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世界最大のツイッター炎上事件―ネットリンチで人生を破壊された人たち②

昨今、SNS上での個人攻撃――いわゆる「ネットリンチ」が過激化し、痛ましい事件も起きてしまいました。このような現象を防ぐことはできないのか? かつて起きた、世界最大のツイッター炎上事件――ネットリンチ事件を基に考察してみたいと思います。第2回は、ネットリンチに関連すると思われる「群衆心理」を取り上げます。群衆心理という概念を最初に提示したギュスターヴ・ル・ボン、それを実験で証明したとされるフィリップ・ジンバルドーについて、著者は掘り下げていきますが、そこには意外な結末が待ち受けていました。出典は『ルポ ネットリンチで人生を壊された人たち』(ジョン・ロンソン著、夏目大訳、光文社新書、2017年)です。

(第1回はこちら)

原因は群衆心理にあるのか?

ル・ボンの群衆心理の概念

ソーシャル・メディアで、何か言動に問題のあった特定の個人を大勢の人が晒し者にし、吊るし上げる、という事例が最近、増えている。これは果たして「集団発狂」という言葉で説明のできるものだろうか。大勢の人間が一斉に同様の行動を取ることで恐ろしい結果を招いた時、社会科学者たちは「集団発狂」という表現を使いがちだ。

たとえば、二〇一一年八月に起きたイギリス暴動などがそうだ。

発端は、ロンドンのトッテナムで、マーク・ダガンという黒人男性が警察官に射殺されたことだ。その後に抗議のデモが起き、やがて暴動、略奪へと発展してそれが五日間続いた。

暴徒は、私の家から二キロメートルも離れていないカムデンタウンにいて、ケバブの店や、スポーツジム、家電量販店、携帯電話店などを破壊した。その後、彼らはケンティッシュ・タウンへと移動した。私の家からは丘を下ってすぐのところで、距離は一キロメートルも離れていない。私たちは慌てて家のドアに鍵をかけ、恐怖に震えながらテレビのニュースに見入っていた。

世界保健機関(WHO)のゲイリー・スラトキン医師は、この状況を「群衆が汚染された」と表現した。その言葉は、オブザーバー紙に載ることになった。「人間が集まり、群衆となった時、その心はウイルスに汚染されたようになり、大勢が一斉に暴力へと駆り立てられる」というのだ。ゾンビ映画のようでもある。

ガーディアン紙では、ボストン、ノースイースタン大学の社会学、犯罪学の教授、ジャック・レビンが、この暴動を、競技場やコンサート会場などで起きる「ウェーブ」と同じようなものと見ていた。暴力を伴う点が特殊なだけで、本質はあまり変わらないという。一つの場に大勢の人間がいると、感情が人から人へと伝染する。あらゆる暴動の背後には、必ず、そういう感情の伝染がある。だから、一人でいる時には夢にも思わないような暴力を、集団だと振るってしまうことがあるのだ。

幸い、暴動は、私の家がある丘の麓まで迫った夜から収束へと向かっていった。今、思い返すと、どうもあの暴動は、「ウェーブ」とは種類の違うもののように感じられる。もし、恐ろしいウイルスに感染したかのように、人々が本当に正気を失っていたのであれば、暴動があれほど早く収束することはなく、丘の上の私たちの家の方にまで達していたはずである。

私たちの住む、ハイゲート・ウェスト・ヒルという丘は、急勾配の丘だ。ロンドンでも特に険しい丘の一つだ。おそらく、急な坂を上るのが面倒になって、暴徒は動きを止めたのだと思う。正気を失っているにしてはあまりにも、まともな反応ではないだろうか。

「集団発狂」という概念は、一九世紀に生まれた。考えたのは、ギュスターヴ・ル・ボンというフランスの心理学者である。群衆の中にいると、人間は時に自分自身の行動をまったく制御できない状態に陥ることがある、とル・ボンは考えた。つまり、個人の自由意志というものが、群衆の中では消滅することがあり得ると考えたわけだ。自由意志は伝染性の狂気に圧倒されてしまう。そうなると、自制というものがきかなくなる。自分で自分の行動を止めることができない。

この考えからすれば、ツイッターで、ジャスティン・サッコ(「世界最大のツイッター炎上事件」参照)が一斉に攻撃された時も、攻撃していた人々が群衆心理に駆られ、自らを制御できない状態にあったということになる。

ギュスターヴ・ル・ボンという人物については、実はあまり詳しいことはわかっていない。有名な学説の父祖がそうであるように、彼自身について書かれた文献というのがほとんど残っていないからだ。わずかな情報を頼りに彼の人生について探ろうとしたのは、ボブ・ナイただ一人だ。ナイは、オレゴン州立大学のヨーロッパ文化史の教授だ。

「ル・ボンは、フランス西部の田舎町の出身です」ナイは電話で私にそう話した。「しかし、彼はパリの医科大学への進学を望んでいました」

それは一八五三年、ル・ボンが一二歳の時のことだ。ナポレオン三世はこの年、セーヌ県知事だったジョルジュ=ウジェーヌ・オスマンに、パリ市街を改造する権限を与えた。

まず、中世の曲がりくねった狭い街路を廃し、長く広く直線的な大通りを作る。それは、歴史的に群衆というものの怖さを思い知らされ、群衆を嫌ったフランスという国ならではの動きだったと言える。直線的な広い通りが多ければ、群衆の制御はしやすくなるからだ。

