淘汰時代の農業サバイバル【Vol.2 京農園よしだ】惚れた過疎地で暮らし続けるために「みじめな範囲」を逸脱しない
『農家はもっと減っていい 農業の「常識」はウソだらけ(光文社新書)』の著者である(株)久松農園代表の久松達央さんによる個別無料コンサルティング。第2弾は、京都市右京区京北地域で、環境負荷の少ない方法で旬のさまざまな野菜を栽培する京農園よしだの吉田修也さんと祥子さんが、縮みゆく中山間地域で暮らし続けることについて相談しました。
コンサルレポート第1弾はこちら。
今回の相談内容
夫婦二人でできる範囲で事業を回しているが、京都府京都市右京区京北という過疎化する中山間地域で今後集まってくる農地をどのように管理していけばいいのか。現時点でも、中山間地のため畔が多く(約1ha)草刈りや水路整備等の維持管理に多くの労力をとられ栽培が常に遅れ気味で経営に影響している。
『農家はもっと減っていい』著者の久松達央さんによるコンサルティング
地域で暮らすことがゴールならば「どこまでやるか」を決める
――現在の状況について教えてください。
久松達央(以下、久松)経営の方向性がだいぶ変わったんですよね。
吉田修也(以下、修也)3年前に独立し、はじめの2年間は4人の正社員を雇用してバリバリ野菜を生産していました。でも、思ったように経営はうまくいきませんでした。僕のマネジメントが十分ではなかったと思っています。
そもそも大きな商売がしたいわけではないことに思い至り、昨年の夏頃に従業員に辞めてもらって事業を小さくしました。今は夫婦二人でできる範囲で事業を回しています。
久松 スタッフと離れてみてどうですか。
修也 かなり楽です。利益も上がっていると思います。雇用してバリバリやるのは「きついな」と感じていましたが、「やれるんじゃないか?」とも思っていました。やれなかったというよりも、頑張れなかったです。
久松 そこは自分の中では、「あー清々した」じゃなくて、「やれなかった…」という感じもあるんですか。もう少しうまくやれたかもしれないのにって。
修也 後悔はないですね。方向性に合わなかった感じです。
久松 無理をして人を雇っているのを横目で見ていて、祥子さんはどのように感じていましたか。
吉田祥子(以下、祥子) いやー、苦しそうでしたね。私はやりたくないことをしてまで農業を続ける意味はないと思っていたんです。でも、雇用している以上は使う側の責任なので、そこはしっかりと伝えていました。当時、私は社員ではなかったのですが。
久松 野村沙知代みたいな立場ですね(笑)。
祥子(笑)。私が間に入って交通整理する話でもないんですけれどね。とにかく変な感じでした。
久松 最後に至るまでがあんまりいい形ではなかったんですね。その傷が癒えて無いのがちょっとあるのかもしれないですね。
祥子 そうですね、お互いきれいに離れられたわけではなかったので。地域の人にもいろいろとご心配をおかけしたところもあったりして…。
久松 天候リスクよりも、よっぽど人間関係の方がリスクじゃないかっていう。
祥子 いやー、人は大変だなと思います。
久松 事業はたたむ方が難しいですよね。地主さんおよびその周りの人も納得するような形で辞めるってなかなか難しいこと。僕も今もたたむことを考えているから算段しているんだけれど、広げる方がずっと楽だと思いますね。拡大というのは、こちらがwin-winストーリーを提示するのでそんなに難しくないです。
相手の勝手なんだけれど、貸す側は「なんかやってくれるんだね!この地域を任せていこう」って勝手な思いを乗せて貸してくれたりする。縮小するときに「裏切られた!」と思うのも相手の勝手だけれど、そういうことも含めて縮小するのは難しい。
――今は完全にご夫婦2人でやっているのでしょうか。
修也 僕がなんとなく案を出して、妻がそれに対してコメントする感じです。基本的には2人で話して決めています。
久松 今後は2人もしくは2人+αぐらいでやっていこうという方針は固まっているんですか。
修也 2人で暮らしていくだけなら今のやり方でできます。でも、今の面積の畑を維持しつつ、今後5年から10年で集落全体の10haぐらいの農地管理を任されることになりそうなので、そのときにきちんと回るような経営をしていかなくてはと考えています。
久松 雇用せず2人でやっていく方向に舵を切ったことと、地域で集まってくる農地を受け入れるのはやや両立しにくい。10haを任されていくこと自体は受け入れる方針ですか。
