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#06_いわきの海に泳ぎ、磐梯山に登って思った「わたしのための」子育て論|小松理虔

夏の終わり。夏の終わりには……

 10月に入り、すっかり気温が下がってきた。9月は夏日になる日がいくらかあったけれど、ここのところ一気に最低気温が下がり、いよいよ秋が深まってきた感じがする。早朝など、少し厚めの布団をかけておかないと肌寒さで目が覚める日も増えてきた。あっという間に毛布にくるまる季節になりそうだ。ぼくの隣で寝ている娘も、少し寒そうに体を丸め、寝息を立てている。薄手の布団にくるまりながら、ぼくは、記憶の遠いところにある夏のことを思い浮かべていた。

 ほんとうに酷い夏だった。例年になく早く梅雨が明け、おお、今年はいい夏になるぞと思っていたら、夏は意外にも短く、楽しみにしていたお盆は豪雨と冷夏で台無し。お盆のあとは夏が復活するかと思いきや、すっきりと晴れる日がなくなり、コロナのせいで遠出も難しく、かと言って家の中ではストレスが溜まり、そうこうしているうちに秋になってしまった。コロナ禍2年目の夏。昨年以上に満喫しそびれた気がする。

 けれど、何とか食い下がって小さな夏の思い出を作ることができたのは、ぼくの住んでいる地域がちょうどよく田舎であり、ちょうどいい街でもある、その「中途半端さ」のおかげだという気がするのだった。 ぼくの住んでいる福島県いわき市は人口30万人ほどの市。それなりの規模感の市街地があるのに加え、市の面積がやたらに広いこともあり、車で15分も走れば海があり、30分も走れば登山に最適な山もある。ショッピングモールや道の駅、はたまた温泉地もある。コロナで長期間閉館になってしまったものの、美術館や水族館、郷土資料館など子どもの学びの場もあるし、近隣の自治体にまで足を伸ばせば、農林業や酪農が盛んな町や村があり、普段は味わえない農村の暮らしを味わうこともできる。意外と遊ぶところはあったのだ。

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 子育て中の我が家にとって、海や山の存在はひときわ心強かった。人との距離を保てるし、人の目をあまり気にすることなく声を出すこともできる。体を目一杯に使えて、それでいてお金はかからない。限られた好天の日、ぼくたちはしばしば海へ行き、山へ登った。晴れた日が少なかったからこそ、ぼくたちは楽しもうとしたし、思い出を作ろうとした。なんだかんだで夏を満喫できたのかもしれないなあ。

 そして今、勢いよく寝息を立てている娘を見ると、ずいぶんとたくましくなったような気もしてくる。夏休みの前と後で、実際に何センチかは身長が大きくなったのかもしれない。もちろん、海や山で遊んだからと言って急に娘が大人になるわけではない。たくましくなった気がする、というのは、ぼくが「そう思い込んでいる」だけだろうと思う。ではなぜぼくは娘が成長したと感じるのだろうか。なぜそう思い込むことができているのだろうか。布団にくるまりながら、夏を思い出し、考えを深めてみたい。陽が昇るのはまだ先だ。

海で、山で考えたこと

 今年のいわきの海は、いつになく海水浴客が多かった。じつは今年、地元の海水浴場は正式に海開きされなかった。だから監視員もライフセーバーもおらず、安全性という意味ではあまりオススメできない状況だったのだが、そこに海はあるのだ。入り口が鎖で塞がれているわけでもなく、海も砂浜も、人が来るのを拒みはしない。海の開放感を味わいたい家族づれで、海は賑わっていた。

 去年はコロナウイルスの流行が始まったばかりだったから、みんな距離を測りかねているという感じだった。今年は少しずつ慣れ、みんなそれぞれに「このくらいなら大丈夫だろう」という自分なり基準を持てるようになったということだろうか。マスクを外し、少しずつ距離をあけ、波の感触を楽しむ人たちの姿が目立った。