しかし、この対策は功を奏さなかった。一八七一年には、パリの民衆が自分たちの置かれた境遇を不服として蜂起したからだ。民衆は地方官僚や警察官を人質に取る。そして、略式の裁判にかけただけで処刑してしまった。政権関係者は、ヴェルサイユへと逃亡した。

ル・ボンはパリの支配階層を崇拝していた(支配階層の側は、彼にはまったく関心を持っていなかったし、存在すら知らなかった。当時、ル・ボンは救急馬車の御者をして生計を立てていた)。だから、蜂起した民衆が新たに打ち立てた政府(パリ・コミューン)がわずか二ヶ月後にヴェルサイユ軍の攻撃によって打倒された時には、大いに安堵した。この時、民衆の側には二万五〇〇〇人もの死者が出ている。

パリでの民衆の蜂起は、ル・ボンにとって大きな衝撃だった。まだその余波が残る中、彼は知的な探求を始める。民衆の革命運動は一種の狂気なのではないかと考え、それを科学的に証明しようとしたのである。仮に狂気だと証明できれば、それを制御する方法を見つけ出せば、支配階層にとって利益になるだろうと考えた。その方法を支配層に教えれば喜ばれ、自分も彼らの仲間に入れるかもしれない、とも思った。

ル・ボンは手始めに、パリ人類学会が大量に保存していた人間の頭蓋骨について何年もかけて詳しい調査をした。それにより、貴族や資本家の脳が、その他の一般の民衆に比べて大きいということを証明しようとしたのだ。脳が大きく賢いため、一般の民衆のように集団ヒステリーに陥ることはないと主張しようとした。

「彼は、頭蓋骨の中にバックショット(散弾銃用の丸い弾)を詰め込みました」ボブ・ナイは私にそう説明してくれた。「中にいくつバックショットを詰め込むことができたかを数え、脳の容積を推測したのです」

ル・ボンは合計で二八七の頭蓋骨について同じ調査をし、その結果を一八七九年に「脳容積と知性の関係、その法則についての解剖学的、数学的研究(Anatomical & Mathematical Researches into the Laws of the Variations of Brain Volume & Their Relation to Intelligence)」という論文にまとめて発表している。

「黒人の脳は自分たち白人より大きいのではないか」と心配している人に対してル・ボンは、「彼らの脳は私たちのものに比べて小さく軽い」と言って安心させている。また、女性の脳が男性に比べて軽いことにも触れた。

「パリにも、脳がとても小さい女性がいた。男性で最も脳が大きい人より、むしろゴリラの方に近いと言っても間違いではないだろう。これだけの大きさの違いを見れば、黒人や女性の知力が劣っているということはすぐにわかる。あとは、どの程度、劣っているのか、ということだけが問題となる。今日、女性、そして、詩人や小説家の知性について研究した心理学者はすべて認めていることだが、いずれも人類の中でも進化的に劣った存在である。教養ある大人の男性からはほど遠く、どちらかと言えば、子供や、未開人に近い。不安定で移り気で、思考や論理というものが欠如しており、理性的に物事を判断する能力がないのだ」

もちろん、非常に優れた女性が存在することはル・ボンも認めたが、それは稀に生まれる「怪物」にすぎず、まったく無視しても構わないという。

ル・ボンは、フェミニズム運動が活発になってはいけない理由をこのように説明した。

「女性に男性と同じ教育、同じ目標を与えると、とてつもなく危険な人間を生み出す恐れがある。今日、女性に与えられている劣った仕事は、自然が彼女たちに与えたものだ。そこを誤解してはいけない。もし女性が家を出て、我々男の闘いに参加するようになれば、その時から社会革命が始まってしまう。家族の聖なる絆を維持しているものはすべて消え去ってしまうだろう」

「私はル・ボンの伝記を書きましたが」ナイは私に話した。「彼は最低な人間ですね。あれほど酷い人間は珍しいというくらいに」

ル・ボンの一八七九年の論文は悲惨な結果をもたらした。彼は論文によって自分の地位を高めるどころか、自分を貶めることになった。パリ人類学会の主要な会員たちは、論文を歓迎せず、嘲笑した。科学的とはとても呼べないような拙い手法で女性を不当に低く評価した点を問題視する人が多かった。

「ル・ボンにとって女性は、憎むべき存在であり、彼女たちを家庭の外に出すと、きっと恐ろしい状況、悲惨な状況を招くと信じていたようだ」パリ人類学会の事務局長、シャルル・レトゥルノーは、ある演説の中でそう発言した。「普通の人間であれば、そういう問題には簡単に結論は出さず、もっと慎重に考えるはずだ」

