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終章:夢破れて、傷つき果て。それでも、なお……——『教養としてのパンク・ロック』第38回(最終回) by 川崎大助

『教養としてのロック名盤100』『教養としてのロック名曲100』(いずれも光文社新書)でおなじみの川崎大助さんの新連載が始まります。タイトルは「教養としてのパンク・ロック」。いろんな意味で、物議を醸すことは間違いありません。ただ、本連載を最後まで読んでいただければ、ご納得いただけるはずです。

過去の連載はこちら。

終章:

夢破れて、傷つき果て。それでも、なお……

英エリザベス女王の逝去

 ここまでの文章に登場してきた人々のうち、すでに鬼籍に入った人は少なくない。原稿の準備中、あるいは連載中に訃報に接したことも幾度かあった。なかでも社会的にとりわけ大きな衝撃を呼んだのが、22年の9月8日の、英エリザベス女王の逝去だった。

 若きセックス・ピストルズが、あたかも爆弾を抱えて特攻するかのようにして、代表曲「ゴッド・セイヴ・ザ・クイーン」を世に放ったのが77年の5月だったことは、すでに記した。その時期はちょうどエリザベス女王の戴冠25周年(シルヴァー・ジュビリー)を祝賀する一連の行事の真っ最中だったのだが、しかし女王および王室の権威は、ピストルズの「体当たり」ごときでは、びくともしなかった。同曲のシングルも「天下」は獲れなかった。パンクスの熱い支持は集めながらも、全英チャートでは(不正な操作が疑われはしたものの)結局のところ2位止まりだった。

 そんなナンバー、「ゴッド・セイヴ・ザ・クイーン」が、当連載用の原稿執筆中の22年6月、初めて全英チャートのトップに立った。女王崩御の、約3ヶ月前だ。これはオリジナル・リリースから45年経ったのちの、達成だった。アナログ・シングルとして再発売されたものが、フィジカル・チャートの1位となったのだ。これは同年、ちょうどそのころ、女王のプラチナム・ジュビリー(戴冠70周年)の祝賀が盛り上がっていたタイミングに当てこんだリリースだった。つまりは便乗商法だったのだが、しかしこれが最初の犯行、だったわけではない。

 じつはこれまでもずっと、エリザベス女王のジュビリーのたびに、「ゴッド・セイヴ・ザ・クイーン」の新たなる再発盤は繰り返しリリースされていた。02年のゴールデン・ジュビリー(戴冠50周年)にも、12年のダイアモンド・ジュビリー(戴冠60周年)にも、リイシューされていた。しかしこのどちらも、チャート・アクションは芳しいものではなかった。だから「プラチナム」での達成は、なにやら時代の波が、ふたたびピストルズの方角に、パンク方向に向いていたことの証しだったのかもしれない。もしくは商品企画が冴えていたのかもしれない(限定1977枚は、幻のA&M盤仕様にするなどの、凝った仕掛けがあった。SNSも機動的に駆使された)。

「『女王を愛してない』なんて、俺は言ったことないぜ」

  もっとも、さすがに「その同じ年」に女王が逝去してしまうなんてことは、誰にとっても予想外だったはずだ。訃報が世界を駆け巡った9月8日、その当日に素早く、ジョン・ライドンは彼名義のウェブサイトから声明を発した。

「エリザベス2世女王、安らかにお眠りください。勝利を彼女に」

 最後の部分、原文では「Send her victorious」となっていて、これはイギリスの事実上の国歌からの引用だ。つまりピストルズの曲じゃないほうの「ゴッド・セイヴ・ザ・クイーン」、18世紀のジョージ2世の時代より英国民に親しまれているアンセムの歌詞に、こんな一節がある。「神よ女王を護りたまえ/彼女に勝利を、幸福と栄光を送りたまえ/御代の長からんことを」――ライドンはここから抜いた言葉をあえて使うことで、女王に敬意を表したわけだ。そしてすこしあとの16日、今度はパブリック・イメージ・リミテッド(PiL)のツイッター・アカウントを通じて、彼はセックス・ピストルズの便乗商法を非難した。いわく、女王の逝去に際して「ゴッド・セイヴ・ザ・クイーン」で商業的利益を求めようとすることは、彼女と家族にとって非礼であり、悪趣味だとして「ピストルズがおこなうそれらの行動すべてと、自分は距離をとりたい」との意志を表明した。