 そりゃあそうだろうと思う。だって海はタダだもの。大きな海水浴場へ行けば新しいシャワーもトイレも完備されているし、いわきには、ちょいと足を伸ばせば道の駅が隣接する四倉という海水浴場もある。一度海へ行けば余裕で半日は楽しめ、しかも娘はほぼ確実に昼寝するか早く寝てくれる。この息の詰まるコロナ禍の夏、海へ行かない理由を探すほうが難しいくらいだ。今年の海水浴客が多かったこと、一人の親として身をもって納得している。

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 夏の海。娘はほんとうに楽しそうだった。マスクを外して大声を上げ、波の感触を心ゆくまで楽しんだ。これまでは、なぜか海に入ろうとはしなかった。波の「ゴー」っという音が怖かったようだ。今年は果敢に挑んだ。怖い。でも楽しい。少しずつ怖さを克服していくように前に進む。最初はお尻が水につく深さ。次はお腹。そして胸。もちろんぼくが手を引いていくのだけど、次第に波の感触にも慣れ、「ちょっと怖いけど海って楽しい!」と言うようになった。大きな波が来ると当然頭から水がかかる。冷たくて気持ちがいい。しょっぱい。やっぱりちょっと怖い。でも楽しい。波をかぶるたびに「ぎゃあああ」と絶叫しながら、文字通り全身で海を味わっている娘を見て、こちらも思わず微笑ましい気持ちになった。

 波は、一定のリズムを刻むが、同じ波はひとつとしてない。高いやつもあれば低いやつもあり、モワモワっと通り過ぎるだけのやつもある。だから娘はその都度、やってくる波の高さを推測し、これなら大丈夫だ、これは胸までくるやつだ、これは大きいやつだと判断して波にぶつかる。ぼくからすれば当たり前のことだけれど、ああ、こうして自分で判断して、波に順応していくんだなあ、大したもんだなあと妙に感心してしまった。もちろんまだまだ判断は甘いから、一人で遊ばせる訳にはいかないけれど、こういう咄嗟の判断力って、なかなかスイミングスクールでは教えてもらえない。海に連れてきて良かったと思えるポイントだ。

 そしてもうひとつ気づかされたことがあった。今年初めて海へ行ったとき、娘がぼくの顔を見上げて、こんなことを言った。

「マスク、外してもいいの?」
「めっちゃ騒いでいいの?」

 思わずハッとした。海で遊ぶのに、こんなことを親に聞かなければならない事態に、親として本当に気の毒になった。もちろん家ではマスクもしていないし、めっちゃ騒いでいる娘だが、公共の空間ではいろいろと気にしているのだろう。親が想像もしないところで、子どもたちは自分を押さえつけているのだ。だから余計に、今年の夏は自然のありがたみを感じた。自然のなかで遊ぶことで、娘たちはまず自分を解放できる。腹の底から声を出し、目一杯体を動かせる。そんな当たり前の出発点に、娘たちはようやく立つことができた。海よ、そこにいてくれて、本当によかった。

 思えば娘は小学校1年生。入学してからずっと、給食は「黙食」だし、大好きな音楽の時間も大きな声を出しては歌えない。プールも自粛だし、運動会も限定的だった。本来ならできたはずのことができない。上級生ならば「なんで前みたいにできないんだ」と、自分たちが何を奪われたのかを自覚できるかもしれないが、新一年生にとってはこれが「デフォルト」だ。自分はこんなに大きな声を出せる。こんなふうに体を動かせる。波にぶつかって、騒ぎまくって、時々苦しくなって、塩辛い水を飲んでむせって、怖くて、楽しくて、疲れて、それでも楽しくて。そうして心も体も目一杯動かすことで、娘は「本来あるべき自分」を取り戻そうとしていたのではないだろうか。

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 と、そんなわけで、小松家は今年の夏、海を楽しみまくった。夏休みの終わり、きっと宿題の絵日記に、オレの愛するいわきの海のことを描いてくれるだろうと思っていたのだが、娘が絵日記に描いたのは、山だった…。

