見出し画像

ブロックチェーンは客寄せパンダ――『Web3とは何か』by岡嶋裕史 第2章 NFT⑫(最終回)

過去の連載はこちら。

今一番売れているメタバース関連書籍。6刷です。Audibleも発売になりました。

audiobook.jpでも音声版が発売になりました。

第2章 NFT⑫(最終回)――NFTの懸念点(続き)

ブロックチェーンは客寄せパンダ

こうした用途で重要なのは、「でかいこと」なのである。1つ1つのゲームが閉じても、続いて行くであろうでかさ。同好の士が容易に出会える土壌としてのでかさ。異なるゲームの愛好者同士でもアイテムの交換ができるでかさ。今までの流通市場はゲーム単位で用意されてきた、頑張っても企業単位だった。

それを超えて「ゲーム業界単位」にすればずっと続きそうだし、交換相手もいるし、儲けの芽も大きい。企業間の競争やしがらみ、思惑があって業界標準の市場はなかなか作りにくいけど、まあブロックチェーンというお題目があればやれるかな、が開発の現場を支配する気分だと思う。

それはNFT市場にも言えることだ。

美術品の価値を保証すること、それが永続的であることを実現するためにブロックチェーンは必須の技術ではない。でも、これまでの枠組みで考えるとそれを背負う主体は企業である。企業である以上、いくら努力するといっても、「情報の非対称性があるのでは」、「永続するのかな」、「不正をしていないかな」などの疑問から自由ではない。業界標準ができれば便利だけれど、それが実現しにくいのもゲーム業界同様だ。誰だって、自分のところで利益を独占したい。

そんなときにブロックチェーンが救世主になったのだ。企業を超えた連携も、「ブロックチェーンだからそれが当たり前」、価値の保証や不正防止はこれまでにも取り組んでいたけれど、「ブロックチェーンだから担保されている気分になる」

どれもブロックチェーン固有の特徴ではないのだ。みんなそのために既存技術を磨く努力をしてきた。でも、一般利用者はブロックチェーンだと納得してくれるし、投資家はブロックチェーンだとお金を出してくれる。ブロックチェーンが期待され、実際に効能を発揮しているのはこの部分だと思う。

だから、一度ブロックチェーンを客寄せパンダに、人と資金を集めてしまえば、あとは透明性や民主制は薄めていきたい。別に不正をしたいわけではない。ほんとうにブロックチェーンの特質をもろに活かしてシステムを作ってしまったら、そのシステムは企業の手を離れてしまう。

「それでいいんだ、民主制なんだから」と思われるかもしれない。でも、私たちはいっぽうでちゃんとしたサービスを企業に求めていないだろうか。わからないことがあれば教えて欲しいし、トラブルがあれば解決して欲しい、損をしたら補填が欲しい。自律と言いつつ、これらのサービスは享受したいのだ。

こうした需要に応えるためには、システムは企業にとってコントローラブルでなくてはならない。だからSteamはサービスのメニューからブロックチェーンを追い出し、楽天NFTはプライベートチェーン、すなわちブロックチェーンの皮を被った中央集権システムを使う。

完全な非中央集権システムがどのくらい制御しづらいかは、Winnyの例を思い出して欲しい。当局に睨まれていても、開発者が亡くなっても、システムは回り続けている。永続性の例と捉えることもできるだろうが、Winnyの場合は不正動画という強烈なニーズがあるので持続しているだけだ。最初に目論まれていた形とは違う。

システムとして不健全

本来必要でないところにブロックチェーンを使う、本来不得意な分野にブロックチェーンを適用する。それで注目が集まり、企業を超えた連携をする動機が生まれ、枯渇していた資金が流れ込み、システム開発のプロジェクトが立ち上がる。

たとえ、そのしくみにとって最善でなくても、それだけでブロックチェーンを使う理由になるじゃないかと捉えることもできる。現実問題として、そのように考えてプロジェクトを回している者は多いだろう。

