直火皿晩酌の楽しさ|パリッコの「つつまし酒」#195
晩酌は気分が大事
直火使用ができる陶器製の大皿を買いました。
陶器を直火で使うといえば真っ先に思い浮かぶのが、旅館の夕食などでたまに見かける「陶板焼き」。当連載でも以前、「自室でこっそり鴨ネギ陶板焼き」という回で、その良さについて語らせてもらいましたね。
今回買ったのも、同じ「萬古焼」の器。そもそも萬古焼には、ペタライト(葉長石)というリチウム鉱石が土のなかにおよそ4割含まれ、そのため強度があり、熱に強いという特徴があるんだそうです。だからして、オーブンや直火での使用が可能というわけ。ただ、決まった形があるわけではなく、いわゆるオーソドックスな陶板だけでなくて、さまざまなデザインのものがあるそうなんですよね。今回僕が買ったのは、まさに、皿! って感じの1枚。
直径が28cm、フチの高さが6cmと、かなり大きめ。紅葉が絵付けされたデザインがなんとも渋い。これをね、カセットコンロの上に置いてじりじりと温めながら、いろんな食材をのっけてつまみにしては、しっぽりと酒を飲みたい。そう思って衝動買いしてしまったんです。
それならさ、鍋でもフライパンでもいいじゃん。わかってます。そう言いたいんでしょ? だけどさ、あくまで陶器の“皿”ってところが、良くないですか? ほら、晩酌って気分が大事だから。
でまた、前回のおさらいになりますが、陶板焼きにはさまざまなメリットもあります。まず、熱の伝わりかたが柔らかいので焦げにくく、食材がふっくらジューシーに焼きあがる。また、火にかけて使えるのでずっと熱々がキープされる。さらに、鉄製の鋳物製品などと違い、洗剤で洗えばいいだけなのでお手入れ楽ちん。そしてその性質上、焼きものをしてもほとんど油がはねない。ね? いいでしょう。
それに加えて、この大きさと、立ち上がったフチの頼もしさ。夢、広がっちゃいません? つーわけでここしばらくの間、こいつを使ってあれこれ食材を温めつつ晩酌をしてみてたんですが、これが毎度、文句なしに楽しいんですよ。今回は、そのいくつかをご紹介しましょう。
直火皿は温泉なのかもしれない
たとえばですね、スーパーの惣菜売り場で割引になっていた、焼きそばと麻婆豆腐。いつもならこういうものは、レンジでチンして黙々とすすりつつ、缶ビールを飲む。という、まぁ、どちらかというと殺伐系の風景になりがちですよね。
ところがこれらを、薄く油をひいた直火皿に、どさっとのせてしまう。あればその上に小ねぎなんかを散らしてしまう。それだけで、あら不思議。なんだか素敵な夜が始まりそうな予感がしてきませんか?
カチッ、ボッ! とコンロに火をつけたら、ごく弱火にする。直火皿の使用は弱火が基本。焦らずにいきましょう。それでもけっこうすぐに、温まり始めた焼きそばと麻婆豆腐から、ふわりふわりと湯気が立ち上りはじめます。
全体がおおよそ温まったら、いざ、皿から直に焼きそばをすする。麻婆豆腐もすする。あ〜……なんだろう、このレンチンとはどこか違う、麺の1本1本、豆腐のひとかけひとかけが、芯からあったまってる感じ。ユニットバスと温泉の違いというか。
で、これが時間の経過とともに、冷めるどころかどんどん熱々になってゆく。あまつさえ、ゆっくり時間をかけてではありますが、焦げ目なんかもついてくる。カリカリと香ばしい麺、スパイシーなひき肉と豆腐。しかも、それらの境界線がですね、こちらが意図せずとも、徐々に徐々に曖昧になっていくんです。つまり、だんだんと“麻婆焼きそば”に変化してゆく。食べている間じゅう、ひと口たりとも同じ味が続かない。これは楽しいですよ〜。
後半、思いたって皿のはしに、ポトリと生玉子を落としてみる。半熟くらいまで火が通ったところで、さっきまでとは違い、ちゃんと“意図”して、全体をぐわーっと混ぜてしまう。それにより、もはや料理名すらわからない、熱々の麻婆焼きそばの玉子まぶし的な、最強のつまみが誕生してしまう。
正直な話、割引惣菜2品でこんなに満足したの、生まれて初めてかもしれません。
すべては混沌へと帰る
と、焼きそばと麻婆豆腐に文字数をかけすぎてしまったので、ここからはかけ足気味でいきましょう。
商品説明には、「揚げものには使用しないでください」という表記があったので、じゃあ逆に、それ以外の調理ならたいていは可能ということですよね。続いては、「焼き肉」と「鍋」を一気に試してみましょうか。つまり、前半は肉を焼き、後半ですき焼きに変身させるトランスフォーム実験。
まずは、牛肉と豆腐を皿に盛り、火にかけます。
比較的お手頃なアメリカ産の薄切り牛ばら肉だったんですが、しっかりと脂がのって、いきなりいい香り。鉄板や網焼きと違い、すぐに焦げ目がつくわけではないので、焼きしゃぶ感覚っていうんですかね。牛の旨味がじわじわ浸透した豆腐とともに、焼肉のたれでいただきます!
