自在化身体論|馬場紀衣の読書の森 vol.58
デジタル化の進展によって人はこの先どこへ向かうのだろう。自動車や航空機による移動、製造機械に頼った生産、インターネットがもたらした情報通信。工業化のそもそもの目的はそれまで人間の肉体が担っていた労働を機械に置き換えることにある。機械は身体を酷使する苦役から人を解放してくれた。それはとても便利なことで、と同時に、私にはすこし怖いことのように思える。今さら怖がったところでどうしようもないのだけれど。なぜって、私たちはもうずいぶんと前から「脱身体化」の動きにのまれているのだから。私たちの仕事や生活はこれからさらに変化していくだろう。だから人の身体もまた、変化を免れることはできない。
この本のタイトルにある「自在化身体」が提示するのは、高度に情報化された時代における新しい身体像だ。意のままに振るまうロボットやバーチャル世界のアバター。人が「物理空間とバーチャル空間を縦横無尽に行き来しながら、幾多の身体を自らのものと自由自在に使い分けることが可能になる」未来はもうすでに来ている。そんな未来では、もはやもって生まれた肉体だけが身体ではなく、それどころか自分の身体という束縛から解き放たれる可能性もあるという。
本書にはさまざまな研究者が登場する。機械との融合を目指したり、拡張身体を通して脳の謎を暴こうとしたり、神経科学で境界を超えようとしたり。あるいは身体そのものをなくしてしまうというヴィジョン。著者いわく、自分の身体がある状態とない状態、自由に変えられる状態のあいだを自在に行き来できる手段を見いだすことができれば「思念クラウド」のような世界を実現できるという。身体のない自分がクラウド上に存在していて、用途や場面に応じてアバターを使い分けるイメージだ。
私が恐れていることのひとつは、行き過ぎた「脱身体化」による影響だ。たとえばネットを介した自由な交流の場では、温度の感じられる距離で友人の声を直接耳に聞くという喜びは満たされないし、実際に触れあうことで得られる幸福感は、肉体を心と一緒に連れて行くことで満たされる。「自在化身体」はこうした課題をも乗り越えていこうとする。
本を閉じたあとで疑問に思ったことがある。人はほんとうに自分の身体を所有している、といえるのだろうか。安定した社会と豊かな生活が人間にもたらしてくれた新しい身体を私(あるいは私たち)はまだ持て余しているみたいだ。