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「ブロックチェーンを使うから民主的です」というお為ごかし――『Web3とは何か』by岡嶋裕史 第2章 NFT⑪

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第2章 NFT⑪――NFTの懸念点(続き)

NFTアートの資産価値

NFTアートの資産価値についても触れておかなければならないだろう。

2020~2021年はNFTの萌芽期であったし、かつコロナ禍によって投資マネーが行き場を失ってだぶついている感もあった。物珍しさや、新規市場を求めての観測気球として大量のマネーがNFT市場に流れ込んだ。中にはNFTに注目を集めるために自陣営でNFTアートを高額購入し、値段をつり上げた事例もあると考えられている。

株であれば明確な相場操縦行為であっても、NFT市場にはまだそれを牽制する規約・規範はない。結果としてやった者勝ちになっている。

おそらくマネーロンダリングの温床にもなっているだろう。美術品の値段は理詰めで適正水準を説明しにくい。持ち運びしやすく、当局に資産登録の必要もない。関係者間で不当な値段でやり取りを繰り返しての脱税や、美術品として保税地域に保管し課税を回避することなどは、昔から行われてきた。私たちが目にすることのない貴重な美術品が大量に、これらの保税地域に眠っているとも言われている。匿名性の高い暗号資産とNFTを組み合わせた売買は、いかにもマネーロンダリングと相性が良いのである。

現在のNFT市場は混沌が支配する鉄火場で、個人が自作アートを安心して売り買いできる落ち着いた場所にはなっていない。

基盤そのものがあやしい

そうしたことができないように取引所があるだろうと言い出すと、NFTを支持する基盤そのものが揺らいでくる。確かに取引所は有効だ。私だって、何かの仕事でNFTを売れとか買えとか言われたら、絶対に取引所を使う。生のブロックチェーンにアクセスするなんて面倒でやっていられないし、アドレスを一つ間違えれば資産を吹っ飛ばしてしまう。私のようなうっかりものには危なすぎる仕様である。

取引所はこうした難しさを薄めてくれる。トークンを扱うときに、秘密鍵を失っても(すべての資産がぱあだ)復旧する手立てを用意してくれたり、自前でサーバを立てなくてもNFTアートを預かってくれたりする。大助かりである。実際問題として、多くの人は取引所がなければ暗号資産やNFTアートと付き合うことはできないだろう。

ということは、暗号資産と同じ問題が出てくる。私たちはNFTアートによって巨大なオークションハウスから解放される夢を見た。あの、自分には中に入るどころか、同じ地区に立ち入ることすら気後れするオークションハウスに行ったりしなくても、好きな作家の絵を買えるかもしれない。長い時間をかけて画廊に知己を作ったり気に入られたりしなくても、世界に向けて絵を売れるかもしれない、そんな夢である。

その夢の基盤はブロックチェーンで出来ているので、民主的で誰でも参加できて改ざん不能な売買をすることができる。

ところが、それに参加することは、可能ではあるが細心の注意が必要で、ちょっとでも取り扱いを間違えると有り金が消し飛んでいく、自由の荒野に踏み出すことと同義だった。それは怖い。だから、ブロックチェーンにおける生殺与奪権を意味する秘密鍵を取引所に差し出し、便宜を図ってもらう。その見返りとして取引所が設定するルールに従い、手数料も支払う。

あまりリアルと変わらないのでは?

ブロックチェーンである必要はない

リアルの支配構造に嫌気が差してGAFAに支配されるように、オークションハウスや画廊の息苦しさから逃げたつもりが取引所の支配を受け入れている。それが悪いとは言わない。リアルのしくみより、GAFAが専制的に作ったしくみのほうが冴えている。支配を受け入れれば、快適な体験を保証してくれる。しかもたいていは無料だ。

アートも同じである。OpenSeaやSuperRareが形作る市場は開放的で使いやすい。美術売買の裾野を拡げるだろう。絵を売りたい人、買いたい人はその利便性を享受するためなら、彼らの指示にしたがうだろう。だったら、ブロックチェーンである必要はないと思う。わざわざあんな面倒なしくみを使わなくても、取引所が用意するクローズドなしくみでいい。そのほうがもっと使いやすいものができるだろうし、速度性能や拡張性も高めることができる。

