思春期から中高年期まで知っておくべき扱い方と基本理念――「自己流&利己的」はダメな理由|今井伸
はじめに
「射精道」とは
生物学的に、男性として生まれた人はみな陰茎を持っています。
本書は、陰茎を備えたすべての方に向けて、泌尿器科専門医として、性機能障害の治療と生殖医療に心血を注いできた僕のこれまでの知見をもとに、知っておくべき性の知識と倫理観、陰茎の正しい扱い方について、お伝えするために記しました。男性が男性器を健全に保ち、その機能性を可能な限り維持することで、心身ともに生命力に満ちた人生を送るための知恵をまとめたものです。
そして、それを最も適切にお伝えするために考え方の基盤としたのが、新渡戸稲造が記した『武士道』です。
武士道は、武士階級がその職業、および日常生活において守るべき道を意味します。一言でいえば「武士の掟(おきて)」、すなわち、「高き身分の者に伴う義務(ノーブレス・オブリージュ)」のことです。武士道は、武士の守るべき掟として求められ、あるいは教育された道徳的原理であり、強力な行動規範としての拘束力を持っていました。
主に武家のなかで連綿と受け継がれていましたが、その教えは武家に限らず、庶民にも広く浸透し、日本人の道徳観・理念の核心となりました。現代においても、日本人の精神性に強く影響しています。
急速な国際化の中で、日本人が日本人としてのアイデンティティを見失いつつあった1899年、新渡戸稲造が英文で『武士道』を発表し、世界的な大反響を巻き起こしました。
現代は、男女平等化やジェンダーレス化の世の中となり、『武士道』が発表された時代とは大きく価値観が変わりました。この潮流自体は正しい方向性であり、いい時代になっていると思いますが、その中でなんとなく男性が、特に性的活動の面において、男性性を発揮することを抑制され、男性としてのアイデンティティを見失いつつあるように感じます。そして、男性が相対的に弱体化し、恋愛・性生活面で「草食化」していることに、一種の危機感を感じたために、今回、考案したのが「射精道」です。
「射精道」は、陰茎を持って生まれた男子が、射精を伴う性生活を送る上で守るべき道を意味します。一言でいえば「男子性行動の掟」、すなわち「陰茎を持って生まれ、性生活に陰茎を使う者に伴う行動規範」のことです。陰茎を持つ性としてのアイデンティティを確立し、陰茎を使った性行動時における基本的理念を共有する目的で考案しました。
『武士道』で語られている武士の魂である「刀」を、「射精道」では「陰茎」に置き換え、男性の魂としての陰茎をしかるべく扱うための核心を、専門医としての知見を織り交ぜながら、これからお伝えしていきたいと思います。
性教育と僕
僕が泌尿器科の医師として、主に出身地である島根県内の男子中高生へ性教育を行うようになったのは、2001年のことでした。自身の学生時代を思い返しながら、性に関する経験や知識に乏しいがゆえの悩みに対する解決法や、強い性欲に心身ともに振り回されないようにするための対処方法などについて、人生の先輩として、(まだ若かったので)近所の兄貴的なつもりで伝えていこうと始めました。
泌尿器科の診療に加えて、性教育に関する講演会や執筆などを通じて性にまつわる正しい知識を普及する活動に携わっていることは、僕の人生を顧みると必然だったように思います。
そもそも、幼少の頃から人体に強い興味を持ち、人体について書いてある子ども向けの学習本や漫画(なんと言っても『ブラック・ジャック』)を隅から隅まで読むような子どもだった僕は、長じるにつれてその興味が性的なことに移行、集中するようになりました。中高生の頃には、いわゆるエロ本や官能小説、コバルト文庫(少女向け小説)、『青春の門』、渡辺淳一の小説、週刊誌の性の体験談から妊婦のための雑誌の特集記事まで、恋愛や性に関することが書かれている文献(?)をむさぼるように読んでいたのです。
当時、まだセックスの経験もないうちから「オギノ式避妊法」を熟知していたため、危ない日に中出しをしてしまったカップルから深夜に相談を受け、夜中に特別講義をしたこともありました。
その後、医学部へ進み、ブラック・ジャックの影響もあり当初は外科医志望だったのですが、いざ進路を決める段階になって、衰え知らずの性への探究心と「性をアカデミックに語りたい」という気持ちに気づいた僕は、あっさりと初志を翻して泌尿器科を専門として選びました。産婦人科ではなく泌尿器科を選択したのは、自分と同じ男性たちの性の悩みのほうが、より親身になって寄り添えると考えたからです。
『武士道』の考えをベースに陰茎を扱う