 というのも、娘はこの夏、福島県で最も有名な山、磐梯山に登った。公私ともどもお世話になっていて、登山をよくする友人の橋本夫妻のご好意で、ぼくたちは年に数回、山に連れていってもらっているのだが、今年は行き先は磐梯山。橋本夫妻に登山レベルを合わせてもらっているので、今回も難易度が一番低いコースだったけれど、娘にとっても、ぼくにとっても(あるいは妻にとっても)ものすごく刺激的な登山となった。ちなみに、ぼくは小学校5年の宿泊訓練で同じコースで磐梯山に登っているのだが、頂上の前の山小屋地点でリタイアしてしまった。娘は小学校1年生で踏破したのだから大したものだ。

 最初はテンションが高く、走るなと言われても走るような感じだったのが、中盤はややテンションが下がり、「疲れたー」「もうダメー」とか弱音を吐いたものの、そこから盛り返し、娘はなんだかんだで頂上まで登り切ってしまった。

 この結果には驚かない。以前、福島と山形の県境にある西吾妻連峰の西大巓(にしだいてん)に登ったのはいまからちょうど1年前くらいだったか。大人ですら岩場を這って登るようなポイントのある山で、雨の直後だったこともあり、ぼくは何度か心が折れかかったが、娘はその山も制しているのだ。

 道中ですれ違った人から「おねえちゃん、すごいね」「将来は田部井さんだね」なんて声をかけられ、我らが福島県が誇る登山家、田部井淳子さん(女性として世界で初めてエベレストと七大陸最高峰への登頂に成功した)の名前まで出されて褒められたぼくは鼻高々だった。磐梯山でも、「あの西大巓に登ったんだから磐梯山も登れるよ」と声をかけ励ました。娘は1年前の自分に負けるわけにいかず、がんばって山を登りきった。

 初夏の磐梯山。頂上で見た風景は絶景だった。あいにく曇り空だったけれど、風が吹いて雲が切れ、その切れ間に周囲の山々が見えたときには思わず声が漏れた。この心地よい疲労感と、だからこその絶景をパーティ全員で分かち合う。それがいい。娘のたくましい登山を見守った妻も気持ち良さそうだった。妻のいい顔を見るとぼくもうれしい。親が二人とも笑顔だから娘もうれしい。もはや言うことはない。下山の途中で強い雨に打たれたけれど、なんのなんの。すっかりたくましくなった娘は「濡れたっていいじゃん!」と勝手に開き直り、雨に誘われて山から出てきたカエルを観察しながら、元気に山を降った。

 山は、普段は目にできない我が子の表情が見られる場所だなといつも思う。あれ、こいつ、こんないい目をするんだなとか、あれ、意外と粘り強いなとか、家じゃこんないい顔しねえじゃねえかとか。いつもは見せない精悍な表情を見せてくれるのが嬉しくて、ぼくは山に登る。家族だけで登らないのがいいのだろう。一緒に登るときに橋本夫妻もいるから、家みたいに甘えてられない、恥ずかしいところを見せられないと張り切るのかもしれない。

 思えば、海や山、川があることに、なんともいえないありがたみを感じた夏だった。それはコロナ禍ゆえでもあるだろうし、小さな子どもを持つ親としての立場もあるだろう。閉塞し切った社会で深々と呼吸できる場所があるだけで、「いやあ、オレ、生きてるな」っていう実感を得られる。娘もきっとそう感じたにちがいない。

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 もちろん、ぼくが今ここに書いたことは、単に海へ行った山へ登った、という話にすぎない。都市部に暮らしていても、足を伸ばせば海にも山にも行けるし、難しいことはなにもない。ただ、やはり地方はその距離が近い。気が向いたときに行ける距離、いつでも逃げ込めるところ、朝起きて、「今日天気いいから行こうぜ」という場所に豊かな自然がある。それはとても心強いことなのだと思う。

「うちの子どもは外で遊ばない」という家庭もあるだろう。そんな時にも、地方には遊び場はある。ショッピングモールがあり、公立の美術館や文化ホールがある。いくつか室内の遊び場も点在している。それでも物足りないというときは車を飛ばして大きな街に行けばいいし、それでもダメなら電車に乗って都市に向かえばいい。「地方には選択肢が少ない」というけれど、それは特定の自治体の中だけで解決しようと思うからであって、周辺の自治体まで含めて自分なりの生活圏を考えてみたら、意外なほど選択肢は広がるはずだ。

