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「低温調理」超入門編|パリッコの「つつまし酒」#148

まずは大前提から

 すっかり一般的なものになりましたね、「低温調理」。
 正式には、1979年、フランスでジョルジュ・プラリュによりフォアグラのテリーヌの調理のため開発された調理法、「真空調理法」のことで、焼く、蒸す、煮るに次ぐ第4の調理法とも呼ばれているのだそう。具体的には、60〜70℃くらいの比較的低温なお湯で密封袋に入れた食材を長時間湯せんする調理法で、驚くほど柔らかいまま、肉や魚などの食材に火が通せるのが特徴。
 居酒屋で牛や豚のレバ刺しが食べられた時代ははるか昔で、昨今、肉類を低温調理した「冷製肉刺し風」メニューは、定番中の定番です。
 って、先に断っておきますが今回、正確性的にも、食の安全性的にも、ものすご〜くデリケートなテーマとなっていますので、あくまでここで僕がする話に関しては、かなりざっくり「へ〜、そういうもんなんだ」くらいの感想にとどめておいてもらえるとありがたいです。もしご興味を持たれた方は、先生に習って勉強するなり、しかるべき書籍を読むなりしてから実践してみてくださいね。
 というのも、低温調理に常につきまとうのが、「食中毒」の心配。生肉や生魚にはさまざまな細菌やウイルスが存在していて、それぞれに死滅させられる温度、時間などが異なります。たとえば厚生労働省による生肉の加熱時間目安は「中心部までを含む全体を75℃以上に温めた状態で1分以上」。これはたとえば「70℃で3分」「65℃で15分」と同等となるそうですが、それとて危険が完全にないというわけではなく、まだまだ科学的根拠に基づく検証が進められている段階なのだそう。体調の悪い方や、お子さまやお年寄りの場合も、リスクが高まるので避けたほうが良いようですし。
 じゃあじゃあ、お湯を100℃にしてぐつぐつ煮ちゃえばいいじゃん! というと、それでは低温調理の意味がない。たとえば肉を構成するたんぱく質の一種は50℃になると弾力が出はじめ、68℃を超えるとパサついて硬くなりだすんだとか。つまり、安全性をキープしつつ、温度を低めに保ち、肉の柔らかさをどれだけ引き出すか、そのギリギリのラインを攻めるのが醍醐味と言えるのかもしれません。温度と加熱時間のもっと詳しい関係などは、WEB上にもいくらでも情報が見つかるので、ご興味があれば検索してみてください。
 そんな低温調理が、「Anova」に代表される専門の調理器具が発売され、誰でも自宅で気軽にできるようになり、どんどん一般に浸透していっているのが、現状という感じ。

入門編にうってつけのアイテムを発見?

 ところが件のAnovaは、モデルにもよりますが最低でも数万円はする。かといって、ガスコンロにセットした鍋の前で、温度計片手に見張り続けるというのも手がかかる。なにかこう、容器内の水温を一定に保ってくれる、もっとお手軽な調理器具はないものか。そんなことを数年来考えていて、先日偶然見つけたのが「山善」のヨーグルトメーカー「発酵美人」!

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山善「発酵美人」

 その名のとおり、温度を一定に保って、自家製ヨーグルトや、甘酒、発酵食などを作る調理器具なのですが、注目すべきはその性能。なんと、25〜65℃まで、1℃単位での温度設定が可能で、タイマーは1時間単位で1〜48時間! これ、あくまで自己責任の範囲内ではありますが、完全に「お手軽低温調理器」と言えるじゃないですか!
 もちろんそれ専用ではないですし、Anovaのように水流を発生させる機能もないので、より慎重にはならなきゃいけない。けれども、まずは低温調理の楽しさをさわりだけでも楽しんでみたい僕にはうってつけだと、即購入。購入時のお値段、なんと3480円!
 仕組みはとにかく単純で、内部にセットされたプラスチック製の容器に水を張ると、任意の温度まで上がったのち、設定した時間その温度をキープしてくれる。
 よし、まずは比較的食中毒の危険の低い牛肉で、その機能を試してみましょうか。
 手順としては、耐熱ビニール袋にブロック肉を入れ、空気になるべく触れないようにという理由から、てきとうな油(今回は家にあった米油)を適量注ぐ。それを水に沈めて空気を抜き、口をしばる。「発酵美人」に入れてスイッチを入れ、放置。ですかね。まずはスーパーで手頃だった牛バラ肉で。