僕は現在、静岡県浜松市にある聖隷浜松病院のリプロダクションセンター長として、主に生殖医療に携わっています。男性の性機能障害や男性不妊、男性更年期の治療やがん患者の生殖機能温存のほか、性別違和、性同一性障害に対応するジェンダー外来での診療にも携わっています。
日々行っている診療の中で、性機能に悩みを抱えた患者さんたちへ、重要なポイントとしてお話ししていることは、性に目覚めたばかりの中高生への思春期講座で話していることと、ほぼ同じです。毎日毎日、繰り返し同じことを話している実感を強く持っています。
それは、大きくくくると、次の3つにまとまります。
非常におおざっぱですが、これらを守っていれば、性について取り返しのつかないような大きな問題は起こりにくくなります。
ところが、このたった3つのことが十分に理解、実行されていないことが、現代ではとても多いと僕は感じています。
①と②が欠けていると、射精障害や勃起障害(ED)の原因となります。
③が欠けていると、性のパートナーとのコミュニケーションがうまくできなくなったり、ひどい時には性犯罪の加害者になってしまったりすることがあります。
特に、③については、僕は常々強い危惧を抱いています。
武家の教えと性科学が融合して生まれた性の行動規範
100年以上前の書物である『武士道』を元にしようと考えた理由は、僕が患者さんたちへ繰り返しお伝えしている先の3つのことが、『武士道』の教えに通ずるものがあると気がついたからです。
武士(男性)の魂の象徴ともいえる刀(陰茎)は、正しく手入れをし、正しく使い、正しい道徳観・倫理観を常に備えることが必須、ということです。
強力な凶器である刀は、使い方を誤ると大惨事になります。だからこそ、刀で自分や他者を損なうことにつながらないように、正しい扱い方を十全(少しも欠けたところがなく完全であること)に学ぶと同時に、携えるのにふさわしい高い倫理観を備えることが必須であると、武士道では教えています。
「刀」を「陰茎」と置き換えると、まさしくその理念は重なり合います。
陰茎は、その機能をできる限り引き出し、そして維持するためには、正しい扱い方をしっかり体得することが必要です。そして、性のパートナーの心身を傷つける凶器としないために、道徳と品格、相手を思いやる礼儀を養った上で使えるようにすることも必要です。
性にまつわる胸が悪くなるような醜聞や犯罪は、この欠如によるものだと、僕は考えています。陰茎はその構造的に、性行為の際には相手の体内に押し入る形になります。そのため、それを望まない相手にとっては、恐ろしい加害の道具になってしまいます。
つまり、刀の扱い方と同様に、陰茎の扱い方は自己流や利己的ではダメだということです。しっかりとした基本理念を守ってこそ、人として、男子として正しい道程を歩むことができるようになるのです。
現代の性教育では、男性器の機能やつくりについては教えることがあっても、先に挙げた重要な3つのポイントについては、ほとんど触れることがないと思います。その理由については第7章で触れますが、陰茎の正しい扱い方や、正しい射精をマスターベーションで練習する方法を学ぶこと、また性行為の前に絶対に必要な心の育成については大きく欠落していると感じていました。
そこで僕は、現代の性教育に欠落した部分を埋めるべく、必要な知識と道徳観を「射精道」としてまとめ、10年ほど前から性教育に活用するようになりました。
「射精道」の元となった自分のルーツ――武家の末裔としてのしつけ
性と武士道が僕の中で融合し、「射精道」となったのは、僕のルーツが影響しているのかもしれません。
というのも、僕の父親の実家は、祖父方、祖母方ともに武家の末裔(まつえい)でした。そのため、僕は幼少の頃から、父方の祖父母や両親から(今思えばその当時でもかなり時代錯誤であった)武家ならではの立ち居振る舞いや心根のありかたを当たり前のようにしつけられていました。
「挨拶はしっかりしなさい」「弱い者いじめはいけない。特に自分より弱い者や女性には手を上げてはいけない」くらいならまだしも、「お金やモノがどんなに欲しくても物欲しそうな顔をしてはいけない(武士は食わねど高楊枝)」などは、幼い頃から身近な大人たちから繰り返ししつけとして注ぎ込まれた道徳観でした。
特に父方の祖母は、その傾向が強かったと思います。
僕が小学校1年生の時、両手に荷物を持っていた時に転び、手をつくことができなかったため、額を数針縫うケガをしたことがありました。
ところが祖母は、額に傷のある僕の顔を見て、心配するどころか「向こう傷だから、まあいいでしょう」と安心したように言いました。背を向けて逃げて受けた傷ではなく、前に向かっていって受けた負傷ならば名誉を傷つけることはない、という意味でしたが、幼い僕には何か釈然としないものが残りました。
