人間は、そして生命は情報である―僕という心理実験Ⅴ 妹尾武治
トップの写真:ビッグバン直後に誕生した最初の分子「水素化ヘリウムイオン」が発見された惑星状星雲NCG 7027 © Hubble/NASA/ESA/Judy Schmidt
妹尾武治
作家。
1979年生まれ。千葉県出身、現在は福岡市在住。
2002年、東京大学文学部卒業。
こころについての作品に従事。
2021年3月『未来は決まっており、自分の意志など存在しない。~心理学的決定論〜』を刊行。
他の著書に『おどろきの心理学』『売れる広告7つの法則』『漫画 人間とは何か? What is Man』(コラム執筆)など。
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人間は、そして生命は情報である―僕という心理実験Ⅴ 妹尾武治
DNAが全てではない
全ての生命とは突き詰めるとその本質は情報であると述べた。情報こそが存在の本質であると。そしてこの世に存在する全てのものは「自身の情報を増やすこと」「自己の情報を出来るだけ失わないようにすること」を宿命づけられている。エントロピーの増大である(ただの自己保存、生殖本能とは一線を画している)。
人間が情報化されうるという概念は、DNAの二重螺旋構造の解明から、人類が真剣に向き合って来た考え方だ。しかしDNAはあくまでも生命の本質の細部であり、一つの現れ方に過ぎない。例えば、歌舞伎は世襲制だ。市川家や松本家のDNAは歌舞伎の本質の一つの現れ方だが、その全てでは無い。それらは”表層”であり、”歌舞伎”とは我々人類の脳内に保存された歌舞伎に関する情報の総体のことだろう。
マルクス・ガブリエルは実在するとは「なにがしかの場に現れること」と定義している。誰かの脳内に現れても、それは実在であると。だから、ドラえもんやちびまる子ちゃんも実在するのだ。それは誰にでもわかる言葉で言い直すなら「情報としてどこかにある」という意味だと私は思っている。
人も情報として残ることを宿命づけられ、それを効率的に実行するために進化して来た。そのために言語や芸術が発明された。誰かの脳の中に残るために、言語や絵はとても効果的だった。
『ドラゴンボール』の鳥山明は、今後数百年地球が存在さえしていれば情報として存在し続けるだろう。
そして情報の維持を促進するために作られたもの、それが愛だ。孫悟空やベジータたちは読者に強く愛されている。だから、その存在はファンの脳内に強く維持される。情報としてどこかにあり続けることが出来るのだ。
木は枯れれば情報が失われる。シベリアのツンドラに立つ一本の松の情報は、時間経過と共にあっという間に忘れられるだろう。その木に登るのが好きだったオオカミもいずれ死に、松と共に世界から消え、情報としてどこにもあり続けない状態になる。オオカミの木への愛着も、木のオオカミへの慈しみも、どこにも記録されることなくやがて失われる。化石が見つかっていない誰も知らない恐竜もいるはずだ。誰の記憶にも残っていないその恐竜は「存在していた」と言えるだろうか?
情報を残す方法
人は情報としての自分を強く残す方法を発見した。それは、誰か他者の脳の中に情報としての自己のコピーを残すことだった。そのために言語や芸術が生まれた。そしてそのコピーの方法には二つの戦略があった。一つは、より多くの人の脳に残る方法。もう一つは誰か一人の脳に強く残る方法だ。
人間は誰かに忘れられた時、2度目の死を迎える。武田信玄は死後3年間自分の死を隠すように家臣たちに遺言した。その3年間信玄が生きていると思っていた城下町の人たちにとって、信玄は生き続けられていた。
信玄の軍師「山本勘助」は先に示した通り、情報としての存在が物質としての存在よりも先に確定された不思議な人物だ。存在の本質が情報であることを隻眼であったという彼のエピソードが物語っている。
忘れられないために、人間は芸術を生み出した。美空ひばりは戦後の日本を励まし、多くの人を感動させた。だからこそ情報として彼女は多くの人間の脳に今も存在し、生きている。あまつさえ、彼女はAI美空ひばりとして新曲『あれから』という全く新しい情報を生み出した。人は死してなお、存在としての情報を拡大し拡散しうるのだ。(2021年8月には、存命であるにもかかわらず加山雄三が「バーチャル若大将」という自身のAIを自ら指揮を取って作っていることも示唆に富む。ちなみに私にとっての“バーチャル若大将”はモノマネ芸人のゆうぞうであった。)