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約300gのブロック肉。これを半分くらいにカットして

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このように空気を抜いて

 設定温度は上限の65℃よりなんとなく1℃だけ下げた64℃。設定時間は、初心者があんまり攻めすぎてもあれなので、長めの8時間。これでスタートボタンを押したら、あとは放置しておくだけ。
 最初にそれなりの温度に上げたお湯を注いで始めれば効率が良かったに違いないのですが、僕はそれすらも手を抜きたかった。そこで、注いだのは普通の水道水。温度を測ってみると約7℃。1時間後、水温27℃。2時間後、50℃。3時間後、62℃。この時点でいったん肉の中心温度を計ってみると、59℃。熱の上がりかたはかなりゆっくりのようですね。やはり長めに設定して正解だったか。
 そしていよいよ8時間後。肉を取り出してみます。包丁でカットしてみると、おお、どちらかと言うと煮込み料理向きの牛バラ肉とは思えない、しっとりとした柔らかさ。断面はほんのりピンクですが、これは生焼けというわけではなく、ミオグロビン由来の色(詳細は省きますが、安全なピンク色)だと思われ。

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こんな状態

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焼いただけとはあきらかに違う質感

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いざ、試食

 カットして、シンプルに醤油で食べてみると、これがうまい! スイッチを入れて放置していただけとは思えません。ただ、脂身というものは、加熱によって赤身とはまた違う食感の変化をするもので、そこだけちょっと歯応えが残っているというかなんというか、そもそも選んだ食材や下処理がベストではなかったかもしれない。まだまだ研究のしがいがありそうです。わくわく。
 というわけで以下、基本64℃、8時間に設定し、あれこれと実験してみた記録をどうぞ。

いざ、実験開始!

・鶏むね肉

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「鶏むね肉」

 スーパーで密封されたエコパック入りの鶏むね肉を見つけた時は、心のなかで「これだ!」と叫んじゃいましたよね。だって、貼ってあるシールさえはがしちゃえば、自分で空気を抜く工程すら省けそうじゃないですか。耐熱温度が書いてあるわけじゃないけど、強火でぐつぐつとゆでるんじゃないし大丈夫でしょう。と、容器にそのまま入れてスイッチオン。

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ぽちゃん、ピッ!

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8時間後

 これがですね〜、牛バラ肉以上の衝撃だったんです! 僕、鶏むね肉をいかにパサつかせずしっとりジューシーに食べるか問題には、常日ごろから取り組んでいるんですが、正解これじゃん! と。だって、肉をまな板に取り出し、包丁を当ててみると、刃を前後にキコキコしなくても、ほとんど包丁の重みだけでスーッと切れてくれるんですよ。我が人生における鶏むね史上、あきらかにいちばん柔らかい!

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試食

 これに、色味のインパクトがなかなかすごいんですが味は抜群の、カルディ「青いにんにく辣油」をかけて食べてみたところ、もう抜群! ふわんっふわんですよ。

・鶏もも肉
 お次は、さっきのむねと同じパッケージのもも肉で。これまた市販のしょうがベースの調味料「姜葱醤ジャンツォンジャン」をかけただけながら、仕上がりはもはや本格中華料理店のゆで鶏と遜色ありません。

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晩酌のスタートに最高

 ただし今回は、仕上がってすぐのタイミングでは食べられず、いったん冷やして冷蔵庫で保存しておいたので、低温調理ならではの柔らかさという醍醐味は味わいきれなかったかも。放置しておくだけでお手軽にしっとりゆで鶏ができるのは、便利すぎますけどね。

・豚ハツ
 豚ホルモンの低温調理は、居酒屋の冷製肉刺し風の定番。お手頃だった豚ハツで試し、王道のにんにく&ごま油&塩で食べてみると……うおー! これはもう居酒屋だ!

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しっとりぷりぷり

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家がもつ焼き屋に!