私自身その効能は否定しない。何かを作るために旗印は必要だからだ。新規技術は芸能人と一緒で、「なんであの人が?」と思うようなものが起用されることがある。うまく役をまっとうする目的では絶対に別の俳優のほうが良いだろうに、新規のファンや資金を獲得するためにそのように配役する。

でも、少なくともシステム分野はそれではダメだと思う。演劇などと違って揮発性がなく、ずっと残ってしまうからだ。影響が大きいのである。

新しさや投機性、ブランディングによって新規の利用者や資金を集めるのではなく、必要なものにちゃんとお金が流れたり、実現のハードルになっているものがあるなら法や規範を作り替えることでそのハードルを下げることが重要だ。それで適材適所のシステムを作ることができる。そんな真っ当なやり方で、「でかい」システムを作れるようにしなければならない。

正面突破するのが困難だから、流行り物を取り込むことで搦め手でシステムを作ってしまえというのは、クラウドでもAIでも5Gでも繰り返されてきたが、その結果出来上がったものはやはりどこかにひずみが出る。システムとして不健全なのである。

NFTアートを取り扱う取引所では、アートの永続性を保証しないと規約に書くところもある。ブロックチェーンは非中央集権に全振りした技術だが、それを社会の色々なところに取り入れるために、非中央集権、処理・拡張性能、安全の間で矛盾が拡大する(ブロックチェーンのトリレンマ)。使いやすくするために中央集権型を取り入れたり、処理・拡張性能を高めるためにサイドチェーンやオフチェーンを立ててシステムを複雑にしてしまう。安全性も下がる。「それでもブロックチェーンだからいいんだ」と主張するのは誠実さに欠けるだろう。

ブロックチェーンという言葉だけで何かをわかった気にさせたり、何かを承認させてしまうのは、使い方を誤ったSDGsやゼロエミッションなどと同種のリスクがある。それらを標榜する企業が必ず環境に配慮していたり、環境を第一に業務を行っているわけではない。

結局、取引所が必要

「ブロックチェーンで個人が輝く」のは、その個人がブロックチェーンを学び、使いこなし、その上でやりたいことがあるのが前提である。言葉をかえれば、特にやりたいこともなく、新しいしくみを学んだり使ったりするのがめんどうな人は、ブロックチェーンを押しつけられたらむしろ萎縮する。

「選挙に行こうよ! 個人の声を国家の意思決定の場に届けよう!」と言っても、多くの人は選挙に行かない。特に反映させたい意見もないし(あっても、きっと反映されない意見だと諦めて)、何よりめんどくさい。貴重な休日を楽しんだ方がずっと有意義だ。

一般利用者のこの態度を批判するのは簡単だが、当たり前のことだとも思う。みんながみんな自主独立を重んじているわけではない。ブロックチェーンもそうだ。「インターネットを民主的にしなければならない」、そうにちがいない。「そのために基盤のしくみをブロックチェーンにしよう」、そうなのか。「ブロックチェーンを使いこなすには、すべてが自己責任になる。勉強せよ」、いやちょっと待て。9割方の人がやめてくれと考えるだろう。

そこでブロックチェーンを導入しつつ、学習コストや参加コストなどごめんだと考える一般利用者の欲求も飲み込むのなら、取引所が大きな力を持つことになるし、持たなければ問題を解決できない。

インターネットは民主的・互助的なネットワークで、1人1人がその参加者であり構成者なのだと言われてもピンとこないし、めんどくさい。ネットに接続するために専門知識を学び、サーバ一式を揃えなければならないのであればほとんどの人はインターネットなど利用しないだろう。

だから、自己参加型のネットワークであるはずのインターネットも、ISP(インターネットサービスプロバイダ)を通して参加することになる。インターネットが障害に強い、民主的なネットワークだと言っても、それは自前のネットワークやサーバを用意する覚悟があればのことである。ISPを通している限り、自分が契約しているISPがトラブればネットワークに接続できなくなるし、ISPが個人情報保護に関する規約を変更すればそれに従わねばならない。ISPが大きな力を握っている。