非難の声に傷ついたル・ボンはパリを離れ、アラビアへと向かう。彼はフランス公共教育省に対し、旅費の出資を求めた。アラビア人の民族的性質の研究をするので、その費用を出して欲しいと訴えたのだ。その研究は、フランスがアラビアを植民地支配する上で必ず役に立つので援助してくれというわけである。要請は拒否されたので、彼は自費で行くことになる。

次の一〇年間にル・ボンは、何冊かの本を書き、自費出版した。アラビア人、犯罪者、多文化主義の擁護者などがいかに神経学的に見て劣っているか、ということを書いた本だ。ただし、彼の研究は、以前に比べて洗練されたものになっていた。

ボブ・ナイは、そのことについて、ル・ボンの伝記『群衆心理学の始祖』の中で、慎重に言葉を選びながら書いている。

まず言えるのは、彼が何事に関しても簡潔な書き方をするようになったことだという。何を書く時でも、根拠や出典は一切示さず、注釈をつけることもなかった。また、素っ気ないほどに直截的な物言いを心がけた。つまり、以前とは違い、「頭蓋骨にバックショットを詰め込んで確認した」などの記述はなくなったということだ。自分の主張を裏づける証拠を集めることはやめてしまった。証拠も示さず、ただ自分の考えていることを言い切るだけだ。

そうした本のうちの一冊、一八九五年に出版された『群衆心理(The Crowd 桜井成夫訳、講談社、一九九三年刊)』によって、ル・ボンはついに広く名前を知られるようになる。

本の冒頭で、ル・ボンは「自分は主流の科学界に属する人間ではない」ということを誇らしげに宣言している。「主流の科学界に属し、いずれかの学派に入れば、必ずその学派の偏見を受け入れることになる」と彼は書いた。そして、その後、約三〇〇ページにわたり、群衆が正気を失いがちになる理由を詳しく説明した。

「その人がただ、群衆の中にいるというだけで、たとえその群衆が秩序立ったものであっても、文明のはしごを何段も下へ降りてしまったと言っていい。同じ人が群衆の中におらず、孤立した存在である時には、洗練された教養ある人かもしれない。ところが、群衆の中では野蛮人となる――本能のままに行動する生き物と化すのである……そして、群衆の中では、あらゆる感情や行動が人から人へと伝染していく」

群衆の中にいる人間がいかに思慮に欠けるかを、ル・ボンは様々な比喩を使って表現している。

群衆の中では、人間の一人ひとりが病原菌のようになると彼は言う。全員が病原菌になり、周囲の全員に感染するのだ。あるいは、一人ひとりの人間が砂粒になる、という言い方もしている。砂粒の集まりが群衆であり、ほんの少し風を起こすだけで自在に操ることができるという。

人間は群衆になると、理性を失って衝動的になり、些細なことで激しやすくなる。それは人間よりも進化的に劣った生物に見られる特徴だとル・ボンは考えた。また、人間の中では、女性、野蛮人、子供の特徴だと考えたのだ。

ル・ボンが、「衝動的」というのを、女性や未開人、子供などに共通する特徴だと主張したのは不思議なことではない。彼は常日頃から繰り返しそういうことを書き、語っていたからだ。

『群衆心理』に対しては、当然、反論する声も聞かれたが、一方で支持者も多かった。ジョナ・レーラー(編集部注:著書の中でボブ・ディランの発言を捏造したことが発覚し、大スキャンダルとなったベストセラー作家。本書の別の章で取り上げている)と同じく、ポピュラーサイエンスの本が人気を得るのには、読み手が自己を改善できるようなメッセージが必要であるということをル・ボンは知っていたのである。

また、彼の本のメッセージは、特に体制側の白人男性の読者にとって重要だった。共産主義や女性解放主義といった革命運動に道徳的な存在意義があるか、という問いに対する答えを提示している。ル・ボンの答えは、「存在意義はない」というものだ。どちらの運動も単なる狂気であり、まったく気に留めることなく無視して構わないと言い切ったのである。

そして彼はもう一つ「賢明な演説者であれば、群衆を洗脳し、服従させることは可能」というメッセージも発した。洗脳のための方法さえ知っていれば、十分にそれは可能だと言ったのだ。ル・ボンは、具体的な方法を書いている。

「群衆を動かすには、感情を煽るしかない。物事を誇張して話す。言い切る。そして繰り返して言う。決して、自分の言っていることの正しさを論理的に証明するようなことをしてはいけない」

『群衆心理』は出版されるや、大変な売れ行きを示し、二六ヶ国語に翻訳もされた。この本の成功により、ル・ボンは望みどおり、パリの支配階層の一員になることができた。彼はすぐにその地位を利用して、奇妙な行動を取り始めた。政治家や著名人などを招いて「ギュスターヴ・ル・ボンの昼食」と名づけた昼食会を開いたのは、その一例だろう。

ル・ボンは昼食会で常にテーブルの上座に座り、脇には鈴を置いていた。客の中の誰かの発言に賛同できないと、彼は即座に鈴を鳴らす。客が話すのをやめるまで容赦なく鳴らし続ける。

