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私の半分はどこから来たのか|馬場紀衣の読書の森 vol.33

まず、表紙に惹かれた本だ。透明な身体を抱き寄せるようにして、こちらを見つめる人がいる。読み始めると、表紙の人が自分を抱き寄せているようにも、水のように流れてしまいそうな自分をすくいあげているようにも見えてくる。

大野和基『私の半分はどこから来たのか AID[非配偶者間人工授精]で生まれた子の苦悩』朝日新聞出版、2022年。


自分は何者なのかと問うとき、親や祖父母の存在を意識せずにはいられない。子どもは血縁という大きな流れの中で育つから、家族との関係を考えることは、私という存在を考えることでもある。私はたしかにここにいると実感させてくれたのは母であり、父であり、私はその知らない時間や巡りあわせによってここに存在しているのだ。もちろんそれだけでは私という存在を語るには充分ではないけれど、自分は何者であるかを知ることは、自分はかけがえのないものであり、他の誰とも替えのきかない存在なのだと思わせてくれる。安心感は大げさでなく、人生のり所になる。

晩婚化、不妊治療、同性カップルの選択肢として生殖補助医療の技術に希望を見いだす人は増えている。AID(非配偶者間人工授精)は、日本では1948年から実施されてきた。でも、精子提供はながいあいだ匿名だった。最近は動向が変わりつつあるらしいけれど、それでも精子の提供者(ドナー)、カップル、生まれてきた子どもへのカウンセリング体制は、ほとんど整っていないのが現状だ。

「出自を知る権利」については、世界中で議論がつづいている。たとえば結婚を望む相手が異母きょうだいである可能性。自分のルーツを知りたいという根源的な欲求。長年にわたってAIDで生まれた日本人、アメリカ人、オーストラリア人に取材してきた著者はこう語る。「すべてに共通するのは、アイデンティティの半分が空白状態であるということだ」

AIDの告知は、ともすると子どものアイデンティティを揺るがせかねない。本書によると、AIDで生まれた子どもは両親の離婚や病歴を知ろうとしたときに事実を知る(知ってしまう)ことが多いという。不妊治療の医師アンドリュー・スピアーズは、幼少期の子どもの精神的な受容力は驚くべきレベルであり、告知は10代になってからでは遅すぎると説く。

彼らにとって、“偶然” 知ってしまうことほどの悪夢はありません。両親がどれほど子供を愛しているか、彼らを授かるのになぜ第三者の精子が必要であったのかを、子供が小さいときに説明すると案外容易に受け入れてくれます。まだ小さいからと逃げるのではなく、彼らの受容力を信じて早めに伝えるべきなんです。それは、想像するほど難しいことではないのですから

問題の中心にいるのは、生まれてくる子どもだけではない。著者は告知された側にも、する側にも十分なサポートの必要性を訴える。著者によれば、AIDは男性に不妊の原因がある場合に用いられるという。男性の無精子症は100人に一人という高い確率でみられるそうだから、不妊治療もAIDという選択肢もけっして女性だけの問題ではない。そのうえで「親も、子供が小さいときから折に触れて、出自の事実を話すと、真の親子関係が築かれることが多い」と著者は語る。

もちろん、生物学上の父親に会いたい、あるいは会いたくないと思う子どもの意思は尊重されるべきだ。自分を受け入れていくこと、受け入れてもらえた経験こそが水のように透明化した身体を完璧なかたちとしていく第一歩になるだろうから。



紀衣いおり(文筆家・ライター)

東京生まれ。4歳からバレエを習い始め、12歳で単身留学。オタゴ大学を経て筑波大学へ。専門は哲学と宗教学。帰国後、雑誌などに寄稿を始める。エッセイ、書評、歴史、アートなどに関する記事を執筆。身体表現を伴うすべてを愛するライターでもある。

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