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新書が1冊できるまで ②:「入稿まで」と「入稿から」

こんにちは、光文社新書編集部の江口です。毎月上旬の更新を目指しているこの連載ですが、気づけばもう月末が見えてきました。ふだんは「締切厳守」をお願いする立場でも、いざ自分で書いてみると、つくづくこれが難しいことに気づきます……。この原稿を抱えていることで、締切に追われるすべての人への共感を強めている今日この頃です。

さて、前回から始まった「新書が1冊できるまで」。初回の「原稿整理編」につづいて、今回は「入稿&校正編」になります。原稿を整えたからといって、もちろんすぐに出版できるわけではありません。体裁と内容のどちらも、さらに時間をかけて磨きあげる必要があるのです。今回は、その「磨きあげ」の過程に迫っていきたいと思います!

▲  未読の方は、まずは「原稿整理編」から。


いざ、人生初「入稿」

原稿の整理に一段落つくと、いよいよ「入稿」を迎えることになります。つまり、ここではじめて印刷所へと原稿が渡るのです。前回InDesignと格闘したのも、すべてはこの準備のためでした。そこで用意したデータは、あくまでも「こんな感じでお願いします」と完成図を共有するためのもの。最終的なかたちに落とし込んでくれるのは、印刷所で働くプロの方々です。

そういうわけで、編集者はInDesignが使えないと仕事ができない、というわけではありません。実際、多くの場合にはWordファイルで入稿するようです。とはいえ、時間を割いてInDesignデータを用意したのにも、それなりの理由があるわけでして……。それを実感するのは、もうすこし後になります。

入稿に際しては、InDesign(あるいはWord)で体裁を整えた原稿をプリントし、「入稿指定紙」と呼ばれるものを作成します。これは「本の中身をこのようにデザインしてください!」と印刷所の方にお伝えするためのものです。

▲ はじめての入稿指定紙。見よう見まねで、なんとか作りました。

蛍光ペンが多用されていて眩しいですね。なにもこれ、わたしの趣味で派手にしているわけではありません。色の使い分けにも、しっかり意味があるんです。

入稿指定紙で「指定」されるのが何かと言えば、フォントの種類、大きさ(級数)、ある行の冒頭を何字分下げるか、ある行とある行を何行分開けるか、といったことです。ここではそれぞれの色に、それぞれ別の指定が割り振られています。

たとえば今回であれば、ピンク色が「大見出し」に相当するのですが、この色で「筑紫A丸ゴシック(書体)/ボールド(太さ)/15級(大きさ)/文字間100ポイント(細かな調整)」を指定しています。もちろん見出しが出てくるたびに手書きで指定してもよいのですが、毎回「筑紫A丸ゴシック/ボールド……」「筑紫A丸ゴ……」「筑……」と書いていくのはさすがに大変です。そしてなにより、書かれている内容をその都度確認しなければならない印刷所の方々の負担になります。負担を減らしてミスも減らす。なににつけても、これが鉄則のようです。

このカラフルな指定紙からも、さまざまなフォントが細かく使い分けられていることが分かります。書店で見かける様々な本も、きっと同じだと思います。内容とは直接に関係のない部分まで、「どのような本として見せたいか」という作り手の意識が如実に反映されているわけです。ここに注目してみるのも、結構おもしろいと思います。

さて、指定紙が完成したら、今度はこれを印刷所の方にお渡しします。編集部に併設の専用ラックに原稿を置いておくと、印刷所の方が見えた際に、しっかりと回収してもらえます。もちろんデータでのやりとりもするのですが、重要なところは紙ベース。指定紙の束を用意することで、「これに準拠してください!」としっかり伝わることが重要なんだと思います。

▲ 新書編集部に併設されているラック。
ここを介して、印刷所の方々と原稿のやりとりをします。

入稿してたった数日(!)で、印刷所から「ゲラ」と呼ばれるものが戻ってきます。当初わたしは、編集部に積まれたあらゆる原稿の束が「ゲラ」なのだと思っていたのですが、正しくは「校正のために刷られた原稿」を指すらしいです。

▲ 刷りあがったゲラ。複数部いただくので、
印刷所からの封筒はけっこうな厚さに。


初校? 再校? そしてそれから……

ゲラが届いたら、あらためてその内容を確認する過程に入ります。著者や編集者が確認するのは当然として、ここで登場するのが「校閲」と呼ばれる部署の方々。言わずと知れた、言葉のスペシャリストのみなさんです。