世界各国の有名人の中に、自らル・ボンのファンであると名乗る者が何人も現れた。たとえばムッソリーニはこんなふうに言っている。

「私はギュスターヴ・ル・ボンの著作をすべて読んだ。中でも『群衆心理』は何度読み返したかわからない。私が今でも何かにつけ、読み返して参考にしている優れた本である」

ゲッベルスも「フランスのル・ボンほど、群衆の心理について深く理解した人間はいない」と言っていたという。ゲッベルスの側近だったルドルフ・セムラーの戦争中の日記に、そのことが書かれている。

とはいえ、ル・ボンの著作は、しばらく後には影響力を失ったのではないか、と思う人も多いだろう。だが実はそんなことはなかった。いまだに彼の著作は影響力を失っていない。その背景には、人間の持つ否定しがたい性質があると私は思う。自分は正しく、自分以外の他人は狂っていると言いたがる性質である。誰にも、心のどこかにそういう気持ちがある。

また、ル・ボンの著作の寿命が延びた理由はもう一つあると考えられる。有名な心理学実験だ。その実験は、一九七一年、スタンフォード大学の地下室で、心理学者フィリップ・ジンバルドーによって行なわれた。

ジンバルドーの心理学実験

ジンバルドーはニューヨーク市の労働者階級の出身だ。シチリア移民の子孫である。一九五四年にニューヨーク市立大学ブルックリン校を卒業した後は、イェール大学やニューヨーク大学、コロンビア大学、そして一九七一年からはスタンフォード大学で心理学を教える。

ジンバルドーは、群衆論、またその頃から知られるようになった「没個性化」という作用に特に強い関心を寄せた。一九六九年には、それに関連する散文詩のようなものを書いているくらいだ。

「永遠に変わることのない生命の力、自然の循環、血縁、部族的、女性的原理、不合理、衝動的、匿名の合唱、復讐心と怒り」

現在、ジンバルドーはスタンフォード大学で、アメリカ海軍海事技術本部から資金を得て、群衆心理についての理解を一気に深めるような研究に取り組んでいる。

一九七一年、彼がスタンフォード大学に来てまずしたのは、地元紙に小さな広告を出すことだった。

「心理学実験の被験者となる男子大学生募集。刑務所内での生活を体験。期間は一、二週間で報酬は一日一五ドル。八月一四日から」

応募者の中から二四名の被験者を選び、心理学部の窓のない地下を改装して模擬刑務所とした。複数の「囚人」の入る監房も、一人だけで入る独房もあり、看守用の部屋も用意された。

ジンバルドーは、被験者をグループに分けた。九人を囚人役、九人を看守役、残り六人はどちらにもせず、ただ待機させた。看守役には警棒を与え、他人から目が見られないミラーサングラスをかけさせた。ジンバルドー自身は、刑務所の最高責任者である所長ということにした。「囚人」たちは、着ていた服を脱がされ、作業服に着替えさせられた。足には鎖がつけられた。囚人たちが監房に入ったところで実験開始となった。

この実験は、予定より早く、六日間で中止となった。ジンバルドー自身が後に連邦議会の公聴会で話したことによれば、それは被験者たちが急速に暴力的になり、制御が不可能になったからだという。当時、ジンバルドーの婚約者だった(現在は妻)クリスティーナ・マスラックは、実験中に現場に行ったが、その異常な状況を見て恐怖を覚えたと言っている。

まず「看守」たちの態度が大きく、始終うろつき回って、囚人たちに威張り散らしている。囚人たちに向かって大声で暴言を吐くことも度々だ。房の中に横たわった囚人も負けじと叫んでいる。

「うるせえ、ここに火つけて燃やすぞ! 全部めちゃくちゃに壊すぞ!」

マスラックは怒り、婚約者に抗議をした。

「あなた、自分がこの子たちに何をしているかわかってるの? 今のあなたは私の知っている人じゃない。この場の持つ力が、私がよく知っているはずのあなたを、見知らぬ誰かに変えてしまった」

ジンバルドーはその言葉を聞いて、平手打ちを受けたように感じ、目が覚めた。彼女の言うとおりだった。実験はいつの間にか邪悪なものへと変貌してしまっていた。

「中止しなくてはいけないね」彼はマスラックに言った。

「私たちの目にした光景は恐ろしいものでした」ジンバルドーは、実験の二ヶ月後、連邦議会の公聴会でそう話した。

「一週間もしないうちに、人間の日常の価値観は棚上げになり、個々の人間の根底にある、病的な部分が表面に出て来るようになった。何より恐ろしかったのは、少年たちが、日頃は自分たちと同じような存在であるはずの相手を、軽蔑してもいい者として扱い始めたということ、そして、残酷な振る舞いに喜びを感じるようになったということだ」

ジンバルドーは、密かに実験の模様を映像に撮っており、その一部を選んで公開した。その映像には、看守役が囚人役に向かって叫んでいる場面がある。

「床に寝ろよ、今すぐ寝ろって言ってんだよ!」
「何笑ってんだ、(囚人番号)二〇九三番、すぐ床に腹ばいになって腕立て一〇回だ」
「お前はフランケンシュタイン、それでお前はフランケンシュタイン夫人だ。フランケンシュタインみたいに歩いてみろよ。それでこいつに抱きついて、愛してるって言え」

