新刊『海の変な生き物が教えてくれたこと』より②ガンガゼ――厄介者の愛おしさと美味しさ|文・写真:清水浩史
#2 長くて美しい、厄介な棘
ガンガゼ
「厄介者」の愛おしさ
下関市(山口県)の海産物といえば、フグが真っ先に思い浮かぶ。
しかし下関では、ウニもフグに並ぶ代表的な特産だ。とりわけ瓶詰のウニは、下関が発祥の地といわれている。
2023年10月20日、下関市にある赤間神宮(あかまじんぐう)を訪れた。
ここでは例年、「うに供養祭」が開かれる。市内のウニ加工業者らが収獲に感謝し、来季のウニ豊漁を祈願するものだ。
供養祭では下関で獲れたムラサキウニを神前に供え、参列者は玉串を捧げる。そして奉納を終えた一行は、最後に赤間神宮の前にある岸壁へ移動する。
目の前は、海(関門海峡)だ。左手(東)には本州と九州を結ぶ関門橋があり、対岸(南)には門司区(福岡県北九州市)の町並みも見わたせる。
ここは海峡が最も狭い早鞆ノ瀬戸(はやとものせと)に近く、潮流が激しい。岸壁から眺める海は、川の急流のように潮が流れている。
岸壁に並んだ一行は、先ほど神前に供えたムラサキウニを手にする。
「それっー、ウニさま」
「また来年も、よろしくお願いします」
などと口にしながら、参列者は生きているウニを1匹ずつ海へ放流する。ボールのように空高く放られたウニは、放物線を描くようにして潮流に吞み込まれていく。
やはり高級食材となるウニは、海からの大切な恵みだ。供養祭におけるウニの丁重な扱いは、ヒトの暮らしを大きく支えてくれていることを物語っている。
しかし、どうだろう。
ウニはウニでも、ほとんど見向きもされないウニがいる。
「厄介者」のウニとして名高い、ガンガゼだ。
ガンガゼは「長い棘に毒があるウニ」として、広く知られている。ガンガゼは一般的なムラサキウニやバフンウニと、殻の大きさはさして変わらない(殻径〔かくけい〕が5~9センチほど)。
しかし、棘が異様に長い。棘の長さは、2、30センチにも達する。
棘の先端は鋭く尖っており、ヒトの皮膚を容易に突き刺す。刺さった棘はすぐに折れて、皮膚内に残ってしまう。棘の表面には細かい突起があり、棘を抜き取ることは難しい。
何より棘には毒があるため、刺されると大きく腫れて強烈に痛む。病院での治療が必要になることも多い。
幸い私は難を逃れているが、ガンガゼに刺された知人はたくさんいる。磯で(気づかずに)ガンガゼを踏んで、刺されることが多いようだ。ウエットスーツやブーツ、グローブを着用していても、貫通して刺さることがあるので厄介だ。
ガンガゼは温暖な海域を好み、日本では本州中部以南の浅瀬に生息している。海水浴や磯遊び、シュノーケリング、ダイビングなどをする際は、身近にいる危険な生き物だ。しかもガンガゼはコロニー(群れ)をつくる習性があるため、うじゃうじゃとガンガゼがいることも多い。
しかし「厄介者」とされる生き物には、親近感を覚える。
そもそも海の「人気者」よりも「厄介者」のほうが、自分自身に重ね合わせやすい。
五十数年生きてきた私は、おそらく周囲からチヤホヤされたことは一度もない。とりわけ会社勤めをしていた頃は、得てして仕事に身が入らなかった。海へ行くことばかり考えていた。
なのに何かと会社の指図(さしず)には反発するため、振り返ってみると、私自身が厄介者だったのかもしれない。
そんな半生もあって、「厄介者」とされるガンガゼには情がわく。
そもそも生き物は自らが生き延びることがすべてであって、周りからどんなレッテルを貼られようが関係ない。ヒトも自分を信じて生き延びることが第一だ。
20、30センチほどもある立派な棘
さて。普段は見向きもされない、ガンガゼ。