 コロナ禍で、ぼくたちは都市の脆弱さを痛いほど学んだ。多くの命も失われた。さすがに都市と地方のバランスを整えるべきタイミングだろう。だが、この連載でたびたび書いてきたように、都市か地方か、という二項対立の問いではなくて、その「間」、自分なりに大都市や地方都市、農村それぞれのいいところを組み合わせていくところに、自分なりの「間の地方」みたいなものが浮かび上がってくる。地元にあるものは最大限活用し、ないものは他所の土地で探せばいい。そうして自分なりの「ちょうどいい地方」を自らつくっていくことが楽しく、地方暮らしの価値を高めることにつながると、ぼくはこの連載でたびたび主張してきた。

 そのうえでぼくは、やはり生活の拠点を地方に置きたいと考えている。自然が近いところに生活拠点を置きながら、都市も農村もいいあんばいに使いこなしていけるからだ。自然は替えが効かない。自然は移動させられない。どれも、そこに行かなければ味わえないものだ。海や山で感じられることはリモートでは再現できない。深々と息ができるところに娘を頻繁に連れていってあげたいといつも思う。ぼくはずっと、「今日は天気がいいから海へ行こう!」と言える場所に暮らし続けたいのだ。隣で寝息を立てている娘を眺めながら、改めてそう思う。

改めて考える、地方と子育て

 いくら自然豊かでのびのびと子育てできる、とはいっても、当然不利な点もある。真っ先に思い浮かぶのが教育だ。学校の選択肢も少ないし、学習塾など習いごとの選択肢も少ない。娘が小学校に入学し、なにか習いごとに通わせたいなと検索してみても、人気のスクールはすぐ定員が埋まってしまうし、良さげなところは下手すると車で1時間くらいかけないと通えない。競争がないため地方のほうが料金が高い場合もあるから、都市部に住んでたほうが娘にいろいろな経験をさせられたかもな、なんて思うこともしばしばある。

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 受験はどうだろう。以前ほど大きなハンデにはならないとぼくは感じている。もちろん、都市部と違って地方は圧倒的に私学が少ない。それゆえ自分が学びたいものと環境がうまくフィットしないということも起きるだろう。一方で、たとえば秋田県のように地方でも学力が高い自治体はあるし、どこの地方都市にもハイレベルな進学校はある。絶対に東京大学に行かねばとか、ハーバードを受験させるんだという場合は都市部の方がいいと思うけれど、地方都市から東大・京大を目指す高校生だって少なくないし、最近ではリモートを活用して都市部の予備校の授業が受けられるようになっているから、地方でも打てる対策はある。もちろん、これはぼくの私見にすぎない。もっといろいろな人の意見を聞いてみてほしい。ぼくが「井の中の蛙」である可能性は低くない。

 子育て支援はどうだろう。地方と都市部、一見すると、どこぞの山奥の山村より、首都圏に近いベッドタウン(流山とか八王子とか)のほうが子育てしやすいように思う人もいるかもしれないが、こちらも年々格差が是正されつつある。いや、むしろ地方都市の方が、子育て支援策は充実しているといってもいいくらいだろう。

 2015年、国が推進するかたちで「子ども・子育て支援新制度」がスタートした。これにより、国の社会保障の柱のひとつに「子育て」が位置づけられ、待機児童を減らす取り組みや、認定こども園の整備、地域での支援制度の拡充が行われてきた。自治体独自の取り組みも活発になり、様々なメディアで各地の子育て政策が取り上げられるようになった。

 金銭的な支援も注目される。子どもが生まれるたびにご祝儀が出る自治体も増えているし、福島県のように医療費が高校卒業まで無料というところもある。どこの自治体にも子育て支援室があるし、外に暮らしている人たちに対しても、「ふるさと回帰センター」や「移住促進センター」のような窓口(ネーミングはいろいろあるかもしれない)を通じて、各地の子育て支援情報が発信されている。こうした支援策の拡充も手伝ってか、子育てするなら地方、と考えている人は近年ますます増えているように思う。