株式会社トップ・カラーのサイトより写真を使わせていただきました。
人間は本能的に芸術を愛し、自己の考えたこと、つまり自分の脳の中身を他者に伝えたいと思う。自己を「表現」したいと思う。それは他者の脳内に自己の情報をコピーしたいからなのだ。
歌が無い部族は無い。踊らない民族もいない。人間は相互に脳を発達させ、効率的に相互の脳に自己のコピーを取り合っている。だから人は一人では生きていけなくなった。誰の脳内にも存在をコピーしないことは、生命の本質である情報の拡散に合致しない。だから人間は他者を嫌いつつも、どうしても他者を求めてしまうのだ。
社会脳仮説
社会脳仮説。人間の知的能力は、複雑な社会的環境、すなわち人間同士の脳の中の情報のやり取りによって、進化し脳を肥大化させたと言われている。実際に、集団の規模が大きいほど脳の容積が大きくなることも知られている。人間の場合150人程度の実効的な社会規模が脳の大きさから逆算されており、この数をダンバー数と呼ぶこともある。
2021年10月に『ネイチャー』に掲載されたアメリカの研究チームによる論文を紹介したい。人の遺伝子 “SRGAP2C”は、脳を物理的に大きくする指令を出していると考えられている。この遺伝子をラットの脳に組み入れると、大脳皮質のシナプスが増量し、ニューロンの反応感度が高まることがわかった。さらに、このラットでは認知課題の成績(正しい行動が出来る割合)も大きく向上する。
つまり、人の脳を大きくすることと、脳の課題処理能力の向上は同時にかつ同義的に進化の中で進められたと考えられるのだ。
自分の脳内に他者のコピーを取ること。他者の脳内に自分のコピーを取ってもらえるように働きかけること(ただし、実際にコピーが取られているかどうかの確認は出来ない)。この本ではそれを簡易な言葉として「愛」と定義しておく。その副産物として認知能力が向上し、大きい脳を獲得したのでは無いだろうか? 人間は能力値を向上させるために集団化し、脳を大きくしたのではない。愛は知性よりも先んじてそこにあった。
自己犠牲・利他愛の意味
もう一つの人間の情報維持の戦略は、特定の一人の脳に強く残る方法だった。
家族を守ることやセックスを、DNAの伝播だけの目的で考えると、自己犠牲をしてまでもパートナーを守る人がいることを説明出来ない。自身の子供であればDNAを共有しているから、DNAの伝播を考えれば命をかけて守る理由を人類は持ちうる。しかしパートナーとDNAの共有は無い。同様にDNAの共有がない連れ子を、命をかけて愛する人も多い。
DNAとは人間の情報の一つであるが、あくまでも細部であり表層なのだ。人間を情報そのものとして捉えればDNAが残らなくとも、愛する人の脳に情報として強く残る行為であれば、それは生命の宿命に対して妥当であると言える。
専門用語で言えば、DNAの伝播率という「適応度」をベースに考える進化生物学や進化心理学で解けなかった問題でも、人間を情報という観念で捉え直し、その伝播や維持という視点で考えれば簡単に解くことが出来るのだ。利他行動のために死んでいった人たちが、古来より英雄として祭りの場で崇められることも、この原則と一致すると言えるだろう。自己犠牲・利他愛は「情報として他者の脳の中に強く残る」という本能的な目的にかなう。ダーウィンの進化論は序曲に過ぎなかった。
言語が生まれたのは「あなたを愛しています」と私たちが言いたかったからだ。セックスは「気持ちが良いから」という理由だけでする行為ではない。もしそれだけなら、一夫一妻制度は明らかに破綻している。
強く愛し合った恋人のことをあなたは覚えているだろう。忘れられない人について、その人とのセックスのことばかりを思い出す、なんてことはあまり無いのではないだろうか? むしろ、もっと些細なエピソードの方が大事な記憶として残ってはいないだろうか? 例えば、ちゃんこ鍋を食べ過ぎてしまって話もろくにせずに、レストランで寝入ってしまった僕を優しく待っていてくれたことのような、他者からすればたわいもない記憶。私達の脳にはそういう思い出が残っているはずだ。愛の強さに相関する形で、私たちは他者の脳の中で存在し続けることが出来る。(続く)