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01_大学改革とはすなわち「市場化」の別名に他ならなかった

 2019年3月。私は10年間勤めた一橋大学を退職し、4月からは専修大学に勤務し始めた。

 2019年9月。私は霞ヶ関の文部科学省の前で叫んでいた。

 それまでの大学入試センター試験に代わって、2021年に実施が予定されている大学入学共通テスト。その中でもとりわけ各種業者試験の導入が検討されていた英語試験に反対するデモに参加して、叫んでいたのである。

 私は社会や政治について考えたり書いたりするのは好きだが、実のところ、デモに参加したりはたまたロビー活動をしたりといったことをフットワーク軽くやるタイプだとはいえない。よほどのこと──たとえば2011年の震災の後の反原発デモなど──があれば別なのだが。つまり、英語試験の業者外注化は、私にとって、「よほどのこと」だったのだ。

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 実際私は、デモの群衆にまぎれて叫ぶにとどまらず、乞われてメガホンを握って演説までした。以下、少々長くなるが、その際の原稿である。しんと静まりかえった(ように見えた)文部科学省の建物に向かって、私は次のようなスピーチを読み上げた。(内容は2019年9月6日時点のもの。)

 専修大学の河野真太郎です。
 私の専門は、イギリス文学・文化で、専門科目も教えますが、大学での英語の授業も担当しています。
 今回の、拙速な大学入試改革は即刻中止すべきです。
 本来であれば、改革の理念までもう一度立ち戻ってだとか、英語試験であれば現在の日本社会で求められている英語能力とはそもそもなんであるのかといった根本的な議論をしたいところです。
 ですが、残念ながら──本当に残念なのですが──今日私が言えることは、現在の業者試験導入という方針は即刻中止し、当面は現行のセンター試験を継続すべきだ、ということです。
 業者試験については、複数の採点システムの間の換算をどのようにするのか、それが英語能力の適切な指標になりうるのか、また公平性や機会の平等は確保されるのか、という問題が、すでに多く指摘されております。
 ですが私は、そういった問題がすべて解決されてもなお、業者に大学入試共通試験を外注することには反対です。たとえ外部委託業者が完全に公平で、平等な機会も確保され、信頼に足る試験を実施できるとしても、反対です。
 それは、大学入試とは公共のものだからです。それは、あえて申しますが、大学入試を受けるわけではないあらゆる人にも共有された、公共のものだからです。それは、言ってみれば水道や道路、電気や郵便のような公共的なインフラとみなされるべきものです。
 ですが、日本はここ30年、そういった公共のものを私企業に売り払い続けてきました。その名前は「民営化」です。民営化という言葉は英語のprivatisationの翻訳語です。ここで私は翻訳にもたずさわる研究者として声を大にしたいのですが、「民営化」はprivatisationの訳としてはひどい誤訳です。privatisationは私営化、もしくは私有化と訳されるべきです。そこに「民」なぞ存在しません。これを民による運営などと訳すのはひどい欺瞞です。そこに「民」はいないのです。
 しかるに日本政府は、80年代の国鉄民営化──いや、私営化──、郵政私営化など、ひたすらに公共事業を私企業に売り払ってきました。
 これは、私企業が運営したほうが、そういった業務がより効率的に行われるからでしょうか。違います。私営化が進められたのは、それまで市場化されていなかった公共的な事業を安く買い叩くことが、低成長にあえぐ企業にとっての活路だったからです。
 今、教育もまた私営化の標的となっています。これは非常に分かりやすい話です。少子化が進む中、教育業界の先細りは明白です。そこで教育業界が考えることはなんでしょうか。他の業種と同じように、国や公が運営している教育にまつわる業務を市場化し、そこからもうけを得ることです。
 私はそれ自体を責めたいとは思いません。私企業としては当然の発想でしょう。私が責めたいのは、国の方です。国は、本来であれば、公共的なものを営利目的に利用しようとする私企業から、それを守る役割を担っています。決して、率先して企業に売り払う役割は担っていません。ですが日本政府が行ってきたことはそれにほかならない。
