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頭木弘樹『食べることと出すこと』|馬場紀衣の読書の森 vol.21

いろんな意味ですっきりとした本だった。言葉の爽快感、とでもいうのだろうか。ものすごく大事なことが、ものすごく分かりやすく書かれている。もし食べることと出すことが奪われてしまったら、私はほんとうに困り果てて、かといって動くこともできないので、絶望するほかいったいなにができるだろう。

かいようせいだいちょうえんという難病に襲われた著者は、以来、食事とはいせつというあたりまえが、あたりまえにできなくなってしまう。潰瘍性大腸炎とは、大腸の粘膜に炎症が起き、潰瘍ができる症状で、患者数は20万人ほど。もっとも患者数のおおい指定難病だ。軽い炎症なら下痢ですむが、ひどくなると血便になり、悪化すると血ばかりでるようになる。

「粘液もたくさん出ているらしく、粘血便と呼ばれる。内臓が溶けて流れ出ているかのようだった」と著者は当時をふりかえる。そう聞いただけで、身体が非常事態であることは明らかで、腕が病院の公衆電話の受話器の重さに耐えきれず、風でよろめく身体は26キロも体重が落ちていた。しかも原因は不明。自己免疫反応の異常という説もあるが、まだよくわかっていないから、誰を責めることもできないし、恨む相手もいない。その辛さは、想像をぜっする。

頭木弘樹『食べることと出すこと』、医学書院、2020年。

それなのに、文章は柔らかく、ユーモアに富んでいて、語りかけるように優しい。心臓にぐっと力を入れながら、身を乗りだして読まずにはいられなかったのは、著者自身が「個人的な体験にすぎない」と語る闘病生活に、読者が自分を重ねずにはいられないからだろう。

なにも食べない、なにも飲まない。点滴だけで栄養を取りこむ日々が一ヶ月以上つづく。それから、感がやってくる。栄養不足による飢え、ではない、飢え。それは、身体の各部位から発せられた訴えだった。栄養は足りているのに、手持ちぶさたというように食べものを求める胃。なにかを飲みこみたいという欲求を示す喉。なにかを嚙みたがる、顎。味を求めてやまない、舌。こうこうぜんたいで、味がほしいと訴えている。

人間なんてそれだけのものなんだという虚無感であり、人間の活動の究極はこういうことなんだという根本の提示だ。
 しかし、それだけではないだろう。ここには力強さがある。苦しい状況でもなんとか生き残っていこうとする、たくましさが感じられる。
 食べて出すことには、生命力、生きる意欲、死なないしぶとさのようなものがある。一言で言えば、サバイバルだろうか。

触覚にたいしても敏感になるようで、頭髪を流れていく水のひと筋ひと筋が感じられるようになり、肌ざわりのよい服を選ぶようになる。着られる服が限定的であること、食べられる食べものが減ってしまうということは、「それだけ外界に対して拒絶的になってしまうということ」だと著者は語る。食べることは、物理的にも、精神的にも外の世界を受け入れることなのだ。そして受け入れることができる、ということは、それだけ自分のなかに喜びを取りいれられる、ということでもある。失った喜びを少しずつ取りもどしていく過程は、痛々しくも、希望に満ちている。



紀衣いおり(文筆家・ライター)

東京生まれ。4歳からバレエを習い始め、12歳で単身留学。オタゴ大学を経て筑波大学へ。専門は哲学と宗教学。帰国後、雑誌などに寄稿を始める。エッセイ、書評、歴史、アートなどに関する記事を執筆。身体表現を伴うすべてを愛するライターでもある。

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