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 実際に、都市部から地方へと移り住んだ人はどんなことを考えているんだろう。ちょうど千葉県松戸市からいわきへとUターンしてきた道脇紗知さんという友人を思い出し、お茶飲みがてら話を聞いてみた。道脇さんは小学校の同級生で、現在は、子どもを同じ小学校に通わせている親同士だ(地方ではこういうことがよく起こる)。都市部のほうが快適だったろうに、どうしてまたいわきへ戻ってきたんだろう。こちらの生活に不満はないのだろうか。いろいろと質問をぶつけてみた。

 道脇さんは今年3月まで千葉県の新松戸に暮らしていた。電車1本で都心へとアクセスできるベッドタウンだ。都市開発からは少し時間が経っているものの、商業施設は駅の周辺にコンパクトにまとまり、住宅地には小さな公園も多く整備され、バス路線もきめ細やか。駅のそばには子育て支援ルームもあり、子育てを応援するサービスもそれなりに充実していたようだ。地方民からすると、公共交通が使いやすく、家のすぐ近くにきれいな公園があって、商業施設もコンパクトにまとまっていると聞けば、「完璧じゃん!」と言いたくなる。

 けれども道脇さんは、違和感もあったようだ。当時の暮らしについて、「たしかにお店は多かったけど、パン屋さんに行ってもカレー屋さんに行っても、いつも初めてのお客さんみたいな感じだった。暗黙の了解で、他人のプライベートは聞かないようにしてるから、習い事の先生も淡々としてたなあ」と述懐する。近所に公園が整備されていれば、そこに子どもたちも親たちも集まる。顔見知りが多く安心できる面もあるけれど、お互いに突っ込んだ話はしない。道脇さんは、「私は居ても居なくてもどっちでもいい存在だ」と感じるようになったそうだ。

 道脇さんのパートナーは国際貿易船の船員で、下手をすると1年以上自宅に戻らないときもあるという。ほぼひとりで子育てをしなければいけない道脇さんにとっては、所属や立場を離れて個人と個人がつながりあうような都市的コミュニティにも、あるいは地方のように顔と名前が一致するような強いコミュニティにも加わることができなかったのかもしれない。

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「久しぶりにいわきに帰ってきて思うんだけどさ、たしかに、まちなかに公園は整備されてないし、公共交通も使いづらい。でも、こないだ海に行って思ったんだ。息ができる、深呼吸できる場所ってすごく大事だなって。新松戸は小さな公園はあるけど、大きな公園は郊外にしかないから車に乗って行くんだけど、みんな同じこと考えるから大渋滞。近くに自然があるだけですごいことだって思うなあ」

 そうだよね。子どもたちも息が詰まるよね。都市部だとどうしても家が狭いし、近くに海や山がある地方がなんだかんだでいいよね。子どもたちにとってもすごくプラスじゃない? そんなふうにぼくが返すと、道脇さんから、意外な言葉が返ってきた。

「ううん。ちょっと違うの。子どもたちにとって、っていうか、私のね。子どもたちにとってだけじゃなくて、私にとっても、風通しのいい場所で、ふっと息を吐き出せるのが大きいんだ」

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 ハッとした。子育てについて考えると、親は「子どもにとっての環境」ばかり考えてしまう。多くの親にとって自分は二の次で、「わたし」の状態が考慮されていない場合が多いのではないだろうか。考えてみれば、親が日々追い詰められていたら、子育てのことをじっくりと考える余裕も失われてしまうだろうし、次第に息苦しくなってしまうはずだ。

 もちろん、道脇さんは「親の都合だけ考えろ」と言っているわけではない。「子どものことなんて関係ない」と言っているわけでもない。もちろん、親は思わず子どもたちのことを考えてしまうものだし、子どものために良かれと思って無理を重ねてしまうものだ。だからこそ道脇さんの言葉は、そこで生じる生きづらさ、息苦しさのことももっと考えていいのではないか、もっと自分の心のケアを大事にしてみてもいいんじゃないか、と提案してくれているように感じた。

