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〈無理やり入れられた(?)メタバース〉Web3の要素技術の短い紹介③――『Web3とは何か』by岡嶋裕史 prologue7

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無理やりWeb3に入れられたメタバース

メタバースはどうだろう。これをWeb3にくっつけるのは、流行りものをセットにする以上の意味はないと思う。

メタバースはネット上に構築される仮想世界だが、これを構築するのにこそ大組織、大資本が必要だ。利用者が満足するほどの精度の「世界」を作り上げるには、莫大なお金と技術の蓄積と人的資源がいる。

だからAAAと呼ばれる水準のゲームはその開発に数十億かけ、トップクラスのクリエイターを引き抜き、それでも足りずに建築物や山野河川などの背景をAIで作ろうとしているのである。

たとえばRobloxなどのメタバースで、「子どもたちが自由な発想で仮想世界ならではのゲームを制作して自分を表現している。主役は彼らだ」などと言われるが、Robloxこそその主たるコンテンツはゲームであって、無償かそれに近い形で子どもたちをその生産に従事させていると捉えることもできる。

メタバースはその成り立ちからいっても、自然発生的なものにはなり得ない。だからこそ、数多のプレイヤが勝ち名乗りを上げるためにメタバースに参入してしのぎを削り、先行者利得を手にしようともがいているのである。その様子は、「巨大IT企業の支配から個人が解放されたWeb」からはかけ離れている。

ブロックチェーンとメタバース

メタバース自体は「閉じた系」であるから、その系のなかで真正性の確保や永続性の担保のためにブロックチェーンを使うという言い方はできる。

でも、その系そのものがビッグテックが作ったものであって、当然そのなかで使われる仮想通貨もビッグテックの手が入るであろうから、ブロックチェーンが使われていたとしても、あまり意味がない。

ブロックチェーンで真正性を判断するしくみは後で詳しく述べるが、ここではリアルの世界の選挙をイメージしてみる。票の大部分をビッグテックが握っていたら、選挙をしたからといって公平な結果にはならない。

そういうふうに運営されるブロックチェーンは、そのメタバースがサービス終了(サ終)になるときには一緒にたたまれるから、永続性への期待も虚しいものになる。

ありそうなシナリオとしては、

・メタバースはそこで住むような使い方をする(仕事や勉強もメタバース内で完結させる)から、現実世界とお金をリンクさせたい
・と同時に、あるメタバース内で稼いだお金を、複数のメタバースでまだいで使えるようにもしたい

これを満たす共通金融基盤をブロックチェーンで作ることだろう。

ただ、同じしくみは個別の仮想通貨を相互接続する形でも作れるし、それで使い勝手が悪ければそこから基軸通貨が出てくることもあるだろう。不正利用が心配なら第三者監査のしくみを入れてもよい。

逆に、上記の仕様を満たすとなるとけっこうな数のトランザクション(取引)が発生するが、その量にブロックチェーンが耐えられるかは疑問である。

手近なところでたとえると、SuicaやIDや××ペイが乱立しているが、私たちはわりとふつうに使いこなしているし、ひとつのサービスに集約させたい店舗や利用者はSuicaあたりを基軸通貨として使っている。

しくみを作りこめば、××ペイと○○ペイの交換も可能である。インシデントは時折あれど、Suica自体の信頼性を深刻に疑う事案には至っておらず、仮にこのしくみをブロックチェーンで組みなおすとしたら、コンビニのレジや駅の改札機がだいぶ渋滞になる懸念が生じる。

「メタバース上の仮想通貨はブロックチェーンでやらなくちゃ」との言説は、どうしても次のような流れを想起してしまう。

ブロックチェーンをインターネット利用シーンの主役に据えたい → Web3とラベリングした → いまいちいい応用事例が集まらなかったがようやくNFTで陽の目を見る → Web3にNFTも含める → メタバースがブレイクした → 正直あんまり関係ないけど、メタバースとNFTは抱き合わせられるかも → メタバースとNFTをくっつけた

メタバースでの価値交換にブロックチェーンを使うことは可能だが、他の手段でも同様に実現することができる。他の手段とブロックチェーンを比較した場合に、ブロックチェーンが優位であるケースは限定されるだろう。

ブロックチェーンじゃなくてもできちゃうこと

たとえば、経済産業省が「ブロックチェーン技術を利⽤したサービスに関する国内外動向調査」の中で、ブロックチェーン技術が社会経済に与えるインパクトとして5つを挙げているので、それが本当にブロックチェーン固有のものか、それともブロックチェーン「でも」できるだけなのかを記してみる。

1. 価値の流通・ポイント化、プラットフォームのインフラ化

→ 価値をポイント化したものはたくさんある。インフラになり得るプラットフォームもある。それをブロックチェーンでやろうというのは、1つにはブロックチェーンやNFTといったキーフレーズを使えば人とお金が流れてくるから、2つめにはエフェメラルである可能性があるサービスに対してブロックチェーンであれば強固で永続的なインフラが作れるであろうという期待があるからだ。