だが、よくよく観察すると、美しい生き物だ。
針山のように延びる2、30センチもある細い棘は、じつに立派なものだ。
(刺されないように細心の注意を払って)ゆっくりと顔を棘に近づけて観察すると、「林立する棘」は迫力がある。棘にも個性があるようで、白っぽい棘や縞模様になっているものもある。
ガンガゼなどのウニ類に、目は存在しない。
ただ殻(表皮細胞)には光を感じるセンサーのようなものがあり、ヒトがガンガゼに近づくと、棘をわさわさと揺り動かすようになる(陰影反射)。「捕食者かもしれない影」が近づいていることをガンガゼが感知しているためだ。
幾多もある棘の隙間には、細長い魚のヘコアユやハシナガウバウオ、小さなエビが身を潜めていることもある。
紫黒色(しこくいろ)をしたガンガゼの殻の中央には、ぽこっと突き出た(オレンジ色の)目玉のようなものが一つある。これはガンガゼの肛門だ。
口は肛門の反対側(殻の底面の中央)にある。ガンガゼの口には強力な歯があり、岩に生えている海藻などをガリガリと削り取って食べる。
殻の底面の棘が短いのは、食事の邪魔になるからだ。底面の短い棘を使って、ガンガゼは移動することもできる。
ガンガゼは長い棘ゆえに無敵かと思いきや、そうでもない。イシダイやカワハギの仲間などは、ガンガゼの長い棘をひょいと口でくわえてひっくり返し、殻の底面から襲いかかる。
やはりというべきか、第1章で紹介したゴマモンガラもガンガゼを食べる。底面の棘は短いため、強力な顎と歯を持つ魚はガンガゼの口を攻撃して殻を割る。
とりわけイシダイはガンガゼが大好物のようで、「イシダイ釣り用の餌」として流通している。
ウニであるガンガゼは、どのような味がするのだろうか。
一般的にガンガゼは、食用にされることはほとんどない。ガンガゼの身(生殖腺である卵巣や精巣)には、苦みやえぐみがあるとされる。
そのこともあって、ガンガゼは「厄介者」「危険な生き物」というイメージに偏重してしまっている。
しかし、なぜか鹿児島県だけはガンガゼを食用にしてきた歴史がある。
いったいこれは、どういうことなのか。
桜島のガンガゼ漁
2023年12月の下旬、鹿児島県の桜島を訪ねた。
東桜島漁協の磯辺昭信(いそべあきのぶ)組合長(「昭和海産」代表)は、親子でガンガゼ漁をおこなっている漁師だ。
70代の昭信氏が漁船を操り、40代の息子3人が漁をおこなう。1年を通してガンガゼ漁を営んでいるものの、1~3月だけは夜間のナマコ漁に出ることも多いという。
朝、ガンガゼ漁の船に同乗させてもらった。
この日の漁場は、桜島の北東にある磯だった。桜島沖に浮かぶ新島(しんじま)の島影が見える。
磯辺船長は岸の近くに船を停め、碇(いかり)は下ろさない。水深は7、8メートルほどあるという。たとえ岸に近くても、桜島周辺の海はすぐに深くなる。
やがてウエットスーツを着た三男が、潜水器材を背負って一人で海に入る。もちろん県知事の許可を得ての潜水漁だ。
ウニやナマコなどの漁は、乱獲を防ぐために全国的には素潜り漁が中心になっている。しかし鹿児島県では深場が多い特有な地形に加え、申請者も多くはないため、潜水器材を用いた漁が認められている。
気温は13度、水温は19度ほどの冬の海。
三男は自家製の棒(熊手)と、ステンレス製の大きな籠を手にして潜りはじめる。ガンガゼの長い棘に刺されないようにしながら、海底の岩にいるガンガゼを熊手でかき集めていく。
そしてガンガゼをぽんぽんと籠に放り込んでいく。潜って漁をすると、危険を察知したガンガゼは一斉に逃げていくという。それを追いかけるようにして、熊手でガンガゼを捕まえていく。
