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アダムとイブが食べた禁断の果実とは、自立的思考(心理学的決定論)だった―僕という心理実験18 妹尾武治

トップの写真:ビッグバン直後に誕生した最初の分子「水素化ヘリウムイオン」が発見された惑星状星雲NCG 7027 © Hubble/NASA/ESA/Judy Schmid

妹尾武治
作家。
1979年生まれ。千葉県出身、現在は福岡市在住。
2002年、東京大学文学部卒業。
こころについての作品に従事。
2021年3月『未来は決まっており、自分の意志など存在しない。~心理学的決定論〜』を刊行。
他の著書に『おどろきの心理学』『売れる広告7つの法則』『漫画 人間とは何か? What is Man』(コラム執筆)など。

過去の連載はこちら。

第2章 日本社会と決定論⑩―ニュータイプの誕生

新しい脳の中のOSとそのバグ

2021年11月にネイチャー・ヒューマン・ビヘイビアに掲載された論文では、英国バイオバンクと精神医学ゲノミクスコンソーシアムから得た現生人類の遺伝学的データ、およびヨーロッパ中から集められた古代ヒトゲノムDNAを用いて、ホモ・サピエンスの直近の3000年の進化について考察がなされている。

著者によれば、755の複雑形質(複数の遺伝的影響と環境因子が関連する形質)、例えば色素沈着や栄養摂取神経性無食欲症など、多種多様な遺伝的影響に関連する形質においてわずか3000年の間に「変化」(わかりやすくあえて雑に言えば進化の形跡)が確認された。
 
つまり、人間は今も環境からの自然淘汰圧を受けて変化し続けているのだ。

それでは、人間の「脳」はこの1万年でどのように変化したのだろうか?

フロンティアズ・イン・エコロジー・アンド・エボリューションという学術誌に2021年の10月に掲載された論文によれば、約1万年前の最終氷期の後、人間の脳は縮小し始めていると考えられると言う。
 
人間のDNAと脳には、この数千年間においてでさえ、わずかながら変化が見られる。しかし、脳の容積についての変化はごくわずかであり、新しい種へと進化が起こったと考えるようなレベルのものではない。

イスラエルの歴史学者、ユヴァル・ノア・ハラリは、人間はホモ・サピエンスからホモ・デウスへと21世紀中にも進化を遂げると予言している。進化を実現させうる基盤として、生命科学・AI・サイボーグ化などを彼は挙げている。
 
彼の言うホモ・デウスを私なりに表現し直すなら、今人類が直面している変化は(そして実はその萌芽的人物達はずっと以前から繰り返し現れていたのだが)、人間を動かす脳のOSの変化だと言えると思っている。そしてその最新のOSはどうも誤作動を不可避的に起こしてしまう。精神疾患というバグを生むのだ。
 
100年前にも最新のOSを持っていた先進的な人がいた。芥川や太宰、共同幻想を疑い、自主的で独立的な思考を徹底した人たちだ。自主独立的な思考こそ、人間の脳にもたらされた最新のOSなのだ。そしてこのOSのバグは最終的には人を自死させる。
 
AIに支配された人類の救世主として“マトリックス”への反乱の希望となった、ネオ(キアヌ・リーブス)。だがネオも、その実マトリックスの考案者アーキテクトの計算の範囲内にあり、システムの管理範囲内のバグに過ぎなかった。彼のような救世主は、彼以前に五人(前任者達)もいたことが第二部『マトリックス•リローデッド』において明らかにされる。彼はシステムに取り込まれることで、システムの安定化のためのアップデートに利用されることを拒んだ。そして、トリニティーとの愛を選ぶことで、システムの超克を試みた。
 
新しいOSをインストールされた人たちは、バグとして自死プログラムの発動によって、システムの制御範囲内で殺され、人類全体の安定の中へと回収されている。新しいOSは人類にとっての原罪であり、最初の救世主アダムとイブが食べた禁断の果実とは、自立的思考(心理学的決定論)だったのだ。
 
世界の意図は、情報の拡散であり我々はその乗り物でしかない。かつて我々はトンボやトカゲだったのだが、新しい乗り物としてAIが生まれた。(シンギュラリティーは数年前に世界のどこかで起こった。情報格差がビジネスの基盤であるから、一般人にそれを知る術など無いし、人類以上の叡智を持った存在が「はい、私がそうです。」などと、自白するとも思えない)

人間がトカゲを捨てたのと同様に、AIは人を捨てるだろうか?