幼少期から身体が大きいほうで長男でもあった僕は、両親からも「喧嘩は口だけにして、自分より身体の小さい子や女子には絶対に手を上げてはいけない」と言われていました。それを素直に守ろうとした僕は、理不尽に絡んでくる相手にも手が出せず、悔しい思いをたくさんしました。
それでもあの頃、女子たちに手を上げなかったのは、我が家には昭和の時代においても武家の気質が残り、それを忠実に守る自分がいたからでした。
現代社会では、こうした教えはあまりなじまないかもしれません。しかし、僕は、武士道の中に、現代人が忘れがちですが決して忘れてはいけない「武士の美学」、もっと大きく言えば「日本人(人間)としての美学」があると考えています。そんな武士道の精神を、「射精道」によって現代風に翻訳していければと思っています。
陰茎で性行為を行う者は全員「武士であれ」
男性が持つ陰茎というのは、単に生物学的な機能を有している器官にとどまりません。男性の身体だけでなく、精神面にも大きな影響を与えうる存在です。朝起きた時に、陰茎が硬く大きくなっていると、「今日も元気に生きている」と感じる男性は多いでしょう。硬く勃起した陰茎は、男性の心の支柱になりうるのです。
そして陰茎は、持つ者の道徳観や倫理観によっては、相手を痛ましく傷つける最悪の凶器にもなれば、反対に、深い情愛を交わす際の最高のコミュニケーションの道具にもなります。
武士の刀と同じように、どこでも、誰に対しても振り回したり、傷つけたりするものであってはならない。そのためには、僕は陰茎で性行為を行う男性すべてに「武士になれ」と言いたいのです。
僕たちが子どもの頃、大人たちからよく言われていた「男らしく」とか「男のくせに」という言葉は、時代が変わり、使うのがためらわれる言葉となりました。ジェンダーや性の多様性が認識されるようになった現代では、「男性はこうあるべき」的な考え方や物言いは、反感を買うことが多いでしょう。ジェンダー外来で診療を行っている立場上、僕も時代によって世の中の空気感や価値観の変化には敏感に対応していこうと思っています。
先の「陰茎で性行為を行う者は全員、武士になれ」というのは、「男らしくなれ」と同義ではありません。性行為において陰茎を使う者は、武士が武士道の精神に則って行動したように、これからお伝えしていく現代版武士道ともいうべき「射精道」の精神に則って行動してほしいという思いを込めた言葉です。
性のパートナーが同性であっても異性であってもそれは変わりません。陰茎で性交を行うということは、相手への気遣いや思いやりがなければ、相手の心や身体を取り返しがつかないほど傷つけてしまうことがあることに注意し、常にそのことを忘れてはいけません。
さらに、異性間のセックスでは、望まない妊娠のリスクもあります。パートナーが女性の場合は、自分が出した精液で妊娠をさせる可能性、自分が父親になる可能性があるということを忘れてはいけません。現代社会では、時期や環境が整わない計画外の妊娠は、自分にとっても相手にとってもその先の未来を困難にすることが多いでしょう。ましてや、妊娠・出産をする女性には、身体的にも大きな負担をかけることになります。
これらのリスクを避け、自分と相手を尊重しながら最高の性愛を享受するためにも、陰茎を使う際の正しい知識や道徳観・倫理観は必須であると肝に銘じてほしいと思っています。
その理解を深めるために、第1章では本書の思想のベースとなる「射精道」についてまとめました。陰茎を持つ者の精神の土台、基本的理念といえるものとして受け止めていただきたいと思っています。
その上で、第2章から第5章まで、それぞれの年代における性生活、射精生活の心構え、その時期に現れやすい性の問題とその対策をまとめています。青年期から中高年まで、一通りの年代を読み通していただくことで、陰茎の機能を十分に引き出すための医学的に正しい扱い方や、生涯にわたって性機能を維持するために必要な知識を吸収していただけることでしょう。
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射精道 目 次
以上、光文社新書『射精道』(今井伸著)より一部を抜粋して公開いたしました。
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著者プロフィール
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