ブロックチェーンじゃないと取引所がわがままを言い出して危険だと思うだろうか。いい環境を提供して支配的な地位を築き上げた者はどっちにしろわがままを言う。

Nifty GatewayというNFT市場がある。もちろんブロックチェーンを使ってシステムを組み上げている。民主的なしくみのはずだ。このNifty Gatewayで作品を収集しているコレクタがいた。かなり作品数を積み上げてコレクションに励んでいた。

ところがあるとき、このコレクタとNifty Gatewayの間で諍いが起こってしまう。オークションのルールを巡る行き違いがあったのだ。コレクタは支払を拒否した。するとNifty Gatewayはこれまでコレクタが購入したコレクションにアクセスすることを禁止した。

これは前世代のプラットフォーム支配の典型ではないだろうか。民主化や、支配からの解放は、単にブロックチェーンやNFTなどの要素技術を投入すれば実現できるわけではないことを、端的に示している。

取引所には取引所の言い分があるだろう。取引所と私たちの間で行き違いがあったとき、仲裁するのはブロックチェーンではなく裁判所である。現実世界をすべてブロックチェーンに再構築できるわけではない以上、ブロックチェーンに任せておけば何もかもが自動で動く社会など作れない。であれば法的な枠組みの仲で中で現実とブロックチェーンの接点を作り、それを稼働させる必要があるし、違う言い方をすれば、法的な枠組みを踏み越えなければブロックチェーンの思想に反した運用をしたとしても文句を言われる筋合いはない。そして、私たちは手軽で簡単な売買を行うためにどのみち取引所を利用する。ならば、NFTアートを構成し、売買を行うのはブロックチェーン上でなくていいのかもしれない。

取引所の言い分を認めて、取引所を信頼するのであれば、技術的なバックボーンがブロックチェーンである必要はない。諍いが起こったときには、私たちがこれまでに積み上げ、利用してきた成果、つまり行政機関が調停してくれる。結局のところNifty Gatewayでもそうなっている。同じことならば、しくみとして簡単で速く動作する方がいいし、むしろ「ブロックチェーンを使っているのだから、すべての権利は個々人にある」などと誤解させてしまうのなら弊害の方が大きい。

また、もっと根本の部分では、Nifty Gatewayは審査に通らないとクリエイタとしてNFTを作ることができないので、Nifty Gatewayという権威に認められる必要があるサービス(先ほど述べた、「ブロックチェーンの思想に反した」サービス)と言える。

ツイッターのプロフィール画像

同種の事象は今後頻出するだろう。

ツイッターはプロフィール画像のNFTアートを認証するようになった。これまでにも、NFTアートをプロフィール画像にする利用者はいた。でも、それはその利用者が言っているだけで、本当にNFTで「所有権」を買った画像かどうかはわからなかった。オリジナルもコピーもいっしょだからだ。

もちろんNFTは検証可能であるから、「自称なのでは?」と思ったらブロックチェーンにアクセスして検証すれば、自称しているだけかどうかはわかる(真贋の判定ではないことには注意が必要だ。ここまでで述べてきたように、贋作や盗品をNFT化したのかもしれない)。

でも、そんなことをする人はいない。みんな忙しいし、多くの利用者はブロックチェーンに対する情熱も知識もない。なくても生きていけるのだから当たり前だ。

その検証作業をツイッターが肩代わりしてくれるのだ。ツイッターが認めるのだから、これは本物のNFTアートなのだろうというわけだ。

おかしくないか? ツイッターのような権威にコントロールされるのが嫌だ、というのが民主的なブロックチェーンを導入する動機だったはずだ。

でも、ブロックチェーンを利用して、自らが検証作業に参加するような手間暇をかけるのはまっぴらだから、その検証作業部分を権威にやってもらうのである。一周回ってもとの場所に戻ってきた。ツイッターの言うことを信じるのであれば、ツイッターが作るプロプライエタリなシステムを最初から信用しておけばいい。手間がかからない。

楽天によるNFTの「民主化」

国内では楽天がNFTを作った。

そのWebサイトにはこう書かれている。仮想通貨やブロックチェーンの知識がなくても使える、クレジットカードで決済できる、楽天のポイントが貯まる。更に楽天のリリースや担当者のインタビューなども加味すると、楽天が制御するプライベートチェーンを使うこと、楽天がコンテンツの審査を行って安全を担保すること、違法コンテンツの流通などが判明したら楽天がそれを消去できることがわかる。

