見出し画像

プロボノと利他と広告と。杉山恒太郎さん、山口周さんの特別対談を公開!――新刊『広告の仕事』より

日本の広告界のレジェンド、杉山恒太郎さんの新刊『広告の仕事 広告と社会、希望について』より、独立研究家で『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』の著者・山口周さんとの対談を公開します。

上の記事では『広告の仕事』から「はじめに」と目次を公開中です。

プロボノの大きな意味

※プロボノとは、専門家が専門知を生かして行うボランティア活動のこと。プロボノは、近年注目されている「利他」にも通じる。

杉山 まず山口くんに話を深めてもらいたいのは、プロボノのこと。

本文にも書いたけれど、新型コロナウイルスの影響を受けて、銀座の街が本当に大変なことになった。第一回目の緊急事態宣言の頃は、日本で一番のゴーストタウンになっていたと思うよ。生活のない街だし、本当に人っ子一人いなかったからね。

僕もライトパブリシティに移籍して一〇年、銀座で暮らしている中で老舗の旦那衆と呼ばれる若い経営者たちとも友情みたいなのが芽生えていたし、皆さんもさすがに戸惑っていた。その姿を見て、何かサポートしてあげられないものかと思ったんだ。ライトにとって銀座の街は七〇年お世話になっているホームタウンそのものだしね。

それで考えていくうちに、「そうだ、デザインなら彼らに無償で提供することができる」と気づいた。そこで、若い旦那衆何人かに会社まで来てもらって、半年間、二〇二〇年の暮れぐらいまで、一切無償でデザインのサポートをするので、何でもいってほしいと伝えた。

たとえば当時、多くの店が料理のテイクアウトを始めて、写真を外に貼っていたけれど、やっぱり素人の写真だからあまり美味しそうに見えない。文字の使い方もそう。でも、われわれだったらもう少し美味しく見えるようにできる。そういう小さなことから始まって、最終的に「おかえりGINZA」という元気の出る!キャンペーンをやろうということになった。

西洋だと、何かの「宣言」はだいたい旗だけれど、この街・銀座は「暖簾」だろうと考え、「暖簾」をメディア化して、「おかえりGINZA」という新ロゴをデザインして、それぞれの店先で展開してもらった。

それがあっという間に「うちも、ぜひ!」と六〇店舗ぐらいに広がって、みんなすごく喜んでくれて、単純に恩返しできたかなぁという気持ちもあったけれど、何よりも嬉しかったのは、「おかえりGINZA」に関わったライトパブリシティの若い子たちが喜んで取り組んで、それでみるみる成長していく姿を目の当たりにしたこと。そうだ、これこそが「プロボノ」の真の意義なんだと実感できたわけ。

街の人たちの久しぶりに見る笑顔にも感動したし、自分たちが持っている職能・技術をこういう形で提供できたという達成感も感じたけれど、何より、関わったライトの若者たちがプロボノを体験して、一回りも二回りも大きくなっていく姿には目を見張ったよ。そういう個々の成長は、われわれの本業にもつながっていくしね。

で、このプロボノの経験って、山口くんもよく書いている「利他」「贈与」「コモン」ということにも通底しているなと、後から少しずつ気づいていった。そこで、山口くんにこの部分のお話をうかがいたいというのが、この対談の主旨です。

杉山恒太郎

山口 プロボノを通じて若い人が成長したということですが、ここで杉山さんがおっしゃっている「成長」って、どういう方向の成長なんですか? スキルの話じゃないんですよね?