▲ 校閲部があるフロアはとても静か。
みなさん、黙々と原稿に向かっています。

印刷所から受けとったゲラには、「校正指示書」と呼ばれる紙を添えてお渡しします。読んで字のごとく、校閲に見てもらう際の基準を定めるものです。ある表記を漢字にするのかひらがなにするのか、送り仮名をどうするのか、ルビ(ふりがな)が必要な箇所はどこなのか、などなど。さらにこのとき、原稿に差別的な表現が見られないかも確認してもらいます。

著者によるもの、編集者によるもの、そして校閲によるもの。この三者によるチェックを経た、いわゆる「赤の入った」原稿を突き合わせることで、原稿整理の段階よりもさらに細やかな検討が可能になります。校閲からの指摘は鋭いものが多く、あたりまえに用いていた言葉づかいが、実は望ましくなかったと判明することもしばしば。およそ自分では気づかない発見に満ちていて、校閲の方の書き込みを追っていくだけでおもしろいです。

▲ 広いテーブルに移動してゲラを広げます。
なかには自分のデスクで作業される方もいて、
そのスペース活用術を見習いたいです。

今回InDesignを使って入稿データを用意したのは、この校正作業をスムーズに行うためでもあります。校正の過程で文字が大幅に増減すると、当然、ある記述が現れる位置も前後します(もともと131ページにあった内容が130ページに移るなど)。これが極端になると、例えば本文に「図27を参照」とあるのに、肝心の図27が3ページ先まで登場しない、といった事態が生じたりもします。ゲラだけでこれを把握するのは至難の業なのですが、InDesignではこの具合が一目で分かるのです。

入稿の準備から校正作業にいたるまで。どの段階でも、図と本文の関係を思いどおりに調整できることが、InDesignを用いる最大の利点だと思います。図表が多い書籍になればなるほど、InDesignを使えることのメリットは大きくなりそうです。読みやすい本は、地道な調整の上に成り立っているのだと思います。

▲ 校閲の確認を経た「参考文献」。
植物の学名(ラテン語)を含む英語論文も、
すべて地道に確認してもらえます。

1回目の校正が「初校」、その初校ゲラを印刷所に戻し、修正が反映された新しいゲラをもとに行う2回目の校正が「再校」と呼ばれています。言葉のプロを含めた複数人による、複数回のチェックを経ているからこそ、世に出る出版物のクオリティは担保されるのだと実感しました。

この一連の流れ自体は、配属されて早々に教わっていました。そのとき説明してくださった先輩は、その翌月に刊行予定の原稿を携えていたのですが……

「ちなみに〇〇さんが持ってきてくださったこの原稿はどの段階なんですか? 初校? それとも、もう再校ですか?」
「これはね、四校だね」
「……!?」

というわけで、校正の回数は原稿によっても変わるようです。先輩が担当されていた企画は専門性が高く、それゆえ固有名詞も頻出し、事実関係の確認等も入念に行う必要があったようです。著者の方と相談のうえ、はじめから四校まで出すと決めていたとのこと。書店に並んでいるどの本にも、時間と熱意と労力が注がれている。そう思うと、手にとる一冊の重みが増す気がします。

最後の校正を経てゲラを印刷所に戻すと、「校了」となります。これでひとまず、「入稿&校正編」は済んだことになります。次回はついに「完成&発売編」。本文の校了を迎えても、まだまだ作るものはあるんです。そして、作って終わりというわけでもなく……。作った本を読者のみなさんに「発見」してもらうためには、まだまだ様々な仕事が待っているのです。そのあたりのことは、次回に譲ろうと思います。

▲ ゲラの画像などは、すべて工藤岳先生の
日本の高山植物 どうやって生きているの?』からのものです。


***


新入社員、人生の推し本

例年この季節になると、ひとつの話題が世間を賑わせますよね。つまり、ノーベル賞の話題が。わたしがいつも気にしてしまうのは、やはり文学賞です。こればかりは、「そろそろ○○が受賞するのではないか……」「いや、でも前回が××語圏の作家だったから……」と、毎年どこか落ち着かない気分で発表を待つことになります。

