女の子がピンクを好きで男の子が青を好きなのは生まれつきではない|『つくられる子どもの性差』より「はじめに」公開
はじめに
「女の子はおとなしくていいよね。男の子は本当に大変だから」
子育てをする親同士の会話で、よく耳にしそうな言葉です。
子どもにかかわるときに、私たちは色々なことの原因を、子どもの性別に求めます。実際には、育てやすい男の子もいれば、手のかかる女の子がいるにもかかわらずです。
これ以外にも、子どもの能力や行動、得意不得意を、性別によって決めてしまう大人の傾向は珍しいものではありません。女の子はピンク色が好きだとか、男の子のほうが数学は得意であるとか、口にしたことがある人は少なくないでしょう。
ジェンダーに関する意識が浸透してきた現代において、「女性だから」「男性だから」という言葉を公で発信しようものなら、炎上は必至です。男性政治家が、女性政治家を「女性なのに」優れた政治家であると発言して問題になったことがありました。医大の入試において、女性であることを理由に評価を不当に下げるという不正も発覚しました。同じようなことが、子育てや保育・教育、お稽古などの子どもにかかわる現場で行われ続けているわけです。
このような子どもの性差に関する認識には、科学的な根拠があるのでしょうか。本書ではこの問題を扱っていきます。
性差とは
そもそも性差があるとはどういう意味でしょうか。英語では、性を表す言葉としてセックスとジェンダーがあります。セックスとは、主に生物学的特徴から女性や男性を定義することです。最近は定義がそう単純ではありませんが、たとえば、性に関する染色体の違い(女性はXX、男性はXYというやつです)や生殖器の違い(卵巣、睾丸)などの特徴が含まれます。
一方、ジェンダーとは、ある社会が女性や男性にふさわしいと考える役割や行動に関するもので、「女らしさ」とか、「男らしさ」などと関係します。こちらは、生物学的なものというよりは、社会や文化によってつくられるものです。
本書では、主にセックスに近い意味での性差について考えていきますが、一部ジェンダー的な意味でも使っていきます。また、心に関する性差という意味で使っていきます。
実は、心理学では、セックスの意味での性差は古い問題とされ、現在はジェンダーがより中心的なテーマになっています。生物学的に女性であっても男性を自認する人も少なくありませんし、生物学的に男性であっても女性を自認する方もいます。そうした性自認や性的指向(性的魅力を感じる性別)は必ずしも生物学的な性別には一致しないことから、生物学的な性差だけに目を向けることがどれだけ意味があるのかと思う方もいるかもしれません。
ですが、冒頭に書いたような会話は現代でもいたるところで見られます。古い問題とされているにもかかわらず、十分な検討がなされていないように思えます。セックスの意味での性差からしっかりと考えていく必要があると思うのです。
心や脳に性差はある?
では、心や脳に性差はあるのでしょうか。オーストリアの心理学者・精神科医で精神分析の創始者であるジークムント・フロイトの言葉に、生まれながらにして異なる女性と男性はそれによって異なる性格や役割を持つという趣旨のものがあります。
性差にまつわる議論は、フロイトのような主張との闘いと言っても過言ではありません。ですが、フロイトのような考えは我々の心の奥底に巣食い、現代でも、表立って言わなくても、女性と男性では行動や心の在り方が異なるという考えを持つ人は、少なくないように思えます。「女性脳」「男性脳」などのように、浅薄な根拠しかない似非科学本が売れたり、YouTuberがさも科学的事実であるかのように誤った内容を紹介したりするような状況が続いています。
具体的には第1章で見ていくことになりますが、女性と男性では、心に違いがあるというよりは、似ている部分のほうが多そうです。とはいえ、全く性差がないというわけでもありません。どのような側面に性差があり、どのような側面には性差がないのか。皆さんが持つお考えと照らし合わせながらお読みいただけると幸いです。
また、疑似科学が多い脳の研究についてはどうでしょうか。こちらについても第1章で紹介しますが、現在進行形で研究が進められており、まだ確定的なことは言えないというのが現状です。
本書の1つ目の目的は、子どもに性差があるのは心のどのような側面であるのかを科学的知見に基づき考えていくことです。
心の性差はつくられる?
