5:文学、映画、マンガ……「音楽以外」にパンク・ロッカーはこんな文化を摂取した——『教養としてのパンク・ロック』第26回 by 川崎大助
過去の連載はこちら。
第3章:パンク・ロックの「ルーツ」と「レシピ」とは?
5:文学、映画、マンガ……「音楽以外」にパンク・ロッカーはこんな文化を摂取した
フランス象徴派の詩人たち
初期パンク・ロックの一部には文学からの影響がかなり大きい。言うまでもなく、代表選手はまずパティ・スミスだ。2016年、ボブ・ディランのノーベル文学賞授賞式の代役を本人指名でやらされて、彼の名曲「ア・ハード・レインズ・エイ・ゴナ・フォール」を、すさまじい緊張感でがちがちになりながら彼女が歌っていた光景は記憶に新しい。
そんなスミスが属していたニューヨークのパンク・シーンにおいて、最も人気が高かったのが――すでに書いたとおり――19世紀のフランス象徴派の詩人たちだった。アルチュール・ランボーの名を、ここまで幾度僕は記したことか(このあともまた出て来る)。だからもちろんボードレールはかの地で愛されたし、ヴェルレーヌも崇拝された。テレヴィジョンのトム・ヴァーレインが芸名として採用してしまうほどまでにも(ヴァーレインとはヴェルレーヌ〈Verlaine〉の英語読みだ)。
デラウェア州はホッケシンにある私立の進学校に入学したトーマス・ミラーは、そこでリチャード・マイヤーズと意気投合し、親交を深める。音楽や詩への興味、嗜好性が近かったからだ。のちに2人はニューヨークに移住。「ボブ・ディランのように」アーティスト・ネームを考える。ここでミラーは「ヴァーレイン」に、マイヤーズは「ヘル」になって……そしてこの痛がゆい「少年っぽい思いつき」を胸に、同地パンク・シーンの礎となるバンド活動を始めることになる。彼らの友情から、ネオン・ボーイズが生まれ、そして、テレヴィジョンも生まれた(が、ほどなくして離別)。
トランスグレッシヴ・フィクション
小説はどうか。いわゆる「トランスグレッシヴ・フィクション」とパンク・ロックの親和性の高さは、よく指摘される。トランスグレッシヴ(Transgressive)とは、この場合は「超規範、反道徳」といったような意味だ。主人公なり主要人物なりが、社会規範などに馴染むことができず、「まともではない」方法でそこから解放されていこうとする――そんな小説を指す文芸用語で、ロサンゼルス・タイムズ紙の文芸評論家マイケル・シルヴァーブラットによって定義された。そもそものこの概念の出どころは、フランスの歴史学者・哲学者のミッシェル・フーコーが、哲学者にして作家のジョルジュ・バタイユの死の翌年の63年、雑誌『批評』に寄稿した追悼文「侵犯行為への序言(Préface à la Transgression)」に端を発するとされている。フーコーによるバタイユ『眼球譚』への評価のなかに「トランスグレッシヴ・フィクション」の原型があった。
だからたとえば(もちろん)アンソニー・バージェスの『時計じかけのオレンジ』のようなストーリーも、見事に「トランスグレッシヴ」だということになる。パンクスがこの系統の小説を実際どれほど読んでいたかはさて置いて、作品から、あるいはアーティスト本人の佇まいから、トランスグレッシヴ小説の「現実化版」を見てとった人は世に多かった。
このカテゴリーのなかで「パンクと通じる」ような連想が成り立つ作品は『時計じかけ』だけではない。ざっとその代表例を挙げてみると――マルキ・ド・サドからロートレアモン、19世紀のイギリス・ゴシック文学各種、オスカー・ワイルド、ジェームズ・ジョイス『ユリシーズ』、戦後アメリカのビート文学、そしてなによりウィリアム・S・バロウズ『裸のランチ』やヒューバート・セルビー・ジュニア『ブルックリン最終出口』、J・G・バラードのディストピア系SF小説各種……といったところだろうか。こうした小説群と、パンク・ロッカーが生み出した各種表現には、どこか相通じるところがある、とされた。そしてポストパンクの時代になって、その関連性はより顕在化して、音楽作品として具体的に提示されるようになる。
