見出し画像

タイ人は保守的なのか新しいもの好きなのか、結局どっち?|「微笑みの国」タイの光と影 vol.28

【お知らせ】本連載をまとめた書籍が発売されました!

本連載『「微笑みの国」タイの光と影』をベースにした書籍『だからタイはおもしろい』が2023年11月15日に発売されました。全32回の連載から大幅な加筆修正を施し、12の章にまとめられています。ぜひチェックしてみてください!

タイ在住20年のライター、高田胤臣がディープなタイ事情を綴る長期連載『「微笑みの国」タイの光と影』。
今回は、コロコロと移り変わるように見えるタイ人の日々の興味関心がテーマです。食の好みや人間関係、外国人に対する意識は保守的に見えるタイ人ですが、新しいものをサクッと取り入れるスピード感もあります。いったい新しいもの好きなのか保守的なのか、タイで長く暮らしてもわからなくなるそう。ただ、この矛盾した性質は、裏の裏をかくようなしたたかさと、自信満々でさっぱりした気質というタイの魅力にもつながっていて……

これまでの連載はこちらから読めます↓↓↓


外国人の観光客はいいが在住者は嫌い?

 ボクの見てきた経験からいうと、タイ移住が続くか否かの最初の壁は3ヶ月目にあると思う。タイに慣れてきて、生活も落ち着いてきたときに、急にタイが嫌になってくる瞬間がある。タイ在住外国人の多くはタイでの暮らしが長ければ長くなるほど、タイが嫌いな時期と好きな時期が交互にやってくるのだ。ほかの国の長期滞在者にこういう症状はあるのだろうか。少なくともタイではこういう波に翻弄される人が少なくない。好きなときはタイ人がいい人に見え、タイ料理もおいしく、タイに暮らせていることを幸せに感じる。だが、嫌になっている期間はなにもかもが悪く見えてしまう。

 この嫌になる期間が最初に訪れるのがたいてい、暮らし始めて3ヶ月である。ちょうど観光ビザ以外の長期滞在ビザの最初の期限が3ヶ月なので、このタイミングでタイを去る人もいるくらいだ。なにが嫌になるのかというと、とにかく日常の些細なことがストレスになってくるのが大きい。

 たとえば、タクシーが道を知らない、買いものをしたときに財布に1000バーツ札(日本でいう1万円札)しかなくてこちらが悪いように扱われる、といった、日本では絶対に起こらないことが意外とじわじわあとから効いてくる。観光で訪れているならそういう目に遭っても「タイっておもしろい」といった感想で済むが、これが日常になるとイライラしてくる。

 いつもニコニコしていた近所の屋台のおばちゃんが急に不愛想になることもある。ボクの場合は、通っていた麺屋台がそれまで20バーツだったところ、急に35バーツに値上げされた。金のある外国人には外国人料金を適用するわけだ。向こうも最初のうちは珍しい外国人客を喜んでいたものの、慣れてきたらタイ人と同じ値段にしていることがばからしくなったらしい。

 こうなっては、その店は行かなくなる。値上げされなければ毎日通っただろう。別に相手が外国人であろうが20バーツのまま売っておけば多少の儲けにはなると考えそうなものだが、タイ人の商い人はそうは思わない。売りたくない人には売らないし、来なくなったところで気にもならない。

最近は時代も変わって屋台でも値札が掲示される。ぼられない反面、値切りができない。

 タクシーを見てもその気質がわかる。バンコクのタクシーはよく、渋滞している一本道でも乗車拒否をする。乗せていれば多少でも金が入るし、乗せなくたって結局同じ場所に行くのだから、拒否する意味がわからない。しかし、彼らには彼らの論理がある。空港タクシーやバーでボッタクリが一向になくならないのも、ある意味では同じ論理が根底にある。

 タイ人は全般的に、観光で来る外国人にはよくするが、長期滞在外国人は嫌いということなのだろうか。ビザに関しても、タイは20年前と比較してかなり厳しくなった。金もなくダラダラ過ごす不良外国人を一掃するために厳しくなったといわれる。タイ政府としては、金を落とさない外国人はいらないわけだ。まあ、政府がそう考えるのはわからなくもない。とはいえ、別にそこまで利害関係のない一般のタイ人までも、金払いのいい金持ち以外に外国人はいらないのだろうか。