修也 担い手がいないので、そうなっていくんじゃないかな。そうなると、半分ぐらい水田にしないと回らないかなとは思っています。ただ、その水路の維持管理が今後できるかどうかっていうのは…。今はまだ地域で維持管理しているところがあるのですが、地域の人ができなくなったときに、うちだけで維持できるのか。
久松 そうですね。確かに畔に加えて、水の管理が出てくるし、多分そのインフラが割と古いものであろうことは想像できる。今後その投資までやっていくのはかなり難しいですよね。
修也 そうですね。ただ、今の場所が気に入っているので、なるべく長く暮らしたいです。
――お2人はもともと京北のご出身なのですか。
祥子 私たちは2人ともこの地に縁もゆかりもない「よそ者」なので、周りがここに住み着いたことにビックリしたみたいです(笑)。「もの好きだね、君たちも」って。私たちは割と受け入れてもらえましたね。ここは過疎地で、すごい不便だしすごい田舎ではあるけれど、過疎地までふっ切っちゃえば、田舎暮らしって本当に快適だと思うんですね。あとは、問題にどこまで首を突っ込むかは自分たちの姿勢でもあるのかな。私たちはいろいろな人が繋いできたこのこの地域の足下に埋まってるものに惚れ込んじゃったので、自ら首を突っ込み始めました。その分、任されることは多いです。
久松 なるほど。
祥子 この地域の人たちは昔から豊かに暮らしてきたので、その誇りがあるからこそ「助けて」と言えない状態になっています。言えないからこそ、ゆっくり共倒れしていくのも時間の問題で、バタバタと消えていくのを「あー、やっぱりあっちもなくなったか、あっちも手放されたか」というのを「仕方ないよね」って。同じ方向にずっと流れているのをただ止めないでいる感じです。
――ゆっくり共倒れしていくなかで、やっぱり何とかしたいという思いから、先ほどの10haを引き受けたいという話になるのでしょうか。
修也 地域を何とかしたいわけではなくて、自分たちの見える、手の届く範囲は快適に維持したいっていう方が近いかな。
地域の人にとっては草がきれいに刈ってある景色がきれいですが、外から入ってきた人は「ススキがなびいているのがきれい」って言ったりして…。その感覚の差が面白いというか、それも一つの解決策になるかもしれません。
祥子 あと、自分たちの家の周りだけを快適にしようと思って草を刈っても、結局裏山から鹿が降りてきたり…。裏山の杉を適度に管理して林業者に入ってもらわないと、結局それが地滑りをおこして、自分たちの家も危ないかもしれない…。そんなことを知ると、裏山とかその向こう側の山まで気を配らないといけなくなります。そういう感じでいろんなものが繋がっていると分かると、少しずついろんな人と手繋がなきゃいけなくなって、視野を広げざるを得ないんです。
久松 自分のためにやるというのがはっきりしていればいいよね。この地域を何とかしたいというのはやや危険ですよね。
修也 まあ、地域を助けたいという熱い思いで…みたいに書いてもらった方が(笑)。
祥子 地域の資産に助けられているのは確かです。これはかなり大きい。私たちはそれを自分たちのコストで買っているところはありますね。
久松 一義的に大事なのは「そこの地域で暮らし続けたい」ということですね。それは2人とも一致してるんですか。
修也・祥子 はい。
久松 地域で暮らしていくことが主な目的なら、どのぐらいの売上で、どういう暮らしをしていくかを決める話でしょうね。
例えば、集まってくる農地を全部水田にして20haだとすると、おおよそ売上2,000万円です。中山間地は一枚の水田が小さいなどの土地的条件から機械償却が重いタイプの稲作になり利益率が上がらないので、頑張って販売して350〜400万円残ったらだいぶいい。普通に売ったら多分200万円も残らない感じかな。それと養鶏を組み合わせて地域の中核的な存在になる。その場合、兼業で別の仕事を持っているケースが多いと思います。
もう少し二人でがっつりやるなら、収益性の高いものを考えていくのか。そうなると、地域の全ての農地を受け入れるというミッションはやや諦めなきゃいけないかもしれません。
このように、どうしていくかを決めていかないと、投資の方向性が決まらないと思うんですよね。
修也 手探りで当たったものを大きくしていこうと思っているんですけど、その度に課題が出てくるので考えなくてはいけません。