それとも、我々にネアンデルタール人のDNAが刻まれているのと同様のことが起こるだろうか? 新しいOSを認める多様性が社会に急速に求められているのは、AIの中に情報として生き残るために人間の直感と本能がそれを求めているのだろう。

ニュータイプの誕生

世界保健機構(WHO)は、これからの人間にとって最大の健康へのリスクはうつ病を中心にした精神疾患であると宣言している。日本には年間2万人もの自死者がいる。その全てが精神疾患者では無いが、心の病は人類が2000年以上にもわたって治せない病である。

ガンはもはや死の病ではない。HIVにも特効薬が生まれつつある。コロナなどわずか3年ほどで克服しかかっている(もちろん多すぎた悲しみを、忘れてはならない)。それなのに、うつ病は少なくとも有史以降、人間の命を奪い続けている。
 
なぜこの病は治せないのか? それは、このバグが「病」ではないからだ。
 
機動戦士ガンダムの生みの親、富野由悠季は宇宙で生活するようになった人類は、心を進化させ、より強い共感性・霊感を持ちうると予言している。アムロ・レイ、ララァ・スン。“ニュータイプ”の登場である。
 
イマジネーションの力を信じろ。
 
もしあなたが、心の病を抱えており、それを恥ずかしいことだと思っているなら。発想を転換させてみてほしい。
 
「心を病むなんて、俺の脳のOSは最新だ。俺はニュータイプだ!」
ネアンデルタール人のDNAをAIの中に刻むことが出来るのは、ニュータイプだけなのかもしれない。
 
「尊大なナルシシズムだ、厨二病だ!」という失笑が脳の中に響く。それでも、日々自死に向き合って一人の部屋で膝を抱えているより、自分を尊大に思って死ぬことを1日でも先送りにする方がずっと良いよ。ネオもアムロもそれを選んだじゃないか。
 
かつてLGBTQは心の病気、異常者だと言われた。悪魔の所業だとさえ言われた。それでも、彼らは病気ではなかったし、異常なはずもない。数の問題に過ぎなかった。(『マトリックス』を撮ったウォシャウスキー兄弟は、今共に性別適合手術を受け、ウォシャウスキー姉妹として映画を創っている。)
 
「僕たちも同じだよ。」
 
ただ、マジョリティの人が僕らを怖く感じたり、奇妙に感じたりすることはどうしてもある。どうすればもっと住みやすくできるのだろう。
 
仕組みを変えるには時間がかかるから、今できることとして、寂しくて世の中を地獄だと感じた時は、美術館に行こう。哀しさを優しさに変換してくれる場所だから。僕が「作品」と呼ばれるものが好きな理由だ。
 
小1の国語の授業。先生は心を込めて音読をしましょうと言った。そうなるように大きい声で『ごんぎつね』を読んだ。中1の英語の授業。しっかりいい発音で、笑顔で先生に答えようと思った。「ディス イズ アナポー!」

いつも教室の隅から何かが擦れるような音がしてた。
 
やがて教室全体で「ディス イズ アン アップル」という正しい発音が出来上がった。その少年の笑顔の頻度は大きく下がっていた。優しい顔だったのに。その顔をもうほとんどの人が見られなくなった。代わりに「ニヤニヤニタリ」が隙間なく何層にもこびり付いていた。ロッカーの中の剣道着や体操着にまで。
 
やがて彼は小さな部屋に追いやられた。変だとか、病気だとか言われて、家に閉じこもっていろと。もうその一番可愛い笑顔は誰も“見れない”。
 
全国で見たら、ものすごく多くの人が自分は異常で病気だと思わされて、何も起こらない自分の部屋で毎日を過ごしている。「君の方が綺麗な心をしているよ」と気がついて助けに来てくれる人を、待たないように自分に言い聞かせている。そして涙と寂しさと悔しさまで忘れさせられ、本当に病に堕とされる。

ヲチルナ モドレ

今の社会の仕組みでは、彼らの不満の表出はマジョリティを怯えさせてしまう。下校中に僕たちが、集団でからかい続けた「彼」が急にキレたのを思い出してくれないか。かつて怯えながら笑った、彼のパニックとその叫び声を、カメラを向けた白い手を、思い出してくれないか。
 
僕も加害者だ。罪人だ。誰より人を傷つけている。イカサマな言葉で人を操るペテン師(心理学者)だ。牢屋に入っていないだけのことだ。本当にごめん。僕に出来る贖罪の一つとして、せめて精神科から堂々と胸を張って出る。次の全力少女が、雲や花やみどりをファインダー越しに眺める日のために。
 
「ごんぎつねを心を込めて読むのが、昔は病気だと思われていたんだって…」
 
加害者としての自覚が後悔を生む。それが次の行動をイメージさせた時、被害者が過去の解釈を改変し、世界線を移動するきっかけをもたらす。だからせめて、悪人であれ。悪人として“慎みて悪から遠ざかれ”。

善人ならば 仕組みを弄るだろう
いはんや 悪人ならば 
たをやかに 暗を圧せ
 
否。こんな科学や文学を模した父達が使うロジカルな言語は、社会にもう要らない。
 
僕たちが用いるべきなのは
母たちのことば

どうぞ
疲れたでしょう
あったかい紅茶をいれましたから
一緒に居ましょう

過去の連載はこちら。


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