しかしたとえば、ジョン・ライドンに言わせると『時計じかけのオレンジ』からピストルズが影響を受けた、なんて見方は「とんでもない!」とのことで、「俺たちのポリシーは、みんなで同じ格好をして、同じ人間になることじゃない」として、キューブリックが映像化したあのギャング・スタイルをにべもなく否定。「俺たちはむしろグレアム・グリーンの『ブライトン・ロック』のピンキーとその仲間に近かったはずさ」と述べている(『STILL A PUNK ジョン・ライドン自伝』より)。
『第三の男』ほかでよく知られる、20世紀イギリスを代表する国民的作家のひとり、グレアム・グリーンが1938年に発表した長編小説が『ブライトン・ロック』で、これをライドンは好んでいた。主人公のピンキーは、ライドン同様にカトリックの家庭に育った17歳の不良少年。いつもカミソリと硫酸で武装している彼は、あるとき殺人を犯してしまって……というスリラーだ。このピンキーに、ライドンはよく自分自身をなぞらえていた。もっとも他者からは「ディケンズの小説に出てくるようなキャラクター」こそがジョニー・ロットンなのだ、という評も多かったのだが。さらにライドンは、オスカー・ワイルドや詩人のテッド・ヒューズも好んでいた。
「パンクの精神のもと」書かれた小説群
ストレートな「パンク文学」、つまりパンク・ロック的な精神のもとで書かれた文芸作品という観点でいうと、まず最初に、ニューヨークはマンハッタン、ロウワー・イースト・サイド生まれの、一種の神童、ジム・キャロルの名を挙げるべきだろう。詩作によって頭角をあらわした彼はアンディ・ウォーホルの元で職を得たのち、78年に回顧録『マンハッタン少年日記(原題:The Basketball Diaries)』を上梓。ドラッグにまみれたティーンエイジャーのニューヨーク青春ストーリーが衝撃を呼んだ(95年にレオナルド・ディカプリオ主演で映画化された)。同じ78年、キャロルはパンク・ロック・バンドもスタートさせる。80年発表のジム・キャロル・バンド名義のシングル曲「ピープル・フー・ダイド」が、映画『ザ・スーサイド・スクワッド』(21年)に使用されたことによって再発見され、広く人気を集めたことは記憶に新しい。
とはいえ「パンクの精神のもと」書かれた小説群は、当たり前だが「パンク・ロック通過後」にこそ本格化した。トランスグレッシヴ系統ならば、まずキャシー・アッカーの諸作、とくに『血みどろ臓物ハイスクール』、ダグラス・クープランドの『ジェネレーションX』やチャック・パラニュークの『ファイト・クラブ』ほかの諸作、『トレインスポッティング』のアーヴィン・ウェルシュ諸作などが、パンクの血を引くものと評された。そしてなにより、その名のとおり、ウィリアム・ギブスンやブルース・スターリングがトップランナーとなった「サイバーパンク」SF小説およびその関連文化のかなり広い領域は、パンク・ロックがなければ、影も形もなかった可能性が高い。
また『ウォッチメン』などで著名な、巨匠にしてカルトな英コミック作家(原作者)アラン・ムーアも、パンクとの距離が近い。さらにムーアは「元祖ゴシック・ロック」である同郷ノーサンプトン出身のバンド、バウハウスのメンバーとの交流でも知られている。
コミックからの影響
文学ではなく、コミック(マンガ)からのパンクへの影響もかなり大きかった。ジョニー・ラモーンのコミック・マニアぶりは有名だ(コミックのロゴTばかり着ていた時期があるそうだ)。それからニューヨーク・ドールズのあとハートブレイカーズを結成し、パンク界隈で一躍人気ギタリスト/シンガーとなったジョニー・サンダースも、マンガ的人物だ。彼のこの名も芸名なのだが、直接的にはザ・キンクスの68年のナンバー「ジョニー・サンダー」に由来している。そしてこの曲を書いたレイ・デイヴィスは、歌の主人公である「イケている」ジョニー像を、革ジャン・バイカー映画の古典である『乱暴者(The Wild One)』(53年)のマーロン・ブランドをイメージして書いたそうだ。さらにこの名前(ジョニー・サンダー)そのものにも引用元があって、DCコミックのスーパーヒーローがまず世に知られていた。1940年以来、いろんな形で幾度もコミック・ブックに登場していたから、デイヴィスはキャラクター名をここからいただいた可能性が高い。もっとも、50年代から活動するアメリカ人ソウル・シンガーの芸名である「ジョニー・サンダー」というのもあった(63年にヒットした「ループ・デ・ループ」が有名)。だから、こっちからなのかもしれない(あるいは、こっちのサンダーとキンクスの両者ともに、大元はコミックからの引用かもしれない)。いずれにせよ、ジョニー・サンダースには、文化上の親戚もしくはクローン仲間が、意外に多くいた。