「いわきに帰ってきてから思うんだけど、スーパーに行けば誰かがいるし、私のことを知っているパン屋さんや焼き鳥屋さんがある。知らない人じゃなくて、ちゃんと名前で呼んでもらえると、ああ、ここに居ていいんだなって思えるんだ。ときどき、ほんとうに帰ってきてよかったのかな、子どもたちは新松戸にも愛着あっただろうなって、ちょっと後悔することもあるけど、私が感じてる安心感を、子どもたちも感じてるんじゃないかな」

 地方に風通しの悪さを感じ、縛りのない都市部へ出ようとする人もいる。反対に、都市に風通しの悪さを感じて、地方の風を求めてくる人もいる。なんとも風は気まぐれに吹くものだ。

 風は、実際にその土地に吹く風である。と同時に、心にも吹く。風をもたらす扉や窓も必要だ。道脇さんは、その風を、風通しをもたらす扉を、かつて自分が暮らした故郷の港町の海に、人と人の顔の見える関係に求めた。だからUターンしてきた。そんなふうに解釈できるかもしれない。ぼくたちの風は、いま、どちらの方へ吹いているのだろう。

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フランスの子育て世代はなぜ地方を目指すのか

 友人から大事な視点を教えられ、何事にも安直なぼくは、やっぱ風だよなー。いまその風は地方に吹いてるんじゃないかな、オレも小名浜に帰ってきてよかったわー、などと思ってはみたものの、まだ友人ひとりに話を聞いただけだしなと思い直し、とりあえずなにか参考になりそうな本を読んでみることにした。Googleで検索してみると、ちょっと気になる本を見つけた。フランス在住のビジネスコンサルタント、ヴァンソン藤井由実さんによる『フランスではなぜ子育て世代が地方に移住するのか:小さな自治体に学ぶ生き残り戦略』(学芸出版社)という本だった。おお、これこれ。こういうのこういうの。きっとフランスの地方都市がやっている魅力的な子育て政策とかを学べるに違いない!

 数日後、本が届いた。早速ページをパラパラとめくってみると、ふむふむ、フランスの地方都市で行われているまちづくりの実例が紹介されている。どれも人口数万人規模の地方都市での実践ばかりで、地方ならではの食の魅力や顔の見えるネットワーク、小さなコミュニティを生かした取り組みが紹介されていた。そういえば、この連載の前々回でもドイツの地方都市とスポーツのまちづくりについて書いたばかりだ。欧州は地方都市がとにかく元気そうでうらやましい。

 同書の序盤に、フランスの若い世代がなぜ地方移住を目指すかの理由が紹介されている。最も多い理由が、「都市部では家が小さく、子供をのびのびと育てられないから」という理由だった。大都市の住宅事情はパリも東京も大きな違いはないのかもしれない。部屋はどこも狭く、家賃は高い。家賃を支払うためには時給の高い仕事につかなければいかず、結局仕事を辞めることができないというジレンマ、よくわかる。そういえば道脇さんも、「いわきの家で廊下を走り回っている息子を見て、前の家ではこんなふうに元気に騒いでる息子を見たことなかったなって思った」と言っていた。地方でのびのびと子育てしたい親の存在は、日本でもフランスでも共通のものだ。

 ではなぜ、フランスの子育て世代は地方に移住できるのだろう。フランスの地方都市ではきっと子育て政策がうまくいっているはずなのだ。と思ってページをめくっても、なかなか子育て政策は出てこない。代わりに紹介されているのは、伝統的な塩づくりで人口増加を果たしたバシュメール村。人口738人のポンジボー村のアグリ・ツーリズム。移住者の生き方を支援するカドネ村などなど…。思わず旅してみたくなる魅力的な取り組みばかりだ。