潜水漁がはじまると、海面に空気の泡がぶくぶくと浮かび上がる。その泡の跡を追って、磯辺船長は船が離れぬように操る。
15分ほど経つと、潜っていた三男が海面上に顔を出す。手にした籠は、ガンガゼでいっぱいだ。次男が新しい籠をさっと手渡し、長男がガンガゼの詰まった籠を船べりから引き揚げる。籠にぎっしり詰まったガンガゼは、130匹くらいになるという。
新しい籠を手にした三男は休むことなく、また海に潜る。
一方の船上は、慌ただしい。長男と次男は、籠に詰まったガンガゼを網に入れ替える。その網にブイ(浮標〔ふひょう〕)をつけて、また海に放つ。漁がおこなわれている間は、獲ったガンガゼを海に浸けておくのだ。
それによって、ガンガゼの鮮度が保たれる。大きい網目の網を用いているのは、長い棘をできるだけ折らないようにするためだ。ガンガゼの棘が折れると、味が落ちてしまうという。
船上でガンガゼの殻を割って、黄色い身を食べさせてくれた。
身の色は一般的なウニよりも少しだけ淡く、山吹色(やまぶきいろ)というよりも黄蘗色(きはだいろ)に近い。
どうだろう。
まさにウニの味だ。磯の濃い香りと旨みがある。ほんのりとした甘みもある。一般的なムラサキウニに比べると、味は濃厚というよりもやや淡泊で、優しい味わいを感じる。醤油を垂らすと味が引き立つことは、容易に想像できる。
それにしても、不思議だ。
ガンガゼは苦みやえぐみがあるとして食用にされないのは、勿体ないのではないか。ガンガゼの淡泊な味を好む需要も大きいのではないか。
潜水漁は、まだまだつづく。
以降も15分ほどの潜水で、籠はガンガゼでいっぱいになる。海面に浮上しては、また新しい籠を手にして潜っていく。
この日は1時間半におよぶ潜水で、6つの籠の収獲となった。1つの籠で約130匹なので、この日のガンガゼ収獲は800匹ほどになる。
磯辺船長は「平均すると1日で7つの籠、1千匹近くの収獲が多いかな」という。
資源を枯らさないように毎日少しずつ潜るポイントを変え、同じ場所に潜るのは3カ月ほどの期間を空けている。
潜水漁が終わると、海に浸しておいた網(収獲済のガンガゼ)を船上に引き揚げる。そして、手早く船を漁港へと走らせる。
船が港に到着し、いよいよガンガゼの運搬――と思ったら、違った。
船べりからガンガゼが詰まった網を再び海に放り込んだ。左右の船べりから網を海中にぶら下げて、海でガンガゼを一晩寝かせておくのだという。
なぜ、ガンガゼの身をすぐに取り出さないのだろうか。
それは加工作業に膨大な時間と労力を要するためだ。
船が漁港に戻ったのは、昼前の時刻。その時間からガンガゼの加工に入ると、作業を終えるのは夜中になってしまう。そのため加工作業は、朝の3時半頃からはじめるそうだ。
つまり前日から海で寝かせておいた網を早朝に引き揚げて、加工作業を開始するのだ。
網を揺さぶって「ケン(棘)を落とす」
ガンガゼの加工は、次のような手順となる。
船べりに吊るしたガンガゼの網を早朝に引き揚げ、網の端と端を2人がかりで持つ。
網をゆっさゆっさと揺さぶると、ガンガゼの棘がぽきぽきと折れる。棘は「ケン」と呼ばれており、「ケンを落とす」ことが加工作業のはじまりだ。
仮にガンガゼ1匹の重量を150グラムだとすると、1つの網には約130匹が収まっているので、網の重量は約20キロになる。これを2人がかりで長らく揺すって、長い棘を振るい落とすのだ。
棘を折ったガンガゼが自宅の作業場に運び込まれると、殻を割る作業がはじまる。船長の妻や息子の家族、親戚一同が手分けをして、殻を底から割って身を取り出していく。
殻の中には5つの黄色い身(生殖腺の房〔ふさ〕)が詰まっており、ぺりぺりとヘラで剝がす。取り出された身は、ザルに積み上がっていく。そしてピンセットを用いて、黒いワタ(内臓などの不純物)を取り除く。