そんな具合だ。

社会心理学者の中には、現在でも、ル・ボンの群衆心理に関する理論の正しさは、この実験によって裏づけられたと見る人が多い。普段は善良な人たちであっても、集団になると、悪い感情が人から人へと伝染することで邪悪に変わってしまうことがあり得るということだ。

ジンバルドーは二〇〇二年にBBCでこのように発言している。

「善良な人々を実際に集団で邪悪な環境に置いてみれば、間違いなくまた同じことが起きるはずです」

しかし、ジンバルドーが密かに撮影していた映像を見てみると、確かに被験者たちの態度は悪いが、どこか大げさで演技のようにも感じられる。

また、被験者たちが十分に睡眠を取れていたのかも気になる。睡眠不足が人間の精神にどれほどの悪影響を与えるか、私は身をもって知っているからだ(子供を育てた人ならば共感してくれるだろう。私も赤ん坊の夜泣きと歯ぎしりには随分苦しめられた)。

窓のない部屋に長時間閉じ込められることが精神衛生上良くないというのも、誰にもわかることだ(私は以前、地中海を航行するクルーズ船「ウエステルダム」の内側船室で一週間過ごしたことがある。深く考えもせずに内側船室を取ったのだ。そうしたければいつでも自由にカフェやラウンジに行くことができたので大丈夫だったが、もしそれができず、一週間閉じ込められていたとしたら、きっと辛くて何度も大声で叫んでいただろう。「こんなところにいられるか、早く外に出せ!」と)。

私も被験者と同様の最悪の環境に置かれたら、同じように邪悪な行動に出てしまうかもしれない。あの時、模擬刑務所では実際にどのようなことが起こっていたのだろうか。

実験の真相

一九七一年の実験で「看守」役となったうちの一人、ジョン・マークは現在、健康保険会社、カイザーパーマネンテでメディカル・コーダーとして働いている。他の被験者についても、後にどうなったかがわかればいいのだが、追跡調査はそう簡単ではない。ジンバルドーは全員の名前を公表したわけではない。ただ、ジョン・マークは、スタンフォードの校友会雑誌で、実験についての思い出を書いた手紙を公表していた。私が彼を発見できたのはそのおかげである。

「ご自身が有名な『スタンフォード監獄実験』で看守役をしていたと明かした時の、周囲の反応はどうだったんですか」私は電話で彼にそう尋ねた。

「皆、私も酷い行動を取ったと思ったようです」マークはため息をつきながらそう答えた。「そういう話はずっと色々なところで聞いていました。たとえば、テレビで誰かが残虐行為についての話をしていたとします。すると誰かがすぐ、『スタンフォード監獄実験』でも実証されているとおり……と言い始める、という具合です。娘の高校でも授業で取りあげられたりしています。あれには困惑しました」

「どうしてですか」私は尋ねた。

「伝えられていることには嘘が多いからです」彼はそう答えた。
「看守役をしていた時は、毎日、退屈でした。ただ、何もせず、座ってぼんやりしているだけでした。看守は昼夜の交替制で、私は昼の担当です。朝、囚人たちを起こし、食事を運びます。することと言えばそのくらいで、大半の時間はただ、ぶらぶら意味もなく歩き回るだけです」マークはそこでいったん言葉を切った。「仮にジンバルドーの結論が正しいとしても、看守役をした人間すべてに同じことが言えるわけではないと思いますよ」

ジョン・マークは、ジンバルドーが実験の映像をいつか全編公開することを望んでいる。ただ、今、公開されている映像だけでもわかることはある。よく見れば、正気を失っている看守として映し出されているのはデイブ・エシャルマン一人だ。

「デイブ・エシャルマンですか」私は言った。
 
確かに彼の言うとおりだ。映像にまともに出てくるのは、ほぼ一人の男性だけと言ってもいいくらいだ。それがデイブ・エシャルマンだった。「床に寝ろ!」「お前はフランケンシュタインだ」などと叫んでいるのは、彼一人である。

何人かの社会科学者が、映像の中のデイブ・エシャルマンの言動を細かく分析して論文を書いている。たとえば、彼の態度が乱暴になるほど、言葉にアメリカ南部のアクセントが強くなる、といったことが報告された。ある論文には、彼が完全に狂気に駆られている時には、おそらく本人も意識しないうちにルイジアナ出身者らしき言葉になっていると書かれていた。その意見は正しいようにも思える。

現在、デイブ・エシャルマンは、カリフォルニア州サラトガで住宅ローン会社を経営している。私は彼に電話をかけた。

「あなたは、すべての人間の中に眠っているという邪悪な心の存在を自らの言動で証明してみせた、と言われています。それについてどう感じていますか」ときいてみたのだ。

「私に言えるのは、自分は素晴らしい芝居をしたな、ということです」彼はそう答えた。

「どういう意味ですか」私は言った。

「普段は善良で分別のある人間をひどい状況下に置くと、突然、邪悪な人間に変身する、それを証明するための実験だったんですが、そんなことは簡単には起きないでしょう。だから私は演技したんです」

