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第2回 中島梓の説く「誰に批判されても構わない文章」|三宅香帆

書いても、反応は返ってこない

書くことは難しい。

自分のなにかを言葉にして、発信し、そして相手に読んでもらう。そのうえで相手がそれを面白いと思ってくれる。こんなに難しいことはない。なぜなら読者は目の前にいないからだ。

喋ることなら、まだ、目の前に相手がいてくれることが多い。相手がいれば、どんな喋り方を面白いと感じてそうか、どんなことを聞きたがってそうか、なんとなくわかる。そして軌道修正ができる。うまくいったときは、相手の良い反応を間近に見ることもできるだろう。

しかし書いても、大抵の場合、反応は見えない。

今はSNSがあるから感想やいいねといった反応があるかもしれない。メールだったら返信が来ることも多い。でもそれだって、どういうつもりで書いた感想なのか、基本的にはわからない。相手の顔が見えない。喋るときの反応の明快さに比べたら、書いたときの反応なんて、霞の中にあるようなものだ。

これを読んでくれている人は、果たして存在するのか。読んでいる人は、どんな顔をしているのか。退屈そうなのか、ぼーっとしてるのか、怒っているのか。

相手の反応がわからないまま、私たちは、文章を書いている。

だから書くことは、難しいのだ。

文章をめぐるガチンコ指南書『小説道場』

今回紹介する『小説道場』は、作家・中島梓なかじまあずさによる小説の書き方指南書である。どうしたら深く人の心に響く小説を執筆できるか、中島梓が全4巻分みっちりと綴っている。

本書はそもそも、男性同士の恋愛を扱った作品を扱う雑誌『JUNE』に掲載されていた、小説指南の連載を収録したものだ。「グイン・サーガ」シリーズや、伊集院大介シリーズの作者としてベストセラーを生み出し続けた栗本薫くりもとかおる(評論家名義は中島梓なのである)。彼女はBL作家の先駆者でもあった。彼女が作家志望の「弟子」たちの作品を読み、そして、指導を行う。あなたの小説のどこを直したらもっと面白くなるのか、どこが読者を惹きつけない原因なのか。実際に雑誌へ投稿された小説を添削しながら、彼女は小説を書く行為について語ることになる。

『小説道場』と銘打つだけあって、中身はかなりアツい――というか、最近だとあまりお目にかかれない「道場」の雰囲気が満載だ。

1992年に出版された本書。令和の時代に読むと、「極論すぎないか!? そんなこと言い切っちゃっていいの!?」と緊張するような場面もたくさんある。そして、同性愛の扱い方については当時の価値観を反映しているがために、今読むと問題がある箇所も多い。

しかしそれでも、令和の時代に、やっぱりこの本がもっと読まれてほしい、と思う理由が存在する。

それは、本書が、ベストセラー作家である中島梓自身の、「発信論」になっているからだ。

小説の書き方を教える本や、投稿者の作品を添削する本ならほかにもたくさん出版されている。面白い小説指南書もたくさんあるだろう。ただそれらの本と『小説道場』が決定的に違う点は、中島梓が「文章でなにかを発信しようとする時の心構え」そのものについて切々と語っているところにあるのだ。

誰に批判されても構わない文章を

もちろん『小説道場』には、小説の書き方についてのテクニックもたくさん掲載されている。しかしそれ以上に、小説を書く時の姿勢について枚数を割く。

中島は、文章を売る人間として、とにかく重要なのは自分そのものなのだと説いている。

それは小説に限らない。中島自身が小説だけでなく、評論も、エッセイも、本書のような指南書も書くような作家だったからだろう。文章には、自分が出る。そしてその自分は、決してごまかすことができない。

逆に自分を出すことができていない文章は、読者を惹きつけない。ちゃんと自分を文章に出して、そしてそのうえで技術をもって読者に対して面白いと思ってもらおうとしない文章は、読者に届かないのだと伝える。

――これだけ読むと、ものすごく精神論に偏った文章術だなと思われるかもしれない。

しかし『小説道場』を読むと、たしかにその重要性が分かる。

小説というもの――ことに投稿したりする小説というものは、根本的に、「人に何かを伝える」ために書くものであるからなのだ。当道場でも、ときどきサドのへんへーにいたぶられているのがいるでしょう。「それなら書く必要がない」などと。[中略]伝えたいことがないなら小説なんか書くな! 一人でも多くの人に、自分のイメージを伝えたい、と思わないなら、書いたものを人になんか見せるな! 

