見出し画像

なぜ日本で「まともな議論」ができなくなったのか?|高橋昌一郎【第9回】

■膨大な情報に流されて自己を見失っていませんか?
■デマやフェイクニュースに騙されていませんか?
■自分の頭で論理的・科学的に考えていますか?
★現代の日本社会では、あらゆる分野の専門家がコンパクトに仕上げた「新書」こそが、最も厳選されたコンテンツといえます。
★「新書」の最大の魅力は、読者の視野を多種多彩な世界に広げることにあります。
★本連載では、哲学者・高橋昌一郎が、「知的刺激」に満ちた必読の新刊「新書」を選び抜いて紹介します。

「白黒論法」と「単純化」

一般に、物事をはっきりさせるために「白か黒か決着をつけよう」などということがある。相撲には「ほしとり表」があるが、この表には勝てば「白星」、負ければ「黒星」が書き込まれる。これに類似した勝負の表は、囲碁や将棋をはじめとする多くの対戦型ゲームで用いられている。このように、結論を「白」か「黒」かのどちらかに二分させる思考法を「白黒論法」あるいは「二分法」と呼ぶ。

ところが、実は「白か黒しかない」という思考法は、論理的には完全に間違っている。というのは、碁石のように白石か黒石しか存在しない特殊な状況を除き、「白」の反対は「黒」ではないし、「黒」の反対は「白」ではないからである。より正確に言うと、「白」の否定は「白ではない」であり、「黒」の否定は「黒ではない」である。それにもかかわらず、「白か黒しかない」と判断を誤って二分させてしまうのが「白黒論法」である。霊感商法などの詐欺師は、この錯覚を利用して、顧客に「白」か「黒」しか選択の余地がないように誘導する。

論理的には「白である」と「黒である」という2つの命題を組み合わせると、「白であり黒でもある」、「白であり黒ではない」、「白ではなく黒である」、「白でも黒でもない」の4通りの組み合わせが生じる。「白であり黒でもある」と「白でも黒でもない」をどのように解釈するかは状況によって異なってくる。

一般に用いられる「イエスかノーか」、「勝つか負けるか」、「善い人か悪い人か」なども、すべて論理的に間違った「白黒論法」である。「敵か味方か」という二分法も、「敵であり味方でもある」、「敵であり味方ではない」、「敵ではなく味方である」、「敵でも味方でもない」の4通りの組み合わせが生じる。ここで見失いがちな「敵であり味方でもある」選択肢と「敵でも味方でもない」選択肢を解釈し考察することによって、局面に新たな展開が浮かび上がることも多い。

さて、2017年7月、安倍晋三元首相は、演説中に批判的なヤジを飛ばした聴衆に「こんな人たちに負けるわけにはいかない」と発言し、大きな批判を浴びた。一国の首相には賛否を問わず幅広い見解に耳を傾ける懐の深さが求められるにもかかわらず、安倍氏が国民を「敵か味方か」と対極化して扱ったからである。

その後「モリ・カケ・サクラ」と呼ばれる森友学園・加計学園・桜を見る会の問題を追及されるたびに、安倍氏は自分と自分の「味方」のことは徹底して守った。衆院調査局によれば、安倍氏は首相在任中に118回も国会で「虚偽答弁」を行っている。「味方」からすれば頼もしいだろうが、呆れ果てる「嘘つき」である。

2016年、リオのオリンピック閉会式で安倍氏はゲーム・キャラクターの「マリオ」に扮して登場した。その浮かれた軽薄な姿は、お笑い芸人や芸能人らを周りに従えた「桜を見る会」でも同じだった。要するに安倍氏は「味方」に囲まれるのが大好きなパフォーマーであり、国民全体を公平に思い遣る人物ではなかった。

本書の著者・ごうはらのぶ氏は、安倍政治が日本に残したのは「分断」と「二極化」という「単純化」であり、これが現代の日本を蝕む「病」だと述べている。現代の日本でまともな議論ができなくなった原因もそこにあるというわけである。

本書で最も驚かされたのは、岸田首相が安倍元首相の「国葬」を強行した事実に対して、そこにまったく「法令上の根拠がない」ことを郷原氏が丹念に立証している点である。この「国葬」には海外G7首脳の出席が1人もなく、招待状を送った日本人約6000人のうち約40%が欠席、招待者名簿の74%は黒塗りで非公開である。世界中を見渡しても、これほど卑屈な「国葬」があるだろうか?

本書のハイライト

安倍内閣においては、「選挙で多数の国民の支持を受けていること」を背景に、何か問題が指摘されると「法令に違反していない」と開き直り、そう言えない時には「閣議決定で法令解釈を変更した」として、すべての物事を問題ないことにして済ますやり方がまかり通った。それに加えて、「法令違反」を客観的にただす立場の検察が、政権にそんたくや配慮をするということになると、「法令遵守と多数決」による「単純化」は、まさに「完結」することになるのである。

(p. 199)


あわせて読みたい


『新書100冊』も好評発売中

前回はこちら

著者プロフィール

高橋昌一郎(たかはし・しょういちろう)
國學院大學教授。情報文化研究所所長・Japan Skeptics副会長。専門は論理学・科学哲学。幅広い学問分野を知的探求!
著書は『理性の限界』『知性の限界』『感性の限界』『フォン・ノイマンの哲学』『ゲーデルの哲学』(以上、講談社現代新書)、『20世紀論争史』『自己分析論』『反オカルト論』『新書100冊』(以上、光文社新書)、『愛の論理学』(角川新書)、『東大生の論理』(ちくま新書)、『小林秀雄の哲学』(朝日新書)、『実践・哲学ディベート』(NHK出版新書)、『哲学ディベート』(NHKブックス)、『ノイマン・ゲーデル・チューリング』(筑摩選書)、『科学哲学のすすめ』(丸善)など多数。


この記事が参加している募集

光文社新書ではTwitterで毎日情報を発信しています。ぜひフォローしてみてください!