エシャルマンは詳しく説明してくれた。最初の夜は退屈だった。皆、何もせずにただ座っているだけだった。

「私はこう思いました。きっとこの実験のために誰かが大金を注ぎ込んだんだろう。なのに、このままだと大した結果は何も得られない。そこで、自分で行動を起こしてみることにしたんですよ」

彼は、ポール・ニューマン主演の映画『暴力脱獄(Cool Hand Luke)』を見たことがあった。映画の中では、ストローザー・マーティンが南部出身のサディスティックな刑務所所長を演じていて、囚人たちを苦しめる。エシャルマンは、この所長のまねをしようと考えた。つまり、突然、南部のアクセントになるのは、無意識ではなく、狂気による変貌でもなかったのだ。映画『ブラック・スワン』の中のナタリー・ポートマンが、次第に精神に異常をきたしていくのとは違う。エシャルマンは、自分で意識してストローザー・マーティンになりきろうとしていた。

「要するに、実験の結果がジンバルドーの望むものになるように、あなたは演技をしていたと」私は尋ねた。

「私は完全に意図的に、自分に与えられた役を演じていました」彼はそう答えた。「自分でこういう人間を演じようと考え、その考えを実行に移したんです。無意識ではまったくありません。あの時は自分では良いことをしているつもりでしたね」

電話を切ってから、自分は今、とても重要な話を聞いたのではないかと思い始めた。もしかすると、心理学の世界における「人間の邪悪さ」というものの扱いがこれで変わるかもしれない。エシャルマン本人は、ただ有名なスタンフォード監獄実験の嘘を暴いただけのつもりかもしれないが、それでは済まないのではないだろうか。

私はエシャルマンへのインタビューを文字に起こし、それを群衆心理を研究する心理学者、スティーブ・ライカー、アレックス・ハスラムに送った。二人はいずれも、社会心理学の教授だ。ライカーはセント・アンドルーズ大学、ハスラムはクイーンズランド大学の教授である。どちらもジンバルドーの業績を詳しく研究してきた。

二人は私のメールに返信をくれたが、私が特にセンセーショナルだと感じた箇所にはどちらもさほどの感銘を受けていないようだった。

「演技をしていただけだ、という言葉は事の本質を覆い隠す煙幕のようなものです」ハスラムはメールにそう書いていた。「ここで大事なのは、あくまで彼が乱暴な態度に出たという事実そのものです。それが演技かどうかはさほど重要ではないのです」

「彼が演技だと言ったとしても、その『演技』はとても真剣なものです」ライカーもそう書いていた。「たとえ本当に演技だとしても、疑問は残ります。なぜ、それほど真剣に演技をしなくてはならなかったのか、ということです」

私がデイブ・エシャルマンに対して行なったインタビュー自体には興味を惹かれるし、それが重要なものであるのは間違いないとライカーは書いていた。しかし、興味を惹かれるポイントは、私が思うのとは違っていた。エシャルマンの言葉の中には重要な証拠となるものがあったのだが、私はまったくそれに気づいていなかった。

ハスラムはこう書いていた。「本当に興味深いのは、彼が『自分では良いことをしているつもりだった』と言っていることです。『良いことをしている』という言い方が注目に値します」

確かにそうだ。「良いことをしている」というのは、ル・ボンやジンバルドーが唱えた説とはある意味で対立する。彼らは、ひどい環境に置かれれば、人間は「邪悪」になると言っているからだ。

ジャスティン・サッコに対して攻撃を加えた一〇万人もの人々は、悪い病原菌に感染して邪悪になっていたわけではないのではないか。

「この種の現象を説明するのに感染症の比喩を使う人たちは、皮肉なことに、皆、家でテレビを見ているだけで自分では現場に行っていません。ロンドンであれば、自分自身が暴徒の一人になった人はいないわけです。誰もが自分を抑えられなくなり、無意識のうちに暴徒と化してしまったなどというのは正確ではありません。たとえば、現場には機動隊もいましたが、彼らは当然、暴動には参加していません。感染症のように、人から人へと狂気が伝染していっているなどということはないのです」

ライカーは、彼がこれまでに一度だけテニスの試合を見に行った時のことを話してくれた。

「それはウィンブルドンの『民衆の日』で、普通の人が『ショーコート』と呼ばれる場所まで入ることを許されます。私たちは、ナンバーワンコートにいました。コートの四つある辺のうち、三つまでは、すぐそばで一般の人間が見ていて、残りの一辺に上流階級の人たちがいるという状態です。試合はかなり退屈なものでした。それで観客は、ウェーブを始めました。三辺の庶民は皆、ウェーブに参加しましたが、残り一辺の上流階級は参加を拒否しました。伝染などしなかったのです! ところが、三辺の人たちは、彼らも参加しているという想定でしばらく待って、さらにウェーブを継続しました。それが何度か繰り返されました。毎回、ふざけ半分ではありますが、庶民たちは、参加しない残り一辺の人たちもウェーブするよう促していましたね。そしてついに、彼らも戸惑いながら参加し始めました。それを見て、小さくですが喝采が上がりました。

