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大学生の私が【森川友義×鈴木涼美】対談に立ち会って思ったこと

こんにちは。大学4年生、最後の学生生活を自宅で粛々と過ごす清水(きよみず)と申します。こちらの光文社新書編集部には去年からおじゃましていて、このnoteでも、過去に2つほど記事を担当しました。

もし、万が一、名前や記事に見覚えがある方がいらしたら、某夢の国ーー海ver.の某ウミガメさんの某アトラクションのように、「さ〜いこうだぜ〜!」と勢いよく両手を挙げたい気分です。ご存じでなければ無視してください。悪ノリです、すみません。

上記の「【潜入レポート】大学生の私が光文社新書のプラン会議に参加してみた」 にも書きましたが、新書編集部の皆さんは本当に寛大な方ばかりなんです。だから許されてしまうのかなと……。ちなみにその某タートル・トークでは今、声出しが禁止されているそうです。

冒頭から話が逸れました。以前は編集部に直接うかがって作業をしていましたが、現在は“テレワーク”の形で、微力ながらお手伝いを続けさせてもらっています。

そんな折、編集部の田頭さんからご連絡を頂き……「対談、見に来ませんか?」とのお話。

対談って、あの対談?

行きます!!!見させてください!!!!

対談ってどんな風に始まるのか? 何時間ぶんのお話が何文字にまとめられているのか? 実際、生で聞いた印象と完成した文章から受ける印象に差はあるのか? 対談の裏側、知りたい! ということで、再び現場におじゃましてしまいました。その対談がこちら !

「恋愛学」の第一人者である森川友義先生と、恋愛を中心に切れ味鋭いコラムが人気の鈴木涼美さんの対談です!

こちらのnoteで以前森川先生が連載されていた「恋愛学で読みとく『文豪の恋』」が、光文社新書として書籍化されたのを記念し、実現したそうです。

ご、豪華。

今回の私の役目は、本記事のための見学・撮影と、テープ起こしといったお手伝い業務のみなのですが……イチ学生は、前日の晩からカチコチでした。
深呼吸して、いざ突撃です!

スタッフは、お二方が到着する30分前に集合。今回お話をくださった田頭さんにお会いして、少しホッ。

こちらは、今回撮影を担当されるカメラマンの千葉太一さんです。

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よろしくお願いします!

ところで、写真を見て既に気になっている方もいらっしゃるかもしれませんが、この開放的な空間、一体どこだと思いますか?

ここ、実は、護国寺にある光文社本社ビルのエントランスなんです。

私も、初めて訪れた時にはその広さに驚きました。ツルツルの白い床にウッド調の壁面、机、奥の書棚の前にある丸テーブルに添えられた椅子の赤が、差し色になって綺麗です。天井が2、3階あたりまで吹き抜けになっていて、これがこの開放感の肝だと私は踏んでいます。

この場所では、普段から社員さんたちがよく会議や雑談をしていらして、素敵だな〜と思っていたのですが、まさか私にも利用できる日が来るとは!(見学だけど!)
今回は撮影も兼ねているので、陽の光が入るこの場所を選んだとのことでした。

その日光の具合を確かめるべく、動き出したのはカメラの千葉さん。

早速見知らぬモノが! なにやら黒くて縦長の、小型のテントのような物体が机に。かなり大きいですね。これは……?

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「これがあると、カバーの上をつかんで片手でもパソコンを持ち運べるんです。完成形をイメージするために軽い編集も撮影中に行うので、カメラを直接、有線でパソコンに繋いでるんですよ。だからここにこう、パソコンをセットして……」

なるほど! 下部の平らな面にパソコンを固定して、ひさしのようになっている上の部分を掴むと、たしかに片手で軽々持ち運べています! 片手に一眼レフを抱えて、さらに様々な角度から素早く撮影を行わなければならない、カメラマンさんならではのグッズ。
画面に影が落ちるテント型になっているのは、光の反射を抑え、実際の色合いが確認できるようになっているんだそうです。

「同業者の間では、マストアイテムだと思います」

準備中にも関わらず、実演しながらにこやかに答えてくださる千葉さん……。ありがとうございます……。

対談が始まる前に、書籍の接写などを撮影していきます。それから人物撮影のシミュレーション、そして対談中の流れの確認等々。事前に細かな打ち合わせは各々で行っているので、最終確認です。

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すると、玄関の方から人影が!

