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【第88回】そもそも「大東亜共栄圏」とは何だったのか?

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大東亜共栄圏は大日本帝国の「アジア支配構想」!

1945年4月、大日本帝国の大本営は『国民抗戦必携』を発行して、国民に配布した。「敵が上陸してきたら国民はその土地を守って積極的に敵陣に挺身切込みを敢行し、敵兵と激闘し、これを殺し、また兵器弾薬に放火したり、破壊して軍の作戦に協力しなければならない」という「抗戦命令」である。

この『国民抗戦必携』には、「白兵戦の場合は竹槍で敵兵の腹部を狙って一突きに」とか、「背の高いヤンキーと戦うには、刀や槍をあちこちにふりまわしてはならない。腹をねらって、まっすぐに突き刺せ。ナタ、カマ、熊手などをつかうときは、うしろから攻撃せよ」などの殺害方法が解説されている。

実際には、もし日本が降伏しなければ、アメリカは8月19日に「東京ジョー」と名付けたプルトニウム型原子爆弾を東京に投下する予定があった。それでも日本が抗戦を続けたら、札幌から佐世保まで全国12都市へ順番に原爆を投下する計画もあった。あくまで「本土決戦」を主張し「抗戦命令」を下した大本営が、どれほど時代錯誤で非科学的だったか、よくわかるだろう。

さて、このように大日本帝国に批判的な見解を挙げると、「当時の情勢をよく理解していない」とか「自虐史観」などの非難が寄せられることがある。いわゆる「ネトウヨ」が賛美する「大東亜共栄圏」構想によれば、「大東亜戦争」は欧米の植民地支配から「アジアを解放」するための正義の「聖戦」だというのだが、実はこの構想は大本営末期のプロパガンダそのものなのである。

本書の著者・安達宏昭氏は1965年生まれ。立教大学文学部卒業後、同大学大学院文学研究科修了。立教中学校・高等学校教諭、東北大学准教授などを経て、現在は東北大学教授。専門は日本近現代史・戦時期政治経済史。著書に『戦前期日本と東南アジア』(吉川弘文館)や『「大東亜共栄圏」の経済構想』(吉川弘文館)などがある。

第1次世界大戦後、連合国に加盟した日本は国際連盟でイギリス・フランス・イタリアと並ぶ常任理事国となり、世界の「5大強国」と呼ばれるようになった。ただし、日本の経済はアメリカとイギリスに大きく依存していた。

1933年時点で、日本の主要工業原材料の31種目が自給率50%以下であり、100%近くを輸入に頼る原材料が17種目もあった。石油はアメリカ42%、生ゴムはイギリス領マラヤ69%、鉄はアメリカ25%・イギリス16%など……。

1940年8月1日、外務大臣の松岡洋右が「当面の外交方針は大東亜共栄圏の確立」と初めて「大東亜共栄圏」という言葉を用い、その範囲を「広く蘭印、仏印等の南方諸地域を包含し、日満支三国はその一環である」と定めた。

本書で最も驚かされたのは、「大東亜共栄圏」という言葉が、その翌日に予定されていたドイツのオット駐日大使との交渉で「ドイツの勢力圏から東南アジアを除外させるために発案された実体のない外交スローガンだった」という指摘である。「日独伊三国同盟」は「世界再分割の協定」だったわけだ!

現実は「自存自衛」から大きく遊離していた。「大東亜共栄圏」の天然石油は目標2万トンに対して1941年度実績は327トンに過ぎない。本書は綿密に数値を挙げながら帝国のアジア支配失敗を検証する。戦局が悪化すると「大東亜会議」に迷走した。本書を読むと「絵に描いた餅」の末路がよくわかる。

本書のハイライト

大東亜共栄圏は、日本が経済的な自給を強く意識したものだった。当時、経済的自給を図るため、主権国家の枠組みを超えて近接する地域が統合される圏域を、「経済自給圏」「広域圏」「広域経済」と呼んだ。大東亜共栄圏は日本が中核となってつくろうとしていた経済自給圏だった。(p. iii)


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著者プロフィール


高橋昌一郎/たかはししょういちろう 國學院大學教授。専門は論理学・科学哲学。著書は『理性の限界』『知性の限界』『感性の限界』『フォン・ノイマンの哲学』『ゲーデルの哲学』『20世紀論争史』『自己分析論』『反オカルト論』『愛の論理学』『東大生の論理』『小林秀雄の哲学』『哲学ディベート』『ノイマン・ゲーデル・チューリング』『科学哲学のすすめ』など、多数。

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