・豚ロース
 いよいよ本命。僕がいちばん好きな豚肉です。ただ、好物のバラだと脂が多すぎるかと思い、ロースのブロックで。今回もできたてではなく冷やしておいたものをカットして食べたんですが、それでもこれだけのゆで豚がこんなに簡単に作れるの、革命的だと思います。

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こんな塊もスイッチひとつで

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こう。醤油でもお好みのタレでも

 ただ、このあとがさらにすごかった。というのも、当然一度では食べきれなかったこのゆで豚を翌日、フライパンでジャーっと炙り、醤油を絡めて「豚丼」風に食べてみたんです。そしたらまぁ! 加熱の効果かふんわりとした柔らかさが復活し、そしてメイラード反応による香ばしさで破壊力が倍増し、ただ豚肉を焼いたのとはあきらかに違う、そりゃ〜もうたまらない美味しさ!

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こんな店、あったら通う

・豚ロース(焼豚風)
 そろそろ今回の記事に、いったん結論をつけましょう。ここまでの検証を経て、なんとなくわかってきたことがあります。それは、「低温調理が終わった肉はなるべく温かいうちに食べたほうがいい」こと。それから、「特に豚や牛の場合、最後の仕上げはひと手間かけて、表面に焦げ目をつけてやったほうがよさそうだ」こと。これらを踏まえて実践するのは、豚ロース肉の焼豚風。
 まず豚ロースのブロックを脂とともに密封するのは今までと同じなのですが、今回はここに、醤油も適量加えておきましょう。加熱工程で味が染みこんで美味しそうなので。
 で、発酵美人のスイッチを押し8時間後。取り出した肉をそのままフライパンにのせ、全面に焼き目をつけていきます。

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ジューッ!

 さてさて、まだ中心までほんのりと温かいこの肉をまな板でカットしてみると……うわーっ! 信じられないくらい柔らかい。こりゃあ家庭料理の未体験ゾーンだ!

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しっっっとり

 このたっぷりの焼き豚を、メンマ、ねぎ、そしてちょうど妻が作ってくれていた常備菜の煮玉子とともにお皿に盛れば、超豪華、中華おつまみ3点盛りの完成!

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ジャーン!

 ぷりっ、むにゅっ、もむもむもむ……と噛みしめると、溢れ出すジューシーな脂の甘みと豚肉らしい旨味。脂身部分がほんのりサクサク食感なのも楽しく、何より醤油をまとった焦げ目の香ばしさが、圧倒的な正義! ちょっと度を超えてうますぎる。やっぱりすごいな、低温調理。
 これらをメンマやねぎ、煮玉子と交互に食べつつ、グラスに注いだビールを飲んでいたら、気分は完全に町中華の名店。というかもう、自分でやろうかな……この3点盛り専門店……。え? せめてラーメンくらいは出せって? はいはい。でもさ、この3点盛りがのってたら、土台はインスタント袋麺でじゅうぶんな気がしますよ。

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最後にもう1回見て帰って。この質感

 もちろん、僕の低温調理道はまだその第一歩を歩きだしたばかりで、この先にはまだまだ想像を超えた驚きや感動の世界が待っているのでしょう。そうやって人は、さらなる深みにはまっていくんだろうな……。
 続報があればまた、お知らせいたします。

パリッコ(ぱりっこ)
1978年、東京生まれ。酒場ライター、DJ/トラックメイカー、漫画家/イラストレーター。2000年代後半より、お酒、飲酒、酒場関係の執筆活動をスタートし、雑誌、ウェブなどさまざまな媒体で活躍している。フリーライターのスズキナオとともに飲酒ユニット「酒の穴」を結成し、「チェアリング」という概念を提唱。2021年8月には、新刊『つつまし酒 あのころ、父と食べた「銀将」のラーメン』を上梓! また、『ノスタルジーはスーパーマーケットの2階にある』(スタンド・ブックス)『晩酌わくわく! アイデアレシピ』 (ele-king books)、『天国酒場』(柏書房)、『つつまし酒 懐と心にやさしい46の飲み方』(光文社新書)、『酒場っ子』(スタンド・ブックス)、『晩酌百景 11人の個性派たちが語った酒とつまみと人生』(シンコーミュージック・エンタテイメント)、漫画『ほろ酔い! 物産館ツアーズ』(少年画報社)、など多数の著書がある。
Twitter @paricco

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