森川先生です! この瞬間、一度は鎮まっていた私の緊張メーター、再び振り切れました。
そんな私の緊張をよそに、編集の田頭さんと先生はいつも通り、といった感じで自然にお話を始めています。森川先生、全体的に青のトーンでまとめられたスタイルが素敵です。

少しして、またドアが開きました。鈴木涼美さんのご到着です! 並々ならぬオーラに目が眩んでしまった私……。チューブトップのオールインワンで、全身を黒に統一されていてかっこいい。

お二方が揃うと、一気に場が華やぎました。森川先生、鈴木さん、田頭さんが着席し、いよいよ始まるのだなと息を呑みます。

しかし……

「今日はわざわざお越しいただいてありがとうございます〜。ちょっと曇っちゃいましたねぇ」と田頭さん。

あれ。なんだか、すごく、穏やかな、空気だぞ……。

固唾を呑んでいたのは私だけのようで、皆さんリラックスした雰囲気。
それはそうですよね……大学で教鞭を執られていたり、連載や対談を数多く経験していらっしゃるお二人です。その余裕に、また強いパワーを感じます。

でも、田頭さんが「じゃあそろそろ始めましょうか」と合図をしたところで、空気は一変。

おそらく声色や写真からは感じ取れないほどの違いですが、お二方の間に流れるものがキュッと引き締まったように感じました。

そして対談開始冒頭、鈴木さんの開口一番のくだり、

鈴木涼美さん(以下、鈴木) (前略)私はわりと文学少女だったので、ここで取り上げられた小説はどれも読んでいるんですけれど、こういう読み方があるんだなっていう意味で読み応えがありました。
ただ、なんて言うんだろう、改めてみんな「男の人」たちだなぁっていう感想でした(笑)。

と、既にこの段階で、今回の対談の大きなテーマになった発言が。

この後も森川さん 、鈴木さん共に、ご自身の意見の芯を強く持ちながらも、相手の話を聞き、咀嚼し、自らの言葉で返答されているところが印象的でした。

私たちは普段、「会話」をしています。
だから意見が食い違ったり、角が立ちそうな時には、自分の意見を飲み込んで頷いたり、なあなあにして終わらせることは多々あると思います。その方が楽だし、他に主な目的がある場合はそうした方が都合がいいことだってある。それが決して“悪いこと”ではないとも思います。

でも、これは「対談」です。「会話」ではありません。

だからこそお二方は、自分が思ったこと、考えたことに正直になって、それを相手に伝える。あくまでも「ぶつける」のではなくて、「伝える」。それは、相手の言葉を耳から腹の底までしっかり入れて、自分の意見と混ぜ合わせてから、その時点で自分にとって一番ピカピカなものにして、再び相手に預ける。そんな途方もなく根気のいる作業の繰り返しです。

聞いているだけで脳に汗が滲むような意見の交わし合いは、正直に言うと、気持ちが苦しくなる時間もありました。当然です。異なる考えを持つ者同士が「対談」をしているから。

それでもお二方は、めげることなくこのラリーを続けられました。時間にしてなんと1時間! 休憩も挟まず、ぶっ通しです。

その結果、「文豪の恋」の話をしていたはずが、男女間の恋愛への認識の差や、一見関係ないように思える「少女マンガ」の話題で盛り上がったり……。これらの発見は、「会話」では生まれなかったろうと思います。

恐縮にも直接見学させてもらった身だからこそできるお話をすると、まず全体の字数は、実際の対談時間1時間に対し、約7,500文字でまとめられています。
これでも、ちょっとテーマから逸れてしまった話題、繰り返しの話など、カットされている部分があります。もちろん、その場で聞いていたものと比べて内容に齟齬はありませんし、スムーズに読め、かつお二方の話し方の特徴もそのまま。省略された言葉を補ったりだとか、テープ起こしそのままではないんだ!という発見がありました。

ここで全ての話題に触れてしまうとキリがなくなってしまいますので……気になった方は、ぜひ対談の本編をご覧になっていただければと思います!

