「腹の虫」の研究|馬場紀衣の読書の森 vol.61
「腹の虫がおさまらない」というのは腹が立って仕方がなくて気持ちが昂っている状態をさすのだろうけれど、この場合、興奮しているのは私なのか、それとも腹の中にいる虫のほうなのかどっちだろう。そんなことを考えていると可笑しくなってきて、しまいには笑ってしまうのだけれど、この場合も笑っているのは私ではなくて、腹の中にいる虫だったりするのだろうか。「虫が好かない」とか「虫がいい」とか「虫の知らせ」とか、虫にまつわるいろんな言い回しがあるけれど、一体全体虫って何のこと。それって、どんな虫なのだろう。そんなことを考えていると、どうにも体が痒くなってきてたまらない。やっぱりこれらの虫は、近代医学が考えるところの寄生虫のようなものなのだろうか。
こうした謎めいた「虫」の正体に迫るのが、この本だ。より正しくいえば、虫の多面的な姿を医学思想、文芸作品、民族風習などから横断的に読み解くことで日本人の心身観を浮き彫りした一冊。読みすすめていくうちに、ここで語られる虫というのが昆虫や寄生虫の類とはべつの生きもの(それは時に生き物とすら呼べない代物だったりするのだけど)であることが分かってくる。つまるところ、日本人特有の虫観に迫った一冊なのである。
虫による症状は人の身体にあらわれる。ということは、当時、虫と対峙していたのは医師たちだ。当時、とは虫たちが生き生きと活動していた時代のこと。つまり、江戸時代である。実際、江戸期の医書は種々の虫病の記載であふれている。虫を視覚的に描いた錦絵もある。虫たちは腹にも胸にも皮下にもいて、人の身体と心に棲みついて人を苦しめ、死に至ることもあった。症状があまりにも複雑で、診断はとても難しかったという。
「応声虫」という聞きなれない虫がある。人が声を出すと、それに反応して体内の虫が言葉を発するから、応声虫。身体の中から聞こえてくるもう一つの声を当時の人たちは虫と捉えていたという。そのほかにも皮下を這いまわりながら音を発する「皮下走虫」をはじめ「労虫」「狐惑虫」「寸白虫」などたくさんの虫の病があったらしい。その数の多さに驚くが、なにより面白いのは症状を引き起こす原因が虫である、という発想だ。そしてさらに面白いのは、先に述べたような虫にまつわる言いまわしが今も日常語として用いられていること。そういう意味では、現代の日本人が抱いている心身観は知らず知らずのうちにかつての虫観を引きずっているともいえる。
ただ、人間と虫の関係は自然界におけるそれとは違うものだし、ある意味ではより複雑なものといえなくもない。著者いわく、虫が居所としていたのは心身二元的な意味での身体ではなく、その住処は身体というよりも「身」と呼ぶにふさわしい場所なのだという。この主体から切り離された身体ではない「身」という言葉は、主体の意識や情動など、こころの領域と繋がっていると著者はいう。「このような心身不分離の『身』という心身観のもとでこそ、『虫』は活動できたと言えるだろう」
では、今を生きる私たちは虫の脅威に怯えなくてもよいのだろうか。じつはそうともいえない。著者の言葉を借りるなら「『虫』は、想像以上に複雑なものであり、あまりにも多面性を持ったもの」だから。