ブロックチェーンの取引所も同じことになるだろう。ブロックチェーンが公平で透明で永続的なのは、自分が個人としてブロックチェーンに接続する場合の特性である。取引所を介してブロックチェーンにつながるならば、取引所の規約に従わねばならない。先の例のように、取引所が「NFTの永続性を保証しない」と宣言するならそうなるのだ。

大きな力を持つ以上、バグやハッキングの影響も大きくなる。たとえば、OpenSeaではその仕様の隙を突かれて、NFTアートの不当な高額転売を許してしまったインシデントがあった。

取引所を責めたいわけではない。民主的で、民意によって振る舞いが変わるネットワークと、企業の安定したサービス提供はそもそも喰い合わせが悪いのだ。そんな基盤でしっかりしたサービスを提供しようとするなら、決め事は抑制的にならざるを得ない。また、取引所に大きな力を持ってもらわないと、知識や資源を持たない利用者は快適にブロックチェーンを使うことができない。

結局Web3があやしい――民主的であることの難しさ

単にそのデータがユニークであることを示す技術が、まるで真実を証明できるかのように言われたり、一つの意志決定のしくみでしかないシステムが、それ以外の点でも既存技術を凌駕するように錯覚される例を見てきた。

それらを積み上げていくと、ここへ帰着する。Web3はそんなにいいものだろうか。「大権力や大資本から個人を解放する」、「個人の意志が反映される」と言われれば、そりゃあいいものだろうと思う。反対したら全体主義者だと言われるかもしれない。

でも、こうした「批判しにくい正論」や「思考を停止させる言説」にはリスクがある。それ以外の箇所に光を当てにくくしてしまう。

Web3でよく引き合いに出される民主制も、完全無欠な制度ではない。意志決定に時間と費用、資源を必要とし、柔軟・迅速に動くことが難しい。

ビットコインがその合意形成のためにどれだけの化石燃料を消費させたかはプロローグで述べた通りだ。代替案としてのPoSなどの各種技術を入れるが、持てる者が有利になり当初の理念からは離れていく。しくみは複雑になって全体像を理解しがたいものにする。処理速度も遅い。社会の様々な分野へ適用するなら、この問題は順次表面化していく。

処理できる仕事量が限られているので、それを奪い合って処理費用が高騰している。イーサリアムではそれをガス代と呼んだが、取引が拡大するにしたがってガス代もまた値を上げ続けている。誰もが気軽に利用できる金融インフラではなくなりつつある。技術的な難しさや保証のなさが理由でもともと手軽なものではなかったが、コスト面でもそうなった。

新規参入はますます難しくなり、ゲートウェイとしての取引所の存在感が増している。高額なNFTを購入しないと参加できないDAOなどもある。民主的な技術を使っているから、誰にでも門戸が開かれるはずだと考えるのがいかにナイーブな発想かがわかる。

OpenSeaのガス代2022/3/7

OpenSeaのNFT取引は活発で、すでにイーサリアムのトランザクションのうち10%以上を占めている。トランザクションが貴重な資源になってしまっているのだ。

すぐにでも処理容量を拡張して対応しなければならない局面だが、ブロックチェーンは構造上それが行いにくく、参加者の同意も少しずつ取り付けていかねばならない。空港を拡張しないといけないが、拡張しにくい立地で、近隣の住民も必ずしも賛成ではない状況と言えば少しイメージしやすいだろうか。

民主的だからなんでもいいというものでもない。「みんなの意見を反映すること」が非常に重要なのは論をまたないが、その日の食事を決めるのにすべて家族の多数決をとっていたら日常生活は回らない。

範囲の問題

民主制の範囲の問題もある。私たちは一口に「ブロックチェーン」と言ってしまうが、実際にはビットコインがあり、イーサリアムがあり、さらにイーサリアムを基盤として別のブロックチェーンを立脚させたりする。ハニカム構造か入れ子構造のようになっているのだ。

それはそのままNFTやガバナンストークンが有効である範囲だ。

ガバナンストークンは、そのブロックチェーンを運営するときの投票権のようなものである。ブロックチェーンに参加するインセンティブとして期待されている。そのチェーンに貢献するとガバナンストークンが得られ、チェーンに対して発言権を大きくできる。であれば、仮想通貨以外のブロックチェーンにも参加してもらえるかもしれない。