実際に見学させてもらうと、じつに緻密(ちみつ)な作業だ。最後にウニの身を海水で洗い、きれいに木の箱に並べていく。美しい「板ウニ」の完成だ。
1日の収獲で、150~170枚ほどの「板ウニ」がつくられるそうだ。
午前3時半からの加工作業が終わるのは、午後2時か3時頃だという。そして翌朝、完成した「板ウニ」を鹿児島市の市場(桜島の対岸)に、ほぼ毎日搬入する。
搬入作業をするのは、磯辺船長自身だ。早朝5時発の桜島フェリーに車ごと乗り込み、午前7時前には自宅に戻る。それから船を出して、またガンガゼを収獲する。
ウニが高級食材であることは、よく理解できる。
熟練の漁だけでなく、鮮度を保つ苦労、緻密な手作業の骨折りは相当なものだ。ガンガゼの場合は長い棘があるために、棘を折る作業も生じる。
ただガンガゼの殻はさほど硬くはなく、ムラサキウニよりも殻は割りやすいそうだ。
ガンガゼ漁の醍醐味
漁を終えた磯辺船長に、あれこれと話を訊いてみる。
桜島で生まれ育った磯辺船長がガンガゼ漁をはじめたのは、28歳の頃だという。今から四十数年も前のことだ。
それ以前はカンパチなどの養殖業に携わっていたものの、維持費や人件費、設備投資に資金がかかるため、ガンガゼ漁に切り替えたそうだ。ガンガゼ漁であれば、家内労働として営めるとの判断だった。
磯辺船長は、こう語る。
「漁師の仕事は、お金になるものをお金にすることだけじゃないから」と。
ガンガゼは一般的には「厄介者」とされていることを認識しつつも、それでも海の宝だと磯辺船長は口にする。自然にあるもの、海の恵みをいかに活かせるかが、ガンガゼ漁の醍醐味だという。
全国的には磯焼け(海藻の多い藻場〔もば〕が消失すること)の原因になるとして、ガンガゼは駆除の対象になることが多い。ガンガゼは雑食性で繁殖力が強く、放っておくと藻場を荒らしてしまうと考えられているためだ。
「無理にガンガゼを駆除しなくてもいい。(漁や加工作業で)丁寧に扱えば、美味しく食べられるんだから」と、磯辺船長は訥々〔とつとつ〕と語る。
不躾(ぶしつけ)な質問ながら「ガンガゼを(イシダイなどの)釣り用の餌にすることはないのか」と尋ねると、「やっぱり手間暇がかかっても、誰かに美味しく食べてもらえることが漁師はうれしいからねぇ」という。
傾聴していると、ガンガゼ漁は大切な営みだと痛切に感じる。
というのも四十数年のガンガゼ漁を通じて、ガンガゼの収獲量は一向に減っていないというからだ。
鹿児島県内でガンガゼ漁をおこなっている漁師の数は少ないとはいえ、ざっと1日1千匹の収獲量が変わらないということは、ガンガゼの繁殖力の強さを物語っている。
もし漁がなければ、ガンガゼが大繁殖して磯焼けになることも考えられる。それは魚介類全体の収獲が落ちることを意味する。
ガンガゼ漁のおかげか、桜島沿岸ではヒジキやワカメなどの生育は良好だという。ガンガゼを食べるという鹿児島県独自の食文化が、海の豊かさを守ることにつながっているようだ。
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以上、光文社新書『海の変な生き物が教えてくれたこと』(清水浩史著)の第2章「ガンガゼ」より、前半の部分を公開いたしました。
このあと、全国的には「厄介者」とされるガンガゼが、なぜ鹿児島県では「ご馳走(高級食材)」なのか、また、その絶妙な味わい方が筆者により描かれます。
ぜひ本書でお楽しみください…!
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