 結論からいうと、タイ人はそういうニュアンスではないと思う。商売人は確かに金をできるだけ取ろうと働いているわけで、しかも日本の小売りや飲食業界と違って「買ってもらっている」立場ではなく、「売ってあげている」スタンスだから、値上げしたいときに値上げするのは当然のこと。特にこの連載で何度も書いてきたようにタイ人は外国人を低く見る傾向にあるので、人間関係のしがらみの中にいるタイ人に値上げを要請するよりは、嫌われてもなんとも思わない外国人の値段を上げておこうというわけだ。

 だから、外国人を嫌っているわけではなくて、特になにも考えていないのである。この込み入った事情が3ヶ月程度の滞在ではまだ理解できないので、新しく移住してきた人はちょうどこのタイミングでタイが嫌になってきてしまう。

 ボクが中学生のころだったか、英語の授業に欧米人の臨時教師が来たことがあった。最初は「外国人が来た!」と生徒たちは沸いたものだが、数日もすれば慣れてなんとも思わなくなる。タイ人もこれと同じで、とりあえず外国人相手だからニコニコしていたけれど、慣れてきたからわざわざ微笑むこともないという程度の感情の変化なのである。それが不愛想になったように映るわけだ。

このような観光時とは異なるタイ人の対応は多くの長期滞在者が通る道なので、すなわちありふれた事象であり、タイ人のひとつの気質とも解釈できる。タイ人の昔からの行動・行為のひとつで、彼らにこれが悪いことだという認識はない(もちろん、ボク自身も別に悪いといっているわけではない)。ある意味ではタイ人がずっと変わることのない、変えることのない部分であって、ボクからするとある種、保守的な一面なのかなと思うのである。

よく見かけるタイ人と外国人の国際結婚は案外少ない

 移住したばかりのころで、結婚前のこと。夜のお店に勤める女性の実家を何軒か見に行ったことがある。そのときに感じたのは、タイ人は実に寛容で、外国人を受け入れる先進的な気質がある、ということだった。当時日本人と外国人の婚姻が日本国内では今ほどなかったからだ。

 しかし、よくよくタイで暮らしてくると、案外にそうでもないことに気がつく。今現在でもタイには日本人の長期滞在者が世界的に見ても多いのに、日本人とタイ人の婚姻はほとんどないといっていいレベルで少ない。ボク自身が国際結婚組なので普通に感じていたが、実はタイ人と結婚する日本人は相当珍しいのだ。

 そもそも、外国人と交際したり、結婚することをタイ人もそれほど望んでいない。近年は日本も国際結婚が増えている。タイは90年代や2000年代初頭には外国人との婚姻が、少なくとも日本よりは多かったように見えた(入籍するかしないかは別で、内縁で婚姻関係を結んでいるケースも含めて)。ボク自身もタイ女性と交際する中で、日本人よりも外国人を受け入れてくれる気質だと思っていたが、これはタイ全土から見れば特殊なケースだった。

 たとえば、今は分散されているが、かつては東京だと六本木などが外国人の遊び場で、そこで日本人女性とカップルになるケースも多々あったろう。しかし、そこだけを切り取って、日本人女性が外国人男性と交際・結婚したがっていると考えるのはおかしいのと同じだ。普通に考えれば日本国内に一番多い男性は日本人で、日本人同士が知り合う確率の方がずっと高いのだから。

 そう考えると、タイ人女性の実家で家族・親族がボクに対してニコニコしていたのは、単に典型的なタイの微笑みだったのだろう。いきなりタイ語ができる外国人がやってきて、戸惑っていたにすぎない。もしかしたら「この日本人は金持ちで、娘が結婚したらラッキー」みたいな打算もあったかもしれない。外国人だからと屋台が値上げをしてくるのは「コイツを失っても構わない」という気持ちがあり、それは長い目で見ない短絡的な思考で、その打算もこの考え方に似ている。

 もし娘が連れてきた相手がタイ人の金持ちだったら、おそらく彼らは娘を結婚させるかどうか真剣に悩むに違いない。裏があると考えるはずだからだ。逆にいえば、外国人なら簡単に結婚を考えるのは、(あるかないかは不明なのに)目の前の男の資産に舞い上がっているからだ。結婚そのものをどう捉えるかまでの思慮が足りていない。たとえ相手が外国人であってもタイ人富裕層と同じようにタイ社会におけるなにかしらのしがらみがあれば、間違いなく安易に結婚させないだろう。

