『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』は、心理カウンセリングによる回復の過程―僕という心理実験30 妹尾武治
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第3章 愛について④――実験を無くすことを求める実験心理学者
虐待死の家庭が報道されると「死ぬまでいじめられているのに、なぜ親から逃げられないのか?」と、多くの一般家庭の親子はそう思うらしい(わからないフリに過ぎないと思いたいが)。
人間には不思議な心理が沢山備わっている。親を疑って、4歳児が家出してしまうように心をプログラムされていたら、多くの子供が餓死して、社会が不安定化したであろう。生後すぐからの生存確率を上げるため、“親に愛されるために、親を愛す”のだ。その心は本来自然だが、それが子供を苦しめもする。祈ろう。
1985年にアメリカで改正動物福祉法が設定され、動物実験の多くが禁止、制約を課された。これは残酷なハーロウの実験から、動物にも人間のような愛があることが明らかになったことと無関係では無い。ハーロウの功績が、ハーロウ的な実験を禁止に導くという皮肉だった。
近年の動物心理実験で、実験者がいかに熱心に動物の心を守りながら研究を積み重ねていたかについて学べる本がある。京都大学霊長類研究所の書籍『チンパンジーの認知と行動の発達』(友永雅己, 松沢哲郎, 田中正之 著)、凄みとあたたかみの詰まった本だ。霊長類研究所を世界一に押し上げたチンパンジーの名は 「アイ」だった。
ハーロウの代理母実験は「あなたのそばに居たい」という愛の本質をついたものだった。ハーロウ自身、自著でそれを“Nature of Love”と呼んでいる。残酷な実験という間違いはしたが、ハーロウは愛を知っていた。知っていたから実験の計画が立てられた。
“内側で意図的に忘れられている無意識の確認”、それが僕の心理実験。弱い者は、内側の愛を確認するために他者を傷つける。忘れているだけだということに気付きさえすれば、他者を実験せずに済んだのに。しかし、だからこそ間違いから学び強さを得た者は、また元のフィールドでそれを活かすべきだ。社会や組織の次の暴力を防ぐために。
アイにはパートナーのアキラが居た。アキラは脱走騒動を起こした際に、人間の子供を傷つけてしまう。それでも2000年4月24日22時49分、二人の間に子供が生まれた。その黒目が光る子の名は、アユム。
「いつでも、どこからでも、何度でも。幸福に生きるために。」
研究者たちは今もそう願っているだろう。
霊長類研究所は京都大学の改組のためその美しい名前を変更したが、若い情熱は愛を明らかにするために歩み続けている。研究者たちはチンパンジー(友の子)の鳴き真似を空に響かせている。大きな羊(自己犠牲の美)の雲間から、山下にひかりが溢れる。優し過ぎる事などない。
内側を知るために他の存在を頼らないこと。その強さを持つ日まで、僕たちは間違い、かなしみを何度も追試する。実験心理学者は、実験が無くなる日を目指して実験を繰り返す。
アニメ『ふしぎの海のナディア』によれば、心の記録・記憶装置 “ブルーウォーター” は自分の内側にある。
“ナディア! どんなことがあっても生きろ” エルシス・ラ・アルウォール
「愛してる」を知りたい
アニメ『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』では、「武器」と名付けられ、戦場で人を殺すことのみを徹底的に学習させられた少女が描かれる。4年間の大戦で少女は腕を失ったが、今は自在に動く義手を付けている。
少女には軍隊の上司で保護者と言える青年将校、ギルベルトが居た。この青年将校は少女を戦場から引き離すことは出来なかったが、彼女に眼差しとヴァイオレットという美しい名を与えた。彼は戦死する直前、ヴァイオレットに「愛してる」と発する。しかし武器としてしか存在を認められてこなかった少女に、この言葉の意味は理解できなかった。
戦後ヴァイオレットは、文字を書けない人の代わりに手紙を書く代筆屋の仕事を通して人と触れ合い、「愛してる」の意味を探していく。
ネタバレになるが、ヴァイオレットは「愛してる」の意味を次第に理解していく。いや正確な読解をすれば、彼女には初めから「愛してる」を理解するために必要な「人間らしい心」があった。それを出すことが禁じられ続け、自分には「愛してる」を理解出来ない、してはいけないと思い込まされてしまっていただけだった。
「愛してる」がわからない命など無い。濱野ちひろ、ハーロウ、霊長類研究所の研究を見て欲しい。他者の(脳の)中に自分の情報のコピーを保存し増やすことが、ダーウィン以前からある実存の本能だから。
2022年8月、東京国際展示場で開催された夏コミ。 幽遊白書の“キャラ”に過ぎない雷禅x幽助は、実存として今年もたゆまずに情報を増やした。「愛してる」は言語・人間・DNAよりも前の「原郷」からやって来た。トルストイ、アインシュタイン、シャーンティデーヴァ、ダライラマ6世、親鸞、清川元夢。かつて彼らは言った “God is love”と。それは、ココロとモノを統合した一元論的絶対的存在、「空」という言葉にもなる。
泣きながら子供や動物を虐待している、ひどいことをやめられない大人になってしまった人。かつて酷いことをされ、心を殺された人。心の中で泣いている小さな自分。ほんのちょっとしたボタンの掛け違いで「愛してる」がわからなくなる。それでも信じて欲しいことがある。心は治せる。
ヴァイオレット・エヴァーガーデンで描かれた世界は、まさに心理カウンセリングによる回復の過程である。カウンセリングに通うことに抵抗があったり、精神科の通院と投薬治療が怖いと思う読者の方が居ると思う。まずはこのアニメを見るところから初めて欲しい。自分が気持ちを素直な形で世界に提示出来ないなら、それは“病”だ。病だがあなたは悪くない。誰が悪いかは追求しても新しい価値はあまり生まない。それよりも治す方向に歩み出して欲しい。
「どうか心理学を学んで下さい。それは心に向き合って来た人たちの魂の連なりです。僕は心理学が大好きです。」
残酷な運命だが、ヴァイオレット・エヴァーガーデンを作った京都アニメーションは放火殺人事件に巻き込まれる。作品に通底するメッセージ、つまり本物の眼差しがあの犯罪者に一度でも与えられていればどうだったろう。
あなたの心の中に、あの殺人鬼のような何かがあるなら、心を治療して欲しい。殺された人とその被害者家族、闇に引きずり込まれたままで居る人の「全員」を救う社会にすべきだ。だからどんな心でも治せるという事実を学んで欲しい。
鬼を作ったのは僕たちだ。無関係な人が殺されたという報道はおかしい。同じ社会、同じ時を生きている。無関係な他者など居ない、知らないだけだ。皆の背中を見るために善人(トップランナー)ではなく、悪人(デクノボウ)になれ。
繰り返しなされる犯罪者への興味本位の過去バラシとリンチ。もはや断罪でさえない。犯罪者の骸を、影に潜む無数の鬼たちが食い散らかし、さらに腹を空かせ次を探す(餓鬼という仏教の“キャラ”は、ガブリエルの言う通り“実存”ではないか)。それでは未来につながらない。世界の理解を根底から変えろ。
彼らは誰からも見てもらえなかった。一人ぼっちに追いやった。ごめんなさい。僕たち犯罪者を自死の淵に追いやるほど後悔させ、肋骨の内側に尊厳の火を取り戻させるような。その眼差しだけを見つめる。
辛い人を医療に適切に繋ぐための情報提供。この拡充が社会に求められている。でももっと大切なことがある。思うこと。
あなたが幸せでありますように
(続く)