久松 吉田さんは、キャリアがあってわかっている人なので、なんとなくやっていた先に見えてくることはないと僕は聞き手として思いますけどね。なんとなくやっていった先に道が開けてくるっていうのは、そもそもその地域の人で、償却済のいろんな設備があって、自宅も家賃がかからなくて…みたいな特権階級にのみ許されたことで、今から設備に投資をしていかなきゃいけないのである程度の方針がないとやや先細りな感じはします。
暮らしの農業へ向かうなら真剣にスナック農業へ踏み出せ
――養鶏も始められたんですよね。
修也 今、400羽の鶏も飼っていて、卵の販売が増えてきました。毎日卵200〜300個くらい採れて高単価で販売できています。全部売り切ればそこそこ安定します。
久松 それならもう少し多くやったら?と思いますが、しぼってガツガツやっていくことに何か抵抗がある感じに聞こえますね。
修也 抵抗があるわけではないんですが、あんまり好みじゃないという気がします。リスクも考えて一つにしたくないのもあります。今の高単価を維持して、十分に売り先も見つけられそうな感じなので、そこまで無理せずにという意識ですね。
祥子 選んでいる環境のせいでもあるんですけれど、農産物を生産してそれを販売することで売上を上げていくには、農業生産だけに集中していられない要因が多いんです。選択と集中が危険な環境でもあると思っています。2人でやれてリスクをリカバリーできる範囲以上に広げないのが、今のところ私たちの危機管理ではあるんですよね。環境が足かせにはなっているんですが、ここが気に入ってしまったので。
あとは、京都の奥座敷というこの地域で、土地に合った品質の高い野菜を作っているので、京都市内の料理屋さんやレストランさんに気に入っていただいています。多品種多品目で購入してくれることが多くて、旬に逆らったものを作る意味もあまりないです。理解してもらえる方とだけ今付き合ってるので、作る側としても無理をしていなくて、それが暮らしの中でも無理をしないペースです。
久松 とてもわかるけれど、「いろいろ考えた上で、本当にそうなんです」ってどうしても聞こえないのはなぜだろうって自分でも思っている。
修也 経営的にも畑的にも従業員を雇っていたときのダメージからまだ回復してないできていない、ずっと後追いというのもあると思います。一回リセットして、まず0まで戻さないといけないので、まだ動けてないのもあるのかな。
久松 野菜もお米も卵も少しずつ作って、自分たちで食べる。その余剰生産物をおすそ分けとして販売していく。そこに豊かな暮らしがあるというスタイルでやっていくのであれば、そっちの方向にちゃんと行かなきゃダメですよね。売上に関しては構わないと割り切っているのであれば、ちゃんとそっちに踏み出した方がいいと思うんですよ。2人を売っていく。僕はそれを「スナック農業」と呼んでいますが、ちゃんとスナック農業をやらないと。もっとガチスナックな人もいるから。
ーーガチスナック農業は儲からないのですか。
久松 いや、僕は、別に経済的にガンガンやった方がいいとは全く思ってないです。ただ、リスク云々は消極的で表面的な話なので、2人が行こうとしている方向に満足しているように見えないのはなぜだろう。
修也 リスクもあるのですが、単純に農業だけで食っていくことが面白いのかというのがあるんだと思います。野菜を作って売って、それで食べていく生活をよしとしていないところがあります。
久松 全然他の何かを売ってもいいですよね。専業で生産物を販売することで生計を立てている人が「上」みたいなことは何もない。けれど、何にもないと言い切れない何かが君たちにある。
祥子 隠居暮らしのような農業のやり方や、里山暮らしみたいなところが一般的な農業生産者からすると負け犬みたいな感じに見えると思うんです。でも、そこと比較しようとも思ってないし、思われることも別に何とも思っていません。農業で儲けようと思ったら、儲けるための農業をしっかりやらなきゃいけないんですけれど、私たちはそれに興味がないというのが前提です。
関係資本じゃないですけど、本当に里山の資本主義の数値化できないところが結構あります。それこそ今やってることを農業の外側から「これからの資本主義の新しい形、オルタナティブだよね」と過大評価してくれる人もいるんですが、私たちはそれを広げていこうとか、それを体現しようとか思っているわけでもないんです。