 ここまでの話は一般的な水準の、中流層のタイ人世帯に外国人が現れたケースだ。今は変わったかもしれないが、少なくともボクが体験した時代はまだ、日本人は金持ちというイメージがあった。いずれにしても、社会的階層が違う人の交際はタイでは起こりえないので、金持ちが貧困層の娘をくださいと頼みに来るなんてことはない。だから、外国人の金持ちが来ると「逆転勝利があるかも?」と夢を見てしまう。

 結婚相手がタイ富裕層となると、ちょっと話が違う。外国人イコール金持ちという幻想や期待がないので、自分たちの身分に相当するかどうかをしっかり吟味する。タイ富裕層の金持ちレベルは日本のそれとはかなり異質なので、そう簡単に外国人がお眼鏡にかなうことはないのだが。結局、富裕層であれ一般層であれ、本質的には外国人は好まれないのが現実だ。

外国人はタイ社会においては「外」の人であり、我々日本人が一般的に思う「外国人」という存在以上に遠くにいて、まるで想像のつかない人たちというのが本当のところなのかなと感じる。根っこの部分で彼らは心を開いていないので、遠い人を理解するほど暇ではない。タイ国内の複雑な人間関係をあしらう方がずっと忙しいのだ。タイ人は特に家族を大切にするし、大切なあまり部外者は敵か石ころと同じような存在と認識する。そんな中で、得体のしれない外国人との結婚なんてそう簡単に受け入れられない。

 10年以上前、前職の会社員を辞めてライターになったとき、ビザを切り替える必要があって、ラオスの首都ヴィエンチャンにあるタイ大使館に行った。タイの隣ということもあって、ほかの大使館よりもずっとたくさんの外国人がここにビザを取りに来る。中にはタイ政府が嫌っている不良外国人もいた。そのころはパタヤの不動産投資にロシア人が大量に押し寄せ、そういった連中が遊びがてらヴィエンチャンに来ていたようで、ビールを飲みながらビザの申請をしていた。そのとき、その場に富裕層と見られる初老のタイ女性がいた。職員ではなく一般の人だったのだが、なにをしていたのかはわからない。とにかく、そのロシア人たちを指し彼女は「タイを侮辱している! 許せない!」と怒鳴り散らした。タイ語だったのでその場のほとんどの人がぽかんとしていたけれど。

 その女性のいわんとすることもわからなくはない。ただ、ボクが思ったのは「タイ人はやっぱり保守的な人が多い」ということだ。公共の場でビールは確かに紳士的ではない。そもそも飲食禁止だったのでおかしいのだが、別にロシア人もタイを侮辱しているわけではなかろう。「禁止事項を破っている!」と怒るならまだしも、「タイを侮辱している!」とは被害妄想でしかない。単にその女性が外国人を全般的によく思っていない気持ちが言葉になっただけのような気がした。

 これがタイ人の一般的な外国人に対する見方なのではないか。外国人、すなわち外の者を根本的には受け入れがたい気質があるのではないか。多民族国家で、家族という単位が最も信頼できる集団となり、そのメンバーを守っていくには外からの者を拒むことがまず大きな手段になろう。こうなると多様な面で保守的にならざるを得なくて、全体的に保守的になる。人間、誰しも変化を恐れるものだ。しかし、大切な仲間を守るにもまた保守的になっていく。仏教が昔ながらにしっかり定着していて、敬虔な仏教徒が多いのもまたこういったタイ人気質があるからではないだろうか。

トラクターなのか発電機のエンジンを載せて自作したトラックを造るわりには性格は保守的なタイの田舎の人。

電子マネー化が進むくらい新しいことにも積極的

 ボクは、タイ人の根本が保守的だと思う。タイに来たことがある人だと、そうかなと疑問を抱く気持ちもあるだろう。街中を歩いていると、日本よりずっと進んでいる面も少なくないからだ。