たとえば、誰もやりたくないPTAをブロックチェーンでDAOにして、PTAの活動に参加するとガバナンストークンがもらえるようにする。私なら頑張ってガバナンストークンを取得して、PTAの解散に一票を投じるだろう。

これらはあくまでも参加しているチェーンに対してのみ効力がある。ビットコインを持っていればイーサリアムでも偉そうにできるものではない。

社会をWeb3化する、インターネットをWeb3化すると言うと、なんとなくその効力が社会全体やインターネット全体に及ぶと捉えてしまうが、錯覚である。

NFTの信頼は、そのチェーンを信頼して参加している成員の中で共有される。ブロックチェーンに懐疑的である人は価値を共有しないし、ブロックチェーン信奉者でもチェーンAしか信じていない人は、チェーンBで発行されたNFTを買おうとは思わないだろう。

あるチェーンで売られたNFTを、別のチェーンへと移植する技術は今のところ標準化されていない。無理くり行おうとすれば取引所を介することになるが、それはまた取引所の力を強大にするよう作用するだろう。

移植しても、別のチェーンでは運用が異なる可能性も高い。たとえば最初にNFT化したときのロイヤリティルール(転売時に作家さんにも転売益の10%が入りますよ)はなくなるかもしれない。

主流は権力で護って欲しい人々

Web3的だと思われていても、実はある企業に首根っこを押さえられている事例はよくある。Web3の言説空間といわれているDiscordは、一企業がやっている非ブロックチェーンサービスであることを思い出して欲しい。Discordはまわりが「Web3についての話し合いはDiscordで」と思っているだけで、うちがWeb3だと自分で言っているわけでもない。DAppsと呼ばれているアプリケーション群ですら多かれ少なかれ中央集権サーバを活用してサービスを組み立てている。

そして、それが悪いことだとは思わない。資源と技術が集中した企業が作る高度な技術やユーザ体験を軽視するべきではない。何かを純度100%で作ることは危険である。状況に応じて適切な技術で構成するべきだ。

ブロックチェーンを使う強烈な動機は権力からの解放だが、利用者が増えれば解放されたい人よりも権力で護って欲しい人のほうが多くなる。そのニーズからも、システムが大きくなって社会的影響力が増大することからも、社会システムとして普及する過程で権力がブロックチェーンに介入することはまず間違いない。

誰でも立ち上げられるはずの民主的なブロックチェーンが、権力の介入により頓挫した例を私たちはすでに目にしている。

たとえば、メタ(旧フェイスブック)のリブラがそうである。あれはブロックチェーンを使った仮想通貨だった。金融システムからこぼれてしまうような金融弱者・情報弱者にもサービスを届けることなどが盛り込まれていた。

字面を追うと三方よしの良い案に思える。なのに、構想が発表されると各国が懸念を表明して横やりを入れた。ディエムと名称を変えてイメージの一新を図ったが、最終的には資産売却に追い込まれた。

もちろん、ディエムの場合は主体であるフェイスブックが世界的に嫌われていたり、既存の金融システムへの影響が大きいことなど、いくつもの要因があっての頓挫だが、ブロックチェーンのしくみであっても権力が横やりを入れうることは証明された。チェーンの中だけですべてが回るわけではなく、必ずどこかで現実との接点を持たねばならない。規制をかけようと思えば、その接点部分を狙えばいいだけの話である。

行政もヒマではないので泡沫チェーンにいちいち口出しはしないだろうが、消費者保護などを理由に規制の網はかけるだろう。かつてのインターネットがそうだったように、Web3の世界が非中央集権のフロンティアになるとは思わない。

ブロックチェーンの限界に引きずられるNFT

結論する。

NFTはブロックチェーンをベースにしたしくみだ。だからその強みも弱みもブロックチェーンの限界に引きずられる。ブロックチェーンは非中央集権的な意志決定を実現するしくみとして革新をもたらしたが、運用するための前提条件が難しい。不特定多数の協力が必要だが、協力のインセンティブとして成功しているのは今のところ仮想通貨に限局される。人気が続かず人が減ると真正性や永続性が失われる。

