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ライトノベルの誘惑――エンタメ小説家の失敗学10 by平山瑞穂

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平山さんの最新刊です。

第2章 功を焦ってはならない Ⅳ

ライトノベルの誘惑

 功を焦り、下手を打ってしまったという点で、この『シュガーな俺』の発表はひとつの失敗を物語るケースといえるが、寸前で踏みとどまった経験も、僕にはある。それについても、この章で併せて明かしておこう。

 時期的には『シュガーな俺』が出た翌年くらいのことなのだが、僕はある編集者から執筆の打診を受けていた。その人のことは、仮にY氏と呼んでおこう。実はY氏は、もともと僕の個人ブログにおける常連コメント投稿者の一人でもあり、リアルでの面識はないまま、コメント欄を通じての交流があった。その後、某出版大手のライトノベル編集部に職を得たY氏が、今度は一編集者として声をかけてきてくれて、そこで初めて顔を合わせる次第となったのだった。

 そう、彼が提示してきたのは、ライトノベルを書いてみないかという申し出だった。

 その時点で、ライトノベルと呼ばれるものについて、僕にはなんの定見もなかった。せいぜい、「学園を舞台としていて、アナクロニスティックで不自然な喋り方をするツインテールの女の子などがたくさん出てくる、イラストの多い文庫判の軽い小説」という程度の認識しかなかった。意識して読んだこともなかったし、まして自分で書きたいなどとは思ってみたこともなかった。

 だからこのオファーにも最初はやや当惑したのだが、よくよく話を聞いているうちに、彼があえて僕に声をかけたその理由が、次第に腑に落ちてきた。

 Y氏は僕よりもずっと若いのに、読書量が並大抵ではなく、知識も驚くほど豊富で、日本はおろか世界の文学史やそれをめぐる見取り図などが、すっぽりと頭の中に収まっていると言っても過言ではなかった。その上で、彼はライトノベルにさまざまな可能性を見出していた。

 僕の作品の一読者としては、デビュー作である『ラス・マンチャス通信』をイチ押しで絶賛してくれていて、僕が自分の本来の持ち味であるその方向性を活かすに活かせずもどかしく思っていることも、よく理解してくれていた。そして、ライトノベルという領域にこそ、それを十全に発揮して作品の形に結実させられる余地があるのだと説いた。

 当日手渡された、彼が勧めるライトノベル作品や、その後彼が担当して形になるたびに送ってきた新刊などを、僕はひとまず虚心坦懐に読んでみた。すると、この分野の作品に、僕が漠然と思い浮かべていたイメージとは大きく異なる側面がいくつも備わっていることがすぐにわかった。

 ライトノベルというのは、ジャンル名称ではない。イラストが多用されるという仕様などと並んで、いわゆる「萌えキャラ」が登場していることなど、いくつかの絶対外せない不動のルールはあるものの、それ以外はまったくの自由で、作風は著者によっててんでに異なり、内容もミステリーからSFから恋愛ものからなんでもアリの様相を呈している。中には、純文学かと見紛うものまである。それこそ手練の純文学作家顔負けの、詩的で華麗な文体を惜しげもなく披露している書き手もいる。

 ライトノベルとは、ある意味で文学的才能の宝庫でもあるのだ。最初からそれを志向していた書き手ももちろんいるが、一般文芸における作家デビューを目指して果たせず、結果としてはライトノベルの領域で日の目を見たという書き手も少なくないようだ。僕はそれまでの自分の不明を恥じ、いつしかこの分野に対してそれまでとは違った目を向けるようになっていた。

 この領域で書いていくことに、いっときかなり心惹かれていたことは否定できない。このまま一般文芸、それもエンタメの分野で、さまざまなルールに縛られる不自由さに翻弄されながら、いつになったら売れるのかという焦りを抱えたままやっていくよりも、いっそライトノベルに宗旨替えしてしまったほうが、書きたいように自由に書かせてもらえるのではないか。そのほうが、小説の書き手としての僕にとってはしあわせなことなのではないか――。

 Y氏も、「なんらかの萌えキャラさえ登場させていただければ、あとはどうぞなんでも自由に書いてくださってかまいません。『ラス・マンチャス通信』ばりの奇想を炸裂させたようなものも大歓迎です」と請け合ってくれていた。そして、「まずはこういうのはどうでしょう」と、具体的なヒントを提示してくれてもいた。いつしか話は、僕がその申し出を受けるという方向で進んでいた。