 たとえば電子マネーだ。いわゆるキャッシュレス化がタイは日本よりもはるかに進んでいる。確かに日本の『スイカ』などは電車もバスも乗れる、コンビニでも使えるで、かなり便利ではある。バンコクだと地下鉄とスカイトレイン、高速道路も運営元によってプリペイドカードが違うので不便であるものの、むしろタイは個人店であるほどキャッシュレス化がすさまじく、銀行口座に金が入っていることが前提ではあるが、財布に現金がなくても気にせず食事や買いものに出かけられるようになっている。

 これはタイ政府が推進してきた仕組みがうまくいっているからで、銀行をはじめ認可制でスマートフォンのアプリが開発されて浸透した。さまざまな支払い、送金が自由にできる。タイ人はこのシステムにすっかり乗っかって、各種電子マネーのアプリを使えないとダサい人扱いされるほどである。日本だと老人は年齢を理由に乗り遅れることがよくあるが、タイではQRコードなんかを老人だって使いこなしている。

屋台でもQRコードから銀行アプリに接続して支払いが可能になっている。

 根本の気質が保守的ではあるものの、このようにタイ人はわりと新しいものに飛びつく習性もある。大昔でいうと、鉄道や自動車もそうだ。タイでは1800年代に鉄道敷設が開始されているが、これはタイ王族が蒸気機関車に興味を持ったことが始まりだとされる。そして、英国やドイツの技術者を招聘して鉄道敷設計画が始まった。車も同じで、実はアジア人初のF1レーサーはタイ人である。日本自動車連盟(JAF)のような団体もタイの方が歴史が長い。

 唯一、食に関しては保守的で、なかなか新しいものを受け入れない。しかし、スマホの普及と同時に、自己肯定感の高いタイ人にSNSが異様にマッチして、いわゆる”映える”写真を投稿するため、いろいろな国の料理を食べるようになった。結局、これもスマホという新しいものがタイにやってきて、受け入れられたことが影響している。今やタイのスマホ普及率は日本よりも高いとされる。日本の場合は日本の携帯電話メーカーが日本だけのルールで日本人を囲ってしまったことで世界の流れに乗れず失敗したが、タイはこれらの開発技術がなかった分、世界の潮流に乗るしかなく、それがスマホ普及に大きく影響したとはいえる。

 エンターテインメントの世界でいえば、日本も同じだが韓国ポップス(K-POP)がやはり強い。もちろんこれは韓国の戦略が大きいのだが、タイでは日本よりも早く受け入れられた印象がある。2000年代初頭はタイの有料放送の音楽番組でアジアン・ミュージックといえば日本歌謡が普通だったが、2010年ころにはほぼすべてが韓国芸能に移っていた。ドラマや映画も中国ものが一番多かったが、今や韓国ドラマが主流だ。

 K-POPは日本人メンバーを抱えるガールズグループもあって、日本人には日本人メンバーが注目されるだろう。しかし、ボクの印象としては、それは社会現象ほどではない。一方、『ブラックピンク』というK-POPグループにリサというタイ人がいる。ほかにも数名、タイ人が韓国芸能界で活躍しているのだが、とりわけ彼女の人気は異様だ。数社の広告塔をひとりでこなし、一挙手一投足に数多くのタイ人が注目している。それくらい、タイ人は何かに没頭する傾向にある。

 没頭といえば、日本でいうオタクもタイ人に増えている。アイドルやコスプレ、アニメあたりが人気で、当たり前といえば当たり前なのだが、その知識はものすごい。たとえば日本にはメジャーなメディアには出ない「地下アイドル」と呼ばれるアイドルたちがいるが、こういったアイドルの情報がタイ人オタクの間で、日本のアイドルオタクとほとんどタイムラグがない状態で流れている。日本では地下アイドルという文化は、メジャーなアイドルの歴史が熟されて辿りついた末のものなのに、タイではそういった系譜をすっ飛ばして、日本の地下アイドルがオタクに浸透してたりする。これもまた、日本の新しい文化を吸収した一例で、こういう面を見るとタイ人が保守的とは到底思えない。

韓国焼肉が完全にタイ化した『ムーガタ』。保守的なのに受け入れると独自文化になるのは日本に似ている。

飽きれば終わりだが定着すると長い

 とにかく新しいものに飛びつくわりに、次々に新しいものが出てくる世界なので、飽きるのが早いという面もある。根本が保守的なので、タイ人の気質に親和性がないと驚くべき速さで捨てられてしまう。