やや遅れた感もありますが、ちょうどよいタイミングです。今回は、あるノーベル文学賞作家の作品を取りあげたいと思います。

▲ オクタビオ・パス『鷲か太陽か?』野谷文昭訳、書肆山田、2002年。

著者のオクタビオ・パス(1914-1998)はメキシコの詩人で、世界各地を飛び回った外交官でもあります。ノーベル文学賞を受けたのは1990年。「鋭敏な知性と人文的誠実さとに特徴づけられた、広い視野をもつ情熱的な作品群に対して」その賞が授けられました。詩人・批評家・外交官など様々な顔を持つパスに、この上なくふさわしい受賞理由ではないでしょうか。

詩と散文から構成されるこの作品集のうち、もっとも有名なのは「青い花束」と題された散文作品だと思います。分量は、わずか6ページ。『ラテンアメリカ五人集』(集英社文庫)や『20世紀ラテンアメリカ短篇選』(岩波文庫)など、文庫で読めるアンソロジーにも収録されています。

外出した男が、ふたたび宿に戻るまで。その間に生じる出来事を描いた、非常に見通しのよい作品となっています。とはいえその読みやすさは、必ずしも修辞の欠落を意味するわけではありません。たとえば、次の一節。

夜は樹々の葉と虫をはらんで震えていた。コオロギが背の高い草の陰で野営している。見上げると、空でも星が野営を開始していた。僕は宇宙とは巨大な信号のシステムであり、森羅万象の間で交わされる会話であると思った。僕の行為、コオロギの鳴き声、星のまたたきは、この会話の中にちりばめられた休止と音節にほかならなかった。僕が音節であるのはどんな言葉だろうか。その言葉を誰が誰に向かって話しているのだろう。ベンチの上に煙草を放る。煙草は落ちるとき、この上なく小さな彗星のように火花を散らしながら、光の曲線を描いた。

45-46頁

さすが詩人と言うべきか、聴覚と視覚がそれぞれに結ぶイメージの連鎖が、実に巧みですよね。音に促されて星空に目を移すと、思索はそこから一挙に「宇宙」規模の抽象にまで飛躍し、なおかつそれが言語的なものとして捉えられる。そしてふたたび、具体的な「僕の行為」に戻ってくるときにも、そこには宇宙を思わせる「彗星」の視覚イメージが重ねられる。聴覚的なものと視覚的なものとが自在に配置されることによって、あるいはそれらが大胆に重ねられることによって、非常に鮮やかなイメージを残す一節となっているのではないでしょうか。

この散文作品の魅力は、こればかりにとどまりません。先にもその書名を挙げた『20世紀ラテンアメリカ短篇選』(岩波文庫)は、いくつかの要素をもとに章立てが為された一冊なのですが、「青い花束」が収められているのは「多民族・多人種的状況/被征服・植民地の記憶」という項の下にです。詳しい内容に触れることは避けますが、ヨーロッパによって発見=征服された土地の記憶を、色濃く反映した一篇でもあります。

わかりやすい筋を備えながらも「詩」の水準で言葉が並び、なおかつ批評的読解にも耐える。たった6ページでそれを達成しているのですから、ノーベル賞を与えられるだけのことはありますよね。気になった方は、手にとりやすいこちらの文庫で「青い花束」だけでも読んでみてください。

▲ 野谷文昭編訳『20世紀ラテンアメリカ短篇選』、岩波文庫、2019年。

ノーベル文学賞の何がありがたいって、それにつづいて復刊・初訳・新訳が相次ぐことです。数年前、オルガ・トカルチュクペーター・ハントケの名前が同時に公表された際など、書店はちょっとしたお祭りだったような気がします。ハントケの作品でいちばん読んでみたかった『幸せではないが、もういい』の復刊は難しかったようなのですが、それを「もういい」と受け容れることも、ときに肝心なのかもしれません。

今年受賞したアニー・エルノーも、けっこうな数の作品が早川書房さんから刊行されています。アゴタ・クリストフの紹介で名高い堀茂樹さんが翻訳されているので、また書店に並ぶとよいですよね。既訳のあるものでは『場所』という作品が気になるのですが、「自伝文学の新たな境地を拓いた」「最高傑作」とされる『歳月(Les années)』も、ぜひ読んでみたいです。

来年は、誰が受賞するんでしょうか。

(新書の新人 江口)



▼ この記事で言及した外国文学の本です。
品切れのものは、高騰著しいですね。


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