エンタメ文芸と異なるラノベのルール

 しかし当然、迷いもあった。

 ライトノベルを書くということは、ほぼ、それに専念することを意味している。この領域で作品が売れれば、当然、「次も」という話になる。固定読者のつくシリーズものを生み出せることこそが、この分野における成功なのだ。そしてシリーズものを出すとなれば、年間に三作は書かなければならない。

「年間に三作」というのは、「一学期ごとに一作」という計算に基づいている。主要な読者層である中高生などの購買力ではそれが限界だし、かといって半年以上間を空けてしまったら、読者の興味を釘づけにして引っぱりつづけることがむずかしくなるからだ。そして「年間に三作」というのは、ほぼ、全労力をそれに振り向けなければならないペースである。当時、サラリーマンと兼業だった僕には、その三作を仕上げること以外になにかをする余力など、とうてい捻出できそうにはなかった。

 それに、エンタメ文芸よりはるかに「自由」だとはいっても、この領域に内在する別のルールは厳然としてある。ルールとしてのその拘束力は、むしろエンタメ文芸におけるそれよりも強いほどだ。

「萌えキャラ」なんて描いたことは一度もなかったし、描ける自信もなかった。「萌え」という概念自体が、僕の理解を超えていたからだ。それがどういうものなのか言葉で説明することはもちろんできても、自分でそれを感じることができなかった。そしてそういうものを、好きになれるとも思えなかった。

 年間三冊出すことができ、ある程度売れることにも成功すれば、実入りがずっとよくなる可能性もあった。なんなら、それだけで生計が十分に成り立つかもしれない。ただ、ライトノベルというのは、(中高生とはかぎらないにしても)特定の嗜好を持つ読者の間だけで読まれる、きわめて閉じられた世界だ。この領域でどれだけ売れたとしても、(それこそ『涼宮ハルヒ』シリーズの谷川流級でもないかぎり)一般での知名度には結びつかないだろう。

 それでいいのか。それが僕の目指していた小説家としての姿なのか――。

 たとえば桜庭一樹など、ライトノベル出身で、のちに一般文芸で大成した書き手もいることは知っていた。しかし僕の場合、逆コースを辿るわけだ。その点にも、拭いがたい違和感があった。そういう形でライトノベル作家になってしまえば、変に色がついてしまい、いずれ再び一般文芸の世界に戻ろうとしても、戻りにくくなってしまっているかもしれない。

 自由に書きつづけられ、なおかつ常時仕事が舞い込んでくれさえすれば、それでいいというわけではない。かなり悩んだが、やはり、この話は断るべきだと最終的には心が決まった。

 Y氏には、その思いを率直に打ち明け、いろいろと手引きしてくれたのに申し訳ないと心から謝った。Y氏はとても残念がってはいたが、僕の心情は理解してくれた。

 四年ほどして、Y氏から「退職のお知らせ」と題されたメールが送られてきた。それまで勤めていた出版大手を辞め、フリーランスの編集者としてやっていくという話だった。該博な知識を持ち、編集のスキルにもひとかたならぬものがある彼なら、どんな形でも十分にやっていけるだろうと思った。

「平山さんには本当にどこかでブレイクしてほしいし、絶対にその資質もある方だなと思いつつ、僕には一般文芸の編集のノウハウもないので、一読者として著作を拝見させていただいておりました」と綴っていた。いずれまた、なんらかの形で、一緒に仕事をする機会が訪れるかもしれないと思っていたが、あいかわらずライトノベル畑にいるのか、その後、声がかかったことはない。

 これは、「確実に持続可能な形で仕事を受けつつ、なおかつ比較的自由に書いていけそうな環境」に惹かれ、しかしあと一歩のところで踏みとどまったケースといっていいと思う。ただ、このとき結果としてオファーを断ったことが、本当に「失敗を回避した」ことになったのかどうかという点については、微妙なところがある。もしかしたら、Y氏のもとでライトノベル作家になってしまっていたほうが、小説家としては成功していたということになるかもしれないのだ。

 進むべき道を選択することの裏には、常にそうした紙一重の不確定性がつきまとっている。(続く)

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