 ここの部分は、とくに最近お馴染みの、ライドンによる「ピストルズの他のメンバーや取り巻き」に対する牽制ともとれたのだが、着目すべきは王室に対する彼のスタンスだろう。ここ最近のライドンは、折に触れて「女王個人は尊敬している」と繰り返し述べていた。「『女王を愛してない』なんて、俺は言ったことないぜ」とも。とくにプラチナム・ジュビリーに際してのインタヴューにおけるライドンは「長年にわたって生き延びてきた女王を俺は尊敬する、拍手を送りたい」とまで、述べていた。ただ彼は「いま現在の君主制には賛成できない」とのことで、つまりは「ここ」こそが、長年にわたるライドンの「攻撃対象」だったということだ。彼は女王や王族個人ではなく、政治家の個人でもなく、君主制をも含む「不公正なる社会システム」と戦ってきたという自負があるのだろう。さらに彼は、前述した幾度にもわたる「ゴッド・セイヴ・ザ・クイーン」の再発売劇にも、そもそも否定的だった。ジュビリーにかこつけて同曲を1位に押し上げようとするキャンペーンは、セックス・ピストルズの象徴的価値を損なっているのだ、と――。

 なんとまあ「常識的」なのか、とあなたは思わないだろうか? いつの間にやら、ジョン・ライドンが「きわめてまともなことを言うようになっている」と。個人としてのエリザベス女王には敬意を表し、旧態然とした王室制度には疑問を呈する――なんて、ちょっとしたリベラルよりも、ずっと保守中道的ですらある。かつては「過激」の代名詞だった、不敬なる文化的テロリスト筆頭だったはずのあのロットンも、歳をとって丸くなったのか?――と思ってしまう人も、いるかもしれない。

 しかし僕は、本質的には、彼はさほど変わってはいないのだと思う。時代のほうが、世相のほうが大きく変わったのだ。70年代当時の「アナキスト志望」の若者が、まるで保守みたいな場所に収まってしまうほどまでにも、世の中全体のバランスが変わってしまった。そして少なくともイギリスにおいては「変わらぬものの象徴でもあった(であるがゆえに、敬愛と同時に揶揄や攻撃をも引き寄せた)」あのエリザベス女王までもが、世を去ってしまった。「ゴッド・セイヴ・ザ・クイーン」の時代がついに終わりを告げ、「~キング」の世になってしまった。

「困ったオジサン」化したライドン 

 90年代以降のジョン・ライドンは、まず92年にPiLを解散していた(正式には無期活動休止と称されていた)。そして、あろうことかセックス・ピストルズの再結成もおこなっていた(96年にワールド・ツアー。02年と07年にもツアー)。ゼロ年代の彼は、TVパーソナリティーとしても人気を得た。有名人が野生動物に親しむリアリティ番組出演などで受けて「面白いおじさん」と化す。この部分の彼は、言うなれば、80年代日本におけるビートたけし(映画監督デビューする前まで)ぐらいの人物として、全英の視聴者に親しまれていた、のかもしれない。09年には、今度はPiLが再結成されている(しかしもちろん、オリジナル・メンバーのジャー・ウォブルやキース・レヴィンらは、こちらには一切関係していない)。だからそののち、PiL名義の新作リリースやツアーも、ときどきある。しかしそれらよりも、ときに旧作のリイシューなどのほうが世間の耳目を大きく集めるような、そんな存在に、近年のジョン・ライドンはなっていた。

 さらに「ここ最近のライドン」は、困ったオジサンとも化していた。それほどまでにも「変わってしまった世界」においては、彼生来のラディカル指向が、どうにも難儀な地点にまでたどり着いてしまったのか。ここのところのライドンは、なんとドナルド・トランプへの支持を表明して、あきれられていた。現在はアメリカの市民権も持つライドンは、2020年の米大統領選時にはトランプに投票したのだという。そのときばかりではなく、以前から一貫して、インタヴューなどで彼は幾度も繰り返しトランプを誉め讃えていた。「唯一の希望」とか「彼とは友だちになれる」とまで、ライドンは言っていた。ブレグジットにも賛成だった。