杉山 スキルというより、なかなか数値化できない自信とか、いい意味での自負の部分かな。あと、われわれは直接、ものを売っているわけではないから、お客さんのリアルな喜びに接することがない。「賞」という褒められる仕組みはあっても、基本、メディアを通しての反応しかわからない。なので、普段歩いている街の店先で「ありがとう」とか「勇気をもらった」とかいってもらえて、フィジカルな反応を受けることがすごく重要だと思った。

加えて、それこそ資本主義の話になっちゃうけれど、何もかもを商品化される世界で、僕たちの時間もお金に換算されてしまう。ところが、無償のプロボノが時間をお金から解放してくれて、自分の時間が手に入る。そこで、自分なりのデザインやコピーなど、新しい表現ができる。そうすると、結果的には技術もぐっと上がるよね。

まあ、僕から見ると、イニシエーションを終えた少年が大人になったというような実感を得られたことが一番嬉しかったかな。
伝えるべきものを伝えることができる喜び

山口 今回の杉山さんの本って、広告が担える希望についてのお話だと思うんです。広告は伝える側の伝える技術だけで成立しうるものではないと、僕は思っています。今、広告はあまり元気がないといわれているけれど、それはなぜなのか? あらためて振り返ってみると、日本がすごく元気だった時代、広告がすごく元気だった時代というのは、伝える技術を持っている人がいる、という以前に「伝えるべき何か」を持っている人がいたというのが重要だと思うんです。広告が元気になるためには「伝える技術を持っている人」と「伝えるべき何かを持っている人」が出会わなくてはならない。ライトの若い子がプロボノによって、エネルギーが充填されたというのは、「伝えるべき何か」を伝えることができた、広告が担える希望を再確認できたということも大きいのではないでしょうか。

伝えるべき何かというのは、広告会社は作れないですよね? 伝えるべき何かを持っている人がいて、一方で、それを伝えてほしいという人もいる。世の中がそういう状況にないと、いくら伝える技術を持っている人がいても、うまく機能しない。ここに広告会社のジレンマがあると思います。僕も電通にいたときに「この広告、本当に世の中に出しちゃうの?」という経験を何度もしていますからね。

山口周

杉山 多いよね(笑)。

山口 広告に限らず、すべてのビジネスは時間の経過とともに無意味化する宿命を負っていると思うんですね。たとえば高度経済成長の時代であれば、それまで真冬の寒い日に手を悴ませながらタライで洗濯していた人に対して「これからは電気洗濯機で洗濯できるようになりますよ」と伝える仕事に、人は大きな意味を感じていたと思います。それに対して、今みたいに本質的な問題解決にならないような商品が増えてくると、そこに携わっている人の精神を健康な状態に保つのはとても難しいと思います。この問題は今になってものすごく大きくなっていますけれど、昔から存在しています。

たとえば、杉山登志さんなんかも、精神が崩壊する寸前のギリギリのところでCM制作をやられていたと思うんです。大量生産、大量消費社会の中で、あってもなくてもどうでもいい、むしろないほうがいいようなものを世の中に押し込むためのお先棒を担いでいることに対して自己破綻を感じていたと思うんですよ。

話を戻すと、「伝える技術を持っている人」は、「伝えるべき何か」に飢えていると思うんです。広告やデザインに関わる経営者の仕事は、その「伝えるべき何か」を持っている人を見つけてきて、それを「伝える技術を持っている人」に回してあげることじゃないかと思うんです。杉山さんがプロボノでやられたのは、たぶんそれだと思うんですよね。

杉山 広告にお金を払っているのはクライアントで、広告を作っているのはわれわれだけれど、世の中に出た瞬間に広告は公共物に変わる。公共物によって、たとえば子供がいやな気持ちになったり、乱暴な気持ちになったりするのは非常にまずい。そんな広告は出さないようにしようと、口酸っぱく話しています。

だから、クライアントがチェックしてOKを出した広告でもダメ出しをすることがある。「ダメ。これは外には出せない」というと、びっくりするわけだよ。

山口 クライアントがOKといっているのに?と。

杉山 でも、いかにダメかを説明して、やり直せというと、最初はびっくりするけれど、むしろ喜ぶよね。クライアントに縛られている状態から少し解放されて、「そうか、もっとやっていいんだ」となる。