表面上、行動が人から人へと伝染していったようには見えます。そう言う人もいるでしょう。しかし、この時に起きたのは、もっと興味深いことだと思います。大事なのは、行動の連鎖が途中で止まったこと、しかも、集団と集団の境目で止まったことです。階級の境界、権力の境界で、連鎖が止まったと言ってもいいでしょう。表面だけ見ていたのではわからない何かの法則のようなものが背後に隠れていると思います。

どれほど暴力的な群衆であっても、ただ無秩序に暴れるわけではありません。必ずパターンがあります。そのパターンには、何と言うか、大きな『信念体系』のようなものが反映されます。不思議なのは、リーダーがどこにもいなくても、群衆が自らある程度、知性的に、集団の構成員の普段の思想に沿って行動できるということです。感情が人から人へ伝染して狂った行動を取っているのではありません。

なぜ、このような行動が可能なのか、その理由がわかれば、人間社会についての理解が大きく進むことになります。群衆というテーマは、だからこそ重要で興味深いと言えます。何も群衆が狂気を生むから興味を惹かれるわけではありません」

良いと思った行動が、大きな犠牲を生む

フィリップ・ジンバルドーのアシスタントから、私にこんなメールが届いた。

「申し訳ありませんが、現在スケジュールが詰まっており、秋の半ば頃までインタビューのお申し込みを受けることはできません」まだ二月だった。

仕方がないので「ジンバルドー氏が、近いうちに『没個性化』関連の研究プロジェクトに関わるようなことがあれば教えてもらえないか」とアシスタントに頼んでみた。しかし、答えはノーだった。

「毎日のように同じようなお願いを色々な方からたくさんされますので。そのすべてを覚えていることさえ難しい状況です。お一人お一人にすべて対応することはとてもできません」

私はデイブ・エシャルマンの名前を出すことにした。エシャルマンにインタビューをしたのだが、その内容をジンバルドー博士にチェックしてもらうことはできないか尋ねてみた。

「メールでいくつか簡単な質問にお答えするだけでよければ、五月の半ば頃なら可能ですが」アシスタントはそう言った。

私は、インタビューを文字に起こしたものに「『自分では良いことをしているつもりだった』という言葉は、ジンバルドー博士の説と矛盾しないでしょうか。デイブ・エシャルマンは劣悪な環境に置かれてもそれに影響されて邪悪になることはなく、他人を助けようとしています。善良な心があるということではないですか」という質問文を添えて、アシスタントにメールを出した。

アシスタントは私のメールをジンバルドーに転送したが、転送メールには「返信は私にだけください。そうでないと、ロンソン氏からそちらへ直接、連絡が行く可能性があります」と書かれていた(こう書きながら、彼女はうかつにも、転送メールを私にも送ってしまっていたので、ジンバルドーのアドレスが私にわかってしまった)。

ジンバルドーはその日の夜遅く、私に直接、メールをくれた。メールにはこうあった。

「それはあまりに単純な解釈ではないでしょうか。エシャルマンは公にこういう発言をしています。『自分の想像できる限り最も酷い看守、最も残忍な看守になってやろうと思った』録画もされたインタビューでそう話しているんです。また、『囚人たちは自分の意のままになる操り人形のようなもの』と感じていて、だから怒って反乱を起こす瀬戸際まで、最大限ひどい仕打ちをしてやろうと思っていた、と言っています。反乱は起きなかったので、彼の態度が和らぐことはありませんでした。酷い虐待はずっと続き、日に日にエスカレートしていきました……彼が私を助けようとしていた、ですって? おかしな話です。悪い環境を作り出していたのは彼自身で、そのせいで、善良な他の被験者たち、特に囚人役の被験者たちの人格は破壊されていったんですよ!」

ジンバルドーの言うとおりなのだろうか。私は単純すぎるのか。時間が経った今になって、エシャルマンは自分の過去の酷い言動を美化しようとしているだけなのか。

さらに調査を進めると、ジンバルドーの実験に不自然さを感じたのは私がはじめてではなく、過去にもいたということがわかった。その一人が、ボストン・カレッジの心理学者、ピーター・グレイだ。

グレイは補助教材として広く利用されている『心理学(Psychology)』の著者であり、心理学の専門誌『サイコロジー・トゥデイ(Psychology Today)』に「私のテキストにはなぜジンバルドーの監獄実験が載っていないのか(Why Zimbardo’s Prison Experiment Isn’t in My Textbook)」という論文も発表している。

実験では、二一名の男性たち(いずれも若い)[原注:実際には二四名いた]が、囚人役、看守役のいずれかを務めるよう言われた。一九七一年のことだ。最近は、刑務所での暴動や、看守の残虐行為についてニュースでよく報道されるようになっている。この実験に参加した若者たちの行動はどうだったのだろうか。ただ座って、無為に時間を過ごしたのだろうか。ガールフレンドのことや映画のことなどをとりとめもなく話して楽しく過ごしたのか。そうではないだろう。これは、囚人と看守についての実験だったのだ。だから、自分たちに課せられた仕事は、いかにも囚人らしく、いかにも看守らしく振る舞うことである、と彼らにはわかっていたはずだ。より正確に言えば、本物の囚人や看守とは無関係に、自分の思う「ステレオタイプ」の囚人や看守を演じる必要を感じていただろう。ジンバルドー教授は現場にいて見守っていた。もし、彼らがただ座ってお茶を飲み、終始、楽しそうに談笑しているだけだったら、教授は失望したに違いない。被験者は一般に、研究者の期待することを理解した場合、進んで期待に応えようとする。それは、これまでの数多くの研究で明らかにされていることだ。
――ピーター・グレイ「私のテキストにはなぜジンバルドーの監獄実験が載っていないのか」サイコロジー・トゥデイ、二〇一三年一〇月一九日