この状況をろくに説明せずに、ブロックチェーンだから透明で確実である。そのブロックチェーンに立脚したNFTはアートの真贋や価値を保証し、永続させる。一度取得したNFTは作家に転売益をも含んだ利益を、コレクタには流動性と含み益をもたらすと人を誘うのは不誠実である。

ブロックチェーンとはそれを信じて参加する者にとって意味を持つ共同幻想である。その点は従来のコミュニティと変わらない。

カラヴァッジオの新作がひょこっと出てきたら、西洋美術のコレクタはすごい値をつけて手に入れるだろうが、美術好きでなければ、いや同じ美術好きでも日本画専門ならなんの価値も認めないだろう。そのコミュニティの中でのみ機能する価値である。

それを言えば、楽天ポイントや円、ドル、ひいては民主制だって、信奉する者の間でのみ価値を持つのであって、ひとたびその輪を外れれば唾棄すべきものになるかもしれない。だが、少なくともブロックチェーンよりは信じている者の総量が多く、広がりがある。それに比べるとブロックチェーンは適用できる範囲や得意分野が狭いのだ。

自由からの逃走

私は個人的な主義主張として民主制が好きだが、社会のしくみ全部を民主的にすればいいというのは短絡だと思う。同じ決済ファイルを営業部と総務部から更新しようとしてかち合ってしまったときに、いちいちブロックチェーンのPoWを使ってどちらの更新内容を優先するかなどとやっていたら業務が止まる。その意味で中央集権的なしくみを敵視するWeb3の主張はやり過ぎ感がある。

完全な自由はアーティストを疲弊させるかもしれない。

私はアーティストではないが、本を書く仕事をする。中には「横暴だなあ」と思う出版社もある。自分で出版できたら、あんまりひどい仕事は断れるのにとも思う。そんな状況でKDPが登場する。AmazonがオペレーションするKindleダイレクト・パブリッシングである。これで著者は手軽に自分で本が出せるようになった。自費出版みたいにお金はかからないし、Amazonが支配している市場はでかい。世界へ向けて自分の本を届けられる可能性がある。印税率もいい。

じゃあ書籍の著者たちがこぞってKDPを使ったかと言えばそれはなかった。民主化されて気軽にやれる場所には人が集まる。コンテンツは完全に玉石混淆になり、自分のコンテンツなど容易に埋もれる。もしKDPでヒットを出せる著者がいるとしたら、もともと巨大な名声を得ていたか、よほどの幸運に恵まれたものである。

KDPで出版が民主化(Amazonの中央集権システムが背後にあるという議論はここではしない)されたからこそ、出版社が持つプロデュース能力の必要性は高まっている。自由な状況は強者を利するが、それ以外の多くの人はつらくなるのだ。NFTも同じ状況に陥りつつあると思う。

19世紀カリフォルニアのゴールドラッシュは採掘者ではなく、むしろ周辺領域であるロジスティクスやアパレルを潤したと指摘される。NFTがそうなる可能性は多分にある。

デジタルデータはもともとオリジナルと同じコピーをゼロ時間、ゼロコストで作成できることに特色があった。デジタルメディアでのビジネスはこれを前提にマネタイズを考えたほうがいいだろうと思う。

コピーしたくなくて、自由な配布もやりたくなく、独占的に所有したいのであれば、デジタルでない売り方をしたほうがシンプルだ。

クリエイタは唯一性の確保ではなく(NFTでも確保できていない。同じデータを他の人も手元に置ける。あるチェーンの中で「この人が本物を持っていることにする」と約束しただけである)、共有からマネタイズすることも考えたほうがいいし、唯一性に活路を見いだすのでも、その裏書きを「NFTでしかできない」と考えることから離れたほうがいい。デジタルデータは唯一の存在になるのが苦手だ。構造的にできない。