先ほどの、時間すら商品にされている世の中で、自分の時間というものがあるんだって気づかせるのと一緒でさ。クライアントはOKだけれど「それはダメなんだよ」ということで、縮こまっている心が少し開くじゃない。開かれた状態でこそ、人は幸せや喜びを感じるから、そういうふうにしてあげる。心が萎縮して固まってしまうと、何が何だか自分でもわからなくなっちゃうから。

プロ化の危険性、アマチュアイズムの重要性

山口 杉山さんは、四〇過ぎまで、広告の仕事にある種の戸惑いを持たれていたというか、ど真ん中にいる感じがしなかったと、どこかでおっしゃっていましたよね。でも側から見ていると、ずっとど真ん中で仕事をしてこられたように見えますよね。だって入社数年で「ピッカピカの一年生」をやられたわけですから。

杉山 うん、数年経ってなかったね。

山口 そうですよね。だけど四〇歳になるまで、据わりの悪さみたいなことを感じられていた。一方、今の若い子が、入ってすぐに広告業界の人しか知らないようなジャーゴン(専門用語)を使ってイキがっているのを見て、ダメだと思うとも書かれていた。

表現が難しいんですけれど、仕事って時間が経てば経つほど枠組みがかっちりできあがって不自由になっていきますよね。たとえば、杉山さんがラジオCMを始められた頃って、コピーライターやCMプランナーっていう職種は存在していたんですか?

杉山 コピーライターという言葉はあったけれど、CMプランナーはなかった。コピーライターは、広告代理店の中でもちょっとインテリで、本来は小説や詩を書きたいという雰囲気を醸している人たちだったのね。だからラジオやテレビのコピーは書いてくれない。新聞や雑誌など紙媒体専門。テレビのコピーみたいにダジャレをかましたりする、インテリジェンスの対極にあるような仕事はしない。だから「ピッカピカ」も「セブンイレブンいい気分」も、コピーライターがやってくれないから、仕方なく自分でこさえたんだよ。

山口 なるほど。今回の杉山さんの原稿を読んで、「プロ化の危険性」みたいなことを感じたんです。

今だったら、たとえば「CMプランナーの仕事はここまで、ここから先はアートの仕事」とかって分かれていますよね。でも本来、広告やコミュニケーションの仕事って、CMプランナーがアートの仕事をやったって構わないはずです。佐藤雅彦さんなんてまさにそうでしたよね。全部自分でやっちゃう。みんなアイデンティティが曖昧な状況は怖いので自分を何らかの職種で名付けたがる、つまり「プロ化」したがるわけですが、「名付け」というのは非常に危険ですよね。自分の職種を手垢のついた言葉で名付けてしまうことで思考の可動域も行動の可動域も両方狭めてしまう恐れがある。

杉山さんの今回の原稿やこれまでのご著書を読んでいると、いい意味でアマチュアイズムがあると感じます。

杉山 アマチュアとはプロになれない人をいうのではなくて、プロになりたくない人のことをいうんだ。話が錯綜しちゃうかもしれないけれど、アマチュアといっても素人ではないのよ。プロのアマチュアなんだね(笑)。

山口 そうそう。

杉山 僕はそれがすごくいいと思っている。良くないのは「えせプロ」。

山口 素人なのに言葉や振る舞いはプロみたいな感じ、プロのアマチュアか(笑)。

杉山 これはもう複雑だと思う。たとえば、寿司屋に行ってガリくれとか、ムラサキとかギョクって言うの、昔の寿司職人は本気で怒ったのよ。「素人がそんな隠語を使うんじゃねぇ」って。横で若い子が、こういう隠語というか符牒を使っているのは聞くと、こっちが恥ずかしくなってしまう。ちゃんと「ショウガ」といえ、「お醤油」といえ、「卵」といえ、何が「ギョク」だ、みたいな(笑)。そういう行儀を弁えないのが「えせプロ」でしょ(笑)。

※続きは本書でお楽しみください。


この記事が参加している募集

光文社新書ではTwitterで毎日情報を発信しています。ぜひフォローしてみてください!