 今回の業者試験の決定プロセスも、ひどいの一言につきます。この決定プロセスは先 の文科大臣下村博文の下で行われたものです。この下村前大臣 と塾・予備校業界との癒着についてはずいぶん報道がありました。2017年に文科省は「英語力評価及び入学者選抜における英語の資格・検定試験の活用促進 に関する連絡協議会」を設置しました。四技能試験を検討するための協議会です。ところがここには最初から、英検協会やベネッセといった業者が参加していました。これは出来レースですし、いわゆる利益相反でした。
 また、2014年に文科省が設置した「英語教育の在り方に関する有識者会議」には、大学入試へのTOEFLの活用を主張する楽天の三木谷浩史社長が委員として入り、今回の民間試験導入に大きな影響力を持ちました。
 当時、三木谷社長は、これは楽天のビジネスには何の関係もなく、行政との癒着関係はないのだと言っていました。ところがです。楽天は2017年にネット上の英語教材会社ReDucateを買収し、英語教育業に参入したのです。
 このように、国は、大学入試を、教育を私企業に売り払うことに、「改革」という名前をつけているのです。
 さて、私は民間試験がもし公平性や機会の平等を確保できるとしても反対だと述べました。ですが、そもそもそのようなものを民間試験は確保できません。現在、水道の私営化についての議論がなされています。もし水道が私営化されたら真っ先にその影響を受けるのはどのような人たちでしょうか。私企業が、たとえば人口の少ない離島などに、多額の投資をして水道を引くでしょうか?
 同じ事が民間試験についても言えます。すでに、地元では民間試験を受けられない高校生たちが存在することが問題になっています。原理的に、私企業はそのような人たちに公平な機会を与えることを、業務の優先事項に含めることはできません。
 繰り返しますが、現在国は率先して教育を企業に売り払おうとしています。これに「自由化」などという名前をつければ、いかにもよいことのように聞こえるかもしれません。しかし、その手法は官僚主義そのものです。この度の英語業者試験についても、表面上は各大学がその扱いを選択できることになっています。ですが、現在各大学は、どのような選択をすべきなのか戦々恐々としていると思います。なぜなら、文科省の意向に沿わない選択をした場合には、運営費交付金を削減される恐れがあるからです。これは、ここ20年くらい文科省が、大学に言うことを聞かせるために使い続けた手法です。
 私はここで各大学にも訴えたい。運営費交付金で首根っこをつかまれて、教育理念とはまったく関係のない形で改革を受け入れていいのかと。ここ2、30年、大学はそのような形で後退をし続けました。もう、ここらへんで、後退は止めてはどうでしょうか。
 私は、とりわけ現在の高校生に申し訳なく思います。このように、現在の国の教育には、理念など存在しない。あるのは私企業への利益供与という理念だけです。私も高校生の時には必死で受験勉強をしました。その必死の努力が、このようないい加減な決められ方をしてきた試験のための努力なのだと思うと、申し訳なくてしようがないのです。
 繰り返します。現在の改革には「民」はありません。それは私営化privatisationだからです。そして、もっともそこから疎外された「民」は、新制度のもとでの受験を控えているけれども、いまだにそれがどのような制度なのかも分からないでいる、高校二年生です。ですが、最初に述べたように、大学入試試験は教育行政の重要な一部分であり、その教育とは公共のもの、社会のみなが共有するものです。ですから、この問題は全国民にかかわる問題です。
 「民」なき入試改革にnoを突きつけましょう。入試をもう一度「民」のものにしましょう。

 このスピーチをした後、状況は変化した。この後、柴山昌彦の後に文部科学大臣となった萩生田光一が、10月24日に出演したBSフジの番組で、外部試験は住む場所や家庭の経済状況によって不公平なのではないかという質問に対し、「身の丈に合わせて、2回(外部英語試験は、高校3年生の間に2回受けるチャンスがあることになる予定だった)をきちんと選んで勝負してがんばってもらえば」などと発言し(いわゆる「身の丈」発言)、格差を容認するのかという批判を受けて謝罪に追い込まれた。これも原因のひとつとなって(本当の原因はそもそもの制度に不備が多すぎたことだが)、11月1日に萩生田文部科学大臣は、2020年度の英語民間試験の導入を延期することを発表したのだ。