重なるモリッシーの姿

 ライドンのこうした「現在地」を観察するたびに、僕は近年のモリッシーの姿を連想せざるを得ない。「憂鬱の王」だった青年から、「差別発言ばかりする」中年男への変化だ。

 ザ・スミスのフロントマンとして80年代中盤にメランコリックでセンチメンタルなインディー・ロック突端で狂おしく舞い踊った、傑出した詩人でありヴォーカリストであるモリッシーは、今日、人種・民族差別発言の数々を強く非難されている。とくにロンドン市長のサディク・カーンや移民をターゲットにした彼の発言は醜悪で、轟々たる非難を集めた。しかしモリッシーは反省するどころか、鼻で笑ってこれらを一蹴。「左巻きの連中(Loony Left)は、ヒトラーが左翼だったってこと、忘れているよね」なんて無理筋でやり返すわ、人種差別主義者と言われることに「意味はない」などと居直る始末。よってそんな彼の姿は、米人気コメディ・アニメ『ザ・シンプソンズ』のネタにもなった――リサ・シンプソンが80年代UKのザ・スミスみたいなバンドに入れ込むと、当時のモリッシーみたいな「空想の友だち」ができる。しかしその歌手の「現実世界での現在の姿」は、醜く太ってヘイト発言を繰り返す中年男で、あろうことか肉食を推進までしている!――というもので、まさにこれは、かつてスミスやモリッシーの音楽を深く愛したクリエイターたちによる「泣いて馬謖を切る」ような精神が結晶化した作品だった、のかもしれない。

 歳月とは、なんと残酷なものなのか、との感慨を僕は抱かざるを得ない。時の流れの前には、人間など取るに足りない消し粒以下の存在でしかない、のかもしれない。

 およそ当時、並ぶ者はいなかったパンクおよびポストパンクのヒーローたちが、歳を重ねて右傾化し、問題中年化することもある――どうやらこれが、現代の偽らざる一断面でもあるようだ。これらはきっと、いま現在の人類が「70年代や80年代とは、まったく違う」社会情勢や地球環境バランスのなかにあることの、なによりもの証拠なのだろう。新自由主義をも通り過ぎようとしているわりには、どうにもこうにも、驚くほどまでにも「19世紀にも近い」ような現在地に、我々は否応なく立たされているのかもしれない。新たなる悲惨の世が、これから本格的に幕を開けるのかもしれない。

 エリザベス女王だけではなく、2022年の4月3日には、〈SEX〉〈セディショナリーズ〉の名物店員だったジョーダン・ムーニーことパメラ・ルークも世を去った。そして同年12月29日には、ヴィヴィアン・ウエストウッドが没した。つまり「ほんものの」女王と前後して、「パンクの」女王との異名を得たことがあるふたりの女性が、70年代のあの時代に、ストリートの最前衛にて暴れまくっていた彼女たちが、鬼籍に入ってしまったことになる。23年4月6日には、ジョン・ライドンの妻、ノラ・フォースターも他界した。

 どうやら僕らは、そんな時代相のなかにいるようだ。

ひとつの「死」 

 90年代のオルタナティヴ・ロック・ブームの終結にも、ひとつの「死」が大きく関わっていた。第4章の6節にてニルヴァーナのアルバム『ネヴァーマインド』が全米1位を奪取した達成を記したが、その2年とすこしあと、94年4月5日にフロントマンのカート・コベインが自殺してしまう。急激な成功がプレッシャーとなった、との見方や、ドラッグの悪影響を指摘する声も多かった。いずれにせよ、人気絶頂の現役ロックスター、しかもまだ27歳だった若者が自ら死を選んでしまったことによる社会的影響は甚大で、この直後から、オルタナティヴ・ロックのブームは目に見えて熱を失っていく。パンク・ロックの延長線上にあったはずの、理想や夢の結実のひとつは、ここで確実に砕け散ってしまう。

 入れ替わるかのようにして米ポップ音楽市場の主流となったのが、こちらも90年代前半に「黄金時代」の渦中にあったヒップホップ勢だった。もっとも、こちらはこちらで「死の波」には覆われていた。ギャングの抗争がらみと言われている(西海岸と東海岸、それぞれのスーパースター、2パックとノトーリアス・B.I.G.が「何者かに」射殺された)。しかしなんとか乗り切って、R&Bなども巻き込みつつ、ゼロ年代以降も米英のポップのメインストリーム域を支配し続けている。

