれだった。

 正式名称を『Nuggets: Original Artyfacts from the First Psychedelic Era, 1965–1968』。この「Nuggets」とは、チキンナゲットと同じ、金塊などの塊という意味の語の複数形だ。副題は「最初のサイケデリック時代、65年から68年の工芸品現物」――そんなタイトルに相応しい、正調ガレージから軽いサイケデリック・ロックと分類できるナンバーまで、全27曲を収録。ジ・エレクトリック・プルーンズからザ・スタンデルズ、ザ・シーズ……などなど、バンドの数もちょうど27。これらのサウンド、曲想、タッチが、ほぼ直接的に米英双方の初期パンク・ロッカーたちの大いなる「ネタ」となった。ラモーンズもこれを愛聴したはずだし、極初期のピストルズに至っては、ここに収録されているカウント・ファイヴの代表曲「サイコティック・リアクション」を「練習曲」としていた。

 成功した『ナゲッツ』は、第2弾のUK編以降も続々リリースしていってシリーズ化。それを受けて『ペブルズ』や『ラブル』、あるいは『バック・フロム・ザ・グレイヴ』シリーズなど、同系統の「発掘バンド・サウンドものコンピ」が続いていって、ひとつの潮流を成すまでに至った。もちろん全部「後進バンド」のネタになった。

 といったわけで、ラモーンズのパンク・ロックの基礎的なアイデアとは、「ふた昔前」の普通にポップで甘く愛らしい趣味に、荒削りの「ガレージ」を加え、そして「不用と思えるもの」をすべて削ぎ落としてスピード・アップ――したものだった、と分析することができる。これが素うどんならぬ素ラモーンズの「レシピ」だった。

  ところでこの60年代の「ガレージ」バンドたちには、ひとつの共通項があった。「全米に、無数に」いたはずのバンド群なれど、そこには「同じ系統である」と認められるだけの、遺伝子的特徴があったのだ。それは「ロックなのに、ブルースやR&Bから遠く離れてしまっている」ものが多い、という点だった。

【今週の5曲】

Herman's Hermits - There's A Kind Of Hush (1967, Stereo)

じつは「アイドル好き」のラモーンズ。たとえばハーマンズ・ハーミッツのこの曲など、テンポ・アップしてビートを強化、トラはギター中心に組み上げたならば……かなりラモーンズ・スタイルに近くなる、かも(カーペンターズもカヴァーしてましたが)。

The Ronettes - Be My Baby / Shout (4k)

ジョーイ・ラモーン永遠のアイドル、あこがれの対象がロニー・スペクター(だというところに、彼のアンチ・マッチョ体質の真髄がある)。60年代の全盛期、ロニー率いるロネッツの、夢のようなステージ映像がこちら。

The Stooges - No Fun

これぞガレージ・ロック! セックス・ピストルズのカヴァー定番曲にして、最後の公演(サンフランシスコ)の最終曲ともなったのが、こちら。ある意味ピストルズ精神を象徴するようなこの曲を、オリジナルのストゥージズ・ヴァージョンで。

THE COUNT FIVE-'PSYCHOTIC REACTION',(1966)

そんなピストルズの練習曲のひとつが、カウント・ファイヴのこちら。『ナゲッツ』に収録の60sガレージ名曲。

The Electric Prunes - I Had Too Much To Dream Last Night

エレクトリック・プルーンズのこちらも有名。『ナゲッツ』のオープニング曲(そしてこの画像が『ナゲッツ』のジャケット)。

(次週に続く)

川崎大助(かわさきだいすけ)
1965年生まれ。作家。88年、音楽雑誌「ロッキング・オン」にてライター・デビュー。93年、インディー雑誌「米国音楽」を創刊。執筆のほか、編集やデザイン、DJ、レコード・プロデュースもおこなう。著書に長篇小説『東京フールズゴールド』(河出書房新社)、『日本のロック名盤ベスト100』(講談社現代新書)、『教養としてのロック名盤ベスト100』『教養としてのロック名盤ベスト100』(ともに光文社新書)、評伝『僕と魚のブルーズ ~評伝フィッシュマンズ』(イースト・プレス)、訳書に『フレディ・マーキュリー 写真のなかの人生 ~The Great Pretender』(光文社)がある。
Twitterは@dsk_kawasaki

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