陶板とプラシーボ、どちらの効果もあるんでしょうが、肉も豆腐もふわっふわに焼きあがっていて、素晴らしくうまい。もう、ゴールまでこのまま完走してしまいそうになる。けれどもしばしこの味を堪能したら、皿に肉、ねぎ、白菜を豪快に追加していきます。
そこへ市販のすき焼きのたれをどぼどぼと注ぎこみ、しばらく待てば、はい、すき焼きへのトランスフォーム完了〜!
完璧だ。完璧ですよこれは。もう、完璧以外の言葉がない。本当に買ってよかった。直火皿。
ところで最近、僕、「野菜」の真理に、以前よりもぐっと近づいた感覚があるんですよね。野菜はうまい。どう食べたってうまい。けれどもその美味しさを最大限に堪能したいなら、方法はひとつ。「新鮮な野菜を、買ってきたらなるべくすみやかに、シンプルな味つけで食べる」ということ。なんだか文章にすると陳腐ですが、本当にそう実感することが多くて。
というわけで、近所の農産物直売所で100円でゲットした、かぶ。次はこいつを直火皿にのせてやりましょう。
買ったその日に、ざくざくざくっとおおざっぱにカットして、身もヘタも茎も葉っぱも、全部まとめてどさどさっと。そしたら全体にオリーブオイルをざっと回しかけ、塩をぱぱっとふって、火にかける。それだけ。
決して値段じゃない。こういうものこそが本当の贅沢だと、思うようになったというわけなんです。最近。肉厚でジューシーな葉、ほろ苦くしゃきしゃきの茎、旨味の凝縮されたヘタ、そしてそして、「これ、なんらかの方法で加糖してないと辻褄が合わなくない?」とすら思うほどに、甘く香りの良いかぶ。あぁうまい、いくらでも食える。
そしてまた、直火皿の長所、時間の経過とともに変化する味がまたいいんですな。最初はほんのりしゃきしゃきとしていたかぶが、最終的には口に入れただけでとろけてしまうクリーム状に……。何度でも言いますが、なんて贅沢な料理なんでしょうか。シンプルに塩味で焼いた、新鮮な野菜。
と、意識高めの話をしておいて、最後は意識を低めに戻して終わりましょう。というのも、直火皿晩酌の楽しさを味わうには最強かも? と感じている一品がありまして、それが、「のり弁」。
コンビニとかスーパーで売っているようなのでいいんです。その、のり弁をですね、いったん解体し、直火皿の上に再構築するんです。いえいえ、ルールはありません。あなたの感覚のおもむくままに。そこに広がるのは、静寂の世界。Like a 枯山水。
そうしたら今回も弱火にかける。ちりちりちりちり……静かな、静かなのり弁晩酌の始まりです。
まずは玉子焼きからいってみるか。もぐもぐ、ちびり。コロッケをひっくり返してみると、お、表面がじわじわとしだしたぞ。冷えて若干固まったごはんは、スプーンで食べやすく崩しておこうかな。ちびり。
な〜んて、あっちこっちをつついていると、徐々に境界線がなくなりはじめるのり弁。インドのミールスの世界にも通じるかもしれない。
そして、残りが3分の1くらいになったところで、やっぱり混ぜる。思いっきり混ぜる。さっきまでの静寂の世界が一転、顔を出すカオス。しかしながら、宇宙っていうのはそもそもが、そういうものなのかもしれませんね。その混沌が、また酒に合う。
あれ? なんの話をしてたんでしたっけ? あ、そうだ、直火皿を使った晩酌が楽しいって話だ。そうそう。後半の、枯山水やら宇宙がどうたらって話は忘れてください。
とにかく、直火にかけられる器って世の中にいろいろあるみたいなんで、ご興味あればゲットして、おうちで楽しんでみるのも一興かと〜。