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 そのような状況の変化はあったものの、現在決まっているのは2020年度入試では業者試験を導入しないということだけなので、私のスピーチでの主張はいまだに有効だろう。デモでのスピーチなので煽り気味なのは勘弁いただきたいが、主張は明確である。つまり、英語民間試験の導入、さらには大学入学共通テストを完全に民間試験に移行するというのは、この言葉は使っていないが、新自由主義的な民営化=私営化=市場化の論理であり、それは許容できないということである。

 デモでのスピーチであるがゆえに、このスピーチにはこれ以上に複雑な論点は盛り込めなかった。本連載の出発点として、本稿ではまず冒頭に述べた私の二つの行為、つまり一橋大学を辞めたことと、文科省の前でこのスピーチを読んだことが、より長く広い歴史的状況を介してつながっていることを示したい。

 そこから見えてくるのは、まずはここ30年の大学の変容、とりわけ「教養部」と人文学がこうむった変容である。その意味では本連載はまずは大学論である。しかし、私は大学のことばかりを語っていては、大学とその構成員が直面している問題に本当の意味で対峙はできないと考えている。私は広く人文学、そしてこの社会の中における文化と教養のあり方へと向かっていきたい。現在、私の頭の中には現状に対する解決策や現状からの出口は一切思い浮かんでいない。文章を書き続けることによって、少しでもそういったものに近づければ、と思っている。

私は何者か

 本連載は、著者の経験から出発していく。私は学問にたずさわる人間である。学問にはある程度の、いや場合によっては完全なる客観性が必要だと考えられがちである。「エビデンス・ベースド」などというぎこちないカタカナとともに、学問研究の客観性はこれまで以上に求められる傾向が強まっている。

 だが、人文学は経験を手放したところには成立しない。というより、客観性と、「私」を手放すことは同じではない。レイモンド・ウィリアムズ(この名前は本連載で何度も登場するだろう)が『キーワード辞典』で指摘するように、実験(experiment)と経験(experience)は同じラテン語を語源にしており、実験によって得られる客観性と、個人の主観的なものに結びつけられる経験の対立は偽のものなのだ。ともかくも、私は、あくまで自分の経験を出発点に大学と知をめぐるさまざまな問題を考えていきたい。

 それをするにあたっては、私が何者なのか、最低限の自己紹介は必要だろう。少々おつきあいいただきたい。

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 私、河野真太郎は、現在は専修大学国際コミュニケーション学部教授である。専門はイギリス文学・文化だ。1974年、山口県に、地方公務員の父と専業主婦の母の子として生をうけた。高校までは山口で暮らし、大学(一橋大学法学部)に入学するとともに東京に移住した。法学部に入ったものの、関心はすぐに文学や精神分析に向かった。卒論はイギリスのモダニズム作家ヴァージニア・ウルフを、ジークムント・フロイトやジャック・ラカンといった精神分析の理論とともに読むというものだった。その後、東京大学の大学院に進学し、イギリス文学を学ぶ。ちなみに、この学部時代から大学院時代は1990年代から2000年代にかけてである。この年代は、現在の大学教育を考えるにあたって決定的な転回点にあたるので確認しておく。

 博士課程までを東京大学で過ごし、大学に就職したのは2005年であった。最初に教えたのは京都ノートルダム女子大学人間文化学部。いわゆる「英文科」である。その後、2009年に一橋大学大学院商学研究科に着任。一橋大学で10年間教えた後、2019年に現在の専修大学に籍を移した。

