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Web3の要素技術の短い紹介①――『Web3とは何か』by岡嶋裕史 prologue5

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岡嶋さんの新書最新刊。現在4刷です。

本題に入る前に、Web3の要素技術の短い紹介

先にも述べたように、Web3はふしぎな言葉だ。

WebはHTML、HTTP、URIによって形成されるコンテンツ閲覧技術、Web2.0はそこに利用者が発信者の立場で参入しやすくするものと捉えることができる。

様々な技術が使われているけれど、基盤技術は変わらずHTML、HTTP、URIであると言えば、Webの系譜の延長線上にあると理解して、まあ間違いではない。

ところがWeb3の基盤技術はブロックチェーンだと言う。これは結構な断絶だ。

Webにアクセスすることを「インターネットをする」と言ったり、やっているのはツイートなのに「Webを見てる」と表現したりすることはあるので、Web3は「Webをインターネットで享受できるサービスの総体としてとらえて、それを個人をビッグテックから解放する方向へアップデートする」ことを表現する言葉なのだろう。本書もそのように理解して、話を進めていく。

だから、Web3を理解するのに、「基本からいこう。HTMLとHTTPとURIだな」とやるのは得策ではない。役には立つけれども、それはリテラシとしてだ。従来言われてきたWebとは別物と切り離して、考えたほうがいい。

次章からはWeb3の中核技術であるブロックチェーン、そこから派生してNFT、そしてNFTを使い、利用者が集う空間としてのメタバースを解説していく。その前にざっと概観だけでもつかみたい人のために、短い説明を加えてこの章を終わりにしよう。

ブロックチェーン

日本語に訳す場合は「分散型台帳技術」とされることが多い。ブロックチェーンはデータを収めたブロックの連なりであって、ブロックにはどんなデータを入れてもよいのだけれど、何かの台帳として使われることが多い。

ブロックチェーンでは参加するすべての人の手元にブロックチェーンを配置するので、仮に事故などが生じてもだれか1人が生き残っていればすべての台帳のデータもまた生存していることになる。まさに分散型の台帳なのである。

管理者のもとで秘匿される台帳と違って、参加者全員がデータを見ることができるので、不正な改ざんなどをみんなで発見することができる。特に管理者による不正が原理的に行えない。

台帳が全員に配られるだけでなく、運営自体もシステムによって行われる。ある意味で人の手を離れた権力の非人称化を実現しているとも言える。非中央集権で、だからビッグテックによる支配と無縁であるというわけだ。

ここからもわかるように、金融に特化した技術ではない。ただ、台帳に何を記載すればみんなが嬉しくなるのかは模索中で、今のところ顕著な成功事例が金融に集中しているという話である。

ブロックチェーンを使った仮想通貨(行政用語としては「暗号資産」だが、未だ最も広く使われ、理解しやすい用語は「仮想通貨」であろう。本書では「仮想通貨」で統一する)において文句なしの一番手がビットコインで、二番手がイーサリアムである。

ビットコインはお金(というか価値)のやり取りに集中していて、イーサリアムな二番手ゆえにスマートコントラクト(自動契約)などに活路を見出している。NFTの主戦場もイーサリアムである。

Web3の言い出しっぺが自然発生的なものではなく、イーサリアムの創始者ギャビン・ウッドであることには注意が必要だ。

人の発言はどんなに注意してもポジショントークの色彩が入ってしまう。私自身も、この前後に述べた理由で、「またWeb3とか言い出したかー」と一歩引いて見てしまうことから自由ではない。まして、ギャビン・ウッドの場合はイーサリアムを発展させねばならない立場である。

不特定多数の参加者がいることが必要条件

ブロックチェーンは公平で透明で永続的であるとよく言われる。間違ってはいないが、そこには意外と厳しい条件がつく。その条件の中でも基本的なものに、「そのブロックチェーンに不特定多数の参加者がいること」がある。

そのくらい簡単に実現できるだろうと思うかもしれないが、実際には大仕事である。ブロックチェーンのネットワークに参加することは、人にもコンピュータにもかなり大きな負担である。

スマホに1つアプリをインストールしてもらうだけでも、「金銭的な負担とか心配しないでください」、「ストレージをそんなに圧迫しませんよ。スマホが遅くなったりしません」と利用者を説得しなければならないのだ。

それに比べるとブロックチェーンのしくみはものすごくストレージを圧迫するし、ネットワークをざぶざぶ使って、コンピュータをかなり遅くするだろう。何か見返りがなければ、絶対やりたくない。

私はビットコインのしくみをすごいと思うけれども、ビットコインのすごさは、自分自身(仮想通貨)を誘引として不特定多数の人が集まり続けるしくみにした点に集約できる。二番手以降の仮想通貨はここが怪しいし、仮想通貨以外のブロックチェーン(後述する事務システムとか)ではそもそも人が集まらない。

それを、「責任持って我が社が運用します」、「個人のボランティアとして最後まで面倒見ます」と手当てするのは無意味である。ブロックチェーンの真正性は不特定多数が参加することではじめて発動する。同じしくみを使っても、少数の人がそれを動かすのであれば、いかようにも改ざんすることが可能だ。

後の章で詳しく述べるが、ビットコインは水際だっていたと思う。うまくやって、社会に広めた。そして、仮想通貨とブロックチェーンの部分は切り離せるので、「ブロックチェーンをほかの社会システムにも応用しよう」という機運が高まった。

でも、ブロックチェーンは特定の分野(まさに金融みたいなやつ)の特定箇所には強烈に効くけれども、汎用性という意味では取り回しの難しい技術だ。だから、応用事例はPoC(実証実験)止まりだったり、一般向けのサービスに踏み切ったけれども、耳目と初期投資を集める以外の役には立っていなかったりする。(続く)

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