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映画版ジャイアンのような危うさ――『Web3とは何か』by岡嶋裕史 prologue4

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映画版ジャイアンのような危うさ―『Web3とは何か』by岡嶋裕史 prologue4

儲けるのは種銭を多く持つ者―Webの理解とその歴史③

もとの理念を骨抜きにするのも、大きく広めるのもそのとき市場で最も勢いのある者だ。不特定多数の名もなき利用者ではない。

だから、Web3の理想も理念もやりたいことも、すごくよくわかるのだけれど、ドラえもんにおける劇場版のジャイアンのような「この状態は無理しすぎていて長続きしないだろう」という危うさがある。普及に成功するころには(ビッグテックにとっては思惑通りに)換骨奪胎されていると予想する。

すでにブロックチェーンはサトシ・ナカモトのペーパーとは異なる方向へ進歩し、実装されている。同じことがNFTでもメタバースでも起こるだろう。混沌が支配する初期状態はともかく、状況が落ち着いてしまえば、ビットコインで儲けているのも、NFTで儲けているのも、種銭を多く持つ者だ。

ブロックチェーンも、NFTも、メタバースも、個人が輝けるとのメッセージとは裏腹に、大組織や大資本がないと器を用意し、持続的に運営することは難しい(詳しくは後述する)。

たとえば、ブロックチェーンの利点の一つとして永続性があげられるが、かなり無理がある。あれは推しに群がるオタクの集団が奉仕活動をしているようなもので、推しに魅力がなくなれば人は集まらなくなるし、人が集まらなければ奉仕活動も停止する。ビットコインのような圧倒的な魅力の推しが存在すれば、かなり長く続くかもしれないが、多くの泡沫ブロックチェーンは短命に終わる。

それはいつか来た道なのである。Web1.0やWeb2.0がそうであったように、高い理想はおそらく巨大資本によって羊質虎皮化が進むだろう。

個人には荷が重い

強い力を持つことのデメリットについても注意が必要だ。言うまでもないことだが、力には責任が伴う。従来、大きな力を獲得するには長い時間がかかったので、その過程のなかで倫理感なども醸成されるのが一般的だった。しかし、科学技術は大きな力の獲得を劇的に短期化した。未就学児でも核兵器のボタンを押せる。

情報発信や金融でも同じことが言える。報道や出版はプロが担うものだった。彼らは教育を受けたのちにプロとして活動を始めた。ところが、アルファブロガーもユーチューバーも、特にそうしたプロセスを踏まずに活躍することができる。その中から炎上に巻き込まれたり、活動停止に追い込まれる者が出てくるのは当然である。そもそも必要な注意事項を学んでいないのだから。

Web3は今のところ金融分野への志向を強めている。もちろんそうしたい者がいるからである。金融こそ、力の源泉である。たとえば通貨発行権は国家がそれを独占することで、圧倒的な富と力を国にもたらしていた。

これを個人に解放すれば、確かに個人の力は強化・拡大されるだろう。いまWeb3が注目されるのはまさにこの点によるところが大きい。みんな一攫千金を狙っている。

でも、おそらくそうはならない。ブロックチェーンを使おうが、NFTを使おうが、世界を覆う金融システムは個人には荷が重い。個人が担っているように見えて(ユーチューブやフェイスブックのように)、実は儲けているのはプラットフォーマーだけという事態になる可能性は高い。

もちろん、いくばくかのおこぼれは個人にも落ちてくるはずなので、それを持って個人の解放(以前よりはマシ)と評価する立場はあり得るだろう。でも、ある監獄から抜け出す手段として、別の監獄に入ることを選んでいないかどうかには自覚的になる必要があるし、それを良しとするかどうかも慎重に判断したほうがよい。(続く)

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