見出し画像

「だったらどうして僕に依頼したのか」――エンタメ小説家の失敗学22 by平山瑞穂

過去の連載はこちら。

平山さんの最新刊です。

第4章 編集者に過度に迎合してはならない Ⅳ

外されたハシゴ

 しかし、原稿が七、八割まで達した段階でつけられた次の意見には、率直にいって、大きな疑問を感じずにはいられなかった。

「このままだと、けっこう悲惨なバッド・エンディングになるような気がするんですが、あまりそっちの方向に行かないようにしていただくわけにはいきませんでしょうか」

 明瞭にプロットを定めてはいなかったものの、当初僕は、藤原たまりはすでに死んでいる、という設定で物語を編み上げていた。たまりは、学校でいじめられていたばかりか、家庭でも虐待を受けており、それを苦に自殺していたのだ。そして、譲がたびたび出会うたまりは、その亡霊、あるいは本人の死後も凝り固まって成仏できずにいる残留思念のようなものと見立てていた。いずれ譲はその真相を悟り、打ちのめされるのだが、それを克服してあらたな一歩を踏み出す――おおむねそんな流れを構想していた。

 七、八割のところといえば、当然、終盤に至るその流れを濃厚に匂わせるような雰囲気が原稿にも横溢していた。Mさんは、それを嗅ぎ取ったのだろう。彼女は続けた。

「バッド・エンディングが悪い、と言っているわけではないんです。ただ、何度も言いますが、読者は本当に、エグいものやどぎついものだと尻込みして、そっぽを向いてしまうようなところがあるんです。それで作品を受け入れてもらえなかったら、もったいないと思うんです」

 ――だったら、そもそもなぜ、“『ラス・マンチャス通信』のような作品”を書いてほしいというオーダーを僕に出したのか。あれはまさに、「エグいもの、どぎついもの」のオンパレードではないか。また、語り手〈僕〉の姉などをめぐって、救いがないほど残酷なモチーフも描かれているではないか。

 喉元までその言葉が出かかっていた。僕にしてみれば、作品の完成が遠くない段階に至ってから、いきなりハシゴを外されたようなものだったのだ。それでは、根本的な前提が覆ってしまう。まったく納得できなくて、Mさんを前にずいぶん長いこと黙り込んでしまっていた記憶がある。

 しかし一方で僕は、Mさんの言っていることももっともだと感じてもいた。得心しがたいのは、『ラス・マンチャス通信』的なものを要求しておきながら、土壇場でそれをひっくりかえすようなことをMさんが言いはじめたその経緯についてなのであり、Mさんが主張していること自体がまちがっているわけではない、と思ったのだ。

「売れている本」はソフト路線

 第1章で述べたとおり、僕は作家デビューを果たしてから、なじみのないエンタメ文芸の「文法」を習得することを期して、おびただしい数の「売れている本」を読みあさっていた。その多くは、どちらかというとソフトな内容だった。

 作中でさまざまな軋轢や挫折、葛藤や懊悩が描かれはするが、「エグいもの、どぎついもの」はほとんど、あるいはまったく描かれず、最後はいろいろな問題が解決し、爽やかで前向きな結末に導かれる――。世の中に広く受け入れられているのは、そういう物語なのだ(前章で触れた『冥王星パーティ』で僕が不器用ながら試みたのも、まさにそういう枠組みの物語を作り上げることだった)。

 そういう小説を歓迎する現在の一般的な読者に、僕がその時点で書こうとしていたテイストの『株式会社ハピネス計画』がなんの抵抗もなく受け入れられ、支持されると予想するのは困難だった。

 くりかえすが、問題は、それならどうしてMさんは、そんな無理筋のリクエストを突きつけてきたのかという点にある。それについては、あとになってから次第に腑に落ちていったことがひとつある。

