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猪鹿酒|パリッコの「つつまし酒」#221

え? 実家?

 その店に訪れたのは数日前なんですが、いまだに興奮冷めやらずにいる。そんな酒場に、またまた出会ってしまったんです。
 先日、神奈川県相模原市にある妻の実家に車で帰省した時のこと。ある道路沿いに、でっかく「実家」と書かれた1軒の建物があったのが見えたんですよ。その時は運転中だったので写真を撮ることもできず、ただ心のなかで「誰のだよ」と思いながら通り過ぎるばかりだったんですが、どうも気になる。気になりつつ、妻の実家(ややこしい)に到着して、ひとまずくつろがせてもらっていると、何気なくスマホを見ていた妻が、「ここ、好きそうだよ。知ってる?」と教えてくれたのが、なんとその名も「実家」というお店だったんです!
 で、WEB上にある情報を見てみると、確かにめちゃくちゃおもしろそう。そしてありがたいことに、僕は仕事がらもあって、帰省中の一部の時間を、取材を兼ねたひとり飲みに使うことを家族から許されている。
 行ってきま〜す! と、なりますよね、そりゃ。

「実家」

 ほら、ね? こんな建物が通りすがりに見えたら、そりゃあ気になるでしょう。で、こちらは実は建物の裏側で、表に回ってみると、なるほど、ここはそういう店名のごはん屋さんなんだということが判明するわけです。

なるほど!

 で、たたでさえもう、この佇まいだけでパーフェクトじゃないですか。万が一ここが、レトルトカレーを3000円で出すぼったくり店だったとしても、僕は通いますよ。それなのにこのお店、ここからがさらにすごいんです。
 まず、メインの食材が「猪」と「鹿」。我々日本人になじみのある肉類といえば、牛、豚、鶏。近頃はスーパーでも、ラムや合鴨、馬肉あたりは置いてあることが珍しくなくなりましたが、その先のジビエゾーンとなると、やっぱりスペシャル感がありますよね。

「猪鹿カレー」なんて料理がこんなに手頃に?
単品のテイクアウトならなんと500円!

 というわけで、今日はまだまだ謎の多い実家に突入し、猪鹿飲みとしゃれこむことにしちゃいましょうかね〜。

みなまで言わずとも

 営業時間は午後2時から夜8時半までらしく、僕が伺ったのは早めの夕方。運良く、食事のみの先客がひとりだけいて、ちょうど帰られるところでした。
 店内に入るとまずはカウンター席ゾーン。その奥に座敷席があるようですね。なにはともあれ、まずは生ビールでのどを潤しましょう。

「生中」(630円)

 かつて僕が出会ったなかでも屈指のギンギンっぷりを誇る生ビールが、すぐに到着。と同時に、「こちら、お通しで〜す」とやってきたのは、なんとローストビーフならぬ、ロースト鹿! あります? こんなカジュアルに鹿出してくる店。

お通し

 この鹿肉がですね、柔らかいんだけども適度な歯ごたえが心地よく、そしてやっぱり、慣れ親しんだ牛豚鶏にはない独特の風味がほんのりとあり、それが決して嫌じゃない。むしろ好ましい。いい馬肉を食べたときにも感じることですが、僕はその、もわりと口に広がる旨味を「チョコレートのよう」と感じてしまうんです。それがある。というか、今日これから出てくる肉料理には、もういちいち書きませんが、共通してそれがある。つまり、ひとりで「っくぅ〜……!」とうなり声をあげてしまうほどにうまい。そこにあなた、例のほら、あの、冷えっ冷えのビール、流し込んじゃうんですよ? 僕、このあと。もうね、陥落です。この時点で私、実家に陥落しました。

あとから見せてもらった座敷席
さらにその奥の、まさに実家っぽい席

 で! まずレギュラーメニューからして、すさまじく充実してるんですよ。
 猪ならば「猪ぶっかけ葱塩から揚げ」「猪のスライス燻製ハム」「猪鉄板ハンバーグ」。鹿ならば「もみじロースト」「鹿味噌煮込み」「鹿肉の赤ワイン煮」「鹿とナッツのオイル漬け」「鹿のほぐし肉粗挽き黒胡椒和え」「本州鹿の背ロースサーロインステーキ」などなど。
 それに加えて、「鶏のから揚げ」とか「昔ながらのコロッケ」とか「納豆オムレツ」とか、いわゆる一般的なメニューも、ここに書ききれないくらいいっぱいありますからね。一体どうなってるんだと。オペレーション方面はと。あ、ちなみに店主さん、若い女性の方で、ふんふんふ〜んなんつって、鼻歌歌いながらひとりで切り盛りされてますからね。一体何者!?
 ……ごめんなさい、要素が多すぎて、この記事で紹介するには限界があるわ。ただ、とりあえずこれだけは見てほしいと思うものがもうひとつあって、それが日替わりの黒板メニューなんですけれども。