映画からの引用
ジョン・ライドンの『リチャード三世』のみならず、パンク・ロッカーは映画からも大いに引用をおこなった。クラッシュはアルバム『ロンドン・コーリング』収録のナンバー「ザ・ライト・プロファイル(邦題「ニューヨーク42番街」)」にて、映画俳優モンゴメリー・クリフトに言及している(し、そもそもジョー・ストラマーは彼の「顔つき」を自らの写真撮影時のイメージ・モデルとしていると僕は読む)。彼らのアルバム『サンディニスタ!』に収録の「チャーリー・ドント・サーフ」は、映画『地獄の黙示録』(79年)の劇中の有名セリフがタイトルとなっている。
セリフといえば、第1章でご紹介したバズコックスの「エヴァー・フォーレン・イン・ラヴ」は、タイトルおよびキー・フレーズであるこのひとことが、1955年のアメリカ製ミュージカル映画『野郎どもと女たち(Guys and Dolls)』にちなんでいる。こちらもマーロン・ブランド主演、フランク・シナトラらが出演、ジョセフ・L・マンキーウィッツ監督の手による一作で、当時アカデミー賞そのほかにノミネートされ、成功をおさめた。そもそもは同名のブロードウェイ・ミュージカルの映画化だった。この映画のなかの「Wait till you fall in love with somebody you shouldn't」というラインからインパイアされての歌詞だったという。
バズコックスといえば、彼らのレコード・デビュー作である、77年1月に自主レーベルからインディー・リリースしたEP『スパイラル・スクラッチ』のジャケットにフィーチャーされていたポラロイド写真について、当時のヴォーカリストだったハワード・ディヴォートが「複製技術時代の芸術的な冗談なんだ。即時再生的な」なんて解説をしている。もちろんこれは、ドイツの文芸批評家、哲学者であるヴァルター・ベンヤミンの代表的な著作『複製技術時代の芸術』(36年)にちなんだ軽口だ。
マクラーレン&ウエストウッド組に限らず、前衛芸術や哲学について「かじった」者はパンク・シーンに無数に存在し、そこから音楽のみならず、レコード・スリーヴやポスターなどを舞台として「新しいデザイン」が花開いていったのは、自然な成り行きだった。ジェイミー・リードはもちろん、ロシア・アヴァンギャルドを自在に咀嚼して一連のスティッフ・レーベル作品ほかで気を吐いたバーニー・バブルスら、未踏の地平を切り開いていく挑戦的ヒーロー・デザイナーが次々にあらわれた。そしてここから「ポスト」パンク以降のグラフィック界の大爆発、ピーター・サヴィルからネヴィル・ブロディ、トマトにまで至るUKグラフィック・デザインの黄金時代にまで、つながっていくことになる。
一方アメリカでは、パンク・コミックの象徴となった『ジンボ(JIMBO)』の著者、ゲイリー・パンターの活躍など、デザインからアートへとまたがっていく領域において、80年代に著しい発展があった。パンク経由のグラフィック表現がヒップホップ起源のグラフィティ・アートと一部交差しつつ、スケートボード周辺をも巻き込んで、90年代以降の「ストリート」文化という大河を形成していくことになる。
【今週の6曲】
Patti Smith Group - Land (Live at the Konserthuset Stockholm. 03/10/1976)
The Neon Boys - That's All I Know (Right Now)
The Jim Carroll Band - People Who Died
The Kinks - Johnny Thunder
Johnny Thunder - Loop de Loop
The Clash - The Right Profile (Official Audio)
(次週に続く)