本書では、子どもの心に性差があった場合に、どのような要因によってそのような性差が生み出されるかについても触れていきたいと思います。
第2章以降で詳しく見ていきますが、赤ちゃんのころにはほとんどの行動や能力には性差がないか、あっても極めて小さいことが示されています。ところが、年齢を重ねるうちに、性差が比較的大きくなっていくことが見て取れます。
つまり、心の性差は、生まれつきのものではなく、発達の産物ということです。ここで大事なのが、どのような要因が影響するかということです。小さいながらも子どもの心の性差に影響を及ぼすのが、性ホルモンなどの生物学的な要因と親を含めた周りの大人やメディアの何気ない行動やかかわり方です。つまり、子どもの心の性差の一部は、大人によって「つくられる」のです。
心の性差が小さいのであれば、問題がないと思われる方もいるかもしれません。ですが、気がかりなのは、そのほんの少しの子どもの心の性差が、後の進路や職業選択に影響を及ぼすことが示されている点です。
この両者をつなぐものの1つが、大人や社会の性別に関する思い込みです。具体的には、先述した「女の子はピンク色が好き」とか「男の子は数学が得意」といったものです。実際には女の子だからといってピンク色が好きとは限りませんし、男の子だからといって数学が得意とは限りません。これはただの思い込みに過ぎないわけです。
このように、「本当に性差があること」とは別に、私たちには「性差があると思い込む」傾向があります。これはジェンダーステレオタイプと呼ばれます。私たちの脳の処理能力には限界があるため、個々人を見るよりも、「女性だから」「男性だから」という点で判断してしまうのです。
つまり、生物学的な要因や大人のかかわりによってつくり出された小さな心の性差が、大人のジェンダーステレオタイプによって増幅され、子どもたちの進路や職業選択にすら影響を及ぼす可能性があるのです。二重の意味で心の性差がつくられているのです。
「女性脳」「男性脳」のような似非科学本が罪深いのは、そのような本を読む大人がジェンダーステレオタイプを持つことだけではありません。そのような誤った信念を持った大人が子どもにかかわることで、本来であればほとんどないような性差をつくり出してしまったり、子どもたち自身がジェンダーステレオタイプを持つようになり、ステレオタイプに沿った行動を選択してしまったりするようになる可能性があるからです。
たとえば、「女性は数学が苦手」だと親や教師が思い込んでいると、女児に対して数学に関する活動を奨励しないかもしれませんし、女児が自分もそうだと思い込んで進路選択に影響を及ぼすかもしれません。
難しいのは、多くの場合、大人は自分が子どもに影響を与えていることに無自覚であるという点です。意図せずに、子どもたちの性差をつくり出し、子どもたちの進路選択に影響を及ぼしてしまうのです。この点をどうにか変えられないかと筆者は考えています。
このような「子どもの心の性差がつくられる」ことを明らかにするのが本書の2つ目の目的になります。
知ることで変えられる
かくいう筆者も、性別に関する思い込みは決して小さいほうではありませんでした。筆者の出身は九州の福岡県です。男兄弟の中で育ち、体育会系の男性ばかりの部活に励んでいたもので、性別に関してはバランスのいい感覚を持っていませんでした。
そんな筆者が、子どもの性差の問題についてしっかりと考えなければいけないと思うようになったきっかけは、主に3つあります。
まず、一般に女児は男児よりも成長が早いと言われますが、発達心理学者として子どもたちの研究をしていると、明確な性差が見られる結果のほうが少ないことに気づきました。そして、科学的知見としてどうなっているかに興味を持ちました。
2つ目は、保育園や幼稚園、自治体の家庭支援事業などで子どもの支援をする中で、様々な要因によって子どもが不利になる事実を目の当たりにした経験です。家庭の経済状態はもちろんですが、性別によって子どもたちの進路選択に大きな影響があることに直面し、現状を変える必要を感じました。
3つ目は、筆者自身が家族を持ったことです。これまで男性という視点でしか世の中を見ていなかったことを痛感しました。
このような経緯で、性差について学術的な興味を持ちました。筆者自身は未だに十分なバランス感覚を持っているとは言いがたいのですが、性別についての科学的な根拠に基づいた内容を、読者の皆さんにお伝えできればと思っています。
本書の概要
本書ではあえて、性差がある行動や能力を取り扱っていきます。わずかにある性差を明らかにすることで、性差はあっても微細なものであるということを明らかにするためです。
第1章では大人の「心や脳の性差」について触れます。現時点では、ほとんどの行動や好み、脳の働きには性差がないと結論付けることができます。ここでは、わずかに性差があるものとして、空間認知、言語、攻撃性、学力についての研究を取り上げます。また、脳に性差があるのか、という点にも触れたいと思います。
第2章以降で、子どもの性差とそれにかかわる要因について紹介していきます。第2章では、子どもの好みの性差を紹介します。具体的には、「色/おもちゃの好みの性差」についてです。また、このような性差を生み出す要因として、生物学的な要因と環境的要因を挙げていきます。
第3章では、大人の行動の中で最も性差が大きいものの1つといわれる「空間認知の性差」がいつごろから見られるかを説明します。また、空間認知の性差を生み出す要因として、親の言葉がけについて見てみたいと思います。
第4章では、「言葉の性差」について見ていきます。一般に言葉の発達は女児が早いとされますが、どの程度の性差が見られるのかをデータを基に考えていきます。また、第3章と同様に、親のかかわりが言葉の性差といかにかかわるかを見ていきます。
第5章では、「攻撃性の性差」について紹介します。犯罪データや攻撃性の研究を見ながら、どのような攻撃性にどのような性差がいつごろから見られるかを紹介します。こちらの性差には、親のジェンダーステレオタイプや育児が影響を及ぼすことを見ていきます。
第6章では、教育学や社会学でよく取り上げられる「学力の性差」について考えてみます。国際的な学力テストや学校の成績などに性差があるのか、また学力の性差にも、親のジェンダーステレオタイプがいかにかかわるのかを紹介します。
第7章では、「感情の性差」を扱います。一般に、性差があるとされる感情ですが、実際のところどうなのかを紹介します。
第8章では、ここまで見てきたわずかに性差があるような行動や能力が、いかに大人の誤った信念や無意識的な行動によって生み出されているかについて見ていきます。子どもの行動や能力の性差をつくり出しているのは、少なくとも一部では、我々大人なのです。
第9章は全体をまとめて、子どもの性差について大人がどのようなことができるかを考えていきたいと思います。
本書が、親や教育関係者、子どもにかかわるすべての人にとって、子どもの性差に自分がいかに関与しうるかを考え、行動を変えるきっかけになればと願っています。
著者紹介
森口佑介(もりぐちゆうすけ)
福岡県生まれ。京都大学大学院文学研究科修了。博士(文学)。京都大学大学院文学研究科准教授。専門は発達心理学・発達認知神経科学。『子どもから大人が生まれるとき 発達科学が解き明かす子どもの心の世界』(日本評論社)ほか著書多数。2022年10月、子どものジェンダーステレオタイプが生じる時期を解明した論文が国際学術誌に掲載され、大きな話題となる。
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