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 そこでふと単純な事実に行き当たった。フランスの子育て世代は、それらの村が、子育てしやすそうだから移住するわけではない。子どもがそこに行きたがっているわけでもない。その村が楽しそうだから、魅力ある村だから、そこに何か希望があるからこそ、そこに移住するのだ。本書を精読すれば、自治体の子育て支援政策なども取り上げられているとわかるが、それは本筋ではない。結局、その地域に「わたし」が魅力を感じ、希望を見出し、移住するのである。そして町や村も、移住者に安心や希望を与えられるように生活環境を整える。子育て世代が希望を提供できなければ子育て世代に移住してもらえないからだ。村の人たちは、だからこそ一生懸命に、魅力的な地域をつくろうとする。

 なんとなく、風通しを求めていわきへと戻った友人と通ずるような話に思えた。子育てだけではない。フランスの子育て世代は、自分の人生を、子育ても含めてトータルで楽しむために、希望を求めて地方を目指すのだ。その村で、その町で、何かいいことが起きるかもしれない。自分らしい生活を取り戻せるかもしれない。じっくりと風を吸い込み、深く呼吸しながら、自分の居場所を見つけることができるかもしれないと。

 とはいえ、まだまだ地方移住のハードルは高く見える。ほんとうにやっていけるのか不安になる人も多いだろう。本の中に、そのハードルを下げるためのヒントになりそうな記述を2つ見つけたので、少し紹介しておこう。まずひとつめ。魅力的な村落に条件のいい仕事があるかはわからないので、周辺の中規模の都市で仕事を探せばいい。次にふたつめ。フランスはバカンスを地方で楽しむ人が多く、フランス人は田舎での滞在経験に恵まれているので、都市部での住宅購入が無理だというとき、ごく自然に「少し田舎に行ってみようと」考える。これって、日本にも当てはまるのではないだろうか。

 たしかに本書がいうのと同じように、農村部は仕事が少ない。時給も低い場合が多い。ならばその周辺の地方都市を活用すればいい。地方の中核都市には、ある程度、医療や教育、雇用が確保されている。小さな町に住んでいても、そこだけで問題を解決しようとせず、少し足を伸ばせばいいと割り切ってみると、移住の選択肢はグッと広がると思う。たしかに給料は減るかもしれないが、あなたが少ないと感じている給料で、実際にその土地に暮らす人たちは楽しく人生を謳歌しているのだ。「案ずるより産むが易し」で、ヒョイっと移住してペースをつかんでしまったほうが早い場合もあるだろう。

 この「地方都市活用作戦」は、小さな村や町にとっても大事な視点だと思う。すべての村に十分な雇用を作る必要はないと割り切ってしまえば、打てる対策にも幅が出てくる。村落と地方都市とでカバーしあえる仕組みや制度、伝え方を考え、農村と地方都市の両輪でまちづくりを進めていくことが求められる。

 そしてもうひとつが、バカンスと移住の関係。これは、最近よく耳にするようになった「関係人口」の議論と関連づけて考えることができるかもしれない。関係人口とは、移住した「定住人口」でも、観光しに来た「交流人口」でもない、地域と多様に関わる人々を指す言葉だ。昨今、地域づくり、まちづくりの文脈で頻繁に使われるようになっている。

 たしかに日本にはバカンスはない。1カ月、2カ月と長期に渡って地方でまったり過ごす、ということは現実的に難しい。けれど、短期的に濃密な関係をつくることができるイベントや取り組みなら近年増えてきている。一緒に田植えをしたり、収穫を喜び合ったり、植樹を通じて親睦を深めたり、地域の父ちゃん母ちゃんと一緒に料理を作ったり。これまでの観光からさらに地域に一歩地域に踏み込んだところで交流を図る事業があちこちで開催されるようになった。こうしたイベントを通じて、ぼくたちは地域の人たちと顔の見える関係をつくることができる。その関係性は、まさに「定住未満、交流以上」。そこで愛着が湧いたり、地元の人と関係が生まれることで、ここに住んでみたい、暮らしてみたいという思いに結びつくのではないだろうか。