 先の例に出した鉄道も、結局タイ人の気質や生活に合わなかったと見られ、飽きられてしまったものの歴史的代表例だ。さすがに敷設に金がかかっているし、王室の意向もあったためなくなってはいないものの、どう見てもこれ以上発展しない。1897年に鉄道が開通したが、その後数十年でほぼ今と同じ鉄道敷設距離に達している。そこから全然発達しないし、給料も高くないために就職先として人気もない。

タイ国鉄が大きく発展するとすれば、中国と組んでラオスの新幹線とタイの線路を繋げることではないか。

 他方、タイ人に気に入られたらすっかり受け入れられる。たとえば、タイの伝統菓子というとココナッツプリンなどと訳されたりするモーゲーン、日本の鶏卵素麺に酷似しているフォイトーンなどがある。フォイトーンは鶏卵素麺に酷似どころか、実は元は同じものだ。というのは、モーゲーンもフォイトーンも、そして日本の鶏卵素麺もポルトガルの菓子が原型といわれる。これらはポルトガル菓子を参考に、タイの食材、タイ人に向いた味つけで作られたもの。日本の江戸時代のころ、アユタヤ王朝に仕えていた日系人とされるタオトーンギープマー女史がレシピを作り上げた。これらが今やタイの伝統菓子となっている。

ちょっと出来が悪いが、日本の鶏卵素麺と同じフォイトーン。
日本はとっくに撤退している『デイリークイーン』もタイでは完全に浸透している。

 先にも書いたようにSNSのタイ人との親和性もすごい。タイ人は本当に自分が大好きで、みんな自信を持っている。日本人ももっとこの気質を見習うべきだが、とにかく芸能人くらいしかやらないようなポーズや構図で自分の写真を撮り、それを堂々公開する。それもあってタイ人は日本以上にフェイスブックの利用者が多く、近年は飲食店などはホームページをわざわざ作らず、フェイスブックのページをホームにする。このあたりも日本人の使い方とは大きく違うのではないか。そして、今でもタイではフェイスブックの利用者が多い。

保守的ではあるけれど、新しいものが好き。気に入ったらずっと使うけれど、合わないと感じたら改善することなくすぐにポイっと捨てる。これまでの連載でも触れたことがある、タイ人は合理的な一面があるというところは、実はこういう性格から来ているのかもしれない。

人間関係においては絶対に保守的だ。今の政治問題を見ればわかる。今の政治騒乱の原因でもあるタクシン・チナワット氏を嫌い、その後の選挙でも結果無視でなりふり構わずごねているのはインテリを気取る保守派だ。保守派は世界にどう思われようが、生理的というか気質的にタクシン派が受け入れられない。これもまたタイ人の一面なのだ。しかし、逆にいうと受け入れられたら我々だって彼らにとって「内」の人間になるので、そのときの扱いはまた違う。

 ある意味、タイ人は合理的であり、かつ自分の本性に正直というか忠実な性格なのだ。頭がよくて、裏の裏をかくような、そんな怖さがあるけれども、よくいえばさっぱりしているのである。だからなのか、政府や企業にトップダウンな裁定や実行をするパワーがあって、もはや日本の企業よりも強い一面を持つに至っている。こういうところもまたタイ人の魅力で、日本人の遠慮をしてなかなか物事が進まない面倒さがないから、タイを好きになる日本人があとを絶たないのかと思う。

書き手:高田胤臣(たかだたねおみ)
1977年5月24日生まれ。2002年からタイ在住。合計滞在年数は18年超。妻はタイ人。主な著書に『バンコク 裏の歩き方』(皿井タレー氏との共著)『東南アジア 裏の歩き方』『タイ 裏の歩き方』『ベトナム 裏の歩き方』(以上彩図社)、『バンコクアソビ』(イーストプレス)、『亜細亜熱帯怪談』(晶文社)。「ハーバービジネスオンライン」「ダイアモンド・オンライン」などでも執筆中。渋谷のタイ料理店でバイト経験があり、タイ料理も少し詳しい。ガパオライスが日本で人気だが、ガパオのチャーハン版「ガパオ・クルックカーウ」をいろいろなところで薦めている。

この連載の概要についてはこちらをご覧ください↓↓↓


光文社新書ではTwitterで毎日情報を発信しています。ぜひフォローしてみてください!