次の手を打つためにお金は必要だし、赤字垂れ流しがいいと思ってません。ただ、売上の数値を目標としていないところははっきりと違いますね。
修也 農業生産のみで売上を目指さないのは、暮らしにお金は必要ですが、仕事で暮らしが犠牲になったらダメだと思っているからなのかも。
久松 暮らしを中心にするのは、旧石器時代の狩猟採集文化に多いんです。つまり、自分の食うものを作ることを労働のベースにしている暮らしは、労働時間は年間1,300時間ぐらいで、食う物とその周りの豊かな暮らしがある。ただ、それを、ずっと飽きずに暮らしていけるような遊び心は本当に君たちにあるんですか。
修也 あると思います。
久松 必要なスキルや最低限の道具を自分たちの資本として貯めながらそれをやっていくタイプの人であれば、ありですよね。それって結構な知性と遊び心が必要で、わりと難しい。というのも、僕も若い頃、そこに憧れた部分があるけれども何も持ってない段階でやっても到達できないと思ったところですよ。
2人が一致しているなら、「今年はこれが金になった」みたいなものは大事にして、ビジネスモデルに別に頭を使っていくこともないのかも。
ただ、多くの人が金で解決していることを技で解決するっていうのはそれはそれで蓄積が必要。今までやってきたことがいろいろあるとか、実家が太いとか、困ったときに何とかする力とか。
修也 エピクロスの庭みたいに隠れて暮らしたいと思っています。(註:古代ギリシアの哲学者。前307年ころ,父の故郷にある庭園つきの家に学園を創設)
久松 大きく出たな(笑)。でも、エピクロスは実家が太かったと思うよ。
修也 働かなくても良かったんでしょうね(笑)。
久松 ただここから先、設備にも投資もするのであれば、本当に純然たる今の目先の収入だけではなくてもう少し売上があってもいいかもね、1,500万円ぐらい。
修也 そうですね。そのぐらいあったらかなり余裕ができて、いろいろやれるスピードが速くなるっていうのはありますね。
久松 割り切って金にするところもある程度あった方がいいね。話しててなんとなく整理されてきたのは、方針を決めることから逃げちゃいけないところではありますよね。
その地域で暮らしていくことが明確にゴールだとしたら、なおさら無理な形で水田として農地を引き受けないということも含めて考えて受け入れなきゃいけないかもしれない。経営の規模を小さくするということは、やれることを手放すことでもあります。地域がこの先変わっていっても、その地域への愛情が揺るがなく、そこに住み続けることへのこだわりがあるなら片目をつぶる。
一定の数字的なことも含めて、のらりくらりだけど、その「のらりくらりの幅」は管理しないと危ないですね。でも、それはやるに値する仕事!その素敵な地域で、自分たちの力では全部は救えない中で、どのようにコントロールするのかこそが、自分の暮らしだけを考えて「自給自足がしたい」と言っている人とは違う知性ある君たちが力を発揮する場所だと思いますよ。
集約の時代に抗いながらみじめな範囲で生きるために
ーー「のらりくらりの幅を管理する」とはどういうことでしょうか。
久松 ある程度のらりくらりに幅がないといけないというのは、全体の流れに引っ張られるから。自分たちの形でやりたいと思っても、同時代に同じような作物を栽培している人たちの中央値に引きずられるんですよね。なぜなら道具がそこに引っ張られるから。僕は「農業のモジュール化」って言ってるんだけれど、例えば、歩行型の稲刈り機やごく初期の二条刈りのコンバインみたいなものがむしろコスト高になっていくじゃないですか。そうなると、四条刈りが入らないような農地はもう無理ですよ、辞めていきましょうよってならざるを得ないですよね。山下達郎の「歌は世につれ、世は歌につれないって」は名言だな。
修也・祥子 ははは。
久松 これが集約の時代に一番難しいところで、現実に「俺たちまだこの機械を使ってんだからちゃんとメンテしろ」って無理やりメンテナンスをさせてしまった結果、周辺産業もアップデートできないっていうことが起こります。それを君たちは多分よしとしないと思うんですよ。そういう構造が見えてしまう人って、ただ単にわがままでいられないタイプの人。そういう人たちが、どのように世の中と折り合いを付けていくのかはなかなか難しいゲーム。その流れに抗って暮らすためには、選択することと同時に選択しない何百倍もの選択肢についても知っている必要があるんですよね。
