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僕はもっと闘うべきだったのではないか――エンタメ小説家の失敗学23 by平山瑞穂

過去の連載はこちら。

平山さんの最新刊です。

第4章 編集者に過度に迎合してはならない Ⅴ

悔恨

 なお、この作品(『株式会社ハピネス計画』)が今現在もアクティブな状態にあるとはもはや思えないことからいっても、ネタバレに配慮することにもあまり意味はないとは思うが、以下、それに相当する記述があるので、一応注意を促しておく。

 藤原たまりは、過去にいっとき不幸な時期はあり、あれこれと苦労はしてきたものの、現在もたくましく生きているという設定にすげ替え、終盤で譲がその生身のたまりと遭遇し(それまでに「会って」いたたまりは、譲の幻想か、もしくはたまりの「生霊」のようなものだったと解釈されることになる)、二人の行く末に甘い予感を漂わせるところで、物語が結末を迎えるという形に改めた。もちろん、そこに至るまでの過程についても、不穏さが薄まるよう適宜に調整した。それが、Mさんのリクエストに応じて僕が原稿に施した改変の内容だ。

 原稿はそのまま受理され、大きな改稿もないまま本になった。

 しかし僕はあのとき、もっと闘うべきだったのではないか――。この作品については、刊行から一五年を経る今なお、そんな悔恨を感じるときがある。

 当初考えていた流れを中途でねじ曲げ、なかば無理やりハッピーエンドに持っていったせいで、この小説は、実に中途半端な仕上がりになってしまっていると思うのだ。作中にちりばめられた諸要素が、ところどころで本筋との間の有機的なつながりを断たれ、ちぐはぐな印象を与える雑音のようなものに化けてしまっている気がする(その点は、三〇〇枚削減という苛酷な「大手術」を施した『冥王星パーティ』に残る傷跡とも通じるものがある)。

※『冥王星パーティ』を改題。

戦意喪失

 最悪なのは、書き上げる前から、そうなるであろうことを僕自身がほぼ確信していた点なのだ。

 Mさんから路線変更のリクエストを出された瞬間に、僕はこう思っていた。「ああ、いつものあれだ」と。作品を自分の望むままに書こうとする際に、いつも僕の前に立ちはだかってくる「壁」が、今度もまた現れたのだと。そしてそれは、乗り越えることができないものなのだ。無条件に降伏しなければ、先へ進むことさえできない。すなわち、この原稿を本にすることができないのだと。

 だから僕は、納得もしていないのに、ただスムーズに本にしてもらうためだけに節を曲げ、言われたとおりに原稿を直したのである。中途で戦意を喪失し、闘うことを放棄してしまったのだ。

 しかしよくよく考えてみれば、Mさんはなにも、「ハッピーエンドにしてください」と言ったわけではない。「現在の流れから想定されるような悲惨なバッド・エンディングから、できるだけ距離を取るようにしてほしい」と言っただけだ。

 はたして、この水準で極端に方向転換することまで、彼女は求めていたのだろうか。彼女の意向に歩み寄りながらも、僕自身も納得できる落としどころが、ほかにありえたのではないか。あそこで戦意を失ってさえいなければ、その折り合いがつく最適の着地点を、なお探る余地があったのではないだろうか――。

 何度思い返しても、苦い思いにさせられる経験である。そしてこのケースに見られる失敗の肝は、担当編集者を自分の仕事の「発注元」、自分の原稿を本にしてくれる命綱と意識するあまり、結果としてその意向に過度に迎合してしまった点にある。政権への過剰な「忖度」によって、官僚が本来の目的を見失ってあらぬ方向へ迷走し、償いきれない過ちを犯してしまうようなものだ。

 どうせこれといった実績のない自分の意見など通るわけがない、と決めてかかり、あまりにも敗北主義的な姿勢で臨んでしまっていたところもある。だからこの一件について、Mさんを責めるつもりは、僕にはない。咎は、早々に意気阻喪してあっさりと白旗を上げてしまった僕の側にあるのだ。

 立場が弱い(すなわち売れていない)作家であれば、意に沿わない要求や提案でも受け入れざるをえないことがあるのは事実だ。それでも、なんでもかんでも無条件に受諾し、盲従すればいいというものではない。納得できないなら、結果として聞き入れてもらえるかどうかは別にして、言うだけは言ってみることをお勧めする。そうすれば、相手も出方を変えてくるかもしれないのだから。

 さて、この『株式会社ハピネス計画』のセールスがどうだったかというと、これも例のごとく、惨敗だった。

 そしてこれが売れなかった原因もまた、決して特定はできないのだが、「もしもあの時点で僕が闘いを降りず、作品がこんな中途半端なできにはなっていなかったとしたら……」という仮説も、例のごとくいつまでも脳裏を駆けめぐってしまうのである。どのみち「『ラス・マンチャス通信』的なもの」が、圧倒的多数の読者の支持を得ることはなかったにしても、作品としての完成度がもう少し高ければ、この小説ももう少しは注目を浴びていたのではないかと。(次章に続く)

 

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