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国を挙げて「医療ツーリズム」に乗り出すほどタイの医療レベルが高い理由(第21回)

【お知らせ】本連載をまとめた書籍が発売されました!

本連載『「微笑みの国」タイの光と影』をベースにした書籍『だからタイはおもしろい』が2023年11月15日に発売されました。全32回の連載から大幅な加筆修正を施し、12の章にまとめられています。ぜひチェックしてみてください!

タイ在住20年のライター、高田胤臣がディープなタイ事情を綴る長期連載『「微笑みの国」タイの光と影』。
今回はタイの医療がテーマ。タイの医療レベルは高く、歯科治療や美容整形など一部分野では日本を上回るほど。とはいえその背景には社会保障と金、格差が絡んでいて、やはり医療もサービス、ビジネスの一環である以上、バンコクという大都市に集中するようで……。

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東南アジア屈指の医療水準

 前職の会社員時代、ベトナム支社の日本人社員が大きな病気になった。ベトナムでは治療できないため、緊急搬送でバンコクに入り、状態が安定するまでバンコクで数か月ほど入院した後、日本に帰国した。こういうケースでのタイは比較的容易にビザを発給してくれるし、入国時の滞在許可期限を過ぎても延長などにしっかり対応してくれる。タイのイミグレーションはかなり冷たいイメージがあるが、人道的な措置はむしろ日本よりも寛大かもしれない。

 この話からもわかるようにタイの医療水準は東南アジア内ではかなり高く、ケースによっては日本よりも高いとさえいわれる。たとえば歯科医療のレベルが日本よりも高いことは、医療機器メーカーの営業や歯科医師も認めるところだ。海外旅行経験者の多くはご存知と思うが、海外旅行傷害保険は大半の傷病に対応しているのに、歯の治療だけは除外されていることが多い。歯科医療は海外と日本で保険制度が違うことが理由である。

 日本の場合、健康保険で医療費の負担が軽減されるわけで、それには歯科医療も含まれる。だから、日本で暮らしていると歯の治療は安いものというイメージが強い。しかし、海外では社会保障の中に入っていないことがほとんどで、歯科医療の料金は医師それぞれが決めることになる。逆にいうと、日本の歯科医師は自分で治療費を設定することができない。すべて国民健康保険の範囲内で、かつこの治療には何点というポイント制があって、その中で国などに請求して治療費を受け取る。

 そうなると、日本の歯科医療では保険のカバー範囲外の治療は受けられない、というか受けない。病院側も保険で決められた、できることが限られた中で治療をするので、結局は毎日同じようなことの繰り返しで、新しい技術を取り入れたりすることも容易ではない。一方タイは自由診療なので、いくらでも新しい機器や技術を導入して、それを患者に還元できるというメリットがあり、その分、医療技術も向上するのだ。ただ、その分が治療費に乗るので、かなり高額になるというデメリットはあるが。

 このように、タイは東南アジアの中でも医療水準が高い。これもまた、外国人が安心して暮らせる理由のひとつでもある。日本でしかできない治療も一部はあるにせよ、ほとんどの医療が日本に行かずとも、高額になるとはいえ、タイでできてしまう。

それほど高くない病院でもこの入院設備がある
付添人も快適に過ごせる設備が部屋にある

医療に関する選択肢の豊富さ

  タイの医療に関しては水準の高さだけでなく、選択肢が多いことも大きなメリットだと思う。たとえば先の歯科医療にしても、日本では保険適用外だからと基本的に患者に勧めないような方法もタイではバンバンできるので、患者側も懐に合わせてなにを選んでなにを諦めるかが決められる。結果的に、双方が納得のいく形で医療サービスを受けられるということになる。

 ここ数年でも最も注目されるのは、アジアではどこよりも早く踏み切った医療大麻による治療だ。大麻に含まれる一部の成分が医療に効果があると考えられ、それをタイ政府およびタイ保健省が積極的に導入することにした。もちろん問題も複数ある。一般家庭での栽培も2022年6月から解禁され、酩酊目的の嗜好利用の増加も懸念されるが、なにより、これまで違法とされていたものだったこともあって研究が進んでおらず、大麻の何百とある成分のどれがどの病気に効果があるのかが、いまだ明確に把握できていない。

 美容関連もタイはかなり進んでいる。男性にはあまり知られていないが、女性の美容に関するクリニックは無数にある。商業施設内はもちろんのこと、繁華街などでは道路に面したクリニックも数多存在する。脱毛や痩身、美白肌など、あらゆる方面の美容施術があり、また医薬品の購入もできる。

