熊代亨『何者かになりたい』|馬場紀衣の読書の森 vol.12
題名のとおり、「何者かになりたい」についての本である。ただ、先に述べておくと、この本を読んだからといって何者かになれるわけでも、何者かになったような気分になれるわけでもない。ましてや、たちまちアイデンティティが獲得できるとか、自分は何者でもないのだ、という悩みが解決することもない。あいかわらず「何者か」になるための問題は山積みだし、あいかわらず不満だらけの自分を生きて行くしかない。それでも、処方箋にはなると思う。
精神科医の著者は、「何者かになりたい」と「アイデンティティを獲得したい」はほとんどイコールであると指摘する。朝井リョウのベストセラー小説で、映画にもなった『何者』(2012)に代表される「何者問題」は、若者特有の悩みというイメージがある。ただ、自身のアイデンティティを揺るがされるような経験(たとえば離婚や子離れ、死別など)は大人にこそおおい。
「アイデンティティ」という言葉は、20世紀の中頃に心理学者エリクソンが有名にした。それ以前の人たちはアイデンティティなんて言葉を知らなくても生きていたし、今も自分が何者なのかを問題にすることなく生きている人はいる。エリクソンによると、人はとりわけ思春期(当時のアメリカでは就職するくらいまでの時期を指す)にアイデンティティの獲得を願うという。これを猶予期間(モラトリアム)と呼ぶ。
「何者かになりたい」「自分は何者でもない」と悩んでいるときは、自分に似合いのものや、人や、居場所を探すのに必死になっているから、頭のなかは自分のことでいっぱいの状態だ。一方で「何者かになるための取捨選択」を終えた人は、自分の外へ意識をむける余裕が生まれる。こうした延長線上にあるのが、男女関係であり、家族の存在なのだという。パートナーとの未来を築くこと、子どもの世話をするといった行動は生きるモチベーションになる。いつの時代も一人では生きていけないし、どの時代でも、人は他人から褒められたいし、認められたいし、やはり求められたい。
「自分は何者でもない」と悩む人はおおい。自分が「何者」であるかを問いつづけているなら、人と親密な関係を結ぶことが特効薬になるかもしれない。その瞬間、自分にようやく主役級の配役がまわってきたことに気づくと思う。