現代日本人の「法意識」とは何か?|高橋昌一郎【第46回】
「法の支配」より「人の支配」が優先される日本
2014年1月28日、理化学研究所が大掛かりな記者会見を設定し、小保方晴子氏が笹井芳樹氏と若山照彦氏と手を取り合って、STAP細胞「発見」のニュースを華々しく発表した。『ネイチャー』誌に掲載されたSTAP論文の筆頭筆者となった当時31歳の小保方氏は「リケジョの星」と呼ばれ、スター扱いされた。その後の事件の進捗は、当時『週刊新潮』に連載中のコラム「反オカルト論」で追跡したので、よく覚えている(拙著『反オカルト論』(光文社新書)参照)。
STAP論文は発表直後から世界中の研究者が注目し、やがて「盗用・改竄・捏造」の研究不正の痕跡が次々と発見された。理化学研究所の調査委員会が「STAP細胞がなかったことはほぼ確実」と断定したのは、2014年12月末のことである。調査委員会委員長を務めた国立遺伝学研究所長・桂勲氏は「STAP幹細胞は調べた限りでは、すべて既存のES細胞に由来している」と結論付けた。要するに、STAP細胞はES細胞から捏造された「根も葉もない虚像」だったわけである。
ここで問題になるのは「誰がES細胞を混入させたのか」という点である。小保方氏は「STAP細胞はあります」とか「STAP細胞を200回作製した」などと公言し続けたが、ハーバード大学や北京大学など世界を代表する7つの研究機関が133回に及ぶ再現実験を行ったにもかかわらず、ただの一度も誰もSTAP細胞を作製できなかった。共著者の若山氏は2014年3月10日の段階で論文撤回を呼びかけたが、小保方氏の直属の上司でもある笹井氏はSTAP細胞の存在を信じて疑わなかった。しかし調査が進むにつれて絶望し、8月5日に縊死した。
小保方氏が、すでに大学院在籍中から研究不正の常習者だったことも判明している。2015年11月、小保方氏の「博士論文」に26カ所の研究不正を認定した早稲田大学は、「指導・審査過程」に「重大な不備・欠陥」があったことを認めたうえで、小保方氏の博士学位を剥奪した。小保方氏は、理研を自ら退職した。
科学の世界では、彼女は明白な「研究不正者」ということで話は終わっているわけだが、実は当時、ある関係者から「理研は小保方氏に訴えられることを非常に危惧している」と聞いたことがある。もし小保方氏が「盗用・改竄・捏造は自分ではなく他のライバルによる陰謀」だと主張して、理研における地位保全を訴え、STAP論文の「盗用・改竄・捏造」を次々と暴いたネットの研究者に対して莫大な額の名誉棄損訴訟を起こしていたら、どうなっていただろうか?
世間には、小保方氏の「無実」やSTAP細胞の「存在」を妄信するファンも存在し、マスコミは小保方氏が陥れられたとする「陰謀説」を興味本位で報道するかもしれない。裁判が長期化すると理研の権威は失墜し、結果的に研究費獲得なども困難になるというのが、理研サイドの最も恐れていた結末だったらしい。
実際に「訴訟大国」アメリカでは、大学教授が所属する大学を訴えたり、会社員が自分の会社を訴えるような例も珍しくはない。しかし、日本では訴訟など抱えずに気持ちよく新年を迎えたいからか、年末になると「和解」が増加するという。本書は「婚姻、離婚、親権、不貞、事実婚、同性婚」「犯罪と刑罰・死刑」「冤罪、刑事裁判官・検察官」「権利、所有権、契約、民事訴訟」「制度と政治」を分析することによって、現代日本人の「法意識」を解明しようとする。
本書で最も驚かされたのは、「法の支配」より「人の支配」が優先され、「手続的正義」が軽視されるようになったという現代日本の危機的状況である。とくに近年は「利権政党」や「ポピュリズム的傾向の強いイデオロギー政党」が跳梁跋扈し「抱え込まれたメディア」が権力に忖度しているという指摘は重い!