実はこの医薬品に関しては、日本の厚生労働省もタイのある病院を名指しで注意喚起するほど知られている。特にダイエット関係をクスリに頼る人には有名である。日本の薬事法で認められていない成分を含んだクスリを大量に出してくれるので、それをタイ在住の代行業者に注文して取り寄せる人がいるのだ。そして、そのクスリを服用して体調を崩した例があとを絶たない。実際にその病院に痩身薬を買いに行く日本人男性に同行したことがあるが、クスリ販売が目的になっているのか医師の診療は簡単な問診のみで、数千円もしない金額で2か月分くらいのクスリを出してもらっていた。

日本では注意喚起が出ている痩身薬の一部

 こういった痩身や美白肌のため、なるべく努力せず、クスリの飲用でどうにかしたいというニーズがあるのは、患者側に服用の抵抗が少ないことも一因だ。前回紹介したように、タイには大昔から伝統医学が存在し、その中でサムンプライという香草類、つまり日本でいう漢方薬のようなものがあるので、多くのタイ人がクスリを服用することへの抵抗感が低いことは大きい。タイ古式マッサージも伝統医療のひとつであり、その技術を応用したエステなども多数あるので、タイ人にとって医療とは昔から身近なものという感覚なのかもしれない。

 ほかにも性同一性障害の患者などに向けた性別一致手術、美容整形なども盛んだ。後者に関しては日本よりも受け入れられているので、目や鼻の整形は一般女性の間では普通に行われる。ただ、本来美容整形は年を重ねるごとに多少のメンテナンスが必要になるが、そのあたりは考えずに施術を受けて、歳をとったあとに顔全体のバランスが崩れて目も当てられなくなる人も少なくない。

日系の老人ホームが撤退したわけ

  医療の選択肢という中では、ほかに大きく分けるとタイ伝統医学、西洋医学、そして中国伝統医学(中医学)がある。中医学は2000年にタイ政府が正式に認可し、その後いくつかのタイ国内の大学で中医学の学部ができ、まだまだ新しいものの、鍼や灸、漢方薬を使った治療が受けられるようになった。大きな病院のほか、バンコクであれば中華街のヤワラーに中医学の総合病院やクリニックがあり、漢方薬店もたくさんある。いわれてみるとわかるかと思うが、ヤワラーの特に裏路地は漢方薬の匂いで充満しているほどだ。

バンコクの中華街ヤワラーにある漢方薬店
漢方薬店に中医学の医師もいて、問診のあとに処方してもらったのがこの量
もらった生薬は自分で煮出してもいいが、中医学クリニックで煮出してパッキングしてくれる
鍼灸治療をする中国伝統医学の総合病院

 先のように医療大麻も解禁されており、タイ政府はここ数年、医療ツーリズムに力を入れ始めている。これまでも高齢者の中には自国での治療に限界を感じて、タイに来て病院に通う人がいた。日本人でもかなりの高齢なのにひとりでバンコクに来て、不安な中なんとか病院に通って治療に専念しているという人もいた。

バンコクの医療が高水準なのは医師や病院の技術力もあるのだが、看護婦などにその国の人やその言語を話せる人を多く雇っている点も大きい。バンコクのほとんどの大病院には、日本人患者向けに日本人の看護師がいるくらいだ。こういう縁の下の力持ちがいるからこそ、外国人が自力でバンコクまで来て、治療を受けることができる。

 こういった現状を踏まえて、タイ政府はタイでしかできない医療や、先進国と比較したタイの滞在費や医療費の安さを最大限活用し、治療目的で渡航をしてもらおうという医療ツーリズム方面を強化し始めた。すでに日本人向けに日本人が運営する医療ツーリズム専門旅行代理店もあるくらいだ。余談だが、こういった医療ツーリズムの場合はちゃんと専門知識を持つ旅行代理店を選択しないと、結果的に行き違いが生じて高額の医療費を請求されることもあるので注意したい。

 また、医療とは違うかもしれないが、高齢化社会になってもタイにおいて老人ホームのような施設や介護サービスは今のところ大きく発展していない。タイも高齢化社会であり、日系のそういったサービスがバンコクに来たこともあるが、タイの文化をあまり知らずに始めたためか、ほとんどが撤退している。近年は高齢者向けに特化した病院などはできてきたが、入院措置以外で高齢者を預かるところはそうない。

 というのは、タイ人は家族のことは家族で面倒を見るからだ。たとえば祖母が病院に行くとなると、孫の世代までみんなで一緒に来るほど。土日などは総合病院は大混雑しているが、それはひとりの老人に対して10人近くがついて来るという事情からである。それくらい、タイ人は家族を大切にするので、高齢になっても自分たちで面倒を見ることが当たり前なのだ。身寄りのない人の場合は近所の人が面倒を見る。そういう人も周囲にいない、かといってなにかしらのケアサービスを利用するだけの貯えもない場合は、そういった老人を預かる慈善団体の施設に入るしかない。

 老人や家族を敬うのはタイ人の美徳のひとつでもあるが、今後はタイでも結婚をしない人や子どもを持たない夫婦も増えるだろうから、将来的には大きな問題になるかもしれない。あるいは、そうなったときには日系のケアサービスのノウハウが活きるのではないだろうか。

