ジョン・ライドンの「教養」が、ロットンをリチャード三世にした——『教養としてのパンク・ロック』第3回 by 川崎大助
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序章 パンク・ロックが予言した未来に住まう僕たちは:〈3〉ジョン・ライドンの「教養」が、ロットンをリチャード三世にした
シェイクスピア作品からの影響
さらに、一流パンクスの「教養」とは、たんに若者文化、ロック音楽の知識だけに留まるものではない。一例を挙げよう。たとえばジョン・ライドンの教養がある。
ロンドン・パンクどころか、地球上すべてのパンク・ロックの基礎を決定づけてしまった怪物バンド、セックス・ピストルズのフロントマン「ジョニー・ロットン」として世を震撼させた彼は、基本的にすべての歌詞を書き、歌ったのだが、決して博覧強記の人ではなかった。だがしかし、彼についてこう言い切ることはできる。
「自らに必要なことはすべて、『教養』として蓄積完了している、切れ味のいい知性と批評眼をそなえた」そんな若者だったのだ、と。10代終盤にして、すでに。
その証拠のひとつが、ライドンが「演じた」初代パンク・ヒーローと呼ぶべき「ジョニー・ロットン」のキャラクター設定だ。ここには、シェイクスピア作品からの影響が大きい。16世紀から17世紀にかけてイングランドで活躍した、英文学史上に燦然と輝く劇作家にして詩人の、あのウィリアム・シェイクスピアのことを、僕は言っている。
嘘ではない。なんせライドン本人が幾度も語っていることなのだから。数多いシェイクスピア作品のうち、彼が「ロットン」を演じるときのイメージ・モデルとしたのは、名作『リチャード三世』にて描かれた、醜く性格悪く、愛されない王の姿だった。
とくに映画化されたものに、ライドンは大きなインスピレーションを得ていた。名優ローレンス・オリヴィエが監督・脚本・製作・主演の四役をつとめた1955年版の同名映画におけるリチャード三世像が「胸くそ悪くなる感じ」で、ことのほか気に入っていた。もちろん彼が映画を観たのはピストルズ加入前のことだ。そしてライドンは、初めてのバンド活動であるこのときに、自らがリチャード三世と化すことを思いつく。
つまり、ライドンの「教養」ゆえ、薔薇戦争時の15世紀イングランドに生まれ没した、ヨーク朝最後の悪名高き王の「玄孫引き」ぐらいのサンプリングがおこなわれたわけだ。その発想が、唾ばかり吐く、猫背でいつも不機嫌そうなパンク・ロッカー像へと結実した。これによってポップ音楽界は、いや「パンク以降」の大衆文化は、その性質が永遠に変わってしまうほどの「激震」を得ることになったわけだ。
これこそが「教養の力」にほかならない。だから聴き手である我々としては、ライドンがリチャード三世を「使った」動機をつかまえてみる必要がある。さらにライドンは、50年の映画『シラノ・ド・ベルジュラック』にてホセ・フェラーによって演じられた、醜いながらも純真な近衛騎士シラノ像も大変お気に入りだった旨の発言をしている(「映画のなかの見捨てられた役に惹かれる」と言っている)。つまりここらへんが、ジョニー・ロットン像の元ネタの一部だった、ということだ。まさに「教養の上に立った」強靭なイメージこそがパンク・ロックを生み出したのだ。
こうした点を把握することが、セックス・ピストルズへの、パンク・ロックへのより深い理解を生むことはもちろん、当時から現在にまで至る「パンクによって変えられた社会」の来し方行く末を、立体的に把握することにも大きく貢献するはずだ。もってポスト・ポストモダン社会のありようをも、謙虚に見つめるための思考装置ともなり得るはずだ。
21世紀とは、20世紀の総括の上にしか、成り立たない。つまり(これも言葉遊びではなく、事実として)パンクをしっかり理解した上での「ポストパンク」以降にしか、ない。たとえばいま現在のストリーミング・サーヴィスほか、ネットを介した文化的商材のやりとりの発想の根本部分には、かつて無数のパンク・ロッカーたちが「それまでの常識」にボコッと穿った空洞が、ちょうど柱穴みたいにして機能しているとも言える(ヒッピー哲学がインターネット発展の基礎となったわけだから、これは当然といえば当然のことなのだが)。
パンクな首相
そしてなによりも、度しがたい怒りにとらわれたとき、髪を逆立て、Tシャツとジーンズを引き裂いて、中指を立てて異議の叫び声を上げたくなったとき(あるいは、気持ちだけでも、そうなったとき)――あなたが無意識に模倣しようとした「その類型」の原点を、真の意味を知っておくことは、決して無駄な行為とはならない。それどころか、有形無形の、大きな助けとなるはずだ。もしかしたら、人生の土壇場においてすら。
真なるパンクとは、どこまで行っても「反逆者」の意味をともなうもの、だからだ。他者を「上から踏み潰す」側ではなく、踏まれる側につねにあって、てやんでえと「あらがう」ときの流儀であること――この点にかんしては古今東西、地球上のどこに行っても変わることはない。だからパンクな庶民ならいくらでもいるが、パンクな王様は(もしいるとしたら)語義矛盾でしかない。
パンクな首相なら、いた。2021年12月に退任したドイツ首相のアンゲラ・メルケルだ。16年にわたる首相職の締めくくりとして、退任式典で彼女が選んだ曲は、ニナ・ハーゲンの74年のナンバー「Du hast den Farbfilm vergessen(邦題「カラーフィルムを忘れたのね」)」だったことが、話題となった。かつてメルケルが共産圏だった東ドイツ在住の青春時代に親しんだのが、この曲だったという。強制収容所で没したユダヤ人祖父の血を引くハーゲンも同じ東独出身で、76年に西側に脱出し、パンク・シンガーとして国際的に名を成した。音楽性的にはニューウェイヴのほうが近いと僕は思うが、アーティストとしての姿勢は、間違いなくパンクだ。東独出身のメルケルが、ハーゲンの息吹を吸って、のちに統一ドイツを率いる名宰相となった――という文脈もまた、「踏まれても、あらがう」パンク精神と一脈通じるものがある、のかもしれない。
かつて世界には、東西冷戦があった。世紀末はまだ先だったのだが、そこまでたどり着けないような切迫した終末感すらあった。公害も、テロも、極右の跋扈も、限定核戦争の恐怖も、不況も、麻薬禍も、地を覆わんばかりに増殖を重ねていく「新しい」資本主義の伸長も、あった。イギリスではマーガレット・サッチャーが、アメリカではロナルド・レーガンが牙と爪を研いでいた――そんな時代相のなかで「だれに求められることもなく」誕生した、ロック史上最強の私生児こそがパンク・ロックだった。ロックンロールの「本義」の一部が、まるで戯画化されたみたいにして結晶した「スタイル」こそがこれだった。
いま一度、あの混沌の時代へと旅をしてみよう。「ノー・フューチャー」と言われてしまったあとの「未来」に住む僕らになら、それができるはずだから。(続く)
【今週の1曲+α】
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