NFTを使うこと自体は面白いが、唯一性の担保に使うよりは、作家とやり取りできる権利など、リアルでやるとコストがかかったり面倒だったりすることを提供するのに使った方が持続的なビジネスを展開できるだろう。唯一性があるかのように見せて高値をつけるいまの手法は大きなひずみを抱えている。

また公平で透明で監査可能なしくみは、ブロックチェーン以外の技術を使っても構築することができる。ブロックチェーンがはまる環境であればブロックチェーンを使えばいいし、別の環境(たとえば、参加のインセンティブがなく、少ししか人が集まらない)では別の技術を使ってそれを実現すればいい。

Web3には無理がある

これらを総じると、Web3には無理があると思う。

Web3的な思想が嫌いなわけではない。私がこの世界で勉強をはじめてからずっと思っているのは、インターネットは個別大量の情報をやり取りするのに適したインフラで、これまでも今後もその方向で発展していくだろうということだ。

それが今の社会構造に合致したり、便利に使われることで代替のきかない唯一のインフラになった。すると、インターネットで議論をしたり真実を流通させたい需要が高まる。

でも、インターネットは真実を伝えるのに適したインフラではない。

インターネットを議論ができる場にしようとずっと頑張っている技術グループがある。その努力と知見は尊いが、議論は別のメディアでやったほうがずっと低コストで有意義に実施できると思う。

真実の流通や、唯一の価値の流通もそうだ。構造的に向かない。ビットコインが成功しているように見えるのは、コインはファンジブルなものだからだ。

この事実はいささかもインターネットの価値を貶めるものではない。人も組織も技術も得意分野があり、そこで能力を発揮すればいいからだ。インターネットは十分にその役割を果たしている。

民主的な結果をもたらすことと、民主的なプロセスを持つ技術を混同しないことは重要だ。

民主的な結果を得ることは重要だが、そのプロセスは中央集権処理であっても別に構わない。逆に情報システムのプロセスを民主化しようとこだわりあまり、少数による意志決定の寡占や、利用者体験の劣化を生むこともある。最悪なのは、そういう現実があるにもかかわらず、「民主的な技術を使っているから、結果も民主的なはずだ」と夢想させてしまうことだ。

Web3は多くの利用者にとって使いやすいものではないだろう。HTMLで情報発信ができるようになっても、それを行使できる者は少なく、市井の個人がその果実を手にするには企業によるブログサービスなどの登場を待たねばならなかった。そして、それは情報発信ではあったが、大資本の権力構造に組み込まれることだと指摘された。

Web3にも同様の陥穽が用意されているだろう。ブロックチェーンを使っているのに、NFTを使っているのに、いつの間にか大資本によるサービスがなければそれらにアクセスできない構造が作り上げられていることに気づくだろう。

そしてそれは大資本に詐欺的にはめられたというよりは、大多数の利用者が望んだことなのだ。

イーサリアムを創設したギャビン・ウッドはWeb3の概念を提唱し、Web3 Foundationを設立した。そのWebサイトにはこう書かれている。

Our mission is to nurture cutting-edge applications for decentralized web software protocols.
 私たちは分散型Webソフトウェアプロトコル用の先端アプリケーションを育成する。

Our passion is delivering Web 3.0, a decentralized and fair internet where users control their own data, identity and destiny.
 私たちはWeb3.0を提供する。Web3.0は分散型の公平なインターネットで、利用者は自身のデータ、アイデンティティ、運命を管理できる。

高邁な理想である。歳を取ってすれた私のような人間ですら共感する。

でも、理想は代償を要求する。大半の利用者はその代償が過大だと判断するだろう。そして、便利にこれらの先端アプリケーションにアクセスするために、大資本が用意したフレンドリで使いやすいゲートウェイを利用するだろう。状況は今と変わらない。唯一変わるのは、「Web3だから自分のデータは保護され、公平に扱われているはずだ」という思い込みを持つに至ることである。(了)

※ご愛読ありがとうございました。本連載をまとめた新書は年内刊行予定です。乞うご期待!


光文社新書ではTwitterで毎日情報を発信しています。ぜひフォローしてみてください!