でも、後の章で詳述するように、ブロックチェーンの永続性はかなり怪しい。

2. 権利証明行為の非中央集権化の実現

→ 権利を証明する行為はこれまで行政機関がほぼ独占的に行っていた。これを個人がかかわれるものへと解放するわけである。ただ、一元管理されない権利証明が本当に機能するのかは、悩ましい問題だ。NFTに法律の裏付けはない。

「法律に裏書されなくても権利を証明できる、だからこそいいんだ」となるのか、現在まさにNFTで行われているように、他人の作品を勝手にデジタル化して権利を売りさばくような行為がはびこってしまい、警察などの抑止機構を伴わない権利証明に意味はなかったとなるのかはまだわからない。

3. 遊休資産ゼロ・⾼効率シェアリングの実現

→ これも、太陽光発電やカーシェアリングなど、既存のサービスは存在する。それをあえてブロックチェーンで行うのは、主体の多様性確保(個人でもできる)、永続性への期待、システムの透明性担保が目的だ。

カーシェアリングほどメジャーではないサービスには福音かもしれない。でも、シェアリングシステムを運営している企業の機能としては、効率的なスケジューリングだけではなくて、車を返してくれない利用者に一発入れるとか、そういう役割の方がむしろ大事だ。ブロックチェーンで個人と個人を結ぶ形にして、そうしたことが可能なのか? かえってコストが高くなる懸念がある。

そこを外部化するために業者を入れるなら、結局業者と個人との非対称性は解消されないことになる。であるならば、単体システムとしては非効率なブロックチェーンを入れる意味を喪失するのではないか。

4. オープン・⾼効率・⾼信頼なサプライチェーンの実現

→ 経産省が問題にしているのは、上流企業(大企業)と下流企業(子会社、下請け)の非対称性で、上流に位置する企業が情報を独占して有利な条件で不平等な契約を結ぶようなケースである。そこにブロックチェーンを導入して、情報がオープンになる点はいい。達成できるだろう。

でも、上流企業と下流企業の非対称性は情報公開の有無だけで決まるものではない。ブロックチェーンがこの問題における銀の矢で、綺麗な解決を導けると考えるのは危険であり、むしろこの不平等な構造を温存してしまう可能性がある。

5. プロセス・取引の全⾃動化・効率化の実現

→ これこそ、数多の情報システムが取り組んで、死屍累々を積み上げてきた分野である。レガシーな情報システムが劣っていたから効率化ができなかったわけでも、ブロックチェーンが優れているから効率化ができるわけでもない。これら情報システムを実世界とリンクするときに冴えない業務プロセスを組むのがその主因だ。

「全社の対外的なメッセージング業務をメール(!)で統一したが、安全上の問題もあるし、情報の交換がメールだけで行われると心が失われる(!)ので、会社のメールアドレスに届いたメールは当番の者が印刷して担当者まで届けに行ってフェイスToフェイスの良好な関係を維持する」

どこの異世界のファンタジーだ、フィクションにしても冗談が過ぎると断じたくなるこの事例は令和の地方都市で実際に息づいている。

メッセージングシステムが昭和の香りを残すメールだから悪いのではない。この企業はここをSlackに置き換えても、DiscodeでもHorizon worldsでも同じことをやるだろう。ブロックチェーン上で自動実行される契約行為(スマートコントラクト)を承認するために、P2Pの全ノードにはんこをついて回り始めるかもしれない。

新しいことに挑戦したくない組織は、新規知識の習得には1円、1秒も投じないが、いまのしくみと仕事を堅持するためなら人生のすべてをかけて努力する。

Web3は世界をどう変えるか? 人類にとっての福音となるか?

最後にこの章をまとめておく。

パソコン通信やインターネットの黎明期に触れ、その時期に学習した者として、「権力側のシステムはいやだなあ」という気分は持っている。官製システムはなんだか信用できないし、利用者目線で作ろうという気がそもそも薄いので使いにくいのばっかりだ、という偏見も持っている。

でも、じゃあ草の根運動的なやつが素晴らしいかといえば、理想論ばかり語って実装段階で現実の利用者と乖離してしまう者や、市場初期のどさくさに紛れて濡れ手に粟を画策し、一山当てれば面倒そうな後始末はすべて他人に丸投げしていなくなる人をだいぶ見てきた。その意味ではWeb3やNFTはいつか来た道なのである。

もちろんこれは経験が長くなってしまって、新しいものに素直に感動できない老人の繰り言的な側面がある。だから、著者の責任として本連載の最後には結論を書くけれども、読者の皆さんはそれを鵜吞みにせず、是非自分なりの判断を下してほしい。

本当のコペルニクス的転回やパラダイムシフトは常に老人の理解を超えたところで起こる。私はそれを望んでいる。本連載がその議論のきっかけになれば嬉しい。(続く)

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