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【第75回】なぜ「国籍」が必要なのか?

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★現代の日本社会では、多彩な分野の専門家がコンパクトに仕上げた「新書」こそが、最も厳選されたコンテンツといえます。この連載では、高橋昌一郎が「教養」を磨くために必読の新刊「新書」を選び抜いて紹介します!

「無国籍」と「多重国籍」

「国籍」と聞いて想い起すのは、天才物理学者アルベルト・アインシュタインの人生である。彼の両親はドイツに移民したユダヤ人であり、息子アインシュタインは「ドイツ国籍」として誕生している。ところが1895年、16歳のアインシュタインは、日本の中高一貫校に相当するギムナジウムの軍国主義的な教育を嫌って退学する。さらにドイツ軍の兵役を逃れるため、彼は1896年にドイツ国籍を放棄し、スイスのチューリッヒ工科大学に進学する。
 
大学時代のアインシュタインは「無国籍」のままだったが、卒業後の1901年に「スイス国籍」を取得できた。その後、彼はスイスの特許局に勤務しながら、相対性理論をはじめとする天才的な論文を立て続けに発表する。彼の才能を見抜いたドイツ科学界の大御所マックス・プランクは、彼をベルリン大学教授として迎え入れた。愛国者プランクは、頭脳流出を恐れたのである。
 
ところが、ナチスの反ユダヤ政策が始まるとアインシュタインは命の危険に晒されるようになり、1932年、アメリカ合衆国に移住した。1940年、アインシュタインは「アメリカ国籍」を取得したが、1955年に逝去するまで「スイス国籍」も毎年更新して「二重国籍」を保持し続けた。「世界政府」樹立を熱望していたアインシュタインは、一つの国籍に縛られたくなかったのである。
 
本書の著者・陳天璽氏は1971年生まれ。筑波大学国際関係学類卒業後、同大学大学院国際政治経済学研究科修了。ハーバード大学フェアバンクセンター東アジア研究所研究員、国立民族学博物館先端人類科学研究部准教授などを経て、現在は早稲田大学国際学術院教授。専門は国際関係論・文化人類学。著書に『無国籍』(新潮文庫)や『忘れられた人々』(明石書店)などがある。
 
さて、1972年に日本は中華民国(台湾)との国交を断絶し、中華人民共和国(中国)との国交を正常化した。日本政府が認めていた5万人余りの中華民国人のパスポートは無効となり、運転免許証などの身分証の「国籍」欄には「無国籍」と記載されるようになった。横浜中華街で生まれ育った陳氏の身分証も、日本国籍を取得するまでは「無国籍」と記載されたままだった。
 
日本の「国籍法」第11条に「日本国民は、自己の志望によって外国の国籍を取得したときは、日本の国籍を失う」とある。ノーベル賞を受賞した真鍋淑郎氏・南部陽一郎氏・中村修二氏はアメリカ人であり、カズオ・イシグロ氏はイギリス人である。にもかかわらず「日本人として大変誇らしい」という首相のコメントを「ダブルスタンダード」だと陳氏は厳しく指摘する。本書には、日本人女性がカナダの大学教授であるフィリピン人男性と結婚して子どもが「三重国籍」を持つケースなど、多種多様な「無国籍」と「多重国籍」の実例が紹介されている。とくに国籍に関する訴訟問題は複雑極まりない。
 
本書で最も驚かされたのは、国連の採用試験に応募した陳氏がニューヨークの国連本部で実施された面接で「無国籍では採用できないので、日本国籍を取得してから再度応募してください」と言われたということだ。世界各地に点在する1000万人以上といわれる「無国籍」者を保護し支援している国連でさえ、そこに就職するためには「国籍」が必要だというわけである!


本書のハイライト

国籍について研究をしてから、かれこれ四半世紀が過ぎた。正直いって。はっきりとした答えはまだ見つかっていない。しかし、分かったことは、個人を一つの国籍で規定しようとする現行の制度には無理があるということだ。だが、現代日本に暮らす人々の多くは依然として「国籍唯一の原則」を信じ、国籍でその人を「○○人」と認識、規定しようとする。さまざまな等身大の人々の経験を通し、もはや、それでは説明がつかないこと、また、そうした既成概念によって多くの人が苦悩、迷惑していることを、一人でも多くの人に知ってもらいたいと思い、この本にまとめた。(pp. 303-304)

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著者プロフィール

高橋昌一郎/たかはししょういちろう 國學院大學教授。専門は論理学・科学哲学。著書は『理性の限界』『知性の限界』『感性の限界』『フォン・ノイマンの哲学』『ゲーデルの哲学』『20世紀論争史』『自己分析論』『反オカルト論』『愛の論理学』『東大生の論理』『小林秀雄の哲学』『哲学ディベート』『ノイマン・ゲーデル・チューリング』『科学哲学のすすめ』など、多数。

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