 専門はイギリス文学・文化だと述べたが、最近はもう少し広くものを調べ、書いている。例えば著書『戦う姫、働く少女』(堀之内出版、2017年)では『アナと雪の女王』に始まって、ジブリの作品なども扱いながら、現代の女性の労働とその表象を論じた。その一方でイギリスのウェールズの文学にも関心をもって研究をしており、7月には私の編訳で『暗い世界──ウェールズ短編集』(堀之内出版刊)を刊行予定だ。何が専門なのかと問われると返答に窮することも多い。カルチュラル・スタディーズ(文化研究)という答えが一番近いのかな、と思うことが最近では多いが、プロフィールにその言葉は使っていない。プロフィールに専門を書く際には、「イギリス文学・文化、新自由主義の文化」などとすることが多い。「新自由主義の文化」について、そんな専門分野があるのか、と思われるだろう。これについては本連載の全体にかかわることであり、追って明らかになっていくだろう。

 さて、ほのめかしたように、私が大学に入った1990年代初頭(正確には1993年)に始まり、大学院時代を過ごした90年代終わりから2000年代は、大学に大きな変化がもたらされた時代だった。もちろん、大学は知や学びにまつわる活動の場の一部でしかない。最終的に、人文的な知は大学の外に放たれなければならない。そのことは連載の後半で論じるつもりだ。当面は、私の経験も基礎にしつつ、1990年代以降に何が起きたのかをさらっていきたい。それは、文科省の前で叫ぶ私までまっすぐにつながっている。

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河野、大学辞めたってよ

 私が一橋大学を辞めたこと、そしてそれがかなり広汎な日本社会と大学の変化と関連していることについては、すでに「私が一橋大学の教員を辞めた理由」(『現代ビジネスオンライン』)で書き、この記事はかなりの反響をもって読まれた。また、それに先んじて『大学出版』(No. 106)(「文化の成長と成育」)では、2015年の文部科学省通知に関連して類似した内容を論じた。ここでは、くり返しを恐れずに事情を確認していきたい。

 まずそもそも、これは色々な意味で「言いにくい」ことではあるが、一橋大学「のような」大学を辞めて専修大学「のような」大学に移るというのは、定年直後もしくは直前の教員を除いてはあまりなかった。私は一橋大学の出身であるし、出身大学の教員になるというのは普通は(俗な表現では)「上がり」だと思われるだろう。にもかかわらず、40代半ばの段階で私は移籍した。

 だがおそらく、私のような事例はそれほどまれではなくなっている。私のような事例、というのは、国立大学から私大に移るという事例だ。(断っておくが、移籍してから一年、私は職場としての専修大学に大変に満足している。大学らしさが守られている、とてもよい職場である──勇み足に言うと、改革によって変質した国公立大学と比較して、私立大学の方が良くも悪くも「大学らしい」という事例は多い。)

 ちなみに、私の所属する学部は、私に続いて今年度から新たな教員を多く迎えたが、そのうち日本人教員3名は全員国立大学からの移籍となった。これは、偶然ではあるが、その一方で純然たる偶然とも言い切れない。

 とりわけ私のような教員にとって、現在の国立大学は理想的な居場所ではなくなっている。国立大から私立大学への「流出」は、ひとつのトレンドにさえなっていると言っていい。(このような言い方が、現実に国立大学で頑張っているみなさんの気分を害することは分かっているし、上記の『現代ビジネス』の記事が多く読まれたのは、かなりの部分、そのような反感からだということも分かっている。だが、私には、自分の見立ては真実だとしか思えないので仕方がない。)

 「私のような教員」とは何か。それは「教養教員」である。大学で語学や歴史学、哲学、理科や数学、体育といったいわゆる一般教育科目を受け持っている教員である。

*ここで前もって用語を整理しておく。本稿では一般教育/課程、普通教育/課程、教養教育/課程という言葉が出てくるが、これらは基本的に同じものを意味している。英語で言えばgeneral educationである。ただし、教養教育/課程はliberal arts/educationと訳す可能性もあるし、「教養」という語は広い意味ではcultureと訳すことも可能である。