グレイは、ジンバルドーが自らに監督者の役割を与えたことを重大な間違いだと指摘する。現場にいるのではなく、どこか別の場所から見守るオブザーバーになるべきだったと彼は考える。監督者になるにしても、超然と冷静に事態を見ている必要があったが、ジンバルドーはまったくそうではなかった。実験の開始前に、彼は看守役と話をした。その内容は、自身の著作『ルシファー・エフェクト―ふつうの人が悪魔に変わるとき(The Lucifer Effect 鬼澤忍・中山宥訳、海と月社、二〇一五年刊)』の中に書かれている。

「身体的な暴力を加えること、拷問などはもちろんできません」私はそう言った。「何事も起きず退屈になる場合もあるでしょう。自由に行動ができずストレスがたまることもあり得ます。あなたたちの行動によっては、囚人役にある程度、恐怖を与えるかもしれません。ここでの囚人の生活を誰が管理するのか明確に決まっているわけではないので、どのようにでも変わり得る可能性があります。我々の側がすべてを管理しているように感じることもあれば、看守役が管理の権限を持っていると感じることもあるでしょう。看守の特定の一人、あるいは刑務所長役である私本人がすべてを取り仕切っているようになることもあり得ます。ここにいる囚人にはプライバシーはありません。常に監視をします。ここにいれば、何をしてもすべて見られているということです。その意味では行動の自由は存在しないということになります。囚人は、何をするにも、何を言うにも、すべて許可を得る必要があります。我々はあらゆる手段を講じて囚人たちの個性を奪い取ります。全員に同じ制服を着てもらいますし、誰一人、名前では呼ばれず、番号が与えられ、常にその番号でのみ呼ばれます。いずれも、囚人に無力感を与えるためにすることです。権力はすべて私と看守の側にあります。囚人には一切の権力がありません」
――フィリップ・ジンバルドー『ルシファー・エフェクト』

ギュスターヴ・ル・ボンにとって、群衆というのは単なる考えのない愚か者の集まりでしかなかった。ただ狂気に駆られ、発作的に行動をしているだけということである。彼の思う群衆は全体が一様で、どこをとっても差異は見られない。しかし、ツイッターの群衆は少なくともそうではない。

ツイッターは皆が一斉に同じことを言うわけではない。ツイートには様々な種類がある。ジャスティン・サッコを攻撃するツイートにもたくさんの種類があった。たとえば、ミソジニスト(女性蔑視主義者)によるツイートはこんな具合。

「誰かHIV陽性の奴がこいつをレイプしろよ、そしたら、肌の色がこいつをエイズから守ってくれるかどうかわかる」(このツイートの後に続く者は一人もいなかった。皆、サッコを破滅させることに気を取られていて、このツイートの発言の不適切さを問題にする者もいなかったということだ。誰かを晒し者にしている時の人間の思考がいかに単純になっているかの証拠かもしれない)

人道主義的に見えるツイートもあった。「@JustineSacco の残念な発言に心を痛めている人は、ケア(人権団体)のアフリカでの活動を支援してください」などがそれだ。

自社の商品の宣伝をする企業アカウントもあった。航空機内インターネット・サービスのプロバイダ、〝Gogo〟などはその例だ。「離陸前にバカなツイートをしたいという人、是非、Gogoに加入してください!」

こうしたツイートをした人たちは、スティーブ・ライカーの言うとおり、皆、自主的に集まっており、指示をするリーダーはどこにもいない。

私自身はこの動きには加わらなかった。しかし、今後、ジャスティン・サッコのような人をツイッター上で見かけても、絶対に攻撃に参加しないと言い切ることはできない。私は最新のテクノロジーというのに弱く、つい乗せられてしまうことがよくある。危険をまったく知らずに無邪気に銃に近づいていく幼児に似ている。

デイブ・エシャルマンもそうだったのだと思うが、私にも良いことをしたい、誰かの役に立ちたいという気持ちはあり、それが行動の強い動機になることがある。そういう動機による行動は、集団発狂とは違うし、集団発狂に比べれば良いものなのは間違いない。だが、私も含め、多くの人たちの良いと思った行動が、大きな犠牲を生んでしまっている。

私も何人もの人を攻撃してきた。もう一人ひとりのことはよく思い出せないくらい大勢を攻撃した。その攻撃の背後には、何か暗く気味の悪いものが隠れているのではないか、と思うようになった。本当は直視したくない、考えたくないような嫌なものだ。でも、今、それについて考えてみなくては、と強く感じている。(了)



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