(『新版 小説道場』1巻、P.164)

文章というのは、冒頭でも書いた通り、読者の顔が見えないことが特徴だ。

会話なら、相手がドン引きした顔をしていれば「あ、この話題はやめておこう」などと言葉をひっこめることができる。音楽や演劇なども、目の前のお客さんの反応が分かる。だから自分の発信を調整することができる。

でも、目の前に相手のいない発信は、その調整がきかない。自分の脳内にしか、読者がいないからだ。

しかし文章が上達するためには、この脳内読者をなんとかリアル読者に近づけてゆく必要がある。つまりは脳内読者を美化しないことが重要なのだ。

脳内読者を美化しすぎず、それでいて、自分のちゃんと書きたいものを書く。

そのバランスこそが、文章の発信には求められる。

そうなったとき――『小説道場』に綴られている、「読者は実際はどう思うのか」そして「書き手として自分はその読者に対してどうあるべきなのか」という指導の意味が、分かってくる。

中島梓は、厳しい言葉で、このような文章を書かれたら読者はどう思うのか、を語る。中島梓自身が、その投稿作品の読者となって。オブラートに包まずに、読者は何に傷つき、何に微笑み、そしてなにより何を嘘だと思うのか。

作者の嘘はすぐばれる。なぜなら読者は、作者の本当の言葉を読みたいからだ。

[…]プロとして、人様に読んで頂くものを書こうと思う、ということは、「いや誰が何といおうと自分はこう・・なのだ」といかに主張しても、読んだ人間が「読んでこう思った」というコトバが勝つ、ということなのだ。本人がいかに自分のかくものは面白いんだこれでいいんだと思ったって、読者がそう思わなきゃ成立しないということなのだ。

(『新版 小説道場』2巻、P.211)

最近は、誰もが発信を簡単にできる時代になった。言葉にしろ写真にしろ動画にしろ、中島梓の時代よりもさらに手軽にできる。

しかし発信していると、理不尽に批判の言葉が飛んでくることはしばしばある。現代だったらSNSなんてわかりやすい例である。でも基本的に、読者の感想は、読者の自由だ。中島梓はそう語る。だからこそ、読者に批判されたとしてもかまわない自分を作り上げなくてはいけない。

それはきっと、時代を超えた、発信に必要な心構えなんだろう。

SNS時代にも通じる、文章の「切実さ」

そして『小説道場』の面白いところは、読んでいくうちに「なぜ中島梓がここまで書く時の心構えについて繰り返し説いているのか」が分かる点。

本書は、一見すると『JUNE』読者に向けた小説指南教室の体だ。

しかし彼女は弟子たちの作品を添削し指導するなかで、どんどん、「小説とはどうあるべきか」を明かしてゆく。

つまり、中島梓なりの小説論が展開されるのだ。

彼女にとっての理想の小説、文章、発信。とくに『JUNE』に載っていた、当時はまだ世間に知られていないジャンルであった、今でいうBLの先駆けとなった小説たちは。なぜ書かれるのか? なぜそこに胸打たれるのか? その小説で、いったい作者と読者の心に何を起こしているのか? 

中島は言う。「恋人がいるかいないか、夫がいるかいないか、ステディがいるかいないか、同性愛か否か、には一切かかわりなく、JUNEを必要とする少女たちと必要としない少女たちがいます」と。

あなたが小説を書く理由、を中島は問う。それは決して小説を書く際の初心に戻ってほしいからなどではなく、その小説がどうしても読者に必要とされる理由を尋ねているのだ。

作者が本当に必要とする文章を、読者は本当に必要とする。

なんだか日本語遊びみたいだけど、その通りだよなあ、と私は『小説道場』を読み返すたびにしみじみと感動してしまう。

たしかに本書は「古い」本である。師弟関係の在り方や、言葉遣い、そして同性愛への態度などは、今読むと首を捻る箇所もある。

しかしそれ以上に、ここまで「その言葉が作者と読者にとって必要とされる理由」を問うてきた指南書がほかにあるかと言われれば、ノーと答えざるをえない。

あなたにとって切実な言葉を書くこと。それは誰かの切実な問いに応える。

だからこそ、あなたの言葉は、誰かの心に届く。

作者と読者はそうやって共犯関係を結んできたのだと、中島は言う。

それは『小説道場』という本そのものにも当てはまる。中島が切実にJUNE小説とは何かを問うから、読者も真剣に考える。

こんな本、ほかにない。

これまでになく気軽に言葉を発信できる今こそ、むしろ、切実な言葉はそこにあるのかと肩を揺さぶってくれる中島梓の存在が、必要なのではないのか。そんなふうに感じてしまう。

今回の絶版本

前回はこちら

著者プロフィール

三宅香帆

みやけかほ/1994年、高知県生まれ。書評家。京都大学文学部卒業、同大学院人間・環境学研究科修士課程修了。2017年、『人生を狂わす名著50』でデビュー。おもな著書に、『文芸オタクの私が教える バズる文章教室』(サンクチュアリ出版)、『妄想とツッコミでよむ万葉集』(だいわ文庫)、『女の子の謎を解く』(笠間書院)、ほか多数。最新刊は、自伝的なエッセイ集『それを読むたび思い出す』(青土社)。

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