 私はイギリス文学・文化を専門としながら、一橋大学での所属は大学院商学研究科であった。これを当たり前と考えるか意味が分からないと思うかは、大学組織と教員の事情に通じているかどうかによって変わるだろう。私は、かつて「教養課程」と呼ばれたカテゴリーに所属し、主に大学1・2年生向けに教養科目や共通科目と呼ばれる科目を教える教員である(あった)。具体的には、私の場合は必修の英語や、イギリス文学・文化関連科目、または人文学一般の入門科目を担当した。ところがもう一方では、学部のゼミ、大学院のゼミと講義も担当した。

 私は2009年に一橋大学に着任した。しかしそこで私が浴びせられたメッセージは、「お前は、(本当は)いらない」というものだった。この辺りの事情も上記の記事で述べた通りである。当時、私の着任した商学研究科は、新たな英語教育プログラムを作ろうとしていた。そのためには、そのプログラムを統括する教員の人事が必要ということになっていた。国立大学では(私立でもある程度はそうだが)、教員ポストを勝手に増やすことはできない。基本的には現有のポストでやりくりしなければならない。

 そこで、ある会議でその会議の座長から、私を含む旧教養系の英語教員に対して飛び出した発言が、「今いる人に辞めろとは言えないので」、「○○さん(上記英語教員の一人)はおいくつでしたか、みなさんの前で年齢を聞くのも何ですが、あと○○年くらいですか」というものだったのだ。

 その座長が言いたかったのは、新たな教員を雇うためには、現在私やその他の教養教員が座っている椅子が必要だということである。できれば、辞めていただければうれしい──上記の発言のメタメッセージ(「メタ」とも言えない、直接的なメッセージ)の内容はそういうことだった。

 着任早々にそのような場面に遭遇して、私はこの大学・学部に一体何が起きているのだろうと呆然とした。いや、正確には何が起きているのかはその時点で薄々分かっていたのだが、このように生々しい形で敵意、というのが言い過ぎなら悪意を向けられることは、予想していなかった。

 一体私が直面したのはいかなる局面だったのか。そう、それは、私個人や一橋大学内部のローカルな状況の問題では基本的にはなく、すくなくとも30年間にわたる大学「改革」の一局面として捉えられるべきものだった。

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大綱化=規制緩和の果てに

 キーワードは、私の立場を表現するのに使った「旧教養系」という言葉である。それは、「平成」とほぼ重なる30年間の大学の変化にとってもっとも重要なキーワードのひとつだ。以下、その30年間の、もっとも重要な出来事のみを精選した年表を示す。

1991年 大学設置基準の大綱化
1996年 東京大学教養学部再編・大学院重点化
一橋大学大学院言語社会研究科発足(学部化はされず)
2004年 国立大学の法人化(国立大学法人法)
2013年 教育再生実行会議発足
2015年4月 国立大学法人法改正(「ガバナンス」の強調、教授会の議決権剥奪)
2015年6月 文部科学大臣通知「国立大学法人等の組織及び業務全般の見直しについて」(文系取り潰し?)

 もちろん、大学の制度的な変遷はこの年表のもっと前(例えば、これについては後述するが、戦後に、大学教育を欧州ではなくアメリカにならう形で教養課程=一般教育と専門課程に分割した瞬間)へとさかのぼられるべきではある。だが、ここでは直近の変化を明確に理解するために、1991年の「大学設置基準の大綱化」を出発点としたい。

 大学設置基準とは文部科学省の省令で、その名の通り、大学を設置するにあたっての最低限の基準を定めたものである。国立大学の法的な基盤は、この大学設置基準のほか、現在では学校教育法と国立大学法人法がある。設置基準は、大学の教育研究組織、教員組織と教員の資格、定員、教育課程、卒業要件などを定める。

 ではその「大綱化」とは何か。『大辞林』(第3版)によれば「大綱」とは「①根本的な事柄。おおもと。②だいたいの内容。大要」である。つまり、大学設置基準を大綱化するというのは、それを大まかで基本的なものへと変えることであるらしい。