個人的には非常に応援したい。経済農業の落ちこぼれが、暮らしを中心にした農業をすることであってはいけないし成立するわけがないので、君たちみたいな人にやってほしい。ただ、それはやっぱりハードルが非常に高い。
修也 迷いがあるとすれば、まだいろいろ可能性があるから、どっちがいいのかなっていう。稼ごうと思えば稼げる環境があるからっていうところはあるんでしょうね。
祥子 迷いはあるのかもしれないですね。やればできるっていう気持ちが。
久松 そういうのは、0か1じゃないと思います。頑張り3と好きなこと7でやってみようとか、事情によってここから3年間は頑張り7にしないといけないみたいなことはあるからね。ただ、一定の選択と集中は必要かもしれません。
ーー最後に、『農家はもっと減っていい』の感想をお聞かせください。
祥子 私は「みじめな範囲を逸脱しない」という言葉、あの感覚をいかに持てるのかが小規模農家の肝のような気がします。みじめというのは拡大成長戦略から見たときのみじめさですが、その範囲を逸脱してみじめじゃないところへ行こうとするから、身の丈に合わないことや環境に合わないことをしないといけなくなるんだと思います。私たちはみじめだとは全く思ってないけれど、人から見るとこれはみじめだろうなとも思う。でもみじめな範囲を逸脱しようとも全く思ってないので、小規模農家としてはかなりいいんじゃないかと自分たちでは思っています。
どんな人、どんな規模、どんな能力の持ち主だってやっぱりみじめな範囲を逸脱したくなる欲が出てくると思うんです。ただそれは、描かれている物語が単一的なので、自分の能力とか適しているそのマーケットを見誤る。その節度は鍛錬しないと身につかないと思います。
久松 それがねえ、農業だけじゃないんですが、結局先ほどの「農業のモジュール化」だけれど、テクノロジーはその範囲を逸脱することを物理的に可能にしてしまうんですよ。つまり、道具を買えばできてしまう。物理的にみじめな範囲から先に行けない方がよっぽど楽だよね。でも行けてしまうし、なんなら補助金がついてしまう。地獄への一直線になるし、しかもわりと地獄が長く続くんですよね。だから、己にとって何がみじめな範囲なのかを見極め、そこをどう逸脱しないかっていうのは非常に大事なことですね。
祥子 自分の中で失速していくのをフォローしているのと、行けると思って盲目的に走り続けるのとでは、やっぱり本当のみじめさが違うと思います。
久松 なるほど。ただ、特に若いときにはそれを無鉄砲にやるのも学びがあるし、例えば今、ナイジェリアとかに行ったらもうみんなイケイケだと思う。未来に対して前向きなのは失敗を恐れない社会だから、それが悪いことだとは僕は思わないです。でも、今の日本の状況においてはやっぱりみじめな範囲を意識する必要がある。
まあ、自分がみじめであることが分かるような抽象度のはしごを上ったり、下りたりしてる人ははしごの昇降にエネルギー使うから、経営者としては成功しないんですよね(笑)。
祥子 その通りです(笑)。
久松 ありがとうございました。お役に立てなかったかもしれないですけれど。
修也 いろいろ整理されて方向性を考えるいいきっかけになりました。ありがとうございました!
(まとめ・紀平真理子)
吉田さんの『農家はもっと減っていい』の感想
過疎化する中山間地域でまともな農業ができるインフラを維持できるのはあと10年程度だと考えています。最後の「公共財にタダ乗り」を楽しむことを目的に田舎で生き残っていくための経営を目指しています。「誰に褒められたいのか 何を美しいと思うのか」については、四季を肌身で感じられる生活は美しいと思いますし、お金を出しても買えないような作物を作り、その価値をわかってくれる人たちとだけ商売をしていくためにはどうすればいいかを常に考えています。そのためには一般的な農業とは言えない取り組みも試みています。
私は自身を農家とは言えないと思っていますが、目的はこの地で生き残ることなので農家でないのは当然なのかもしれません。東京事変の『ミラーボール』の「どんな形のおしまいなのか」ではないですが、この地がどのようになっていくのかを見届けたいと思っています。
久松さんから吉田さんへの推薦書籍
石井洋二郎『ブルデュー『ディスタンクシオン』講義』(藤原書店)2020
久松さんからのコメント:これを読んで苦しんでください(笑)
コンサルレポート第1弾はこちら。