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蜷川幸雄『身体的物語論』|馬場紀衣の読書の森 vol.6

演劇鑑賞が趣味でなくても、その名を耳にしたことがある、という人は多いと思う。にながわゆきは、日本の演劇史を語るさいに外すことのできない重要人物だが、実をいうと、その舞台を私は観たことがない。同時代を生きたからじゅうろう清水しみずくになどの舞台はいくつも見たが、蜷川さんの演出となると、なぜか緊張してしまう。そして、それがおそらく、テレビで目にしたことのある、役者に激しく声をかけるイメージと相まって、彼という人物をすこし警戒させていたように思う。つまるところ、舞台を観に行く前から、私は蜷川さんの圧倒的な存在感に容赦なく打ちのめされていたというわけだ。ふだん演劇をあまり観ない人にこそ読んでもらいたい、との目的で書かれた本書は、だから役目をしっかり果たしたといっていい。

自分の目で舞台を見たことがなくても、言葉を拾って読んでいるだけでも、発言の一つ一つに、激情がほとばしっているのを感じる。人が生きることの歓び、悲しみ、怒り、そうした人生の陰影を、蜷川幸雄は現代劇やギリシャ悲劇、シェイクスピアの古典など数多くの舞台のうえに描いてきた。そしてこの魅力的な人物は、ページの上では、圧倒的な力強さで読み手に迫ってくるのだ。それが言い難い読後感となって残る。

演劇における若者と老人の身体性。60年代から70年代の日本で語られた物語について。日本人とメディアの相関関係。作品についてのインタビュー。盛りだくさんのテーマを通して語られるのは、蜷川さんが日本人をどのように捉えているかということ、それが演出にどのように取り入れられているかについてである。ここに記録された生々しいまでに研ぎ澄まされた語りは、国内外の演劇界をけん引し続け「世界のNINAGAWA」と呼ばれた演出家の生きた証でもある。

それにしても、蜷川さんの言葉というのは、ぴんと張りつめていて、まっすぐだな、と思う。70年代の役者の身体を「皮膚感覚がデコボコ、ザラザラ」しているとか、「現実と自分の身体が触れ合うとやすりにかかったように血だらけになる」とか、「身体を鍛えている若者は多いけれど、それは世界と闘える身体ではない」とか。ここで語られる、戦える身体、というのはジャングルでも都市でも生き延びられる、あらゆる困難に耐えうる身体を意味している。

演劇についても、そっけない語り口でいながら、ぐさりと現実を突きつけてくる。「俳優の身体にマイクを付けることはしない。だって、それが演劇だから」と。

下世話な言葉や、匂い立つような表現が飛び交う、生ものとしての演劇に対して、ネットメディアに慣れ過ぎている人は免疫がないから、ウエーッと気持ち悪くなるかもしれない。でも、ぼくは断固、観客をウエーッと言わせたい。現実では紛争でだって殺人でだって、血がドクドクドクと流れている。それを隠ぺいするな。現実を直視しろ。演劇とはそれを突きつけるメディアなんです。

なんてことをこっそり、いや大声で暴露するような本なのだ。演出家・蜷川幸雄の潔い言葉にぞくぞくさせられっぱなしだった。

蜷川幸雄『身体的物語論』、木俣冬=構成、徳間書店、2018年。



紀衣いおり(文筆家・ライター)

東京生まれ。4歳からバレエを習い始め、12歳で単身留学。オタゴ大学を経て筑波大学へ。専門は哲学と宗教学。帰国後、雑誌などに寄稿を始める。エッセイ、書評、歴史、アートなどに関する記事を執筆。身体表現を伴うすべてを愛するライターでもある。


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