 もっとも、すでに記したとおり、パンク・ロックとヒップホップには、かなり多くの共通項がある。前者が「パクリ上等」であり、後者が「サンプリングが基本」というところ、まるで親戚みたいだ。そしてどちらも「思いついたら、すぐにやる!」ことが、なによりも重要視されるアート・フォームでもある。パンク・ロックからポスト・パンク、ハードコアなどの長い長い潮流が、カート・コベインの成功と自死によってひとつの完結を得たことが、ちょうど多元宇宙的に言うと「裏っかわの位置」にあたるようなエリアにもなにかしら影響して、それがヒップホップの、あるいは近縁種のダンス音楽の90年代以降における「メインストリーム化」につながっていったのかもしれない。かつてのビースティ・ボーイズがそうだったように、ハードコア小僧は、いつだってすぐに「ラップに走る」ものだから。そしてまた「逆もまた真なり」なのだから。

 もっとも、今日に至るまでずっと、パンク・ロックそのものも世界中で存在し続けている。マーケットの中心域で目立って売れているものは多数ではないが、しかし、衰退著しいロック音楽界全体のなかでは「まだまだ踏みとどまっている」サブジャンルの雄として、世にあり続けている。そしてときに、いや往々にして、ヒップホップやダンス音楽、ときにはなんとカントリー音楽などとも「異種交配」しては、得意技である「反逆ののろし」やら「批評性」やら「ジャンルの刷新」やらをおこなう際の、ある意味で肝腎要のスパイス的要素として機能している、場合も多い。「パンクの精神」は、あらゆる場所に偏在している。

ジョー・ストラマーの死 

 ジョー・ストラマーの訃報を耳にした夜を、僕は忘れることはない。

 2002年12月22日、そのときの僕はサンフランシスコのミッション地区の古着屋にいた。店内ではラジオ放送が流れていて、なにだかは思い出せないのだが、ザ・クラッシュの曲が1曲かかって、それから「デス・オア・グローリー 」が鳴り始めた。「2曲続けてクラッシュか」と、僕は思った。もとより「デス~」はあまり得意な曲ではない。ちょっとスポ根的すぎるというか。スローガン的すぎるといつも感じていたからだ。その曲終わりで、DJの女性が言葉少なにひとこと喋って、またクラッシュの曲になった。

 と、そこで店内にいたアメリカ人の友人が、怪訝な表情をして、僕のほうにやってくる。彼は僕に訊く。「いま、ラジオでなんて言ってた?」と。僕は答えた。ジョー・ストラマーが死んだ、と。たしかそう言ってたと思う、と。「やっぱりそうだよな。俺もそう聞こえた」と友人は言った。

 続けて僕はこう言った。「He was my hero of my junior-high era」と。友人は「Me too」と言った。そこからあとのことは、あまりよく憶えていない。クルマのなかでは、お互いほとんど口をきかなかった。友人はカーラジオのステーションを次々に切り替えては、情報を探していたはずだ。ノースビーチの、シティ・ライツ書店のすぐそばにあった彼のアパートメントに着いてから、ようやく友人はインターネットで検索して確証を得た(このころはまだスマートフォンは世になかった)。そして、どうやら本当らしい、ということを僕らは実感した。彼は50歳で、心臓発作だったということが、わかった。そこからあとのことも、あまり記憶にない(たぶん夕食を摂った。デリバリーで中華とか)。毎年冬になると、そのときの光景を僕は思い出す。紙パックに入ったチョウメンの、あまり誉められたものではない味わいとともに。

 パンク・ロックとは、僕にとって学校のようなものだった。そんな自分のフェイヴァリット・バンドがザ・クラッシュであることを自覚したのは、結構遅い。30歳を過ぎてすこししたころ、だったろうか。もうとっくのむかしに、クラッシュは世になかった。そんなころに、ようやく気づいたのだ。クラッシュが地上最高のバンドだとは決して思わないのだが、しかし、レゲエやファンク、ヒップホップ、フォークやロカビリーですら僕は「クラッシュというフィルターを通して」把握していったようなところがある。音楽だけではない。服装や態度、社会問題全般についての自分の考えかた、そのベーシックの部分において、彼らからの影響がきわめて大きく――あまりに大きすぎるので、そのことに気づくのに、すこしばかり時間がかかってしまったというわけだ。クラッシュとは、ティーン時代の自分の、言うなれば兄貴分みたいな存在だった。バイクの乗りかたやギターの弾きかたを最初に手ほどきしてくれた、ちょっと不良な先輩連中が彼らだった、のかもしれない。