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せっかくなので、今回の対談の内容について私自身が抱いた感想を少しだけ、お話しさせてください。

この対談や森川先生の著書を読まれて、「恋愛って絶対しなきゃいけないの?」と思った方がもしいらっしゃるとしたら、私もその疑問に同意します。

恋愛至上主義、という言葉があります。日本では、明治期の北村透谷に始まり、高度成長期に発展したとされていますね。当時一世を風靡していた「トレンディードラマ」を想像すると、なんとなくイメージが湧くように思います。現在なら、ドラマ繋がりで言えば「月9」。これは、恋愛を大々的に取り上げる作品の象徴的存在と言っていいかもしれません。

たしかに、大学生である私の近辺でも、「彼氏/彼女がいる人の方が充実している」といった意識は根強くあります。「リア充」という言葉に顕著に表れていますね。

もちろん、恋愛を楽しいと思ったり、その時間こそが生きがいだと思うことに誰かが口を挟むことはできません。かけがえのないものです。
でもそれは今や、「絶対」ではないと思います。動物としての生殖本能のままに、セックスをしなければならない、したいのが普通だ。物理的に子どもをつくることができない相手を好きになるのがおかしい、とは言い切れないと思うんです。

生理的欲求のうち、食べ物に頓着のない人もいれば、1日に2、3時間しか寝ずとも元気なショートスリーパーだっている。それなのに、性欲だけはないと変だ、とは言えない時代を、すでに私たちを迎えているような気さえします。

とはいえ、恋愛に大きな力があることは事実です。
「月9」の話に絡めると、この自粛期間で撮影中のドラマの放送が延期になってしまったとき、各局で穴埋めに放映されたのは「恋愛ドラマ」がほとんどでした。00〜10年代の、恋愛がメインテーマの懐かしのドラマたち。私も幼い頃の記憶が呼び起こされました。これらの再放送が幅広い層からの反響を呼び、「この時代のドラマ戻って来てくれよ」なんて願う声が多くあがったことをお覚えの方もいらっしゃるでしょう。

ドラマに限った話ではありません。J-POPの歌詞は、今も昔も、そのほとんどが出会いや別れ、森川先生のいう「恋愛バブル」状態を描いたものだし、漫画だって、少女向けでも少年向けでも青年向けでも、必ずと言っていいほど「恋愛要素」が組み込まれます。

だから、恋愛に、多くの人の感情を揺さぶる力があることは間違いないのです。恋愛ドラマが社会現象を起こし、「君の運命のヒトは僕じゃない」に皆が涙し、禰豆子ちゃんに恋い焦がれて奮起する男の子をいたいけに思うのでしょう。

それほど、私たちにとって恋愛は、身近であり重大なテーマである。
そう捉えたうえで、もう一度、この本をお手に取ってみてください。

そこには、今こうして、恋愛にウキウキしたり泣かされたり、ブンブン振り回されているみなと同じように、様々な形の恋愛に熱狂し、落胆し、人生までをも狂わされ、その思いを小説に書きつけた文豪たちの姿が透けて見えてきます。

決してこうならなきゃいけない、こうしなきゃいけない、わけではない。でも、私たちの間にも確実に存在するこの「恋愛」という一つのテーマが、彼ら文豪たちと一歩深く繋がることのできるきっかけになりうるのではないか――。

あなたにとって、そんな可能性の芽を開いてくれる一冊になると思います。



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