破格の厚遇

 先に言っておくと、実は小学館とは、この作品を皮切りに長いつきあいとなり、計四作の長篇小説(同じ小学館で、今はなきコミック誌『IKKI』での連載から単行本となった『魅機ちゃん』――『パパがも一度恋をした』『忘却のサチコ』などで知られる漫画家・阿部潤さんとのコラボ作品――も含めれば五作)を刊行することになる。しかもうち三作は、文芸誌『きらら』での連載を経ての単行本化であり、その分、実入りもよかった。一作といえども重版がかかっていないことを思えば、驚異的な優遇ぶりだ。

 実績もない僕が、小学館からそんな破格の厚遇を受けつづけることができていたのは、おそらく、名物編集者として業界でもよく知られていたI氏の存在に負うところが大きかったはずだと僕は思っている。I氏は『株式会社ハピネス計画』の時点では小学館文芸の編集長であり、その後役員になったのだが、僕のことを小説の書き手としてめっぽう気に入ってくれていて、僕に対しては非常に(「贔屓」と呼んでいいほど)甘かった。たぶん僕は、彼の強力なバックアップのもとに、売れなくても本を出しつづけることができていたのだろう。

 しかしそのI氏もやがて定年退職を迎え、うしろ盾を失った僕は、さしもの小学館でも新作を出すことがかなわなくなってしまったのだが、そうなるまでには七、八年の歳月があった。一方、Mさんは、その間、一時的に他部署に異動になっていた時期もあったが、結果としては都合三作、僕の小説を担当してくれている。

どうして僕に依頼したのか?

 そして思い起こせば、彼女との間では毎回、この『株式会社ハピネス計画』執筆中に紛糾したのと似たような軋轢が生じていたと思う。つまり、「だったらどうして僕に依頼したのか」と真顔で問いただしたくなるような大幅な路線変更などを、中途で持ちかけられたのだ。

 彼女が『ラス・マンチャス通信』をこよなく愛してくれていたことについては、僕は片ときも疑ったことがない。また彼女が、僕の書き手としての特性の本質的な部分をよく理解した上で、どうにかして僕をブレイクさせようと懸命に策を練り、あの手この手を駆使して尽力してくれたことも、よくわかっている。

 ただその中で、彼女は一種のないものねだりをしてしまっていたのではないか。「存在しえないなにか」を、僕の中に幻視してしまっていたのではないか。そう思えてならないのだ。

「エグいもの、どぎついもの」を避けたほうがいいというのは、彼女が編集者としての経験を通じてたしかに会得していた肌感覚なのだろうし、それ自体はまちがっていないと僕も思う。ただその法則を、『ラス・マンチャス通信』的なものと両立させることは、どだい無理な相談だったのだ。

 彼女はたぶん、「エグいもの、どぎついもの」を、リスクの高い要素として僕の作品から取り除いた上でもなお、『ラス・マンチャス通信』的な本質はなにがしか残り、それを通じて読者の支持を獲得することができるはずだと考えていたのだと思う。しかし僕にいわせれば、その両者は不可分のものであり、逆に「爽やかな『ラス・マンチャス通信』」とは、形容矛盾にほかならないのだ。「爽やかな江戸川乱歩作品」というものが存立しえないのと同じことだ(それはもはや、江戸川乱歩作品ではない)。

『株式会社ハピネス計画』について路線変更を求められたときには、Mさんのそうした真意などを斟酌する余裕もなく、僕はただ理不尽に思っているだけだった。しかし、その点についてMさんは、一歩も引く様子を見せずにいたし、先に述べたとおり、そうなるに至った経緯はどうあれ、彼女の言っていること自体は正しいと思わざるをえない読書界の現状もあった。

 結果として僕は、Mさんの要求に屈した。納得して受け入れたわけではない。あくまで「屈した」のだ。(続く)


みんなにも読んでほしいですか?

オススメした記事はフォロワーのタイムラインに表示されます!

光文社新書ではTwitterで毎日情報を発信しています。ぜひフォローしてみてください!