病院も保険も救急も結局は「金」がすべて

  タイの医療水準は高い。しかし、これにはちょっと語弊がある。現実的には、バンコクだけは医療水準が高い、といえる。バンコクで日本人でも安心して通える総合病院というと、バムルンラード病院、サミティベート病院、バンコク病院など巨大で、かつ入院費が高級ホテルよりも高いといわれる病院だ。これらの病院は日本人看護師はもちろん、日本語ができる医師も複数人いるほどで、下手な日本の病院よりもずっと医療水準が高い。

今のタイの大手総合病院はちょっとしたデパート、あるいは街くらいのサイズ感がある

 しかし、裏を返すと日本人でも行ける安心の総合病院は10もないわけで、その10もない程度の総合病院だけ医療技術が高いというのが現実でもある。地方都市に行けば、市街地に1つ2つ大きな病院があればいい方で、郊外の農村地帯になれば病院は車で数十分も先というのはよくあることだ。その証拠に、バンコク以外で日本人が住んでいる場所として一般的に知られているのは、チェンマイ、コラート、アユタヤ、シーラチャーなどだが、これらの地域は日系企業があるだけでなく、やはり安心できる病院がある。それ以外の都市はよほどの慣れた日本人以外お勧めできないし、実際に住んでいる人はほとんどいない。これらの都市ですら中心部から外れたら、万が一のときの医療には不安が残るくらいだ。

 それから、先の老人ホームの話のように、頼れる人がいない場合でもなんとか医療やサービスを受けられるか否かは、所持金によるところが大きい。タイ人の場合、会社員は社会保障の一環で国民保険のようなものに加入できる。この場合、治療費はほぼ無料になるのだが、病院が指定されている。加入時に空きのある病院に登録され、傷病時はそこに行けば無料で治療を受けることができる。

 ただ、この治療には限界があるので、多少収入に余裕がある人は民間保険に入る。大きな保険会社ならキャッシュレスで治療を受けられるし、貯蓄型を選べば、一定期間積立をしたのと同じで、払い戻しがある。しかも、タイ政府自身が国の社会保障制度の脆弱さもあって、民間保険に加入することを推奨している。そのため、保険料は節税の一部として認められているし、満期に返ってくる金額は加入時に明示することが義務付けられ、満期金額の支払いも政府が保証してくれる。

 外国人の場合は観光ビザ以外での滞在であればこれらに加入できるので、これを利用してもいい。しかし、働かずにただ観光ビザで滞在しているだけの多少のお金持ちは逆に、突然の医療費には注意しておきたい。タイは常夏で、いつ体調を崩すかわからない。50代を超えると突然死も珍しくなくなってくる。今年は10月の時点でもタイ人、日本人含めてボクの知り合いがすでに3人亡くなっているくらいだ。こういったケースも考えると、日本の海外旅行傷害保険は高額にはなるが、万が一の際には安心だ。

 数年前に、ある日本人が突然死んでしまった。彼は持病があったが、海外旅行保険に入らず、かといってタイの保険にも入れず、結局は今すぐ手術をしなければならないとまで医師にいわれたのを振り切って日本に帰り、そのままその日のうちに亡くなってしまった。日本の健康保険を使えば、と考えたらしいが、医師は飛行機に乗ることも危険だといっていたようだ。立て替えにはなるが、タイでかかった医療費は一部、日本の国民健康保険の制度に照らし合わせてあとで払い戻してもらうことも可能だが、それも利用しなかった。というか、立て替えるだけの金がなかったのかもしれない。

 人間いつどうなるかわからないので、バンコクなど医療水準が高い場所に住むことは大切だ。しかし、タイの場合、お金がすべて。ボクは救急救命のボランティアをやっていたこともあって、救急車でタイ人患者を搬送したことが何度もある。その中で、タイの社会保険、あるいは現金かクレジットカードがないと、どんなに重傷でも追い払われたことがあった。それくらいシビアなので、いくら医療水準が高いといっても、それを受ける資格、すなわちお金がなければいけないのである。

書き手:高田胤臣(たかだたねおみ)
1977年5月24日生まれ。2002年からタイ在住。合計滞在年数は18年超。妻はタイ人。主な著書に『バンコク 裏の歩き方』(皿井タレー氏との共著)『東南アジア 裏の歩き方』『タイ 裏の歩き方』『ベトナム 裏の歩き方』(以上彩図社)、『バンコクアソビ』(イーストプレス)、『亜細亜熱帯怪談』(晶文社)。「ハーバービジネスオンライン」「ダイアモンド・オンライン」などでも執筆中。渋谷のタイ料理店でバイト経験があり、タイ料理も少し詳しい。ガパオライスが日本で人気だが、ガパオのチャーハン版「ガパオ・クルックカーウ」をいろいろなところで薦めている。

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