 そんなことを自覚してから、大して時間も経っていないころに、ジョー・ストラマーは世を去ってしまった。

心の底から「吹っ飛ばされた」クラッシュ・ソング 

「キャリア・オポチュニティーズ(Career Opportunities)」というクラッシュの曲がある。彼らのデビュー・アルバムに収録されているナンバーだ。歌詞を理解して、そして最初に、心の底から「吹っ飛ばされた」クラッシュ・ソングが、僕の場合これだった。

 邦題は「出世のチャンス」だ。たしかにCareer Opportunitiesとはそういう意味なのだが、この歌のなかでは、ほぼ反語として取り扱われている。つまり主人公には――いや「主人公と同様の、労働者階級の若者たちには」――出世のチャンスなんて、あるわけない。未来を築ける「キャリア」なんて、あるわけないのだ。なんせ「あいつら」は、俺やお前に、その日暮らしのどうしようもない仕事のみを押し付けるだけだから。そんな仕事を「まるで未来があるかのようにして」嘘付いては、目の前に吊り下げる。いや「それしかないんだ」と思い込ませるのだ……という、そんな内容の歌だ。

 だから「いろんな仕事」について、ひたすら悪し様に言及されていく。ヴァース1では「BBCでお茶汲みをしたいか?」「警官なんかに、ほんとになりたいのか?」と問われる。ヴァース2では「陸軍も嫌だし空軍も嫌だ」「熱帯の暑さのなかで戦いたくない」と歌われる。もちろん「公務員の服務規定なんて大嫌い」だし、「あんたらのために、郵便爆弾(Letter Bomb)を開封するなんてゴメンだ」なんてラインもある。

 クラッシュのミック・ジョーンズは、実際にこの「郵便開封」の仕事をしていた時期があるという。IRA(アイルランド共和軍)がテロ攻撃の一環として、郵便爆弾戦術をよく採用していた時代、政府機関はオフィスおよび職員の被害を最小限にするため「郵便物を開封するため」の下仕事をするアルバイトを採用していた。つまり運悪く「それが爆弾だった」ならば、最初に吹っ飛ぶひとりとなることが運命づけられている、そんな職種だ。これでジョーンズも日銭を稼いでいたことがあるのだが……当然にして、そんな仕事に未来などあるわけがない。だからこの曲のコーラス部では「出世のチャンスなんて、決してやって来はしない」と繰り返されることになる。

「自動販売機の理論」

 なかでも当曲の白眉は、ブリッジ部分でのシャウトだ。「Oi!」と叫ぶやいなや、ジョー・ストラマーは、喉も破れよとこう吠える。「Bus driver / Ambulance man / Ticket inspector / I don’t understand!(バス運転手/救急隊員/検札係/俺にはわかんねえよ!)」――衝撃だった。こんな歌が、世の中に存在し得るとは。そんなこと一度たりとも僕は、想像したこともなかった。否定的な意味で「バス・ドライヴァー!!」なんて歌うのは、職業差別ではないのか? なんなのか、この曲は、と……。

 たとえばもし「子供のころから憧れていて、自分はバス運転手になったのだ」という人がこのフレーズを聴いたなら、悲しい気持ちになっても不思議はない。しかし「そんな気持ちになる」ことについても、その真なる意味をこそ「問う」のが、この歌の全体像なのだ。「それは本当の本当に『あなた自身の、自発的な心の動きから選択された』憧れだったのだろうか?」と。あなたは本当に「無限大の、フリーハンドの自由をもとに、自分の意志の完全なる反映として、自らの未来を決したのか?」と。

 言うまでもなく、大抵の人は「そんなことはない」と答えるしかない。我々の人生とは、あらかじめかなり大幅に「制限」されているからだ。僕はよく「自動販売機の理論」だと言う。目の前に、缶入りの清涼飲料水が並ぶ、しかし品揃えは悪い自動販売機が一台あったとしよう。本音で言うと、そこになにも欲しいものはない。でも、喉が渇いてしょうがない。だから「ここから選ぶしかない」のだ、と思い込まされる――つまりこれが、我々大多数の「庶民」の人生における「選択の本質」にほかならない。我々の「夢」なんて、「理想や憧れ」なんて、完全なる自由意志によって選びとられたものなんかではない。そんなに気が利いた世の中なんて、有史以来、一度たりとも存在したことはない。あらかじめ用意周到に「あいつら」によって操作されているものであることが、普通だ。