 しかし、「大綱化」にはもうひとつの重要な意味が隠されており、ここで私が述べようとしていることにとってその意味は決定的に重要だ。それは、大綱化の英語訳が含む意味である。独立行政法人大学評価・学位授与機構(それ自体大綱化の結果創設された組織)の資料『高等教育に関する質保証関係用語集』(第3版、2011年)によれば、「大学設置基準の大綱化」の英語訳はderegulation of University Actである。Deregulationとは、言わずと知れた、新自由主義のキーワードたる「規制緩和」だ。大綱化=規制緩和。1991年の大綱化に始まる大学改革が新自由主義改革であったことをこれ以上に雄弁に物語るものはあるまい。1980年代に始まったとされる新自由主義は、大きな(そして非効率な)政府がさまざまに課してきた規制を緩和することを金科玉条にして現在まで生き延びてきた。

 では、1991年、大学設置基準の大綱化によって緩和された規制とは何か。それは、一般教育(教養教育)と専門教育の区分であった。この区分の由来については後述するが、それまでの大学教育は2年間の一般/教養教育と残る2年間の専門教育で構成されており、これは設置基準で定められたものだった。

 1991年の大綱化は、この区分、そして一般教育の中での科目区分(人文・自然・社会・外国語・保健体育など)をなくした。ただしこれは、こういった区分を「禁止する」ということではなかった。そういった区分とその扱いを、各大学の裁量に任せるということだったのだ。実際、大綱化の背景となる答申を出した大学審議会(1987〜2000年、2001年に中央教育審議会の大学分科会に再編)は、大綱化が引き起こした教養教育の軽視と専門教育の重視を意図はしていなかったといわれる。1998年に大学審議会が出した答申「21世紀の大学像と今後の改革方策について」では、全体としては新自由主義的改革を肯定しながらも、教養教育軽視の風潮に対する警鐘が鳴らされた。

 しかし、ここで起きたことは、日本の新自由主義的な大学改革の性質をみごとに表している。すなわち、改革とはすなわち規制緩和であり、そこで大学は「自由」を与えられたことになっている。ところが、自由を与えられたはずの大学は、それぞれの道を選択するのではなく、実際はあるひとつの方向に雪崩を打って進んでいくのである。

 これは日本型新自由主義の不思議な側面だと言っていいだろう。新自由主義というのは、それまで政府などの公共セクターが(「非効率」に)行っていたことを、市場原理で、自由競争を促して効率化させる目的を持っていたはずだった。ところが、規制緩和になって「自由」になったはずの大学が、一斉に「同じこと」をし始める。競争の基本は、競争で勝つための基本は、他とは違う何かをすること(差別化)であるはずなのに。

 それはともかく、大綱化を受けて各大学は一斉に教養課程を廃止した。そしてそれと同時に進み始めた「大学院拡充」の政策にも対応して、各大学は学部専門教育と大学院教育を軸とする教学制度を作りあげた。一橋大学の場合は、私が学んだ1990年代中葉には、国立市のメイン・キャンパス以外に、小平キャンパスが存在し、教養課程の2年間はそこで学んだのだが、小平は廃止されて国立キャンパスに統合された。それは単にキャンパスの物理的な統合だけではなく、教養課程と専門課程の統合、いや、教養課程の廃止そのものを意味していたのだ。

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市場化は続くよどこまでも

 とはいえ、教養課程は、「はいやめました」といって一夜で抹消できるようなものではない。教養教育の必要性いかんに関係なく、すでに大学で教えている教養課程の専任教員は存在するのであり、それを解雇するわけにはいかない。また、基礎的な語学や(これについては守秘義務があるのであまり大きな声で言えないのだが)入試関連の業務など、教養教員が実質的に果たしている機能はあるのだ。

 そこで、基本的に各大学が行った方策は、教養部に所属する教員を各学部に貼り付けるというものだった。これには例外が存在する。東京大学がその例外で、教養部=駒場は学部化し、さらにその上に大学院が設置された。(その経緯のドキュメントとしては、タイトルが内容を裏切っているが、中井浩一『「勝ち組」大学ランキング──どうなる東大独り勝ち』(中公新書ラクレ、2002年)を参照。)