 この話を逆に展開してみよう。地方移住するハードルが高ければ、まずは「定住未満、交流以上」の関係を作ってみることだ。とにかくそこに行ってみよう。関係してみよう。ここ数年、まちづくり系、地方移住系の雑誌も多数出版されているから、気になる町や村があったら、イベントや交流事業に合わせて、とにかくそこに行って、何かに参加し、地域の人たちと言葉を交わしてみて欲しい。一気に距離が縮まるはずだ。

 そして、気に入った土地が見つかったら地図を広げ、その土地の周辺自治体まで視界に捉えながら、自分なりに生活圏をイメージしてみよう。近くにちょっと大きめの町があればよし。そこに病院や学校、美術館や博物館、ショッピングセンターやモールがあればもっといい。車で1時間くらいならちょいうどいいドライブだ。次にその土地に行くときには、周辺の自治体も巡ってみたらいい。おお、こんな町が近くにあるなら、けっこう豊かに生活できるかも? なんてイメージが、具体的に湧いてくるかもしれない。

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わたしの風通し、を考える

 なんだか地方移住雑誌の回し者のような文章が続いてしまったが、そろそろ結論に入ろう。ぼくは、娘との夏の思い出から、自然の豊かさ、尊さに思い至り、「地方での子育て」について考えた。ところが、話がどんどん逸れ、思考は新松戸に、そしてフランス各地に飛び、最後は「とにかくその町へ行ってみりゃあいい」という結論にたどり着いた。支離滅裂だ!

 けれども、最初から読み返してみると、結局のところぼくは子どものために地元にUターンしたわけでも、子どもの成長のために磐梯山に登ったわけでもないと改めて思い至る。ぼくは、地方でやりたいことがあってUターンしてきたのだし、ぼくが山に登りたくで登ったのだ。

 それでいいのではないのだろうか。

 子どもがいると、ついつい「子どものために」とか考えてしまうものだけれど、もっと「わたし」を大切にして、「わたし」が希望を感じるほうに、えいやっと足を向けてみればいいのではないか。今よりもう少しだけ、自分の心に吹き込む風に敏感になってもいいと思うのだ。

 どの町に住んでいようと、いい面もあれば悪い面もある。地方でできることもあれば都市部でしかできないこともある。どこにいても、メリットとデメリット、ポジティブとネガティブが存在する。大事なことは、そのどちらかに引きずられて一喜一憂することではなくて、その両面を引き受け、自分なりにその地域での暮らしを楽しもうとすること、「わたし」が主役になることだ。

 その土地には、どんな特徴があるのか。どんな仕事があるのか。どのような文化があり、どのような食があるのか。どうすれば、それらの魅力を最大化し、課題を最小化できるのか。そうして自分なりにその土地を知り、自ら楽しもうとするところに自分なりの地方(ローカル)が立ち上がってくる。風もそこに吹く。暮らしは、自分でつくることができるのだ。

 いつか娘も、こんな街はクソだと言って離れていくのかもしれない。それもまた娘の選択だ。尊重すべきだろう。けれど、ぼくはぼくで「自分なりの地方」を楽しみたい。そしてできるかぎり、そのおもしろさを娘にも伝えていきたい。だからぼくは山へ行き、海へ行き、こんな文章を書いている。秋山シーズン。さあ、どの山に登ろうか。


写真/小松理虔


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著者プロフィール

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小松理虔/こまつりけん 1979年いわき市小名浜生まれ。ローカルアクティビスト。ヘキレキ舎代表。オルタナティブスペース「UDOK.」を主宰しつつ、いわき海洋調べ隊「うみラボ」では、有志とともに定期的に福島第一原発沖の海洋調査を開催。そのほか、フリーランスの立場で地域の食や医療、福祉など、さまざまな分野の企画や情報発信に携わる。『新復興論』(ゲンロン叢書)で第45回大佛次郎論壇賞を受賞。著書に『地方を生きる』(ちくまプリマー新書)、共著本に『ただ、そこにいる人たち』(現代書館)、『ローカルメディアの仕事術』(学芸出版社)など。

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