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「編集者受け」を盲信してはならない ――エンタメ小説家の失敗学24 by平山瑞穂

過去の連載はこちら。

平山さんの最新刊です。

第5章 「編集者受け」を盲信してはならない Ⅰ

「ぜひわが社でも」

 ヒットにこそ恵まれなかったものの、僕は概して、編集者からの覚えはめでたいタイプの書き手だったと思う。売れたかどうかにかかわらず、編集者に作品をおもしろいと思ってもらえる確率は比較的高かったということだ。だからこそ僕は、少なくともある時期までは、名だたる出版社から続々と声をかけてもらえ、長篇作品を年に二作・三作というペースで継続的に発表することができていたのだ。

 その時点ではめざましい業績がなくとも、すでに刊行されている僕の作品を読んで、「こういう作品が書ける人なら、自分がディレクションすればもっと売れるようになるかもしれない」という期待を抱いて、彼ら・彼女らは僕に声をかけてくれたのだと思う。

 そして翻って考えてみると、編集者たちが最初に僕に注目するきっかけとなった作品は、ごくかぎられている。ひとつは『ラス・マンチャス通信』だ。これは受賞作であり、デビュー作でもあるため、注視されるのは当然といえば当然なのだが、一応少しは売れた二作目の『忘れないと誓ったぼくがいた』よりも、こちらのほうが取っかかりとしてははるかに強力だったという点は興味深い。露骨に売れ線を狙っていただけに既視感があったであろう『忘れないと……』よりも、得体の知れない『ラス・マンチャス通信』のほうが、インパクトがずっと強かったのだろう。

『ラス・マンチャス通信』を読んで「ぜひわが社でも」とオファーを提示してくれた編集者は、前章で触れた小学館のMさんを含めて、計一〇人いる(版元としては八社。一部は、同じ社内で部署が違っていた)。これは、ちょっと無視できない数だと思う。結果として立ち消えになってしまったケースも含んだ数だが、本そのものは売れなかったわりに、その後のいくつもの仕事に結びついたという点では、このデビュー作も大きな貢献を果たしているのだ。

 もうひとつ、他社での仕事を派生させるという点で小さくない働きをしたのは、二〇〇八年三月に実業之日本社から刊行された六作目の長篇小説、『プロトコル』である。この作品で僕に注目し、声をかけてくれた編集者は三人いて、いずれも女性だった。ついでに言うなら、この小説は少なくとも二人の書評の書き手の篤い支持を獲得することができたのだが、その二人も女性(ライターの瀧井朝世さんと、書評家の大矢博子さん)である。

 女性(この場合はプロフェッショナル)からの支持が特に多かったのは、理由のないことではない。『プロトコル』の一人称の語り手は、二七歳の「有村ちさと」という女性であり、このキャラクターの特異な語り口や性格などが、一部の同性からの熱いコールを浴びる結果になったのだ。

 そして実をいうと、この『プロトコル』自体、『ラス・マンチャス通信』をきっかけとして生まれた作品だった。実業之日本社の担当編集者は、当初、こういうオファーを持ちかけてきたのである。

「平山さんの作品では、やはり『ラス・マンチャス通信』の主人公の、どこか閉塞したような視点で描かれる世界にいちばん魅力を感じます。あれと似た意味で、主人公がなにか特定のものに執着して、じっと観察する中でなにかが起きてくる――そんな作品を書いていただけないでしょうか」

『ラス・マンチャス通信』の語り手〈僕〉は、なにごとも理路整然と克明に語りはするのだが、どことなく、視野狭窄を起こして肝腎なものが見えていないかのような印象を与える語りを展開している。冒頭に登場する〈アレ〉なる存在の描き方からしてそうだ。〈僕〉は、〈アレ〉が何をしたかについて逐一ことこまかに描写する一方で、その〈アレ〉が自分にとってどういう関係にある存在なのかは、ひとことも説明していない(第1章で述べたとおり、それは実際には〈僕〉の、同居している兄なのだが)。結果としてそれは、「この人物の語っていることをどこまで信用していいのか」という不穏な感覚を、読者にもたらしているはずだ。

 実業之日本社の担当編集者が僕に求めたのは、まさにその不穏さだった。そのリクエストに対して僕は、有村ちさとというキャラクターを創出することで応えた。このキャラクターの特徴をひとことで説明するのはむずかしい。それよりは、本人の語り口を一部、例示するほうが手っ取り早いだろう。以下は、『プロトコル』の冒頭部分である。

  モント・ブランク、という謎の音に、子どもの頃のわたしは取り憑かれていた。
 取り憑かれていた、と言うのは大げさかもしれない。でもそれは、ふと気を緩めたときなどに、たいへんな頻度でわたしの頭の中に去来する音だった。お風呂に入って、湯槽でぼうっとしているとき。授業中、メリハリに欠けた先生の話に飽きて、意識が教科書から離れて天井のあたりに漂い出したとき。そういうちょっとした心の隙を突いて、その謎の音はくりかえし、あつかましくもわたしの意識の中に一定の位置を占めた。

  この「モント・ブランク」という謎の音は、実はちさとが少女時代、よく出入りしていた父親の書斎で見かけた、“MONT BLANC”すなわち万年筆のメーカー「モンブラン」のインク壺に書かれていた文字を、フランス語とは知らずに頭の中で勝手に英語読みしていたものだったと判明する。それが記憶のどこかに残っていて、思いもかけぬタイミングで意識の表層に浮かび上がってきていたのである。

 ここから話は、翻訳家として名をなしていながら、あてのない海外放浪の旅に出たきり行方知れずとなっている父親から、ちさとが幼い頃からいかにして英語の英才教育を受けてきたかというところに飛び火するのだが、その影響もあってちさとは、ローマンアルファベットで書かれたものなら、広告であれ、商品のロゴやイメージコピーであれ、つい反射的に目を通してしまい、そこに含まれる数々のスペルミスや文法ミスを容赦なく槍玉に挙げてしまう。

 文字列に対するそうした特異な性癖(見方を変えれば、それは「能力」でもある)を買われ、勤務先のネット通販大手、株式会社ヴィヴァンでシステム管理部に配属されたちさとは、社内の派閥争いに巻き込まれ、自分でも気づかぬうちに、幹部社員の一人を懲戒解雇に追いやる謀略に加担してしまう。結果として逆恨みされたちさとは、解雇された社員による報復の対象となり、大規模な個人情報漏洩事件に当事者として関与してしまうことになる――。

「期待を上まわるおもしろい作品」

『ラス・マンチャス通信』的なものを求められて書いた小説が、女性を語り手とする、ミステリー風味もあるこのような「お仕事小説」になったのは、自分でも思いがけないことだったのだが、担当編集者は、「期待を上まわるおもしろい作品」と絶賛してくれたし、先述のように、刊行後はプロフェッショナルな女性たちの支持を得ることもできた。

 彼女たちには、きまじめで理屈っぽく、四角四面なちさとの語り口が、あまりにもきまじめすぎるがゆえにかえってどこか抜けていて、それがユーモラスで「かわいい」と好評だったようだ。一方でちさとは、人間関係に関しては不器用で、「会社には恋人を探しに来ているのではない」とうそぶいて、出勤時の服装は常にビジネススーツの一択、異性に対しても異様にガードが硬い。その様子にはどことなく、ASD的な発達障害の気も感じられるのだが、それも含めて、このキャラクターは非常に愛される存在となった。(続く)

 

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