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虐待してきた親、いじめ加害者に責任はないのか?―僕という心理実験23 妹尾武治

トップの写真:ビッグバン直後に誕生した最初の分子「水素化ヘリウムイオン」が発見された惑星状星雲NCG 7027 © Hubble/NASA/ESA/Judy Schmid

妹尾武治
作家。
1979年生まれ。千葉県出身、現在は福岡市在住。
2002年、東京大学文学部卒業。
こころについての作品に従事。
2021年3月『未来は決まっており、自分の意志など存在しない。~心理学的決定論〜』を刊行。
他の著書に『おどろきの心理学』『売れる広告7つの法則』『漫画 人間とは何か? What is Man』(コラム執筆)など。

過去の連載はこちら。

第2章 日本社会と決定論⑮―犯罪者と人

加害者の気持ちに寄り添う態度

成功者を黙殺するというのと全く同じロジックで、犯罪者をただ断罪する態度も新しい時代の人類は再考せねばならない。極端な危険思想に思われるかもしれないが、少しだけ話を聞いて欲しい。
 
虐待を受けて育った子供が大人になると、自分の子供に虐待をしてしまうリスクが高まる。虐待の連鎖と呼ばれる現象だ。
 
連続児童殺害事件が過去に起こった。世間は女性殺人犯を鬼のようだと繰り返し報道した。狂った鬼女だったと。私ももちろん彼女を断罪したいし、やってしまったことは一切弁解の余地が無いと思う。
 
しかし裁判記述には、彼女に対して父親から虐待があったこと、母親が助けてくれなかったことが報告されていた。(個人的体験に基づいて推察すれば、父以上に、母に心を傷つけられたかもしれない。)

彼女は中学高校時代にいじめにあっていた。彼女が在学した学校の卒業文集の寄せ書きには、目を疑うような暴言が存在を傷つけ、否定するだけの目的で書かれている。そうされることに誰も疑いがなかったかのようだ。
 
彼女に救いはあったか? 彼女だけが悪いのか? 虐待によって異常な脳を持たされてしまい、それゆえに激しくいじめられ、その行き着いた先として虐待が連鎖し、殺人にまで至ってしまった。彼女の異常な脳で引き起こされた、犯罪の責任を、彼女の親や彼女をいじめていた同級生は、全く取らなくて良いのか。彼女のみを何十時間もなぶり笑ったマスコミは?
 
多数派であったことの幸運、少数派であったことの不運。親に恵まれることは当たり前ではない。もちろん、酷い親に育てられても立派に生きている人は沢山いる。30を超えて親を悪くいうことは恥ずかしいことだと認識されるのが、日本の社会だ。十分な大人になれば、自分で人生を切り開けるはずだと。しかし、過去の呪縛から救うべき“大人”がいるのも事実だと思う。
 
子を殺された親の気持ちは察してあまりあるし、彼女が行った行為は絶対に許されるものではない。法治国家には守るべきルールがある。これは繰り返し言う。罰が下された後に必要なことは、不幸な犯罪の予防方法についての議論だ。予防の最善策として、医療の提供を早期に行うことは誰が見ても明らかに必要なことだろう。悲しみに、こころに寄り添うことが必要だ。
 
それとも、あなたは「加害者の気持ちに寄り添う態度は全くあってはいけない異常な態度だ」と思うだろうか。
 
「死んでしまった被害者には意見を言うことが出来ない。彼らに寄り添おうにも、彼らはもうこの世にいない。そんな子たちの無念はどうするのだ。」
 
その通りだと思う。そのことはあまりにも辛い。そして殺人者には、同じ責苦を与えるべきだと言う意見もよくわかる。
 
しかしだ。マスコミ・コメンテーター・世間は、本当に死んだ子に寄り添っていたか。興味本位以上の辛さ、悲しさ、憤りが彼らに果たしてあったのか。死んだ子に寄り添う気持ちを、テレビ越しに持つことなど可能か?
 
「可哀想」という言葉。それを口に出した時、そこに愛のようなものが成立していることは極めて稀だと思う。

犯罪者の生い立ちと、その脳の構造を「本格的に学ぶ」必要があるのではないだろうか。
 
皆さんなら、新しいベクトルに踏み出せるはずだ。その時、初めて不幸な事例が次の不幸を抑止するポジティブなものに昇華されうる。それこそが本当の犯罪者の救済になるはずだし、深いレベルでは被害者(とその関係者)への救済にもなるのではないだろうか。このことは、ずっと宗教(仏教、キリスト教など)が言い続けてきた。

悪人に手向かってはならない。
誰かがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい。

マタイによる福音書 5章

悲しみの世代間連鎖

2013年にエモリー大学の研究がネイチャー・ニューロサイエンス誌に掲載された。オスのマウスにサクラの匂いを嗅がせ、同時に電気ショックを与える経験を繰り返させる。するとマウスは、電気刺激を伴わないただのサクラの臭いだけでも、怖がる行動を取るようになる。これを心理学では「恐怖条件付け」と呼ぶ。
 
そのマウスの子どもに、サクラの臭いを嗅がせるとどうなるか。当然だが、子どもマウスはサクラの臭いに怯えることはなかった。トラウマ体験の遺伝は無かったのだ。
 
しかしである、子どもマウスに対して、同じくサクラの臭いと電気刺激の恐怖条件付けの訓練を行うと、一般的なマウスよりも、ずっと早くにそれが成立したのである。そしてこれは孫の代でも確認された。
 
サクラの臭いは神経細胞内に発現しているM71受容体の働きで検出されることが事前にわかっていたのだが、子どもや孫の世代では、このM71受容体の数が、多くなっていた。
 
親が感じた恐怖に対して、鋭敏になれるように神経細胞内の構造に変化がもたらされていたのだ。DNAの配列が生後に変化しないなら、一体なにが変わったのだろうか。
 
DNAのうちで合成すべきタンパク質の内容を符号化している部分が、ONになったりOFFになったり変化する。これをメチル化の働きというのだが、親世代のトラウマ的恐怖体験は、この働きに何らかの作用を及ぼしているのではないかと考えられている。

2014年にデビエックとサリバンによる別の研究グループがPNASという一流の学術誌に、ほぼ同様の結果(追試の成功)を報告している(この学問領域は、エピジェネティクスと呼ばれている。)。

親の世代で、おぼえた恐怖体験は、子ども・孫の世代でも有益な情報になる可能性がある。だから、悲しみは世代間を連鎖する。
 
ただし、これが人間に当てはまるかどうかはまるでわからない。一つだけ明らかなことは、僕たちは暴力に屈しないということ。決められた未来のために、何度でも再生する。
 
最後に、小泉八雲の言葉を抜粋して引用したい。


少なくとも苦痛が存続する限り、
自己変革の終わりのない大変な仕事も継続する。
 
-- 今は見えないものを知覚する能力 --
 
今日の私たちは、かつて存在しようと思い憧れてきた、当の私たち自身に他ならない。とすれば、私たちの事業の継承者たちは、私たちが現在なりたいと望んだものに、彼ら自身もなり得るといえるのではなかろうか? 

博多にて AT HAKATA
小泉八雲 Lafcadio Hearn
林田清明訳


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