見出し画像

文学賞に落選しまくる日々――エンタメ小説家の失敗学4 by平山瑞穂

過去の連載はこちらから。
平山瑞穂さんの最新刊です。

第1章 入口をまちがえてはならない Ⅱ

文学賞に落選しまくる日々

 さて、そうして僕が純文学系の新人文学賞に応募していった結果がどうだったかというと、「三歩進んで二歩下がる」という按配だった。当時僕は、年に一度作品が募集される右記四つの文学賞に、ほぼ毎回、なにかしらの作品を応募していたが、まるで歯が立たないというわけでもなく、三回に一回くらいの頻度で、「一次予選通過作品」のリストに名前が載った。トータルでは、各賞合わせて八回ほどは一次予選を通過していたはずだ。

 一次でも予選を通過すれば、「もうひと押し」と思うのが人情である。次は二次選考に、できれば最終選考に残りたいと思って、僕はますます発奮した。しかしある時期以降、僕の応募作品は、なぜか一次予選にすら通らなくなっていった。

 理由はわからない。もちろん、単純に作品がその水準に達していなかったということもありうる。しかし僕は、何年間もたゆまず書きつづけていたし、応募した作品が落選すれば、その都度、「どこがいけなかったのか」と真摯に向き合い、その反省を次作にフィードバックすることを怠らずにいた。その後、結果として実際に作家デビューできたことに鑑みても、僕の作品のレベルは着々と上向いていたのではないかと思う。

 それでも箸にも棒にもかからなくなってしまったのは、なぜなのか。これはもちろん臆測だが、「平山瑞穂」の名が、応募作品の下読みスタッフの間で、悪い意味で知られてしまっていたことが災いしたのではないかと思っている。同じ賞にくりかえし応募しては弾かれることで、「またこいつか」と無条件によからぬ烙印を捺され、まともに最後まで読まれることすらなく、「落選」の箱に投じられてしまっていたのではないかと。

 一次予選にも通らない状態が何年か続く間に、このままでは永遠に活路を見出せないのではないかという焦燥に駆られていった僕は、『公募ガイド』で、それまでは一顧だにせずにいたエンタメ系の賞の情報にも目を通すようになった。自分はもしかしたら、なにかを根本的に見誤っていたのかもしれない。自分は純文学の書き手なのだと思い込んでいたが、実はそれとは異なるプラットフォームにこそ、自分の作品を受け入れてくれる余地があるのではないか――。

 そうしてミステリーやホラーなどのいわゆる「ジャンル小説」を募る新人賞も射程に入れていった中、浮上してきたもののひとつが、「日本ファンタジーノベル大賞」だったのだ。

 ただし、結果としてこの賞の公募に自作を投入したいきさつは、きわめて場当たり的なものだった。

 当時、連作として書いていた小説群があった。いずれも四〇〇字詰め原稿用紙換算で一〇〇枚程度の短篇として書かれたもので、全部で五篇あり、うち二つは、独立した短篇小説として、新潮新人賞や文學界新人賞で一次予選を通過したことすらある作品だったのだが、五篇合わせると五〇〇枚弱になった。そして、日本ファンタジーノベル大賞の募集要項には、原稿の制限枚数として「三〇〇枚以上五〇〇枚まで」とあった。

 僕が応募先としてこの賞を選んだ理由は、実のところ、そこにしかなかった。この賞の過去の受賞作も、その時点では一作くらいしか読んでいなかったのだが、僕の連作も、作中で非現実的なできごとが起きたりすることから、「ファンタジー」といえなくもないだろう、という程度の見立てだった。短篇の連作でも、世界観は共有しているので、「ひとつの長篇」に仕立てることは容易だった。当時は落選に次ぐ落選という憂き目を目の当たりにしているさなかのことで、もはややぶれかぶれな気持ちになっていたのである。

 この賞の関係者が、まさに僕が描いていたような、一風変わった非現実性をこそ歓迎する姿勢で選考に臨んでいたということを僕が知るのは、受賞してからのことである。

 皮肉としか言いようのない事態だろう。全身全霊を込めて、拒まれても拒まれても応募をくりかえした純文学系の新人賞で見向きもされなくなっていた僕の作品が、ありものをつなぎ合わせることでいわば片手間に応募した賞において、最高の評価を受ける結果となったのだ。こんなことなら、もっと早い段階で、自分の作風に照らして応募先が適切ではなかったことに気づいておくべきだった――僕がそう感じたのも道理だと、あらかたの人は思ってくれるのではないだろうか。

『ラス・マンチャス通信』の中身

 では、その『ラス・マンチャス通信』とは、いったいどんな小説だったのか。これがまた、(われながら)ひとことではとても説明できない珍妙きわまりない作品なのだ。

 語り手〈僕〉は、同じ家に住む〈アレ〉なる存在(人間なのかどうかすらさだかでないように描かれているが、実際には〈僕〉の、なんらかの障害を負った兄と考えていい)が姉を犯そうとしたことに逆上して殴り殺してしまう。その結果、得体の知れない更生施設に送られたことから、〈僕〉の人生は数奇な方向へとねじ曲がっていき、家族と離ればなれになった身として、始終火山灰が降り積もりつづける町で働きながら、人を襲って生き血を吸う怪異な生き物と対峙する羽目に陥ったり、投資詐欺の片棒を担がされている中で、不幸な身の上となっていた姉と再会したりする。そんな流浪生活の果てに辿りついた山荘で〈僕〉が見たものは――。

 自分で書いておきながら、なんて「あらすじ」をまとめにくい物語なのだろうとあきれてしまうが、これを読むだけでも、いかに風変わりな作品であったかはわかっていただけるだろう。

 ただしこうした非現実性は、純文学作品にもざらに見られるものだ。作品の主題に照らして、それが描かれる必然性さえあれば、現実には起こりえないできごとを描写することも許容するのが、純文学の特徴のひとつであると言ってもいい。だからこそ、僕も当初はそれを(独立した短篇という形でではあっても)純文学系の新人賞に応募し、一部は一次予選を通過していたわけだ。

 しかし日本ファンタジーノベル大賞では、その非現実性は、別の文脈で解釈され、受け取られた。それは、(文字どおりの「剣と魔法」的な「ファンタジー」ではないにしても)あくまでエンタメ小説を彩る要素のひとつとして評価されたのだ。

 そのことは、受賞後、書籍化されるまでの間に、新潮社の担当編集者から求められた課題を見るだけでもはっきりしていた。担当編集者は、こう言ったのだ。

「作中に現れるいくつかの重要な要素が、決着がつかないまま宙づりになっています。このままでは、読者は納得しません。必ずしもわかりやすいオチをつけろというわけではありませんが、書籍化に当たって、結末部分に当たる第五章を丸々書き改めてください」。

 僕にこのミッションを告げた編集者は、Gさんという女性だった。僕にとっては初めて自分につけられた担当編集者だったわけだが、彼女にとっても、僕は「初めてデビュー時点から担当することになった作家さん」だったらしい。非常に優秀な人であり、しばらくして早々に編集長に昇進してしまい、その後は他の部署の編集長に転任してしまったのだが、僕は今でも、初めて経験する担当編集者がこの人であったことは得がたい僥倖だったと思っている。この人から学んだことは数知れない。彼女については今後もなにかと引きあいに出すことになるので、あえて「Gさん」と名前を特定しておく。(続く)

過去の連載はこちら。


 

みんなにも読んでほしいですか?

オススメした記事はフォロワーのタイムラインに表示されます!

光文社新書ではTwitterで毎日情報を発信しています。ぜひフォローしてみてください!