知識のない一般利用者にとっては安全で安心だ。これでみんなが安心してNFTに参入することができる。楽天はそれをNFTの「民主化」と呼んでいる。

これはなかなか気の利いたブラックジョークである。ブロックチェーンが思想として持つ民主化は国家や企業からの解放である。だが、個人が丸裸で解放されたその場所は取り扱い注意の荒野で、参加者に求められる知識やスキルのハードルが途方もなく高いので、みんな参加しない。それを楽天が支配することで、みんなが使えるようにする、「民主化」だ、と表現しているのである。

ブロックチェーンの思想家たちが聞いたら、怒髪天を衝く勢いで怒るだろう(そもそも、この要件であればブロックチェーンでなくても構築できるし、従来技術で構築した方が安く速く高機能なものが作れる)。

情報システム開発現場の事情

ブロックチェーンは参加する全員が信用ならなくても、信用できる結果を導き出せる点が傑出している。紛争地における金融の提供など、絶大な効果があるだろう。

でも、先進国における決済などは、使いやすいしくみを何十年もかけて構築してきた。それをオペレーションする企業が不正を働かないよう監査制度なども整えた。実態として、かなり信頼できるシステムが組み上がっていると思う。

それをわざわざブロックチェーン化することで、却って法整備が追いつかず、強大な管理者がおらず個々人に強い権利があるために、詐欺や間違いの多い無法地帯を作ってしまっていることがある。

強いコスト圧縮圧力があって、情報システム開発の現場は硬直している。新しいものを作ろうとしても資金が集まらない。ブロックチェーンやNFTといったバズワードが一発吹き上がれば投機資金が湯水のように流れ込んでくる。その効能はわかる。だから、「これ、あんまりこの分野には向いていない」という箇所にもブロックチェーンをぶち込みたくなる。

繰り返し述べてきたようにブロックチェーンは使いどころが難しい、くせの強い技術なので全部ブロックチェーンにすると使いにくく、性能が出ないことがある。だから、ちょっとブロックチェーンをまぶした、実は中央集権型のシステムがたくさん生み出されている。

開発の現場からすると、お金がないから仕方がないし、ステークホルダが求めるから仕方がないのだが、本来そこに置かなくてもいい技術を置くと、後で困るのだ。難しくても、真っ当な技術デザインでシステムを作った方がいいのではないだろうか。DXをこれだけ喧伝する割りには目新しさのない技術には投資しない体質は、そろそろ変えなければならない。

そのとき、「中央集権的な技術を使うけど、それはメリットがあるからです。不正が心配なら監査などのしくみを入れます」とちゃんと言えばいい。いくら使いやすい仕組みを導入するためとはいえ、「ブロックチェーンを使うから民主的です」などとお為ごかしを抜かして、見えないところで中央集権的な実装にするよりよほどいい。

ゲームプラットフォームSteamの対応

著名なゲームプラットフォームであるSteamは、2021年にブロックチェーン技術に基づいた、仮想通貨の発効や取引を可能にするゲームを販売禁止にした。当然、NFTもここに含まれる。

それについてSteamをオペレーションしている企業Valveの創設者は「あいつらMMOもやったことないだろ」と辛辣なコメントを残している(https://automaton-media.com/articles/newsjp/20220228-193651/)。

あいつらとはWeb3やメタバースを推進する勢力を指し、MMO(Massively Multiplayer Online)とは大規模多人数同時参加型オンラインゲームのことだ。

「アバターを使って3D空間でボイスチェンジャーを通してコミュニケーションし、仮想空間で価値を創出(ゲームアイテムとか)してリアルマネーを稼ぐなんて、これまでいくらでもゲームの世界でやっていたじゃないか。FF14をやるような教養もない奴がメタバースだぁ?」あたりが発言の主旨だろう。

確かにそうなのだ。OpenSeaやFF14の利用者体験はすごくいい。世界に展開する広汎なサービスとして価値がある。OpenSeaやスクウェア・エニックスという中央集権組織がないと、なかなかこんなしくみは構築できない。

オープンで分散にすればなんでもうまくいくとは思わないほうがいい。民主制にすればすべてがうまくいくと考えるのと同じくらいナイーブだ。

システムをブロックチェーンで構築しましょうというのは、信仰の対象をゲームの運営からブロックチェーンに移すだけだ。現状で、私たちは運営を信頼して、ゲームをプレイしている。ガチャの排出率は告知されている通りだろうし、グリッチ(不正行為)が極力起こらないようにシステムを組んでくれるだろう。時折、バグや不正が生じるのは仕方がないが、速やかに補填してくれるだろう。これは契約によって、あるいは慣習によって形作られた信仰である。