こちら

 もうさ、みなまで言わずとも! って感じでしょう。

衝撃の自家製酒

 つーわけで、なるべく猪鹿メニューを中心に頼んでいってみましょう。

「猪ほぐしのコールスロー」(200円)

 信じがたいことにたった200円のこちら。キャベツを中心とした野菜のしゃきしゃき感はありつつ、しかしてその全容は、ほぼ猪肉なんですよ。こんなコールスローサラダ、食べたことないですよ。

「手作り自家製ジャーキー」(600円)

 気絶しましたね。ここでいったん。ジャーキーは肉の入荷状況によって猪のことも鹿のこともあるそうですが、この日は猪。見てくださいよこの脂身! そして見るからに濃厚そうな肉部分。口に入れるとまず、さくりとした食感の脂身が一瞬で溶けて甘く、旨味の濃い肉部分はぎゅっぎゅっと永遠に噛みしめていたい味わい。なんていうんだろうか、魂。この一品に“魂”がこもっていることが、料理の素人の僕にもはっきりとわかる……。

「鹿 タン(舌)塩焼」(1200円)

 生まれて初めて食べた鹿のタン。こんなにうまいタンがこの世にあったとは……。さくっと軽快な食感とジューシーさが同居し、高貴な香りと旨味にあふれ。塩&わさびで完璧に最高なので、添えられたねぎ塩だれなんてつけたら、このありがたいタンに対する冒涜になってしまうのでは? と思いつつ、気持ちを抑えきれずにそっちでも食べてみたら、これまた死ぬほどうまいでやんの。もう、嫌になっちゃう。
 ちなみにこちら、エゾジカではなくてホンシュウジカという小柄な種類の鹿だそうで、このひと皿で1頭ぶんなんだとか。そんな貴重なもの、こんな値段で頂いちゃっていいんでしょうか……。
 お酒類も豊富すぎるほどに豊富なお店なのですが、カウンター上にずらりと並んだいも焼酎が1杯500円だというので、続いては今日の料理にちなんで、小鹿酒造の「小鹿」をロックで。

片っ端から飲みたいけれど
「小鹿」(500円)

 当然うまし。
 さらにさらに! これまでなんとかがまんしてふれないできたんですが、入店した瞬間からどうしたって気になっていたこちら。

「スズメバチ酒」

 スズメバチをウイスキーに漬けた自家製のお酒で、体にいいさまざまな効果があるんだとか。僕、本来、虫系ってまじでだめなんですよ。だけどこの店で、この酒を飲まないで帰るわけには、どうしてもいかない。あとなぜか、スズメバチならばなんとかいける気がする。ハチの「本体抜き」もできるそうですが、本体入りで1杯、お願いします! と、やってきたのは……。

あ、いるな……
確実に……

 おそるおそる飲んでみたところ、これがなぜか高級な果実酒のような風味を感じる、めちゃくちゃ美味しい酒。それに、単純なのでものすごく元気が出てきた。
 ちなみにこのお酒のファンは多く、ミニボトルでテイクアウトされる方もいるほどだとか。

持って帰って台所に置いておいたら一大事

 さて、うまい猪鹿肉とスズメバチ酒までをも堪能し、もうじゅうぶんすぎるくらいに満足したんですが、それはそれとして名残惜しい。もう少しだけこのお店の空気に浸っていたい。というわけで、日本酒コーナーから相模原の地酒「相模灘」をおかわりし、おつまみに「栃尾の油揚げ昆布出汁煮」を追加。

「相模灘」(500円)
「栃尾の油揚げ昆布出汁煮」(200円)

 店主さんとお話しさてもらいながら、これらをゆっくり頂いて、もうなにも望むことはありません……ごちそうさまでした……。
 と言いつつ、おみやげに猪ジャーキーと猪鹿カレーまで買って帰ってしまったんですが。もう、完全に実家のとりこ。

カレーはスパイスの効いた本格派。そして猪鹿肉がたっぷり!


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パリッコ(ぱりっこ)
1978年、東京生まれ。酒場ライター、DJ/トラックメイカー、漫画家/イラストレーター。2000年代後半より、お酒、飲酒、酒場関係の執筆活動をスタートし、雑誌、ウェブなどさまざまな媒体で活躍している。フリーライターのスズキナオとともに飲酒ユニット「酒の穴」を結成し、「チェアリング」という概念を提唱。2021年8月には、新刊『つつまし酒 あのころ、父と食べた「銀将」のラーメン』を上梓! また、『ノスタルジーはスーパーマーケットの2階にある』(スタンド・ブックス)『晩酌わくわく! アイデアレシピ』 (ele-king books)、『天国酒場』(柏書房)、『つつまし酒 懐と心にやさしい46の飲み方』(光文社新書)、『酒場っ子』(スタンド・ブックス)、『晩酌百景 11人の個性派たちが語った酒とつまみと人生』(シンコーミュージック・エンタテイメント)、漫画『ほろ酔い! 物産館ツアーズ』(少年画報社)、など多数の著書がある。
Twitter @paricco

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