【名言集】光文社新書の「#コトバのチカラ」 vol.140
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大平健『食の精神病理』
ひとりきりになるとほっとし、「自分に戻った」ような気がするものです。ひとと接しないでいると、ほかのひとと接する「身体の自分」を意識しないですみ、「本当の自分」でいられる気がするからです。
高田明典『「私」のための現代思想』
私たちは「この冷たくて暗くて孤独な場所」に連れて来られたと感じています。少なくとも「気がついたら、ここにいた」のです。そして、いつまでも「ここにいる」ことも一つの選択です。
友野典男『行動経済学』
これ以上の投資は無駄だから計画を中止するということは、過去の決定が間違っていたことを意味する。そこで過去の投資を決定した人や組織は、「無駄なことをした」という悪評が立つのをおそれて、また自尊心が傷つくのを避けるために、事業を中断せずに出費を続ける方を選ぶのである。
内田樹『修業論』
人はものを知らないから無知であるのではない。いくら物知りでも、今自分が用いている情報処理システムを変えたくないと思っている人間は、進んで無知になる。自分の知的枠組みの組み替えを要求するような情報の入力を拒否する我執を、無知と呼ぶのである。
小川さやか『「その日暮らし」の人類学』
いつ誰が陥没を生み出し、いつ誰が巣食う住人になるかはわからない。その不安や焦りが、主流派社会を駆動している。主流派社会はLiving for Todayを恐れている。その恐れは社会システムのためなのか、自己の実存のためなのか、それさえもわからずに恐れているのである。
内田洋子 シルヴィオ・ピエールサンティ『三面記事で読むイタリア』
イタリアやイタリア人を一般化しようとするのは無意味である。ひとくくりにできないのが、イタリアでありイタリア人だからだ。良くも悪くも、体系づけようとすれば、すぐに辻褄が合わなくなるのがおちである。
生島淳『世紀の誤審』
審判は目立たない方がいい。なんといっても、
「今日はレフェリーがいないような気がした」
と選手が言ったとしたら、それは賞賛に他ならないからだ。できるだけ勝敗の要素から距離をおける審判ほど、優秀と言えるのだ。