 一橋大学は、東大モデルを踏襲する手前まで行ったらしい。現在存在する独立の大学院である言語社会研究科は人文系・教養系の教員で構成される大学院だが、当然のことながら、東大と同様にその下に学部を設置して教養系教員がそこに所属するという計画が検討されたようだ。しかし(詳しい経緯は知らないが)その計画は頓挫し、一部の教員は大学院の言語社会研究科へ、残る教員は各学部(正確には大学院研究科)に所属することになった。だが、上記の通り、教養課程の仕事自体は残っている。そこで非常に曖昧な二枚舌的な制度が出来上がった。旧教養系の教員は各学部に所属し、形式的には大学院の講義なども担当しつつ、英語教員なら英語教員で、教授会とは別に集まってその業務を行ったのである。一橋大学の場合、その英語の業務を行う通称英語科は、正式な委員会でさえない、いわば任意団体であった。私が着任した時点で、旧教養課程の必修英語科目などに関わる、またその他の大学運営にとって根幹にかかわるような業務を、任意団体が自主的に──もしくは勝手に──行っているという異様な光景が広がっていた。

 私の着任以降に起こり、今もおそらく起こっていることは、この矛盾に満ちた組織の矛盾を解消することだったとも言える。つまり、教養課程を名実ともに消滅させることだ。私(たち)に向けられた、できれば辞めてほしいのだがというメタメッセージも、そこから生じたものだと理解できる。

 読者によっては、それの何が問題なのか、と考える人もいるかもしれない。大学は専門課程だけで十分ではないか、と。旧来的な教養課程で教えていたことは、いずれにせよ「役に立たない」ものだったのであり、なくなって大いに結構ではないか、と。

 実は、意志の弱い私は、時々そのような意見は正しいのかもしれないと考えてしまうこともある。私たちが行っている人文学は、つねにみずからが不要である、もしくはさらには社会に害をなす存在である可能性も常に検討しなければならないのではないかと。そのような反省性は、人文学こそが持ちうるのではないか? このような疑念は、私がこの文章を書いている動機の一部である。人文学はそもそも生き残るべきなのか、そうだとしたらどのような形で? という疑問を、できるだけ人文学の価値を自明視することなく、検討したいのである。

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 しかし、ここまで述べたような大綱化以降の力学を見ると、人文学や教養の社会的意味や機能とは別の水準の力学で物事が変化していることが見てとれる。

 その力学を一言で言えば、やはりそれは市場化への圧力であり、新自由主義である。先に示した年表の、2000年代以降の項目(2004年の国立大学法人化そして2015年の国立大学法人法改正と同年の文部科学大臣通知)は、大綱化と新自由主義という背景を共有しつつまっすぐにつながっている。ここではそれぞれ法改正の大まかな意味だけ確認しておく。法人化については多言を要しまい。山口裕之(『「大学改革」という病』明石書店、2017年)が端的に述べるように、国立大学を国から独立(まやかしの独立だが)したものとして独自の経営を求め、そのために学長選考のプロセスをめぐる大学の自治権を削減した法人化は、「財界的発想による「ガバナンス」や「競争主義」を大学経営に持ちこませること」であった(13頁)。2015年 の改正国立大学法人法はその路線をさらに押し進めるものであったと言ってよい。この法改正でもっとも重要だったのは、教授会から議決権が奪われたことである。実際、この法改正の後、国立大学の規程はすべて書き換えられ、教授会の権限を規定する条文から「議決する」の文言がすべて削除された。教授会が議決しないで何をするのか、と思われるだろうか。教授会は、基本的には決定事項の報告会であり、議決することなく、上から降りてきた議題に参考意見を述べるだけの場になってしまったのである。それと、同年の文部科学大臣通知「国立大学法人等の組織及び業務全般の見直しについて」は、セットになっていると私は考えている。この通知は「教員養成系や人文社会科学系学部・大学院〔を〕、組織の廃止や社会的要請の高い分野に転換する」ことを求めて大きな衝撃をもたらした。この通知は実質的に、国立大学における「文系お取り潰し」の宣言として読むことができる。それを押し進めるために、新たな国立大学法人法によるガバナンス強化(とはつまり、上意下達の権力の強化にほかならない)が効果を発揮するわけである。というより、ガバナンス強化と通知に従った文系取り潰しを進める大学こそが、文科省が思い描く改革と競争を正しく進める大学として評価され、運営費交付金やその他の競争的資金において優遇されていく。