「あいつら」とはつまり、「自動販売機を用意する」側にいる奴らだ。働かなくても、決して食うには困らない、そんな奴らだ。つまり「選択する必要すらない」支配者どもだ。なぜならば「資本」があるから。それが相続されるから。政治権力の座に就いていて、こちらも地盤やカンバンが「受け継がれる」から――だからその者たちは、「持たざる」他者に対して、「制限された」人生を送れと強要できるだけの「力」を保持し続けている。生きていたいならば、お前らの目の前にある、役立たずの自動販売機から「選ぶしかないのだ」と……。

 クラッシュがこの曲で「撃つ」のは、ここの部分なのだ。「支配」の構造そのものを、歌のなかに引っ張り込んだ上で、わかりやすく解体してみせようとする。つまり社会構造の矛盾をえぐり出すために、ここで労働者階級の若者が就くことが容易な「職業」を列記するわけだ。「搾取している側」ほどのカネや権力を得ることなど、そんな「未来」など、決して手に入れることなどできない(=出世のチャンスなど、ほとんどない)だろう仕事ばかりを並べる。そしてこんな「ひどい品揃えの自動販売機」のボタンを、心ならずとも押す人が一定数いるかぎり、不均衡はなにひとつ改善しないことを知らしめようとするのだ。権力者は、資本家は、社会的弱者から「人生そのもの」を奪い去り続ける。そして「奴ら」の地位は、なにごともなく保全され続ける。古来からつねに「そうであった」のと同様に。

 おわかりだろうか? 「毎日勤勉に働いていれば、幸せになれるんですよ」なんていうのは、基本的に「搾取する側」が仕掛けた陥穽であり大嘘にほかならない。だから「信じてはならない」との主張が、この曲の中心を走る思想となっているのだ。つまりは階級闘争の足がかりとなるような「疑問」を呈したのがこの曲であり、クラッシュ流の社会主義宣言を寓話調に示したかのごときナンバーだったわけだ(もちろんジョー・ストラマーは、自身を社会主義者と規定していた)。

「賃金奴隷制(Wage Slavery)」

 この曲でのクラッシュの主張は、たとえば今日のノーム・チョムスキー、アメリカの哲学者・言語学者であり知の泰斗、アナルコ・サンディカリスト(無政府組合主義者)でもある彼もよく言及する「賃金奴隷制(Wage Slavery)」の概念とほぼ重なる。「生活のために働いて賃金を得なければならない」ということは、あるいは「働いているのに、生命維持ぎりぎりの収入しかない」ような人は、すなわち奴隷にもほど近い悲惨な境遇なのだ、という考えかたは、古代ローマの大政治家キケロ以来、脈々とある。そしてカール・マルクスがこれを「賃金奴隷制」と名付けた。奴隷が所有者に「売り買いされる」ように、プロレタリアは「毎日毎日」かならず、自分自身の労働力を資本家に売らねばならない――つまり、かつての奴隷と今日の賃労働者のあいだには、基本的な差異など「ない」のだ、という認識がこの語を生んだ。

 だからこそ、この「キャリア・オポチュニティーズ」から伝わってくるインパクトは強く、そして重い。スパッと始まってすぐに終わる、景気のいいパンク・ロック・ナンバーであるのだが、この曲の詞を理解したとき感じた、まるで後頭部を突然ぶん殴られたような衝撃は、いまもなお、僕のなかに残り続けている。僕の父は、勤め人だった。だから僕に課せられた「人生のコース」とは、なるべくいい大学に行って、なるべくいい就職をして――といったもので、まさしくそれを、僕自身まったくなんの疑問もなく、信じ込んでいた。そんな小規模な僕の「洗脳状態」を、すさまじいまでに爽快に「吹っ飛ばしてくれた」のがこの曲だった。「バス・ドライヴァー!!」という、とてつもなく印象的な、ジョー・ストラマーのあのシャウト一発だった。

 そのせいで――比喩ではなく、そのままの意味で――いまの僕はここにいる。「キャリア・オポチュニティーズ」という曲を理解する前とは、まったく違った人生のコースを選択したあげく、いまだになんとか、この世に留まり続けている。