なかには明らかに不義を働くゲーム会社もあるから、じゃあ基盤となるしくみ自体をブロックチェーンで構築しようとなるわけだが、これまでに述べてきたようにブロックチェーンは単に要素技術である。従来型でプロプライエタリなシステムより優れている箇所もあれば、劣っている箇所もある。ブロックチェーンにすればすべてが上手くいくといった信仰の持たせ方は、却って取引のリスクを高める。

ブロックチェーンで逆にリスクが高まる

いくつか例をあげてみる。

たとえば永続性だ。ブロックチェーンが得意だと考えられているテーマである。一企業が運営しているゲームの場合、その企業が倒産でもすればそのシステムは廃棄されるだろう。幸運なことに別の企業が運営を引き継ぐこともあるが、従前通りに運営されるかどうかはわからない。

仮に企業が倒産しなくても、営利でやっている以上、人気がなくなればそのゲームはたたまれる。どれだけゲーム内通貨を貯め込んでも、その時点でぱあである。アイテムもなくなる。自分の記憶の中だけの存在になる。

そこでブロックチェーンである。ブロックチェーンは永続する。ゲーム会社が破綻しても、ブロックチェーンが続くならレアカードやアイテムにアクセスし続けることができる。これで安心して大枚をガチャに投じ続けることができる。本当に?

それが怪しいことは示してきた。ブロックチェーンは参加者がいてはじめて、その特長と考えられている特性を発揮できる。ゲーム会社が破綻したり、ゲームが閉じられたりした状況で、そんなにたくさんの人がそのブロックチェーンに集まるだろうか。

集まらなければ、そのチェーンは終わりである。運営が止まる。参加者がゼロにならなくとも、過疎地になれば処理結果は信用できなくなり、チェーンの信頼性は損なわれる。やはり、レアカードやアイテムは利用者の記憶にのみ留まる儚いものになるだろう。

そうではない、そのチェーンには多数のゲームが参加しているはずなのだから、一つゲームが閉じても他のゲームの参加者がチェーンを動かす。結果として永続性や信頼性は担保される、と考えることもできる。それであれば、1つのシステムに閉じているよりはブロックチェーンを使う価値が出てくる。

ただ、疑問なのは、そうしたしくみにどのくらいのゲーム会社がのってくるか、及び終了したゲームのカードやアイテムにどれほどの価値が残存するかである。ブロックチェーンではゲームは動かない。少なくとも10年、20年といった単位ではゲームを動かすアーキテクチャは既存の仕組みであり続けるだろう。ブロックチェーンが担うのはカードやアイテムの流通の部分だけである。

ゲームロジックの一部分、たとえばガチャの確率を左右する部分をスマートコントラクトとして記述することは可能だろう。こうすれば札の目を導き出すロジックは白日の下にさらされるので、長年ゲーマーを悩ませてきた悪夢――ゲーム会社が出目を都合のいいように弄る疑惑――から解放されるかもしれない。

いっぽうでトランザクションも満天下にしらしめられてしまうため、ゲームの種類によっては他の誰かが高いガス代(先にトランザクションを処理してもらえる)を払って妨害してくるかもしれない。

ブロックチェーンでゲームそのものが稼働するのなら、「ゲーム会社は倒産したけど、プレイし続けられるぞ」となるが、それはない。ゲームは常にアップデートされる。ブロックチェーンはそうした用途に向かないし、無理くり実装したとしてゲーム会社がサポートをやめればプレイする人はいなくなる。プレイできず、新しいガチャも投入されないソシャゲのカードに利用者は価値を感じ続けるだろうか? もしこれらの不安をすべてクリアしたとしても、モデレートされない遊び場は荒れて、もとのゲームの原型をとどめなくなる。

プレイできなくなったゲームのアイテムは使い道がないし、カードはコレクターなどが売買するかもしれないが、レジェンド級のタイトルを除いてほとんどのゲームで、終了時に価値を失うだろう。どれだけの需要があるかわからないのである。その極小の需要のために、使いにくく性能面で劣るブロックチェーンのプラットフォームを構築する必要があるかはまだ回答がない。

これまでの歴史を見ていて有用そうだと思うのは、たとえば違法ギャンブルをやっていてガサ入れがあったようなケースだ。当局がそのサービスを潰す。当然、一般的なシステムであれば、そこで積み上げていた資金も差し押さえられる。でも、それが仮想通貨であったなら、サービスが潰されて以降でも出金は可能である。(続く)


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