 ここ30年間の大学改革がすなわち新自由主義改革であったということは、なんら新たな主張ではない。一連の「改革」を新自由主義の文脈で論じる本には、室井尚『文系学部解体』(KADOKAWA、2015年)、光本滋『危機に立つ国立大学』(クロスカルチャー出版、2015年)、吉見俊哉『「文系学部廃止」の衝撃』(集英社、2016年)、大内裕和『教育・権力・社会』(青土社、2020年)など、枚挙にいとまがない。

 ここでは、新たな主張をしているわけではないと断りつつ、新自由主義的な大学の「市場化」には二つの意味があることを確認して、議論の基礎としたい。大学の市場化にはつぎの二つの意味がある。

①大学を市場のように(一般企業のように)「経営」すること。
②大学の業務への「民間」の参入を促すこと。

 大学の市場化は、多くの場合この二つを同時に進めることで行われている。①の意味においては、個々の大学の内部において、大学同士の競争を意識した「経営」の論理が導入される。ただし、この「経営」が「経営ごっこ」でしかなかったことを喝破したのは、一橋大学で私の同僚であった佐藤郁哉(『大学改革の迷走』筑摩書房、2019年)だった。あとがきによれば氏はこの本を6年かけて書いているので、私が経験した一橋大学を別の立場から見つめた本であり、まずは感慨深い。それはともかく、「経営ごっこ」の事例としては、大学教育の「質保証」のために導入され、お経のように唱えられた(今も唱えられている)「PDCAサイクル」がその代表であろう。PDCAサイクルとは製品の品質管理のための経営学用語で、米国の統計学者エドワード(本当はエドワーズ)・デミングの概念とされるが、実はなんということはない和製英語であり(Plan, Do, Check, Actionで、なぜか最後だけ名詞になっている)、日本独特の「経営」用語であることを佐藤は明らかにする。PDCAは要するに計画をし、実行し、反省して次の計画に活かすというごく当たり前のことを言っているはずなのが、大学改革においては次々に新たな計画が打ち上げられ続けて、反省が活かされることはないと佐藤は喝破する。

 このように、実際上はおそまつそのものではあるのだが、大学同士を競争させ、そのために大学を「経営」させるという理念は90年代以降の大学の市場化のひとつの大きな柱であった。

 佐藤が論じていないのが、②の意味での市場化である。大学の業務に民間を参入させること。これは言い換えれば、これまで公共セクターで行っていた大学教育を民間セクターに「売り払う」ということだ。

 さて、ここまで来れば、最初に長々と引用した私のスピーチへと、この物語が接続することに気づいていただけるだろう。私に文科省前のデモへと足を運ばせた、現在の入試改革問題。これはここまで述べた30年間にわたる「大学改革」の果てに存在するのだ。それは大学入学試験を民間企業に「売り払う」ことを目的とする。その意味でそれは新自由主義的な「改革」の切り離せない一部ではある。しかしさらに、教養課程や一般教育の問題と、入試問題は別の、より実質的な意味でつながっている。それを解きほぐしていこう。

つづく


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◉著者プロフィール
河野真太郎/こうのしんたろう 1974年、山口県生まれ。専門は英文学、イギリスの文化と社会。専修大学国際コミュニケーション学部教授。一橋大学法学部卒ののち、東京大学大学院人文社会系研究科欧米系文化研究専攻博士課程単位取得満期退学。一橋大学准教授などを経て現職。著書に『戦う姫、働く少女』(POSSE叢書)、『〈田舎と都会〉の系譜学——20世紀イギリスと「文化」の地図』(ミネルヴァ書房)。7月刊予定で翻訳書『暗い世界──ウェールズ短編集』(堀之内出版)。
Twitter : @shintak400

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