「Punks Never Die」 

 2023年にはフランスやイギリスのみならず、イスラエルでも激しいデモが繰り広げられた。22年には中国でも異例の大規模デモがあった。スリランカでもあった。なんの疑問も持たず「自動販売機の品揃えから選ぶ」ような人生を、多くの国で、多くの人々が、拒絶し始めていることの証明だ。こうしたときに武器となるのは、まずは知性だ。正確な情報だ。だからインターネットを介して、人々は意見交換し、協力し合う。

 その同じ空間には、広大無辺なるネットの情報の海のなかには、「キャリア・オポチュニティーズ」だけではない、ザ・クラッシュの音そのものや画像や映像、作品の読み解きの数々が点在している。セックス・ピストルズの「ふざけんなよ!」節だって同様に健在だ。それらのアイデアは、いまもって――ではなく、じつは「いまこそ」重要な示唆に満ちているのかもしれない。有益な「発想の源」となり得るのかもしれない。

 19世紀の小説群のエッセンスが、20世紀の終盤に「ゴス」として結晶化することによって、未来へとつながっていったように。あるいはまた、ウィリアム・ギブスンの『ニューロマンサー』が描いたサイバーパンクな近未来のように。同作には、宇宙開拓地コロニー「ザイオン」に住まう、マエルクムなるキャラクターが登場する。曳航船マーカス・ガーヴェイ号を操縦する、ちょっとした宇宙海賊の風格あるナイスガイで、主人公ケイスに協力する彼は、もちろんラスタファリアンだ。ラスタあるところにレゲエあり。そしてレゲエがあるんだから、あの宇宙にはパンク・ロックだって――あるに違いない。こうしたファンタジーとリアリティのあわいにも、きわめて重要な触媒として、パンク・ロックは漂い続けるのかもしれない。おそらくは、永遠に。

 つまるところパンク・ロックとは、エルヴィスが死んで、ジョン・レノンが死ぬまでの、ほんの数年間に集中して起こった出来事の、その「反響」をこそ指すものかもしれない。それからあとも、いくつもの死が、折々に重なっていった。しかしいくら人が去ろうが、結局のところは「いまだに」その反響は鳴り止まない。止む気配など、一切ない。

 なぜならば、すべてのパンクスが、その精神が死に絶えてしまうことなどあり得ないからだ。そこに人類の文明があるかぎり、かならずやパンクスが立ち上がる。だから「Punks Not Dead」どころではなく、きっと「Punks Never Die」であるに違いない。

【今週の3曲】

The Clash - Career Opportunities (Live at Shea Stadium)

これぞ熱血の「キャリア・オポチュニティーズ」、82年の米シェイ・スタジアム公演より。すでにトッパー・ヒードンを欠き、満身創痍に近づきながらも(ザ・フーのラスト・ツアー公演のオープニングという)大舞台にてなお、この「労働者階級くさい」ナンバーをブチ鳴らすクラッシュのド根性!

The Clash - Career Opportunities (Remastered) [Official Audio]

と、そんなナンバーが、子供の合唱によって「セルフ・リメイク」されたのがこちら。アナログ3枚組となった大作4thアルバム『サンディニスタ!』の終盤に収録。つまり、77のデビュー・アルバムから3年を経てのリプリーズとも言える。

The Clash - Career Opportunities (Remastered)

クラッシュにとって、それほどまでにも重要だと見ていいこのナンバー、初出はこちら。聖なる1977年に打ち鳴らされた、これぞ「社会派」パンク・ロックの原点だった。

 ご愛読、ありがとうございました。本連載は光文社新書として刊行予定です。

川崎大助(かわさきだいすけ)
1965年生まれ。作家。88年、音楽雑誌「ロッキング・オン」にてライター・デビュー。93年、インディー雑誌「米国音楽」を創刊。執筆のほか、編集やデザイン、DJ、レコード・プロデュースもおこなう。著書に長篇小説『東京フールズゴールド』(河出書房新社)、『日本のロック名盤ベスト100』(講談社現代新書)、『教養としてのロック名盤ベスト100』『教養としてのロック名盤ベスト100』(ともに光文社新書)、評伝『僕と魚のブルーズ ~評伝フィッシュマンズ』(イースト・プレス)、訳書に『フレディ・マーキュリー 写真のなかの人生 ~The Great Pretender』(光文社)がある。
Twitterは@dsk_kawasaki

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